2009年09月15日
お盆商戦を終えて ★ワークステージ 関 脩【2009年9月号】
ワークステージの大葉ハウスでは、1年の中で最も忙しい8月のお盆商戦を大葉が良い状態で迎えられ、出荷も無事に終えることができた。今年は去年よりも多い注文数を予定していたとおり、去年の16万枚をはるかに上回る24万枚という出荷数をこなした。お盆を迎えるまでは、「去年のような急激な注文の嵐に巻き込まれはしないか、その注文に大葉自体が耐えられるか、人員体制は・・・。」などと、色々な事がグルグルと頭の中を駆けめぐって戦々恐々としていた。ところが去年は深夜までかかって収穫・納品をしたドタバタ劇がまるで嘘のように今年はスムーズに出荷を完了出来て自分でも驚いた。
今年は5年目の利用者がプロとして育っていた。お盆が近くなると「今年のお盆は忙しいでしょ休まないよ。いつ出ればいいの?こっちはもう働ける準備は出来ているよ?」と問いかけてくる正美さん(仮名)、由美子さん(仮名)、春子さん(仮名)の3人がいた。また、例年はこの稼ぎ時を長期の無断欠勤を繰り返していた広行さん(仮名)も「やっぱり俺がいないとダメですよね?」と笑顔で話しかけてきて、今年は5年目で初めて出てきて収穫を大きくサポートしてくれたりと大活躍で、私のグルグル状況をはじき飛ばしてくれた。
葉を並べる部隊と、収穫の部隊が別れているが、製品化をする人たちは次々と収穫されてくる大葉に向かい黙々と手を動かし、夕方にはドンっと山のようにパックを積み重ねてくれたし、収穫する人も森のような大葉のハウスの中に入って、カゴの中いっぱいに溢れんばかりの大葉をきれいに並べて収穫をしてきてくれた。収穫と製品化の狭間で手薄になりがちな掃除やその他の手入れも少ない人数で黙々としてくれる人がいたりして、さすが5年目みんな手慣れて一人前に力を付けたんだなと頼もしく感慨深かった。
一人ひとりに個性があり、向き不向きや、性格や得意不得意も大いにある。相性や性格の関係から、ぶつかったり、騒いだりと怒りや涙、感情噴出の日々が続いている。毎日いざこざや騒ぎのない日はないくらいだ。でもそれはそれで凄く人間的ですばらしいことではないかと最近つくづく感じる。福祉的就労の場所によく見受けられるような、仕事をさせるために利用者を監視するかのような雰囲気とは正反対の場になっていると思う。利用者は自然に職員スタッフをあだ名で呼びかけ、親しげに話かける。職員・利用者という上下関係はまるでない。事が起こらないような管理と操作で作業をすすめる職場ではなく、これからも個々人のこころの動きや思いに関心を持って、「事起これ主義」で大騒ぎしながら挑んでいける職場でありたいと思う。
結果的に、大きな仕事も軽くこなせる程、ひとりひとりが成長してきたことを実証し実感させられた今年の夏のお盆商戦だった。さて、次は年末の商戦だが、この夏の経験から逞しく成長したひとりひとりに支えられて余裕でゆとりの仕事をこなせるのではないかと思うが…なにせ冬なので油断をしないで暖房等にぬかりなく、ハウス管理を徹底して臨んでいきたい。薪ボイラーの効果にも期待したい。
今年は5年目の利用者がプロとして育っていた。お盆が近くなると「今年のお盆は忙しいでしょ休まないよ。いつ出ればいいの?こっちはもう働ける準備は出来ているよ?」と問いかけてくる正美さん(仮名)、由美子さん(仮名)、春子さん(仮名)の3人がいた。また、例年はこの稼ぎ時を長期の無断欠勤を繰り返していた広行さん(仮名)も「やっぱり俺がいないとダメですよね?」と笑顔で話しかけてきて、今年は5年目で初めて出てきて収穫を大きくサポートしてくれたりと大活躍で、私のグルグル状況をはじき飛ばしてくれた。
