2009年10月15日
「おいしい」ということ ★グループホーム第2 前川紗智子【2009年10月号】
「あら、この漬物おいしい!あなたもちょっと食べる?」食卓を彩るおいしい言葉。
里の畑でとれたキュウリ、オクラ、ツルムラサキ、ピーマンなど野菜たちを、バッと刻んでだし醤油で味付け、卵も混ぜて、ささっと出来上がった一品。皿に盛るでもなく、作ったときのボウルのまま、出来立てほやほやの感じでテーブルを回っていく。「ねぇちょっと、こんなの作ってみたんだけどさ・・・」「どれどれ。アラ・・・おいしい!」「ほんと?!よかった。」こんなやりとりがおいしい。普段あまり言葉で語らないトモミさん(仮名)もそんなやりとりに「いいね。」と言って笑っている。
畑があって、自分たちで作った旬のものをいただけるこの幸せ。それぞれに配膳された食事をもくもくと味わうだけでなく、その時々のご馳走が、みんなをつないでいく。「おいしい」には、食べものそのもののおいしさを超えて、みんなで食べて楽しいっていうおいしさもある。漬物やちょっとした季節野菜のおかずを作る楽しみはそんなところにもある。
この夏、県内外から集まった子供たちを対象にした20日間のキャンプにスタッフとして参加させてもらった。キャンプが始まった当初、子どもたちはあまり食欲がなく、食事の場面は会話も少なく寂しい感じがあった。15人前後のみんなの顔が見えるようにと、大きな正方形のテーブルを囲んで、おかずは3つずつの大皿に盛ってそれぞれが取り分けるスタイルだった。みんなの箸が伸びないので、もっと食べてもらいたいのと、どのくらい食べたのかがわかるように、一人ひとりの皿に配膳した方が良いのではないかという声があがった。
その時、献立から調理まで食事のコーディネートをしていたキッチンスタッフのナベさんが言った。「それぞれに取り分けたくないんですよ。むしろ子どもたちの距離が遠いんじゃないかな・・・。テーブルの並び、変えてみません?・・・いや、僕ね、子どもの頃によその家でも食事をご馳走になってたもんで・・・わかるんですよね。自分の家ではそれぞれに用意されてたんだけど、友達の家は、おかずが大皿でどん!どん!って出されてて、『それとって』、『あれとって』って、結構にぎやかなんですよ。俺なんか、最初気つかっちゃって、席立っておかず取りに行くと、『言ったら取ってやるのに!』って言われてね。今の子供たちもそうだと思うんですよ。遠いんです。慣れてくると、声も出るようになると思うんだけどな。それに、自分の皿だけだと、そればっか見て食べるけど、大皿だと他の人へも結構気遣うようになるんですよね。今のテーブルだとお互いの距離が遠いから、物理的に近くしてあげたらいいと思うんです。」
「食べる、食べない」を何だったら食べるのか、とメニューの話だけにしてしまったり、食べれればいい、じゃなくて、「食事」の場面には人との関係性や、コミュニケーションが重要な要素としてあることをキッチンスタッフのナベさんは理解していたのだ。
そこで正方形のテーブルを長方形に直し、向かいや斜め向かいの人との距離を近くし、大皿へも楽に手を伸ばせて、一緒に食べている感じが伝わる配置に変えた。すると自然に会話が始まり、にぎやかになって食卓においしさがやってきた。会話が途切れないことでつい大皿にも手が伸びる。そうして日に日に子供たちの食べる量は増えていった。
今はみんな個食しか知らない。家の食卓でさえレストランや食堂で食べるような感じになっている。本来食べる時間は、集まる時間、語らう時間、コミュニケーションの時間ではなかったか。「おいしい」とは人と人のやりとりの中にあると感じたエピソードだった。
銀河のグループホームでは戸来さんがよく、出された献立以外に、冷蔵庫から常備野菜をサラダなどにして大皿を添えていた。それは献立を増やすとかそういったことではなく、人と人を繋ぐ一皿を盛ったのだと感じたことがある。食事の場面に限らず、ナベさんや戸来さんのように人と人の繋がりを見つめる人はそうした視点を鋭く持っていて、実にさりげなくそうした場と時間を創り出していく工夫ができるのだ。
「食べる」って「おいしい」って、そこもやっぱり「人」なんだなぁと思う。
里の畑でとれたキュウリ、オクラ、ツルムラサキ、ピーマンなど野菜たちを、バッと刻んでだし醤油で味付け、卵も混ぜて、ささっと出来上がった一品。皿に盛るでもなく、作ったときのボウルのまま、出来立てほやほやの感じでテーブルを回っていく。「ねぇちょっと、こんなの作ってみたんだけどさ・・・」「どれどれ。アラ・・・おいしい!」「ほんと?!よかった。」こんなやりとりがおいしい。普段あまり言葉で語らないトモミさん(仮名)もそんなやりとりに「いいね。」と言って笑っている。
