2009年11月15日

今月の書「紡」 ★特別養護老人ホーム 山岡睦【2009年11月号】

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近づいたり 離れたり
微妙で
繊細で
でも少しずつ
つながっていく



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続・バス送迎の車中より ★ワークステージ 佐々木哲哉【2009年11月号】

 稲刈りが終わった。比較的気候に恵まれ、まずまずの収穫を得ることができた。一年を締めくくるには少し早いが、畑班としてはひと区切りしたような気分である。
 稲作そのものは機械化によって作りやすくなった半面、安い米価や減反政策のあおりでわずかな収入は機械代や燃料費に吸い取られるのが現実だ。また結や講といった共同作業や助け合いの人的交流を農村から奪ってしまった面もある。
 銀河の里の稲刈りもコンバインを駆使する。面積や作業量的には近所の兼業農家と同様に2〜3人もいれば十分だが、そこは「銀河の里」ゆえに今年も手刈りの交流会を含めてお年寄りから若者まで老若男女がにぎやかに集まり、稲刈りに総出で参加した。 人々の歓喜、稲穂のざわめき、天高い秋空。 慣れ親しんだ場所でもメンバーでもないのに、どこか懐かしい光景。
 郷愁とは、単に自分が生まれ育った場所を想うことだけでなく、太古から受け継ぎどこかに潜んでいる、人間の根源的な本能の声なのかもしれないと感じる。
 バスは、黄金色に輝く稲穂の海原を駆け抜け、紅葉の舞い落ちるなかを走る。東京生まれ横浜育ちの都会っ子の私にも慣れてしまえば日常のありふれた光景に過ぎないが、思えば贅沢なドライブだ。
 最近の送迎バスの車中は、以前にも増してにぎやかだ。昼食で余ったご飯を惣菜班がおにぎりにしてくれて、圭一くん(仮名)は「これ食べて眠くならないでね」と出発前に私に渡してくれる。いつも助手席に座りドライブを楽しむグループホームのサチさん(仮名)は、そのおにぎりを見て「ちょっとオラにも食わせてけろ」と言うので、「これは食べる“くすり”だから駄目だぁ」などとごまかす。
 運転中、ルームミラーをチラリとみると目が合い、指や腕を振っていろんなポーズをしてくれるのは幸くんだ。こちらもその真似をするのだが、対向車からその様子を見たら「何だあの運転手は?」とさぞいぶかしがるだろう(笑)。憲ちゃん(仮名)はいつもラジオの某法律事務所のコマーシャルが流れると、「そ・の・前に・ホーム○ン」の後の犬の鳴き声を一緒に「わん!」と叫ぶ。最近は何人かがそれに合わせてハモっている(私も)。則吉くん(仮名)とは降りる家の前で、私が停車位置を変な場所に停めると彼はわざとドアを開けっ放しにして帰ろうとするなど、冗談をやりあっている。
 石鳥谷駅に着くと、最近はサチさんが「おしっこさ行きてぇ」と言うことが多い。派手な服装の若き蛯原さん(仮名)が、そのサチさんの手を握って一緒にトイレに付き添ってくれる。
 これまで約半年、利用者のみんなと付き合ってきたが、私の関わりはまだまだ浅い。特に深い問題を抱えている利用者さんに対して、平易な同情や偽善的なやさしさといった表面的な部分でしか接することができず、自分は無関心で心ない人間なんだろうか‥‥と考えてしまうこともある。
 ある日、送迎の帰りにラジオから流れてきた歌が心に染みて、私はひとりしんみりしていた。静まり返った車内で黙り込んでいた憲ちゃんが後ろから突然「てつやさん、握手しよ」と手を差し出してくれた。この不思議なタイミングに一瞬にびっくりした。そして目頭が熱くなった。
 人間関係が希薄なまま育ってきた私も、遅まきながら関わりのなかで学び、成長していきたいと強く思う。