葉を並べる部隊と、収穫の部隊が別れているが、製品化をする人たちは次々と収穫されてくる大葉に向かい黙々と手を動かし、夕方にはドンっと山のようにパックを積み重ねてくれたし、収穫する人も森のような大葉のハウスの中に入って、カゴの中いっぱいに溢れんばかりの大葉をきれいに並べて収穫をしてきてくれた。収穫と製品化の狭間で手薄になりがちな掃除やその他の手入れも少ない人数で黙々としてくれる人がいたりして、さすが5年目みんな手慣れて一人前に力を付けたんだなと頼もしく感慨深かった。
一人ひとりに個性があり、向き不向きや、性格や得意不得意も大いにある。相性や性格の関係から、ぶつかったり、騒いだりと怒りや涙、感情噴出の日々が続いている。毎日いざこざや騒ぎのない日はないくらいだ。でもそれはそれで凄く人間的ですばらしいことではないかと最近つくづく感じる。福祉的就労の場所によく見受けられるような、仕事をさせるために利用者を監視するかのような雰囲気とは正反対の場になっていると思う。利用者は自然に職員スタッフをあだ名で呼びかけ、親しげに話かける。職員・利用者という上下関係はまるでない。事が起こらないような管理と操作で作業をすすめる職場ではなく、これからも個々人のこころの動きや思いに関心を持って、「事起これ主義」で大騒ぎしながら挑んでいける職場でありたいと思う。
結果的に、大きな仕事も軽くこなせる程、ひとりひとりが成長してきたことを実証し実感させられた今年の夏のお盆商戦だった。さて、次は年末の商戦だが、この夏の経験から逞しく成長したひとりひとりに支えられて余裕でゆとりの仕事をこなせるのではないかと思うが…なにせ冬なので油断をしないで暖房等にぬかりなく、ハウス管理を徹底して臨んでいきたい。薪ボイラーの効果にも期待したい。
認知症と新たな知恵 ★デイサービス 板垣由紀子【2009年9月号】
この4月から居宅支援事業所に移り、ケアマネージャーとして利用者のお宅を訪問し銀河の里以外の事業所や病院とのやり取りをし、施設内とは違った繋がり方を考えさせられるようになりました。根底にある、本人をどう支えていくのかと言う基本は変わらないものの、現場によって違った枠組みがあるのを感じています。
以前デイサービスにいたとき「デイサービスはちょっとあるのがいい。」と理事長にいわれすぐには理解することが出来ませんでした。グループホームでは、「本人のありよう」に焦点を絞り、一般には問題行動とされがちな言動を窓(入り口)にしてその人の世界に触れながらそのプロセスを大切にしようとしてきました。でもそれは、グループホームという器に守られて可能になる事であって、デイサービスでは器がまるで違って、主体は在宅の家族で、それをどう支えるかという脇役の仕事がデイサービスのポイントだと言っているのだと気がつきました。
自宅で骨折した昭太郎さん(仮名)は、退院後、銀河の里のデイサービスを週一回利用しています。認知症の方で退院後の歩行の安全性に不安があり再転倒も心配しましたが、心配をよそに自在に歩けるようになりました。話し好きで、利用者同士のムードメーカーとして場を盛り上げてくれます。反面、頑固な一面があり、「帰る」と言い始めるとなかなか説得が効かず、スタッフは一方的ではないやり取りで、あれやこれやと悩みながら対応しています。
ある時、バイタルを測ると本人はいたってけろっとしていますが血圧が低く脈拍が150近くあります。そんなこちらの事情を伝えても聞いてくれる訳もないので、今日も「帰る」モードになるのか、何かにはまれるかと様子を気にしながら隣にいると、看護師が「このバイタルじゃ、すぐに横にしましょう。」と本人に体の状況を説明し横になるよう勧めました。でもまるで伝わりません。看護師も困り果てて「判断できないんだよね。」とつぶやきました。