畑があって、自分たちで作った旬のものをいただけるこの幸せ。それぞれに配膳された食事をもくもくと味わうだけでなく、その時々のご馳走が、みんなをつないでいく。「おいしい」には、食べものそのもののおいしさを超えて、みんなで食べて楽しいっていうおいしさもある。漬物やちょっとした季節野菜のおかずを作る楽しみはそんなところにもある。
この夏、県内外から集まった子供たちを対象にした20日間のキャンプにスタッフとして参加させてもらった。キャンプが始まった当初、子どもたちはあまり食欲がなく、食事の場面は会話も少なく寂しい感じがあった。15人前後のみんなの顔が見えるようにと、大きな正方形のテーブルを囲んで、おかずは3つずつの大皿に盛ってそれぞれが取り分けるスタイルだった。みんなの箸が伸びないので、もっと食べてもらいたいのと、どのくらい食べたのかがわかるように、一人ひとりの皿に配膳した方が良いのではないかという声があがった。
その時、献立から調理まで食事のコーディネートをしていたキッチンスタッフのナベさんが言った。「それぞれに取り分けたくないんですよ。むしろ子どもたちの距離が遠いんじゃないかな・・・。テーブルの並び、変えてみません?・・・いや、僕ね、子どもの頃によその家でも食事をご馳走になってたもんで・・・わかるんですよね。自分の家ではそれぞれに用意されてたんだけど、友達の家は、おかずが大皿でどん!どん!って出されてて、『それとって』、『あれとって』って、結構にぎやかなんですよ。俺なんか、最初気つかっちゃって、席立っておかず取りに行くと、『言ったら取ってやるのに!』って言われてね。今の子供たちもそうだと思うんですよ。遠いんです。慣れてくると、声も出るようになると思うんだけどな。それに、自分の皿だけだと、そればっか見て食べるけど、大皿だと他の人へも結構気遣うようになるんですよね。今のテーブルだとお互いの距離が遠いから、物理的に近くしてあげたらいいと思うんです。」
「食べる、食べない」を何だったら食べるのか、とメニューの話だけにしてしまったり、食べれればいい、じゃなくて、「食事」の場面には人との関係性や、コミュニケーションが重要な要素としてあることをキッチンスタッフのナベさんは理解していたのだ。
そこで正方形のテーブルを長方形に直し、向かいや斜め向かいの人との距離を近くし、大皿へも楽に手を伸ばせて、一緒に食べている感じが伝わる配置に変えた。すると自然に会話が始まり、にぎやかになって食卓においしさがやってきた。会話が途切れないことでつい大皿にも手が伸びる。そうして日に日に子供たちの食べる量は増えていった。
今はみんな個食しか知らない。家の食卓でさえレストランや食堂で食べるような感じになっている。本来食べる時間は、集まる時間、語らう時間、コミュニケーションの時間ではなかったか。「おいしい」とは人と人のやりとりの中にあると感じたエピソードだった。
銀河のグループホームでは戸来さんがよく、出された献立以外に、冷蔵庫から常備野菜をサラダなどにして大皿を添えていた。それは献立を増やすとかそういったことではなく、人と人を繋ぐ一皿を盛ったのだと感じたことがある。食事の場面に限らず、ナベさんや戸来さんのように人と人の繋がりを見つめる人はそうした視点を鋭く持っていて、実にさりげなくそうした場と時間を創り出していく工夫ができるのだ。
「食べる」って「おいしい」って、そこもやっぱり「人」なんだなぁと思う。
銀河の車窓から ★デイサービス 小田島鮎美【2009年10月号】
デイサービスで働くことになって、まりえさん(仮名)と初めて会ったときは、どうコミュニケーションをとればいいか、介助をするにもどんなタイミングで、どんな声かけをしていったらいいのか、戸惑ってしまうばかりで、不安も大きかった。
というのも、まりえさんとの言語的コミュニケーションは難しく、かなり限られた言葉でのやりとりに制限される。まりえさんの気持ちや感じは、まりえさんの表情や体の動きや視線、声のトーンなどから推測し感じとるしかない。また、まりえさんの気持ちに波があり、歌を口ずさんだりふきだし笑いをしたりと穏やかなときもあれば、激しい動きで怒りの感情を爆発させるときもある。まりえさんの気持ち・こころの状況が、言葉ではなく体全体で表現されている感じだ。まりえさんのそうした波にできるだけ沿い、まりえさんのタイミングに合わせて、食事であればご飯を口元へ運んだり、入浴の介助や衣類の着脱もすることになる。タイミングがうまく合えば楽しくお茶をしたり、歌を歌ったりという時間も一緒に過ごすことができる。