 「みんな去年と同じ。あたり前のことか。でも本当に繰り返されてゆく。人間の喜びや悲しみとは無関係に‥‥。自然の秩序とは、だからこそ僕たちの気持ちをなぐさめてくれるのかもしれない。(中略) 人の心は深く、そして不思議なほど浅い。きっと、その浅さで、人は生きてゆける」      (星野道夫 「アラスカ 〜 風のような物語」より)
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新たな挑戦<前編> ★ワークステージ 日向菜採【2009年11月号】

 11月8日から15日まで、岩手県障がい者文化芸術祭がふれあいランド岩手で開催されている。10月初め、去年この絵画部門に出展している昌子さん(仮名)に声をかけた。
 毎日のように絵を描いてきて私たちにプレゼントしてくれる昌子さん。絵は彼女の自己表現のなのだが、最近は言葉でも相手に伝えよう頑張っているのを感じる。芸術祭の話をすると「え〜!?」と恥ずかしそうに照れていた。その後2週間ほど経っても返事はなく、「最近絵を書く気になれない」という話もあり、「今回は無理なのかな・・・」と私は思っていた。その後、私の研修や昌子さんの通院でしばらく会えなかった。その間 「日向さんに話したいことがある」と話していたと聞き、私は出展を断る返事だと思っていた。
 久しぶりに会うと、緊張して話しかけてこられない様子だった。2日経って昼休みに覚悟を決めたのか、恐る恐るの感じで私に向かって「絵の作品・・・出し・・・出し・・・た・・・い・・・です」と話してくれた。出さないつもりで、断ることのためらいで緊張しているのかと思っていたので驚いた。その日は申し込みの締め切り日で、作品の提出期限は5日後に迫っていた。
 私の方が慌てて嬉しさと戸惑いに揺れながら「そっか!いいんだけど・・・実は・・・」と日程のことを話すと、彼女は腹が決まっていてそんなことは気にもとめない。「何を書くかは決まっている」ときっぱり。「しっかりして!」と言われたような気持ちになった。提出まで時間がないことで逆に気合いを入れ、やる気満々の姿をみて、「私もいっしょにがんばらなくては」と思った。
 その日の夕方、二人で画用紙を買いに行き、翌日から絵にとりかかったが、夕方までには下書きができあがった。次の日は、朝からずっと相談室にこもって色を塗り製作に集中した。時々のぞくと夢中で絵に色を乗せていた。声をかけると照れくさそうに笑うが、まったく疲れた様子はなく楽しそうだった。夕方6時半、絵が完成し、昌子さんが相談室から笑顔で出てきた。たった2日で絵を書き上げたその勢いに圧倒された。
 これまでの昌子さんの絵は動物や大好きなポニョ、職員など生き物の絵が多かったが、今年の秋あたりから山や空などの風景の絵が見られるようになってきていた。出展する作品も風景画だった。画面中央より上は多様な色彩の山がたくさんそびえたつ。その下には森が描かれ、さらにその下には海が広がって、そこにはポニョやカニ、魚が泳いでいる。昌子さんは「私はまだ頂上にはたどり着かないんだ。今はまだ森のところなんだ」と話している。この絵には、「彼女の挑戦」そのものが描かれていると感じさせる。
 絵が完成したこの日、昌子さんを自宅まで送った。運転席の隣にいる昌子さんは達成感に満ちたとても良い表情をしていて、あまりにその雰囲気がまぶしすぎて、私は言葉をかけることが躊躇われるほどだった。
 昨年芸術文化祭に出展した絵も彼女のある到達点だとみんな感じたということだが、今年の絵はまた去年とは違った昌子さんの変容を伝えている。現実にも日々たくましさを増していく昌子さん。絵を通じてこれからもどんな展開を見せてくれるのか楽しみだ。(続く)
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今月の一句 『十五夜の夜』 ★グループホーム第2 鈴木美貴子【2009年11月号】