こうした言葉は認知症の方の病院受診で医療関係者から何度も聞かされました。解ってもらえないのはグループホームでは日常の前提なので、「当たり前じゃない。そんなんで不気味がらないで欲しい。この人にはこの人の世界があるんだから」と怒りが込み上げたものでした。でもこの時は「判断できない人に、私たちはどういたらいい?」という問いが自分のなかに返ってきました。「判断できない人」世間の常識からすれば当然の「こちらの言うことが全く正常には伝わらず指示に従ってもらえない問題のある人」という見方です。医療的には「通常なら立ってもいられないバイタルの状況」も現実にそこに立ちはだかっています。「すぐにも横になってもらわなければ」というのは看護師として正しい判断です。
そこにもう一つ大きな壁、認知症が立ちはだかった場面で私たちはどう動くのかが問われているのです。医療的なリスクがあり、一方それとは全く関係のない世界に認知症の本人の気持ちや感情が動いている。この両者の狭間に立って現実を見つつ、一方で認知症の世界により添い、タイミングを見つけながら誘導していけるかどうかが問われます。「正しい判断」と「生き生きと動いている気持ちや感情」を私たちの立ち位置でどうすればいいのか考える必要があります。単に理解できず判断を欠いた人として操ることはしたくありません。今、認知症の人と関わりのなかで、人間を見つめる新たなパラダイムが求められていると思います。それを創造していくのが認知症の人に関わる現場の大きな仕事ではないかと感じるのです。
以前デイサービスにいたとき「デイサービスはちょっとあるのがいい。」と理事長にいわれすぐには理解することが出来ませんでした。グループホームでは、「本人のありよう」に焦点を絞り、一般には問題行動とされがちな言動を窓(入り口)にしてその人の世界に触れながらそのプロセスを大切にしようとしてきました。でもそれは、グループホームという器に守られて可能になる事であって、デイサービスでは器がまるで違って、主体は在宅の家族で、それをどう支えるかという脇役の仕事がデイサービスのポイントだと言っているのだと気がつきました。
自宅で骨折した昭太郎さん(仮名)は、退院後、銀河の里のデイサービスを週一回利用しています。認知症の方で退院後の歩行の安全性に不安があり再転倒も心配しましたが、心配をよそに自在に歩けるようになりました。話し好きで、利用者同士のムードメーカーとして場を盛り上げてくれます。反面、頑固な一面があり、「帰る」と言い始めるとなかなか説得が効かず、スタッフは一方的ではないやり取りで、あれやこれやと悩みながら対応しています。
ある時、バイタルを測ると本人はいたってけろっとしていますが血圧が低く脈拍が150近くあります。そんなこちらの事情を伝えても聞いてくれる訳もないので、今日も「帰る」モードになるのか、何かにはまれるかと様子を気にしながら隣にいると、看護師が「このバイタルじゃ、すぐに横にしましょう。」と本人に体の状況を説明し横になるよう勧めました。でもまるで伝わりません。看護師も困り果てて「判断できないんだよね。」とつぶやきました。
こうした言葉は認知症の方の病院受診で医療関係者から何度も聞かされました。解ってもらえないのはグループホームでは日常の前提なので、「当たり前じゃない。そんなんで不気味がらないで欲しい。この人にはこの人の世界があるんだから」と怒りが込み上げたものでした。でもこの時は「判断できない人に、私たちはどういたらいい?」という問いが自分のなかに返ってきました。「判断できない人」世間の常識からすれば当然の「こちらの言うことが全く正常には伝わらず指示に従ってもらえない問題のある人」という見方です。医療的には「通常なら立ってもいられないバイタルの状況」も現実にそこに立ちはだかっています。「すぐにも横になってもらわなければ」というのは看護師として正しい判断です。