出会って8ヶ月、食事や入浴の介助や散歩、ショートステイに付き添っての泊まり込みで一緒に過ごす時間を重ねるなかで、まりえさんに触れることができるようになってきたと感じ、お互いに通じるような感じも出ててきはじめた。言語でのコミュニケーションはほとんどないものの、まりえさんの「だん、だん」という言葉も、なにか話しかけてくれたり、外の風景をみて感動を語っているように感じられるようになった。
先日朝の送迎でまりえさんを乗せたあと、ボランティアさんを迎えに行き、家の前でしばらく待っていたとき、助手席に乗っていたまりえさんが私の指の絆創膏をじっと見て、うなずきながら、「いたい、いたい」と話しかけてきた。そして、私の手をとり、私の両手を包み込むように自分の手をそっとのせたので驚いた。このとき私はまりえさんという人間に触れた気がした。私の指の小さな傷をいたわってくれるまりえさんの優しさを感じ、こころがあったかくなった。しばらくまりえさんと見つめあい「ありがとう」と言うと、ニコニコと笑顔のまりえさんだった。
まりえさんとのコミュニケーションは、必ずしもキャッチボールできるとは限らないので、私からの一方的なことが多いのではないかとずっと葛藤があったが、こんなふうに、まりえさんの方から関わってきてくれて、つながれた瞬間の体験は大きかった。
というのも、まりえさんとの言語的コミュニケーションは難しく、かなり限られた言葉でのやりとりに制限される。まりえさんの気持ちや感じは、まりえさんの表情や体の動きや視線、声のトーンなどから推測し感じとるしかない。また、まりえさんの気持ちに波があり、歌を口ずさんだりふきだし笑いをしたりと穏やかなときもあれば、激しい動きで怒りの感情を爆発させるときもある。まりえさんの気持ち・こころの状況が、言葉ではなく体全体で表現されている感じだ。まりえさんのそうした波にできるだけ沿い、まりえさんのタイミングに合わせて、食事であればご飯を口元へ運んだり、入浴の介助や衣類の着脱もすることになる。タイミングがうまく合えば楽しくお茶をしたり、歌を歌ったりという時間も一緒に過ごすことができる。
出会って8ヶ月、食事や入浴の介助や散歩、ショートステイに付き添っての泊まり込みで一緒に過ごす時間を重ねるなかで、まりえさんに触れることができるようになってきたと感じ、お互いに通じるような感じも出ててきはじめた。言語でのコミュニケーションはほとんどないものの、まりえさんの「だん、だん」という言葉も、なにか話しかけてくれたり、外の風景をみて感動を語っているように感じられるようになった。
先日朝の送迎でまりえさんを乗せたあと、ボランティアさんを迎えに行き、家の前でしばらく待っていたとき、助手席に乗っていたまりえさんが私の指の絆創膏をじっと見て、うなずきながら、「いたい、いたい」と話しかけてきた。そして、私の手をとり、私の両手を包み込むように自分の手をそっとのせたので驚いた。このとき私はまりえさんという人間に触れた気がした。私の指の小さな傷をいたわってくれるまりえさんの優しさを感じ、こころがあったかくなった。しばらくまりえさんと見つめあい「ありがとう」と言うと、ニコニコと笑顔のまりえさんだった。
まりえさんとのコミュニケーションは、必ずしもキャッチボールできるとは限らないので、私からの一方的なことが多いのではないかとずっと葛藤があったが、こんなふうに、まりえさんの方から関わってきてくれて、つながれた瞬間の体験は大きかった。
みつさんち日記 ★ワークステージ 日向菜採【2009年10月号】
9月27日(日)、最高の秋晴れ。
グループホームみつさんちの9月生まれ、憲武さん(仮名)、弘道さん(仮名)、広一さん(仮名)の誕生会で、利用者8名、スタッフ5名で、盛岡方面へ出かけた。
まず、最初に盛岡手作り村。地域の伝統工芸品が展示され体験コーナーもたくさんあった。南部せんべいの手作り体験コーナーもあり、平さん(仮名)を筆頭にみんなで手作りせんべいに挑戦した。歯の悪い洋司さん(仮名)は初め、「固いからな〜」と遠慮していたが、「焼きたてだからやわらかいよ」と言われ、挑戦することに。生地が入った鉄板を30秒ごとに6回ひっくり返して完成。ピーナッツが入ったやわらかく甘いせんべいができあがった。洋司さんは笑顔でそのせんべいをほうばっていた。