十五夜の 流れる雲に まわる月 今年は月に 見たよと伝え 

満月に 拝んで祈る 夕まぐれ 願いも届く 黄昏の夢

あの頃は 大きな月が 昇ってた 老いたる今も 月光あびて
 

 10月3日は十五夜の月だった。天気がよくなくてきょうはたぶん月は見えないかもと昼から話していた。でも、月見団子をつくり、ススキを飾り、お供えをして月がでることを願って十五夜に備えた。夕方、薄暗くなっても雲が立ちこめ月は見えない。夕食前に久子さん(仮名)がベランダに出て「見えねえな〜」と中に戻ってくる。
 去年は晴れて良い月が出たのだが、去年はよく見えなかったというコラさん(仮名)と夕食後に、「お月さん見るかな〜」とベランダへ出た。雲に月は隠れていたが、コラさんがベランダに出て空を見上げていると雲の合間からスーッと月が現れた。私は思わず「コラさん月が出たよ、見える?」と声をかけた。するとゆらゆらと首をあげて空を向いたコラさんだったが「見えたー。今年はよく見えた。」と叫ぶ。その後月を褒めるように「コラさんに見えるって言ってらったおんや」と微笑んで語りかけるコラさん。
 豊さん(仮名)もベランダに出てきて「どこ拝めばいいのや」と月に向かって拝み、久子さんもきて、さっきは見えなかった月がみえて「ほー、たまげた。」と一言。ベランダにみんなで並んでしばらく十五夜お月さんを眺めながら、炭坑節や十五夜の歌を口ずさむ。
 時々月は雲に隠れてが見えなくなってしまう。その様子をみてコラさんは「月がまわってら・・・。そう見える。雲の動きで」と言う。クミさん(仮名)は、「子供の時にはもっと大きく見えたった」「あれーお月さんでたー!って大きく見えたった」と遠くを見つめながら「うさぎうさぎ♪何みて跳ねる♪〜」と小声で歌っていた。
 雲間から挨拶してくれた十五夜の満月を、それぞれがいろんな思いを重ねて眺めていた。そのひとりひとりの思いを見通すかのように輝く月の光に私は感謝したくなった。
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銀河の里音楽祭の特養ミニジャズライブ ★特養 中屋なつき【2009年11月号】

 音楽祭のメイン会場に特養から大勢が移動するのはなかなか大変なので、お願いして、特別に特養でミニコンサートをやってもらえることになった。アバンギャルドなコンテンポラリーのフリージャズを高齢者が受け入れてくれるか不安はあったがやってみることになった。利用者は早々と会場に集まって待ちかまえていた。メンバーがやってきて準備を始めた矢先「はよせぇ!」と叫ぶ優子さん(仮名)。陣取った一番前の席から、あんまり何度もせかすので、「もうちょっと待ってね…」とW.Bassの加藤さんが苦笑いで受けてくれる。
 そんな感じで演奏が始まる前から会場は異様な熱気に包まれていたし、メンバーとのコミュニケーションも生まれていたのだから、曲が始まると演奏者と観客が一体になった盛り上がりを見せた。荒井さんのスキャットニングで歌い込んでいく手法は意味は関係なく感覚で入ってくるので頭を使わなくていい。そのまま体に響いてくる感じだ。

 流血ピアニストとも称されるスガさんが会場の熱気に打たれて張り切ったものだから、アップライトのピアノがグラグラ揺れる怒濤の演奏になった。それをあっけにとられ目をまん丸にしてみていた遠子さん(仮名
 「すごいねぇ!」と連呼しながら自分も空中で指をひらひら、エア・ピアノで一緒に演奏していた。何度も席を立って落ち着かなかった鉄矢さん(仮名)は、いざ演奏が始まると、ソファに深くもたれて寝てしまった!きっと心地よく眠りの世界に行けたんだろう。それでも曲の終わりには、寝たままちゃんと拍手をしていたのがすごい。