そこにもう一つ大きな壁、認知症が立ちはだかった場面で私たちはどう動くのかが問われているのです。医療的なリスクがあり、一方それとは全く関係のない世界に認知症の本人の気持ちや感情が動いている。この両者の狭間に立って現実を見つつ、一方で認知症の世界により添い、タイミングを見つけながら誘導していけるかどうかが問われます。「正しい判断」と「生き生きと動いている気持ちや感情」を私たちの立ち位置でどうすればいいのか考える必要があります。単に理解できず判断を欠いた人として操ることはしたくありません。今、認知症の人と関わりのなかで、人間を見つめる新たなパラダイムが求められていると思います。それを創造していくのが認知症の人に関わる現場の大きな仕事ではないかと感じるのです。
花壇作りで起きた小さな変化 ★デイサービス 小田島鮎美【2009年9月号】
ある日、花壇の花を植え替えようと、花子さん(仮名)、遠子さん(仮名)と一緒に外へ出た。花壇の土を、スコップで耕す。私自身、園芸は無縁で花の育て方も知らないので2人に教えてもらいながら見よう見まねで取りかかる。花子さんが、じょうろで土全体に水をかけ、湿らせたところに、みんなで苗を入れる穴を掘る。「背の高いのを、後ろに植えますか」とさりげなくアドバイスしてくれる花子さん。
花の苗を1つずつ取り出して遠子さんに手渡すと、慣れた手つきで苗を植え、優しく土をかぶせていく。そこへチヨ子さん(仮名)もやって来ていすに座ってサルビアを植えてくれた。そうしてできあがった花壇をみんなで見て「かわいい!」と声があがった。
その後、昼食までの時間、隣の花壇の整備をした。遠子さんが鍬で耕していたが、しばらくして「腰が痛いわ」とデイへ戻ってしまった。続きを花子さんが耕し私とチヨ子さんで花壇の草とりをしていた。花子さんの次に私が耕していると、なれないへっぴり腰に見かねたのか、いつもはほとんど歩けないチヨ子さんが「できるかできないかわからんけど、やってみる」といすから立ち上がり、鍬を持った。自分から活動に参加することのないチヨ子さんなので意外だった。鍬、大丈夫かな…と思ったが、いざ土を耕し始めると頼もしくさすがで、心配は一気に吹き飛んだ。
耕すうちに、木の根っこがガツッと鍬にあたった。一生懸命根っこをひっぱっている。私も一緒にひっぱる。「うーんしょっ!!」と引っこ抜く。「こんなに長いの生えてたんだ」とびっくりする私をよそに、黙々と土を耕しているチヨ子さん。
デイではいつもテーブル席で過ごしているチヨ子さん。手浴と手のマッサージ、お風呂が日課。周りのみんなの様子を眺めて過ごすことが多く、手のしびれが強い日には、両手を毛布でくるんで、じっと過ごしていて活動に積極的ではない。
そのうち私が交代して鍬を使っているとチヨ子さんが「少し高くしておくと、周りの草が(花壇に)はいってこない」と、花壇の周りの土を整えるようにアドバイスをくれる。でも私の作業がイメージと違ったようで「おねぇちゃん、ちょっと貸して」とまたいすから立ち上がり、鍬でやって見せてくれる。「あぁ、こうすればよかったのか…!」こうやってチヨ子さん、花子さんと一緒に耕した土には、なんだかあったかみを感じた。
外で太陽の光を浴び一仕事をしたあと、デイでチヨ子さんはお風呂に入った。表情もよく明るい様子だった。足取もいつもよりしっかりして手引き介助もいらないくらいだった。かるたも、札を次々と取っていつものチヨ子さんとは違って積極的だった。その変化を嬉しく感じながら、みんなで耕した花壇にどんな花を植えようかいうと楽しみにウキウキした気分になった。