手作り村をあとに次は岩手山の麓にある相の沢キャンプ場に向かう。そこでは持ってきた二子のさといもで芋のこ汁を作ることにした。利用者と男性スタッフは、森の中の原っぱで野球をはじめた。以前、弘道さんに「誕生日会なにかしたいことある?」と聞いたとき、「思う存分野球がしたい」と話していた。8月に海に行ったとき浜辺でキャッチボールをしたのが好評でまたやりたいと思っていたようだ。プラスチックのバットとボール、木の枝でつくったベースで、白熱した試合が繰り広げられた。広一さんのバッティングは素晴らしく、片手でバットを振って遠くまで飛ばしてしまう。それを必死でキャッチしようとする中条さん(仮名)や、普段見たことない素早い走りでボールを拾いに行く洋司さん、そして真剣な表情でバットをかまえる弘道さん。60代と50代も交え無邪気に遊ぶ彼らを、私は昼ごはんをつくりながら、なんだか母親になったようなあたたかな気分になっていた。
芋のこ汁が完成し、青空のもとで昼ごはんを食べた後、プレゼントを渡すことに・・・。今年の春から銀河の里にきた広一さんと弘道さん。グループホームみつさんちにきて初めての誕生日プレゼント。弘道さんは大好きなカーペンターズのCDを送られて、一瞬表情も動きもかたまってしまった。そのあと「・・・いいんですか?」と言って驚いた顔でこちらを見て、「今までで最高のプレゼントです!」と喜んでくれた。広一さんにはセーターと作業用のバックか?」と言って驚いた顔でこちらを見て、「今までで最高のプレゼントです!」と喜んでくれた。広一さんにはセーターと作業用のバックがプレゼントされ、「実はこういうのもらったことないんだよ。ここ(胸のあたりをたたいて)がバクバクして泣きそうです」と感激していた。50代のふたりは他の利用者よりも生きてきた時間が長い分、誕生日を祝ってもらう機会が少なくなっていたのかもしれない。私は広一さんにセーターをプレゼントしたが、広一さんは私の父親と同年代で、しかもふたりとも9月生まれ。ふたりのプレゼントを同じお店で買った。なんだか不思議な気分だったが、実の父親とは普段できないケンカを、広一さんとは頻繁にやっているこの関係も意外と味なものだ。
芋のこ汁をたらふく食べ、食後にも野球をして・・・今度は疲れた体を癒しに網張温泉へ向かった。温泉好きばかりのみつさんちメンバーとスタッフは、温泉で体を休めたあと、帰路についた。
花巻に戻ってくる途中に寄ったコンビニで、今日参加できなかったスタッフに偶然会った。数日後、そのスタッフが「コンビニで偶然会ったとき平さんがいい笑顔をしていた」、「それを見ただけでとても楽しかったことが伝わった」と話してくれた。平さんは一人で過ごすことが多く、出かけることはあまりない。外出に消極的だったのだが、今年の七夕には・・・「がんばって働いてお金をもらって、いろんなところに連れてってもらえますように」と書いていたそうだ。それを知って心の底から「行ってよかったな・・・」と胸が熱くなった。普段はなかなか見せない平さんの笑顔は、素直なうれしい気持ちの表れだと感じた。ただ「楽しかった」思い出で終わるだけでなく、利用者の心が動く記念の会にできればと思う 。
翌日メンバーは仕事をしながら「次の誕生日会はどこにいくか」と盛り上がっていた。弘道さんが「次の誕生会はなにするっすか?」と私に聞いてきた「次はまだ2ヶ月も先だよ!?」とつっこみをいれながら、私も次の誕生会を楽しみにワクワクしている。
グループホームみつさんちの9月生まれ、憲武さん(仮名)、弘道さん(仮名)、広一さん(仮名)の誕生会で、利用者8名、スタッフ5名で、盛岡方面へ出かけた。
まず、最初に盛岡手作り村。地域の伝統工芸品が展示され体験コーナーもたくさんあった。南部せんべいの手作り体験コーナーもあり、平さん(仮名)を筆頭にみんなで手作りせんべいに挑戦した。歯の悪い洋司さん(仮名)は初め、「固いからな〜」と遠慮していたが、「焼きたてだからやわらかいよ」と言われ、挑戦することに。生地が入った鉄板を30秒ごとに6回ひっくり返して完成。ピーナッツが入ったやわらかく甘いせんべいができあがった。洋司さんは笑顔でそのせんべいをほうばっていた。
手作り村をあとに次は岩手山の麓にある相の沢キャンプ場に向かう。そこでは持ってきた二子のさといもで芋のこ汁を作ることにした。利用者と男性スタッフは、森の中の原っぱで野球をはじめた。以前、弘道さんに「誕生日会なにかしたいことある?」と聞いたとき、「思う存分野球がしたい」と話していた。8月に海に行ったとき浜辺でキャッチボールをしたのが好評でまたやりたいと思っていたようだ。プラスチックのバットとボール、木の枝でつくったベースで、白熱した試合が繰り広げられた。広一さんのバッティングは素晴らしく、片手でバットを振って遠くまで飛ばしてしまう。それを必死でキャッチしようとする中条さん(仮名)や、普段見たことない素早い走りでボールを拾いに行く洋司さん、そして真剣な表情でバットをかまえる弘道さん。60代と50代も交え無邪気に遊ぶ彼らを、私は昼ごはんをつくりながら、なんだか母親になったようなあたたかな気分になっていた。