 私は夕方の経管栄養中の二人、葵さん(仮名)と弥生さん(仮名)の間に挟まれて見ていたが、この二人もすごかった。Vocal荒井さんの声に呼応するかのように「あーっ!」とか「わーっ!」とか声を上げる葵さん。おまけに手を高く挙げて振ったり膝でリズムをガンガン刻んだりするもんだから、車椅子から落ちそうになる。ただでさえ経管栄養中は身体が動くとゲップが出たりするから安静が必要なんだけど、そんなこと構っていられないほどノリにノッている。車椅子から落ちないように気をつけながらも、そんな葵さんの姿が嬉しくてたまらなくなって、私も一緒に「わーい!」と万歳してしまう。
 弥生さんは大音響に「いいな、いいな」と終始ニコニコして聞いていたが、ふと、「おい!今、弥生って言ったな?俺のことだな!」と目を丸くして語りかけてくる。んー…そうかな…英語の歌詞なんだけど…と思いつつも「そうだね、弥生さんの歌だね!」と返すと、「うん、おれの歌だな。いんだ、いんだ、ははは」と例のかわいい牙(八重歯)を見せて笑いながら、両手を挙げて拍手している。これもとっても嬉しくなって「やったー、弥生さんの歌だー!」とまたまた私は万歳をする。
 そんなこんなで身体も心もぽかぽかになって一曲目が終わったとたん、絶妙なタイミングで優子さんが「ありがとうございました!」。これには一同ドッと笑いと拍手が起こった。ミュージシャンもこれではノらない訳にはいかない。その後、「もう結構です」を繰り返す優子さんのセリフにも、メンバーはひるまず繋がってくれる感じで盛り上がる。観客と演奏者を繋げて一体感をつくってくれた優子さんだった。
 二曲目の曲は ”What a Wonderful World” ですと荒井さんが紹介すると、間髪入れず♪しーろーじーにーあーかーくー…♪と口ずさんだ優子さんに、パァッと目を輝かせてPianoスガさんが、「ん?!なになに?」と身体を乗り出して優子さんに尋ねた。♪ひーのーまーるーそーめーてー…♪と続ける優子さん。そこで「えっと…、日の丸の旗っていう歌で…」と説明しようと口をはさんだが、でもそんなの必要なしって感じでパッと繋がるスガさん、「ドドソソララソ」のきらきら星のメロディーで曲が始まった。ポロポロンと始まると、  「それそれ!」って喜ぶ優子さん。もう絶妙なコンビネーションが出来上がっている。そこからフリーイントロダクションで曲が始まり、乗っているうちに ”What a Wonderful World” が展開する。この自由な対話の感じ!これこれ!って嬉しくなる。
 終演後、打ち上げの席で、特養ミニコンサートは格別良かったという話題が出たとき「きらきら星」をゆっくり歌うと”What a Wonderful World”、になるんだよと言うスガさん、だって元々は「きらきら星」からできてるんだもんね、と言う加藤さん。「すげぇー!優子さん、わかってたのー?!」とビックリな米さんに、 「きっと感じとったんだね!」と荒井さん。そうあの人、感性で解ってる人だよとメンバーもまじめな顔で話す。一同、「すごーい!」と感激せずにはいられない。プロのミュージシャンも納得させる感性ってなに?って驚く。そういえばその日、午前中のコーヒータイムの時に♪白地に赤く♪をすでに歌っていた優子さんだったな…と思い出して、ちょっとゾクッとする。「もう結構です」を何度も言っていた優子さんだったけど、ミニライブが終わった後、一時間くらいずっと「ありがとうございます」を連呼していた。