花の苗を1つずつ取り出して遠子さんに手渡すと、慣れた手つきで苗を植え、優しく土をかぶせていく。そこへチヨ子さん(仮名)もやって来ていすに座ってサルビアを植えてくれた。そうしてできあがった花壇をみんなで見て「かわいい!」と声があがった。
その後、昼食までの時間、隣の花壇の整備をした。遠子さんが鍬で耕していたが、しばらくして「腰が痛いわ」とデイへ戻ってしまった。続きを花子さんが耕し私とチヨ子さんで花壇の草とりをしていた。花子さんの次に私が耕していると、なれないへっぴり腰に見かねたのか、いつもはほとんど歩けないチヨ子さんが「できるかできないかわからんけど、やってみる」といすから立ち上がり、鍬を持った。自分から活動に参加することのないチヨ子さんなので意外だった。鍬、大丈夫かな…と思ったが、いざ土を耕し始めると頼もしくさすがで、心配は一気に吹き飛んだ。
耕すうちに、木の根っこがガツッと鍬にあたった。一生懸命根っこをひっぱっている。私も一緒にひっぱる。「うーんしょっ!!」と引っこ抜く。「こんなに長いの生えてたんだ」とびっくりする私をよそに、黙々と土を耕しているチヨ子さん。
デイではいつもテーブル席で過ごしているチヨ子さん。手浴と手のマッサージ、お風呂が日課。周りのみんなの様子を眺めて過ごすことが多く、手のしびれが強い日には、両手を毛布でくるんで、じっと過ごしていて活動に積極的ではない。
そのうち私が交代して鍬を使っているとチヨ子さんが「少し高くしておくと、周りの草が(花壇に)はいってこない」と、花壇の周りの土を整えるようにアドバイスをくれる。でも私の作業がイメージと違ったようで「おねぇちゃん、ちょっと貸して」とまたいすから立ち上がり、鍬でやって見せてくれる。「あぁ、こうすればよかったのか…!」こうやってチヨ子さん、花子さんと一緒に耕した土には、なんだかあったかみを感じた。
外で太陽の光を浴び一仕事をしたあと、デイでチヨ子さんはお風呂に入った。表情もよく明るい様子だった。足取もいつもよりしっかりして手引き介助もいらないくらいだった。かるたも、札を次々と取っていつものチヨ子さんとは違って積極的だった。その変化を嬉しく感じながら、みんなで耕した花壇にどんな花を植えようかいうと楽しみにウキウキした気分になった。
みつさんち日記 ★ワークステージ 日向菜採【2009年9月号】
8月23日、夏の終わりを感じさせないくらい最高の晴れ日和。
グループホームみつさんちでは、中条くん(仮名)と雄二さん(仮名)の誕生日会のため、利用者9名、職員6名、総勢15名の大世帯で陸前高田・高田松原に出かけた。今回の誕生日会は、主役の中条くんたっての「海に行きたい」との願いに応えたものだった。
海に着いて早々キャッチボールが始まる。いつもはワークステージの玄関前の狭い場所でしかできないキャッチボールが、その日はどんなに高く、どんなに遠く投げても、誰にも怒られないし周りを気にする必要もない。みんな大はしゃぎで思いっきりボールを投げ、思う存分楽しんでいた。
海水浴は難しいと思っていたが、その日は日差しが強く、気温が高かったこともあり、かろうじて海に入ることができた。宮古市出身の隆くん(仮名)は、海育ちのため海水浴をとても楽しみにしており、ばっちり海水パンツを用意していた。海で楽しそうに泳いでいた隆くんを見て、広一さん(仮名)や中条くんが「俺も持ってくればよかった〜冷たくて入れないと思ってて」と悔しがっていた。