芋のこ汁が完成し、青空のもとで昼ごはんを食べた後、プレゼントを渡すことに・・・。今年の春から銀河の里にきた広一さんと弘道さん。グループホームみつさんちにきて初めての誕生日プレゼント。弘道さんは大好きなカーペンターズのCDを送られて、一瞬表情も動きもかたまってしまった。そのあと「・・・いいんですか?」と言って驚いた顔でこちらを見て、「今までで最高のプレゼントです!」と喜んでくれた。広一さんにはセーターと作業用のバックか?」と言って驚いた顔でこちらを見て、「今までで最高のプレゼントです!」と喜んでくれた。広一さんにはセーターと作業用のバックがプレゼントされ、「実はこういうのもらったことないんだよ。ここ(胸のあたりをたたいて)がバクバクして泣きそうです」と感激していた。50代のふたりは他の利用者よりも生きてきた時間が長い分、誕生日を祝ってもらう機会が少なくなっていたのかもしれない。私は広一さんにセーターをプレゼントしたが、広一さんは私の父親と同年代で、しかもふたりとも9月生まれ。ふたりのプレゼントを同じお店で買った。なんだか不思議な気分だったが、実の父親とは普段できないケンカを、広一さんとは頻繁にやっているこの関係も意外と味なものだ。
芋のこ汁をたらふく食べ、食後にも野球をして・・・今度は疲れた体を癒しに網張温泉へ向かった。温泉好きばかりのみつさんちメンバーとスタッフは、温泉で体を休めたあと、帰路についた。
花巻に戻ってくる途中に寄ったコンビニで、今日参加できなかったスタッフに偶然会った。数日後、そのスタッフが「コンビニで偶然会ったとき平さんがいい笑顔をしていた」、「それを見ただけでとても楽しかったことが伝わった」と話してくれた。平さんは一人で過ごすことが多く、出かけることはあまりない。外出に消極的だったのだが、今年の七夕には・・・「がんばって働いてお金をもらって、いろんなところに連れてってもらえますように」と書いていたそうだ。それを知って心の底から「行ってよかったな・・・」と胸が熱くなった。普段はなかなか見せない平さんの笑顔は、素直なうれしい気持ちの表れだと感じた。ただ「楽しかった」思い出で終わるだけでなく、利用者の心が動く記念の会にできればと思う 。
翌日メンバーは仕事をしながら「次の誕生日会はどこにいくか」と盛り上がっていた。弘道さんが「次の誕生会はなにするっすか?」と私に聞いてきた「次はまだ2ヶ月も先だよ!?」とつっこみをいれながら、私も次の誕生会を楽しみにワクワクしている。
村上君のアーティスト魂 ★事務 米澤充【2009年10月号】
「今月は何の絵をかけば良い?」とワークステージの村上幸太郎君が毎月私に声をかけてくる。“絵”というのはあまのがわ通信に掲載する“絵”の事で、その月の活動の中で村上くんが最も印象深かったことを絵にしてくれている。その絵は村上君の1ヶ月のまとめになっているように感じる。
村上君は平成20年1月号のあまのがわ通信から絵を掲載し始めた。それは平成20年12月号まで続いたが、平成21年1月から3月まで一時「あまのがわ短信」になって絵の掲載がストップしていた。私は村上君の絵を載せたいと思っていたところ3月に村上君を銀河の里から駅まで送る機会があり、“絵”の事を話しかけた。「普段何か絵を描いているの」と尋ねたら、アニメや漫画、ゲームのキャラクターを描いているとのことで、村上君のアーティスト魂が冷めていないことを確認できた。さらに、私が今年の4月号からあまのがわ通信の担当になったので、すぐさま村上君に声をかけた。村上君の返答はもちろん“イエス”。
それから、月初めには冒頭のセリフで私に声をかけてくれる。何を描けばよいかと問いながら、村上君には絵の構想があるようで、私が「梅取りの絵はどうかな?」と言ったりしても「それは去年描いたからな〜…」とか「ちょっと難しいな〜…」といった具合で、結構首を傾けながら考えている。
絵に描く内容が決まるまでそうしたやり取りが何日か続くが、いつの間にか村上君の中で絵の構想が固まり、もくもくと絵を描き始める。私は事務職で直接村上君と接する機会は少ないのだが、昼食時に一緒になるとたまに目が合ってお互いに無言でうなずく。「(今絵を書いているからね。もうちょっと待ってね。)」「(うん、楽しみに待っているよ。)」そんな無言のやりとりが楽しい。