 その他の人も様々な反応だった。手拍子が止まらないコメさん(仮名)、上目遣いにジッと凝視しているハナさん(仮名)、普段は口数少なく温和しい邦恵さん(仮名)も思わず手拍子せずにはいられないっていう感じ。中には「こんなやかましいのなんか聞いてられないわよ!」と怒って帰ったサエ子さん(仮名)もいたけど、それも含めて、利用者それぞれがその人らしい活き活きした表情を見せてくれた。演奏している人たちも一緒に、それぞれが楽しそうだ。「自由」ってことなんだ。そこに感動して涙が出るんだろう。最後の三曲目、荒井さんのオリジナルの「カルイキビンナコネコナンビキイルカ?」というタイトルだ。上から読んでも下から読んでも、っていうやつで…と曲の紹介中に「にゃーっ!」と叫ぶ葵さん、曲が始まると「猫、ケンカしてらな、あ〜ははは」と笑っている弥生さん。コンテンポラリージャズわかんないどころかみんなノリノリで見抜いているじゃん。見事あっぱれ!存分に楽しんだ特養ミニライブ。「らしい」ということ、「自由」ということ、はたまた「何でこんなに涙が出るんだろう?嬉しい!」ということを思いっきり感じれるひとときだった。ありがとう!
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音楽祭ライブ記 ★グループホーム第1 佐藤寛恵【2009年11月号】

 音楽祭のことを思い出すと、心が渦巻いて言葉よりも思いの方が前へつんのめってしまう。音楽というモノがとにかく楽しかった、とてもとても楽しくて時間が過ぎる毎に切なくなった。リズムが身体中を走り抜けて、こんなに自由でいいんだろうかって思いながら私の気持ちがすっきりした。次の音が待ち遠しくてワクワクした。 こんな経験したことない!これが正直な私の感想である。
 冷静に思い出せば、ことの始まりは一曲目。一曲目の頭から表現者のパワーに圧倒され身動きがとれない。もう素敵すぎて何が何だかわからないよという思いと同時に、今の私がちゃんと表現できているのかってフライパンでおもいっきり殴られたような衝撃を受けた。思わず涙腺が潤む。表現することってこんなに幸せなことなんだよねと、自分の中で反芻する。気持ちの靄は晴れて、もう楽しんでしまおう、いけるところまで行こうという気持ちになってしまった。音楽祭開演わずか五分も経たないたないうちにそんなところまで引きずりこまれていた。
 そんな衝撃を、次から次へと受け取る。受け取ることが楽しくなってきて、自分の中にもあるリズムに驚くと同時に自由であることが心を広げていく。私だってここにいるだけで楽器のひとつになってしまえるんじゃないかと勘違いしそうになるほど、表現することの幸せを感じて、私もすごく幸せになった。
 もっともっと自由に、感情を枠にはめずに、そのまま行こう。行けるところまで行こう。そんな勢いで結局CDを購入した私はこのCDを聞く度に、曲の展開に乗って自由になる。表現することが楽しい、その幸せをかみしめて現実と異界を行き来する。
 フライパンで殴られたような素敵な音の衝撃は、私の導火線に再び火を付け熱となる。私が私の道を突き進むための強力な回復薬として、この音楽に出会えて良かったと思うし、里で出会えて良かった。実行委員として音楽祭の運営に関わったのだが、この音楽に出会えたことそのものが一番ラッキーな出来事だった。本当に素敵な音楽をごちそうさまでした。
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一平さんの存在 ★デイサービス 小田島鮎美【2009年11月号】