海水浴を楽しんでいる一方で、海釣りに挑戦したグループは「釣った魚を焼いて食べよう」と意気込んでいたが、結局、収穫ゼロ。けれども、釣りのやり方を教えてもらいながら悪戦苦闘する敏夫さん(仮名)や、釣りをしている姿が妙にかっこいい広一さんなど、無我夢中で釣りをしている姿は、普段の生活の中では見ることはできない一面だ。
夕日が傾くまで海を満喫し、帰りの車の中ではみんな疲れ果て、夢の中へ…。
この誕生日会の2日前、広一さんが、気分が乗らないので行かないと言い出した。けれども、「広一さんが行かないなら俺も行かない」と寂しげに話した中条くんを見て、「主役が行かないのはまずいよな…」と少し困った顔をした広一さん。誕生日会当日は参加してくれ、中条くんといつもどおり冗談を言い合いながら、みんなを笑わせてくれた。共同生活の場でお互いを気にかけて、どこか見えないところで繋がっているのだろう。広一さんと中条くんのやりとりからやさしさが伝わってきてなんだか心が温かくなった。
8月25日、グループホームみつさんちの世話人 川村さんの誕生日。
いつもごはんを準備してくれたり、掃除してくれたりと、利用者にとってとても大切な存在の川村さん。その川村さんの誕生日、中条くんの一言でプレゼントをあげようという話になる。私と中条くんでカンパを集める袋を作った。中条くんは最初、「いや俺無理だよ、できないよ」と自分が主体となることに弱音をはいていたけれども、夕方には「お金、一応みんなに説明して全員分集めたから」と報告してきた。中条くんのこんな頼もしい姿を見たのは初めてで、驚き感心してしまった。
その翌日、私と中条くんと広一さんでプレゼントを買いに行こうとしていたところ、「俺も行きたい」と憲武さん(仮名)と明弘さん(仮名)も加わり5人でイトーヨーカドーに出かけた。中条くんからは「いつもエプロンしてるからエプロンがいいかなと思ってる」、広一さんからは「特養の厨房から帰ってくるとハンカチで汗をふいてるからハンカチはどうかな」と自然に意見が出てくる。「川村さんはよくピンクをきてるっけよ」「それだと子どもっぽいな」などと細かく意見を出しあい「これにしよう」と選び出していった。それぞれ真剣にプレゼント選びに集中する姿から心からプレゼントをあげたいという気持ちが伝わってきた。
プレゼントを渡したとき川村さんはとても驚き、中条くんに「いつもお世話をしてくれてありがとうございます。みんなでお金をだして買いました。これからもよろしくお願いします」と言われて涙ぐんでいた。誰に言われるのでもなく発案し積極的に働きかけ実行する姿がとても頼もしく感じた。見せないだけでいろんな可能性を秘めていることを痛感した。
グループホームみつさんち第2がスタートして4ヶ月。利用者が5人から10人に増え、一体感もできてきて、いろんな可能性が見えてきた。ぶつかったり、騒いだりの日々だが私も利用者もいっしょに、人とのつながりの温かい「みつさんち」をつくっていきたい。
グループホームみつさんちでは、中条くん(仮名)と雄二さん(仮名)の誕生日会のため、利用者9名、職員6名、総勢15名の大世帯で陸前高田・高田松原に出かけた。今回の誕生日会は、主役の中条くんたっての「海に行きたい」との願いに応えたものだった。
海に着いて早々キャッチボールが始まる。いつもはワークステージの玄関前の狭い場所でしかできないキャッチボールが、その日はどんなに高く、どんなに遠く投げても、誰にも怒られないし周りを気にする必要もない。みんな大はしゃぎで思いっきりボールを投げ、思う存分楽しんでいた。