絵が描き上がると、昼食時に「絵が出来たよ!」と声をかけてくれる。いつも悩み考え抜いた力作だ。村上君の絵は、人物の特徴をすごくうまく捉えていて、人物が小さく描かれていても、一目で誰を描いたのかが解る。
8月末、村上君の絵のファンだと手紙をいただいた東京の菅原幸一さんが、岩手に用があった機会にわざわざ銀河の里に寄ってくださった。村上君と初対面となり感動の時間を過ごした。菅原さんは数年前の文通のやり取りで定期的に送っていた村上君の絵をきちんとファイルして大事にしてくださっていてそれを持ってこられた。
最近の絵とはまた一味違う以前の絵がすごく新鮮だった。菅原さんはスケッチブックをおみやげとして村上くんに渡された。長年、村上くんの絵を大事にしていただける人があった事がうれしかった。今後も村上君に絵を書き続けてもらいたいという思いがよりいっそう高まった。
私も村上幸太郎くんの絵の一ファンとして、さらにファンが増えていくことを密かに願っている。
村上君は平成20年1月号のあまのがわ通信から絵を掲載し始めた。それは平成20年12月号まで続いたが、平成21年1月から3月まで一時「あまのがわ短信」になって絵の掲載がストップしていた。私は村上君の絵を載せたいと思っていたところ3月に村上君を銀河の里から駅まで送る機会があり、“絵”の事を話しかけた。「普段何か絵を描いているの」と尋ねたら、アニメや漫画、ゲームのキャラクターを描いているとのことで、村上君のアーティスト魂が冷めていないことを確認できた。さらに、私が今年の4月号からあまのがわ通信の担当になったので、すぐさま村上君に声をかけた。村上君の返答はもちろん“イエス”。
それから、月初めには冒頭のセリフで私に声をかけてくれる。何を描けばよいかと問いながら、村上君には絵の構想があるようで、私が「梅取りの絵はどうかな?」と言ったりしても「それは去年描いたからな〜…」とか「ちょっと難しいな〜…」といった具合で、結構首を傾けながら考えている。
絵に描く内容が決まるまでそうしたやり取りが何日か続くが、いつの間にか村上君の中で絵の構想が固まり、もくもくと絵を描き始める。私は事務職で直接村上君と接する機会は少ないのだが、昼食時に一緒になるとたまに目が合ってお互いに無言でうなずく。「(今絵を書いているからね。もうちょっと待ってね。)」「(うん、楽しみに待っているよ。)」そんな無言のやりとりが楽しい。
絵が描き上がると、昼食時に「絵が出来たよ!」と声をかけてくれる。いつも悩み考え抜いた力作だ。村上君の絵は、人物の特徴をすごくうまく捉えていて、人物が小さく描かれていても、一目で誰を描いたのかが解る。
8月末、村上君の絵のファンだと手紙をいただいた東京の菅原幸一さんが、岩手に用があった機会にわざわざ銀河の里に寄ってくださった。村上君と初対面となり感動の時間を過ごした。菅原さんは数年前の文通のやり取りで定期的に送っていた村上君の絵をきちんとファイルして大事にしてくださっていてそれを持ってこられた。
最近の絵とはまた一味違う以前の絵がすごく新鮮だった。菅原さんはスケッチブックをおみやげとして村上くんに渡された。長年、村上くんの絵を大事にしていただける人があった事がうれしかった。今後も村上君に絵を書き続けてもらいたいという思いがよりいっそう高まった。
私も村上幸太郎くんの絵の一ファンとして、さらにファンが増えていくことを密かに願っている。
今月の一句 『雨のぶどう狩り』★グループホーム第2 鈴木美貴子【2009年10月号】
ブドウ狩り おんぶにだっこで 出かければ ほおばる実り 晴々笑顔
あいにくの 雨の中でも 晴々と ブドウ畑で 食らえば食らえ
9月23日、グループホーム第2では紫波の観光ブドウ園にぶどう狩りに出かけた。コラさん(仮名)は、「行く」と数日前には言っていたが、当日は行きたくないオーラを発し、朝からグチグチ。でも、種なしブドウ食べよう、おんぶにだっこするからという誘いでやっと行く気になる。コラさんは晴れ女なのだけれども、あいにくこの日は雨・・・。車の中では「出るまでが面倒くさいんだ、出れば楽しい」と言い、歌を歌いながら上機嫌。ぶどう園では「こういう所に住むのはどうですか?」と聞くと「こういう静かなところが好きだ私は。住んでもいい」とコラさん。帰ってきて「ぶどう狩りどうだった?」と聞くと「良かったよー。ぶどう狩りらしいぶどう狩りだったよ」「ほんと、良かったよ」と。何日か後も「ぶどう狩り良かったな」と話してくるコラさん。