 デイサービスを長い間週1回利用している一平さん(仮名)。私は、一平さんにとても緊張する。話しかける時も言葉を選びながら、聞き取りやすいようにはっきり話そうと意識して、あいさつはしっかりと…と心のなかで覚悟を決めて(?)一平さんのもとへ行く。介助の時はどこかぎこちない動作で、かしこまってしまう自分が居る。でも、私のこの緊張は、良い悪いではなく、一平さんの存在によって私がそうなるんだと気づいたら、なんだかすごいことなんじゃないか!?と最近感じるようになった。
 一平さんとの関わりで一番緊張する場面は“お風呂”。
 一平さんは、1番風呂にしか入らないというこだわりがある。私はそれを意識せず他の利用者さんを先にお風呂に誘ってしまい、一平さんを怒らせてしまったことがあった。将棋の真剣勝負をしていたので、お風呂に誘うのをためらったのと、入れる方達から入ってもらいたいと思い、一平さんのこだわりを尊重しなかった。こちらの事情を伝えるのは怖かったが、正直に話すと一平さんは、「風呂なんかどうでもいい。帰る。」といきなり上着を着て将棋板をかばんにしまい込み怒って帰ろうとする。
 私も他のスタッフも謝るのだが許してくれず、一平さん自身も“帰る”と言ってしまって引けない感じになり、もう互いに苦しくなってしまった。少し時間をおいて藤井さんが一平さんにお風呂のことには触れずに話しかけると「将棋をしていると親の死に目にもあえない」という話をしてくれた。将棋の途中でもお風呂の時は話しかけていいからと言っているような言葉だった。結局そのときは午後の1番風呂で納得してくれた。
 私はその後余計に緊張して、一平さんの入浴にはぎくしゃくしていた。あまり介助をしすぎてもいけないと、隣で遠慮がちに介助をしていると「見てないで、手伝うんだ」と言われ、頑張って介助すると「俺はそんなこと、されたことがない」と言われ、いったいどうしたらいいんだろう…、とモヤモヤしてわからなくなるのだった。
 自分の緊張を消し去りたくて、ありのままの気持ちをミーティングで話したら「一平さんっていう存在が、鮎美さんをそうさせるのかもね。でも、それってすごいよね。」と言われて驚いた。確かに居るだけで、私に緊張感を与えるってすごい!私は、一平さんの存在の大きさを感じていたんだ。一平さんという一人の人間に、私という人間が出会って、かかわりあって、生まれるものがあるのかもしれない。そう気がつくと肩の力がすっと抜けたてきた。
 翌日、一平さんはいくらかめまいがすると言いながらも入浴したいとのことで、看護師に相談し無理のない範囲で入浴することになった。あいかわらず緊張の私だったが、着替えの介助をし、浴室で背中を流し、湯船に入った。すると「ここに来て、どれくらいになる?」と一平さんが聞いてくれて「7ヶ月くらいになります」と答えた。それから以前2時間もお風呂に入るおばあちゃんが居たんだなどと話してくれる。
 お風呂から上がり、着替えをしていると、一平さんが突然、目を閉じて、口をパカッと開け、顔を左右に動かし始めた。めまいするって話していたし、具合悪くなったのかな?!とびっくりしていると、にやりと笑うので(冗談だよ)、私も思わず笑っていた。こんなやりとりは初めてだった。
 ホールへ戻って定席の座布団に座ると、近くのスタッフを手招きするので、なんだろう?と思っていると、私を指差し、「大人になった」と言う。褒めてるんだとなんだか嬉しくなり、涙が出てきた。直接言わないところが、一平さんらしい。
 最近、担当者会議で、一平さんは他のデイサービスではお風呂はいつも最後の方ですよなどと聞いてスタッフはみんな驚いたが、私に異常な緊張をもたらす一平さんの存在に感謝しながら、これからは私らしく一平さんを一番風呂に誘ってみたい。
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作業と芸術 ★理事長 宮澤健【2009年11月号】