海水浴は難しいと思っていたが、その日は日差しが強く、気温が高かったこともあり、かろうじて海に入ることができた。宮古市出身の隆くん(仮名)は、海育ちのため海水浴をとても楽しみにしており、ばっちり海水パンツを用意していた。海で楽しそうに泳いでいた隆くんを見て、広一さん(仮名)や中条くんが「俺も持ってくればよかった〜冷たくて入れないと思ってて」と悔しがっていた。
海水浴を楽しんでいる一方で、海釣りに挑戦したグループは「釣った魚を焼いて食べよう」と意気込んでいたが、結局、収穫ゼロ。けれども、釣りのやり方を教えてもらいながら悪戦苦闘する敏夫さん(仮名)や、釣りをしている姿が妙にかっこいい広一さんなど、無我夢中で釣りをしている姿は、普段の生活の中では見ることはできない一面だ。
夕日が傾くまで海を満喫し、帰りの車の中ではみんな疲れ果て、夢の中へ…。
この誕生日会の2日前、広一さんが、気分が乗らないので行かないと言い出した。けれども、「広一さんが行かないなら俺も行かない」と寂しげに話した中条くんを見て、「主役が行かないのはまずいよな…」と少し困った顔をした広一さん。誕生日会当日は参加してくれ、中条くんといつもどおり冗談を言い合いながら、みんなを笑わせてくれた。共同生活の場でお互いを気にかけて、どこか見えないところで繋がっているのだろう。広一さんと中条くんのやりとりからやさしさが伝わってきてなんだか心が温かくなった。
8月25日、グループホームみつさんちの世話人 川村さんの誕生日。
いつもごはんを準備してくれたり、掃除してくれたりと、利用者にとってとても大切な存在の川村さん。その川村さんの誕生日、中条くんの一言でプレゼントをあげようという話になる。私と中条くんでカンパを集める袋を作った。中条くんは最初、「いや俺無理だよ、できないよ」と自分が主体となることに弱音をはいていたけれども、夕方には「お金、一応みんなに説明して全員分集めたから」と報告してきた。中条くんのこんな頼もしい姿を見たのは初めてで、驚き感心してしまった。
その翌日、私と中条くんと広一さんでプレゼントを買いに行こうとしていたところ、「俺も行きたい」と憲武さん(仮名)と明弘さん(仮名)も加わり5人でイトーヨーカドーに出かけた。中条くんからは「いつもエプロンしてるからエプロンがいいかなと思ってる」、広一さんからは「特養の厨房から帰ってくるとハンカチで汗をふいてるからハンカチはどうかな」と自然に意見が出てくる。「川村さんはよくピンクをきてるっけよ」「それだと子どもっぽいな」などと細かく意見を出しあい「これにしよう」と選び出していった。それぞれ真剣にプレゼント選びに集中する姿から心からプレゼントをあげたいという気持ちが伝わってきた。
プレゼントを渡したとき川村さんはとても驚き、中条くんに「いつもお世話をしてくれてありがとうございます。みんなでお金をだして買いました。これからもよろしくお願いします」と言われて涙ぐんでいた。誰に言われるのでもなく発案し積極的に働きかけ実行する姿がとても頼もしく感じた。見せないだけでいろんな可能性を秘めていることを痛感した。
グループホームみつさんち第2がスタートして4ヶ月。利用者が5人から10人に増え、一体感もできてきて、いろんな可能性が見えてきた。ぶつかったり、騒いだりの日々だが私も利用者もいっしょに、人とのつながりの温かい「みつさんち」をつくっていきたい。
新たなチャレンジ「さんさ隊結成」 ★デイサービス 藤井覚子【2009年9月号】
今年の夏祭りは新たなチャレンジとして、銀河の里の職員で「さんさ」を披露する事になった。きっかけは、今年始まった特養の職員の中でさんさの経験者が多く、せっかくなら銀河の里の職員で披露したいという気持ちから始まったものだった。
小野寺祥さんを中心に総勢9名のさんさ隊が結成された。短い期間で形にできるのか不安もあったが、「夏祭りをさんさで盛り上げたい」という思いが強かった。