誘い方が難しいし、天気もいまいちだったが、「良かった」と言ってくれるのでうれしい。雨でも、ブドウを食べながら、表情は晴ればれで、その場所は晴れのような・・・。
なかなか出たがらないコラさんとの外出は晴れでないと行けないかと思っていたが、一緒に行きたい思いが通じれば、天気なんて関係なくいい時を過ごせるんだなと思った。
あいにくの 雨の中でも 晴々と ブドウ畑で 食らえば食らえ
9月23日、グループホーム第2では紫波の観光ブドウ園にぶどう狩りに出かけた。コラさん(仮名)は、「行く」と数日前には言っていたが、当日は行きたくないオーラを発し、朝からグチグチ。でも、種なしブドウ食べよう、おんぶにだっこするからという誘いでやっと行く気になる。コラさんは晴れ女なのだけれども、あいにくこの日は雨・・・。車の中では「出るまでが面倒くさいんだ、出れば楽しい」と言い、歌を歌いながら上機嫌。ぶどう園では「こういう所に住むのはどうですか?」と聞くと「こういう静かなところが好きだ私は。住んでもいい」とコラさん。帰ってきて「ぶどう狩りどうだった?」と聞くと「良かったよー。ぶどう狩りらしいぶどう狩りだったよ」「ほんと、良かったよ」と。何日か後も「ぶどう狩り良かったな」と話してくるコラさん。
誘い方が難しいし、天気もいまいちだったが、「良かった」と言ってくれるのでうれしい。雨でも、ブドウを食べながら、表情は晴ればれで、その場所は晴れのような・・・。
なかなか出たがらないコラさんとの外出は晴れでないと行けないかと思っていたが、一緒に行きたい思いが通じれば、天気なんて関係なくいい時を過ごせるんだなと思った。
入浴コミュニケーション ★デイサービス 櫛引美里【2009年10月号】
里に勤めて半年が経った。当初は入浴介助が限られた時間の中でこなさなければならないと大変さばかりを感じたが、最近ではそれがかなり違って利用者さんとのコミュニケーションの場として貴重な時間になっている。
花子さん(仮名)は、たいてい午前中に他の女性利用者さんと一緒に入浴を済ませるのだが、たまたま午後に1対1でゆっくりと入ることがあった。そのとき仲の良かった歩さん(仮名)との出会いをしみじみと話してくれた。なかなかデイに馴染めなかった頃「ここには悪口を言う人もいるかもしれない、でも私は花子さんの味方だから」と歩さんが言ってくれたというのだ。それから2人の付き合いは深まっていったという。
普段はいろいろ質問等しても笑顔と相づちしか返してくれない雄介さん(仮名)。お風呂で背中を流しながら話しかけていると「どこに住んでいるの?」と質問をしてきてくれた。それが私にはとてもうれしかった。1対1になることが多い入浴時間には普段とは違うことが起こり、違った面を見せてくれる。
いつもは午前中のうちに入浴を済ませてしまうミチさん(仮名)だがこの日は微熱があったため午後まで様子を見ることになった。午後になり平熱に戻ったので、入浴に誘ってみる。普段は快く応じてくれるミチさんだがゆっくりしていたところだったし、午後ということで億劫になったのか「嫌んた!」と断られてしまった。私も負けじとしつこく誘ってみる。すると「わかりました、入ります。」と怒ってしまったミチさん。表情は固く、何もしゃべらず黙々と脱ぎ出す。午後の時間をゆっくり過ごしていたのに悪いことしてしまったなぁと感じ「しつこくてごめんね。」と言うと「(風呂に)入らなくて次から(銀河に)来なくていいと言われると困るから…。」とつぶやく。そんなことを言わせるつもりはなかったのに、私のミチさんにお風呂に入って欲しいという気持ちとミチさんの今はゆっくりとしたいという気持ちがぶつかってしまった。
でも私の気持ちを酌んでくれたミチさんは「ごめんなさい。」と言って笑顔を見せてくれた。それから2人で話をしながら入浴をした。この出来事があったからこそ、ミチさんの気持ちに気づくこともでき、本人の気持ちも大切にしたいと感じた。
私にとって1対1になることの多い入浴の時間は、利用者さんの新たな面を発見できる大切な場となっている。
花子さん(仮名)は、たいてい午前中に他の女性利用者さんと一緒に入浴を済ませるのだが、たまたま午後に1対1でゆっくりと入ることがあった。そのとき仲の良かった歩さん(仮名)との出会いをしみじみと話してくれた。なかなかデイに馴染めなかった頃「ここには悪口を言う人もいるかもしれない、でも私は花子さんの味方だから」と歩さんが言ってくれたというのだ。それから2人の付き合いは深まっていったという。