 先月、盛岡で久々に英哲の太鼓を聞いた。以前、銀河の里では東京の国立劇場で4年連続した英哲4部作を聞きに行ったことがあるがそれ以来久々の英哲だった 。
 近年、太鼓演奏のユニットが多く現れ、活躍する太鼓打ちも増えつつある中で、英哲はやはり別格だと感じる。以前の英哲の弟子達による若手の公演では、始まったとたんにこれは眠れると感じた。太鼓は胎児が母体で聞く母親の心臓の音に近いとか、母の胸に抱かれて聞く心臓の鼓動に似ていると言われるだけあって、太鼓の大音響は実に心地よく眠りをさそうのだ。熟睡と言うより深い安らぎのなかでじっくりと眠れる安眠ををこのとき体験した。その眠りはとても心地よかった。
 ところが、英哲は眠らせてはくれない。英哲の太鼓には安らぎはない。彼の太鼓は切々たる祈りだと私は感じてならない。聞かせようとも、伝えようともせず無心に打ち続ける。彼の太鼓はステージから伝わってくる音ではない。彼の太鼓は観客席に向かって響くのではなく、彼の中に入っていくような印象がある。そしてステージから英哲も太鼓も消える。消えた両者はたちまち、私自身の存在の奥底から響いてくる感じだ。
 初めての公演で英哲の太鼓は前から来ない、後ろから来ると感じたのはそのことだった。英哲は音とともに内向し、あちらの世界へと沈み込んで再び私自身の魂から飛び出してくるのだ。
 彼の仕事は和太鼓を使った新しい音楽の創造だったはずだ。新しい分野を創り上げてきたとの自負は彼の中にもあるだろう。創造であるからこそ我々に感動を呼び起こさせる力がある。彼はビートやスイングと匹敵するようななにかを和太鼓を使って創り上げ、完成させたのだと思う。音の裏に刻まれる通底律を感じ心打たれるのは私だけではあるまい。
  鼓を打っている英哲は巨人にみえる。実際は背の低い人で、普段着でロビーを歩く英哲を見かけるとそのギャップに驚く。そのくらい太鼓を打つ彼は巨大だ。
 今回の公演は「芯」というタイトルのコンサートだったが、まさにぶれない軸としての芯がそこにあり、太鼓を打つ彼の背中と首は全く動かない。もちろん手で打ってはあの音は出ないし、あれだけ長時間打ち続けられるはずがない。やはり重要なのは腰だろうし、その腰の力を太鼓に打ちつけるために背中と首は全くぶれないからこそ、全身の力が伝わって行くのだろう。
 今回の公演は英哲の太鼓だけではなく三味線、笛、尺八、長唄、歌舞伎等の日本の芸能のコラボレーションだったが、どれも上半身はぶれないで固定されることが基本にある。
 若手の人たちがここまでやれるのかと感動させられる舞台だったが、問題は、なぜ福祉施設の人間がそうした芸術や芸能を見るのか。見る意味があるのかということだ。ここは大切なところで、我々がどういう現場をめざし、どういう仕事をするのかという根本的なことに関わってくることと思う。
 現場というのは「生きる」ことへのコミットメントにつきると思う。ところが現実にはそんな面倒なことはできるだけ考えないでやり過ごしたいので、作業だけをする介護屋に収まろうとしたがる。それは単純で解りやすいが、そこで終わってしまって、その先がなくなる。なにも起こらない。結果、介護現場は3Kと認識されて専門学校には生徒がいない現状になってしまった。
 「生きる」ことや「人間」というテーマを掲げて現場で挑戦しようとすると言葉や概念で説明がつきにくく難しく複雑になる。ところが芸術は説明を必要としない。しかも人間や人生に迫り、しかも本質を突いていくことが可能である。そこに芸術の意味や価値がある。
 ひとりひとりの「生きる」に真剣に関わろうとするとき、芸術から学ぶことや育てられることは極めて多い。共通のクリエイティブがそこにはある。3Kにして終わらせてしまうか、クリエイティブのある現場にするのかの違いはあまりに大きい。どっちを選ぶのかを現場は常に問われるが、その問いを聞き流し、安易な作業に流れ、利用者ひとりひとりの語りに耳を傾けることができなくなっているのが現状だろう。その方向に流されないことはかなり困難であることも確かだ。
 一流の芸術は困難を超えて到達した輝きを持つ。現場の我々も「生きる」というテーマで芸術と同志である必要がある。現場は作業と芸術のどっちを選ぶのか、現場のひとりひとりがそのことを考えなければならないと思う。
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音楽祭:解きはなされる ★デイサービス 板垣由紀子【2009年11月号】