普段はいろいろ質問等しても笑顔と相づちしか返してくれない雄介さん(仮名)。お風呂で背中を流しながら話しかけていると「どこに住んでいるの?」と質問をしてきてくれた。それが私にはとてもうれしかった。1対1になることが多い入浴時間には普段とは違うことが起こり、違った面を見せてくれる。
いつもは午前中のうちに入浴を済ませてしまうミチさん(仮名)だがこの日は微熱があったため午後まで様子を見ることになった。午後になり平熱に戻ったので、入浴に誘ってみる。普段は快く応じてくれるミチさんだがゆっくりしていたところだったし、午後ということで億劫になったのか「嫌んた!」と断られてしまった。私も負けじとしつこく誘ってみる。すると「わかりました、入ります。」と怒ってしまったミチさん。表情は固く、何もしゃべらず黙々と脱ぎ出す。午後の時間をゆっくり過ごしていたのに悪いことしてしまったなぁと感じ「しつこくてごめんね。」と言うと「(風呂に)入らなくて次から(銀河に)来なくていいと言われると困るから…。」とつぶやく。そんなことを言わせるつもりはなかったのに、私のミチさんにお風呂に入って欲しいという気持ちとミチさんの今はゆっくりとしたいという気持ちがぶつかってしまった。
でも私の気持ちを酌んでくれたミチさんは「ごめんなさい。」と言って笑顔を見せてくれた。それから2人で話をしながら入浴をした。この出来事があったからこそ、ミチさんの気持ちに気づくこともでき、本人の気持ちも大切にしたいと感じた。
私にとって1対1になることの多い入浴の時間は、利用者さんの新たな面を発見できる大切な場となっている。
特養で初めての敬老会 ★特養ユニット「すばる」 佐々木勝巳【2009年10月号】
9月16日(水)特養が出来て初めての敬老会が開催される。開催に向けスタッフたちは感謝の気持ちとしてメッセージカードの作成に取り掛かった。私はすばるのタクヤさん(仮名)と礼子さん(仮名)にメッセージカードを渡すことになっている。・・・さてどうするか・・・画用紙と写真は用意をしメッセージを入れれば作れる。しかし気持ちを伝えるにはやはり手の凝ったセンスのいいカードにしなければならない。自分の中で脳内をフル回転させて自分なりのカードを作る事となる。色画用紙に白の画用紙を貼り、写真を貼り、写真にリボンを付け、そして日頃の感謝の気持ちをメッセージにつづりカードは完成した。・・・自分なりには出来た。・・・
そして当日。銀河の里スタッフ、利用者、理事長・施設長が勢ぞろいし、メインである豪華な料理をごちそうとなった。(刺身がはいってるんですよ)そしていよいよスタッフからメッセージカードの贈呈。となる予定だったが、なんとおじいちゃんおばあちゃんたちはいつもと違うごちそうに満足したのか睡魔が襲い、お昼寝タイムとなってしまった。あらかじめプログラムは出来ていたが、こういう展開もよしということで、メッセージカードは敬老会終了後に渡すこととした。居室にはいり、タクヤさん、礼子さんにメッセージカードを渡す。タクヤさんは「お〜ありがとう」と大きい声、礼子さんは聞こえるか聞こえないかのかすかな声だったが「ありがとう」と言ってくれた。うれしいのと同時に恥ずかしさがこみあげた。私は27歳だがあまり自分から「ありがとう」とは言わなかったし逆に「ありがとう」と言われたこともあまりなく「ありがとう」と面と向かって言われるとほんとに照れくさく感じる。このこそばゆい、照れくさい気持ちを胸に今後の人生を突っ走って行こうと思う。
そして当日。銀河の里スタッフ、利用者、理事長・施設長が勢ぞろいし、メインである豪華な料理をごちそうとなった。(刺身がはいってるんですよ)そしていよいよスタッフからメッセージカードの贈呈。となる予定だったが、なんとおじいちゃんおばあちゃんたちはいつもと違うごちそうに満足したのか睡魔が襲い、お昼寝タイムとなってしまった。あらかじめプログラムは出来ていたが、こういう展開もよしということで、メッセージカードは敬老会終了後に渡すこととした。居室にはいり、タクヤさん、礼子さんにメッセージカードを渡す。タクヤさんは「お〜ありがとう」と大きい声、礼子さんは聞こえるか聞こえないかのかすかな声だったが「ありがとう」と言ってくれた。うれしいのと同時に恥ずかしさがこみあげた。私は27歳だがあまり自分から「ありがとう」とは言わなかったし逆に「ありがとう」と言われたこともあまりなく「ありがとう」と面と向かって言われるとほんとに照れくさく感じる。このこそばゆい、照れくさい気持ちを胸に今後の人生を突っ走って行こうと思う。