 荒井皆子さんのJAZZコンサートは昨年に続き2回目だ。去年は初めて聞くフーリージャズにどう入ったらいいのかと戸惑いがあった。今年は荒井さん主催の絵夢茶FANTASYというバンド、ポスターを見ても実に濃いメンバー。どのようなコンサートになるのか、私はどう感じることができるのか不安と期待が入り交じっていた。
 今年は職員にもできるだけ聞いてもらいたいと、夜昼2回の公演の上に特養でのミニコンサートまで開いていただいた、メンバーのこうしたフットワークのよさにも驚いた。
 私は勤務の都合で、昼の部は新人スタッフに譲り、特養のコンサートは送迎に当たっていたので、聴くことが出来ず、夜の部に勤務を終えて参加した。どこに座ろうか、迷っていると、昼の部を見たスタッフが、「絶対前がお勧め。」という。演奏中にグランドピアノが走ったとか、ピアノが壊れて、調律士を呼んだとか、興奮した様子で伝えてくれた。後ろのほうで全体の雰囲気を味わおうかとも思っていたのだが、その迫力を味わおうと前の席を探した。ちょうど一番前の中央の席が空いていたのでそこに陣取った。
 いよいよ開演。バンドメンバーがニコニコと入ってくる。わくわくした感じに包まれる。荒井さんが「コンテンポラリーJAZZの楽しみかた・・・」と話し始めた。「決まり事はなく、自由で、間違ってもいい、無茶でも、メチャクチャでも許される。ただ一つ約束事は、会話が成り立っていること。会話するつもりで聴いてみて下さい、楽しめると思います。」これは面白い、銀河の里の現場と通じるものがあると直感した。
 演奏が始まる。とにかく圧巻。グランドピアノが踊る。鍵盤の上を何本もの手が(実際は2本の手なのだが)、物凄いスピードで駆けめぐる。ベースとの掛け合い、やり取り、ピアノの独奏にニヤリとするベース。鍵盤の上を自由自在に駆けめぐる指(わぁ〜)と音と共に感情が揺さぶられる。パーカッションは次々といろんなものが楽器として登場する、「ドラえもんのポケット」と荒井さんが紹介した箱の中から、絶妙な音を重ねてくる。そして私を捕まえたのは、そのパーカッションの暴走(私には暴走に見えた。)だった。その音はどんどん激しく、強くなって、とどまることを知らない。その暴走が私には心地よかった。何か囚われていたものから解放されていく気分だった。パーカッションの暴走中(ソロ演奏中)、ピアノも、ベースもボーカルも止まる。マニュアルや管理、操作の世間などいろんなものと格闘しながらもがいているであろう自分の心が(普段自覚はないがこうした瞬間に気がつく)、パーカッションと共に叫び解放され、その瞬間に私はパーカッションと一体になる。
 この解放感は、パーカッション以外の周りのメンバーに支えられて与えられたはずだ。ピアノのダイローさんは全身で、パーカッションの奏でるリズムにのりながら、入る時を狙っている、指を鍵盤の上に置いてはとどまり、また置く。ついにはピアノではなく叫びで参加した瞬間はもう涙が出そうになった。物凄いコミュニケーション。そのやり取りをそっと包むように見守るボーカルの荒井さん。冷静に全体を捉えるベースの加藤さんはやや呆れ顔で微笑んでいる。3人のその素な感じ、個性が場を形成していく。そしてソロからパーカッションが戻ってくると、他のメンバーもそれぞれの楽器で語り始める。そして音楽が広がりを見せる。
 何だろう。これって、私たちが現場でやっている根本にあるものと全く同じだ。かつて新人の私が銀河の里のグループホームで育てられたのは、まさに守りと支えの器のなかで、利用者とスタッフのひとりひとりの爆発する個性との深いコミュニケーションを保証されるという恵まれた環境があったのだと気がつく。他者への深い関心と絶妙の距離、個性の尊重と対決、そうした深い関係性がチームの中核にないと創造的な仕事にはならない。
 終演後、ピアノのダイローさんに掛け合いの感想を伝えると「入るところを間違えたら台無しだから」との一言に真剣勝負を感じた。我々の現場でも、関係に入ろうともしない姿勢ではなにも生まれないが、入るところを間違えると相手も傷つけ全体も壊してしまうのは全く同じだ。「チーム」や「場」のあり方を深く考えさせられた音楽祭だった。
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