練習が本格的に始まったのは3週間前で、さんさ未経験の私は手の動き足の動きを覚えるので精一杯だった。夜に練習を始めると太鼓の音に誘われるように、GHの利用者さん、職員が集まり、その練習風景をじっと見つめる。見よう見まねで必死に踊りを覚えようとしているのを見て、「上手だよ、なんぼおもしろいべね」と励ましの言葉をかけてくれる。歩さん(仮名)は、さんさの練習のたびに足を運び「毎日練習見にきてだ。ここさいると面白い」「自分でできるようになればおもしろいんだ」と声をかけてくれる。若い人が何かに挑戦しているその場にいるだけでエネルギーを感じてくれているようだった。
「何かが始まる」それを敏感に感じていたようにも見えた。練習段階から利用者さんに暖かい眼差しで見守られ、だんだんと覚えていくうちに踊る楽しさを感じていた。さんさ隊も形になり、お揃いの手作りのさんさの衣装ができると気持ちはすっかり祭りモードで本番を迎える。
ドキドキの当日、満月組の宮さんも笛で参加してくれた。太鼓、笛、踊りが重なり合い、さんさの熱気が会場を包んだ。私は緊張で頭が真っ白になっていたが、お客さんの眼差しの温かさを感じた。
夏祭り終了後、夕方には特養に出向いてさんさを披露した。会場はしっかりとスタンバイされていて、いざ登場すると「待ってました」というような大きな拍手で迎えてくれる。普段一緒に過ごしている利用者さんの前での披露で緊張が高まる。太鼓の音がホールに鳴り響きはじめた途端にユリ子さん(仮名)は涙ぐむ。邦恵さん(仮名)も手拍子をしながら涙を流す。踊りながらも利用者さん一人一人の暖かい眼差しを感じていた。普段寝たきりで眠っていることが多い方も目をぱっちりとあけている。
踊り終わると「アンコール!」と声がかかった。サエさん(仮名)は立ち上がって拍手をし満足そうな笑顔をみせてくれる。「喜んでもらいたい」「楽しんでもらいたい」「何かを起こしたい」という気持ちが伝わったようだった。アンコールが続き何度も踊る。「みんな、あんなに汗してな」とねぎらう言葉をかけてくれる。何度も拍手をしてくれ、「良かったよ」ととびきりの笑顔を見せてくれる姿をみて胸がいっぱいになった。
何かを起こしたいと思い始まったさんさ隊。でも、実際にさんさを披露して、こんなに反応があることは予想していなかった。喜びや感動を豊かな表情でストレートに伝えてきてくれた利用者さんに感謝の気持ちでいっぱいだった。
小野寺祥さんを中心に総勢9名のさんさ隊が結成された。短い期間で形にできるのか不安もあったが、「夏祭りをさんさで盛り上げたい」という思いが強かった。
練習が本格的に始まったのは3週間前で、さんさ未経験の私は手の動き足の動きを覚えるので精一杯だった。夜に練習を始めると太鼓の音に誘われるように、GHの利用者さん、職員が集まり、その練習風景をじっと見つめる。見よう見まねで必死に踊りを覚えようとしているのを見て、「上手だよ、なんぼおもしろいべね」と励ましの言葉をかけてくれる。歩さん(仮名)は、さんさの練習のたびに足を運び「毎日練習見にきてだ。ここさいると面白い」「自分でできるようになればおもしろいんだ」と声をかけてくれる。若い人が何かに挑戦しているその場にいるだけでエネルギーを感じてくれているようだった。
「何かが始まる」それを敏感に感じていたようにも見えた。練習段階から利用者さんに暖かい眼差しで見守られ、だんだんと覚えていくうちに踊る楽しさを感じていた。さんさ隊も形になり、お揃いの手作りのさんさの衣装ができると気持ちはすっかり祭りモードで本番を迎える。
ドキドキの当日、満月組の宮さんも笛で参加してくれた。太鼓、笛、踊りが重なり合い、さんさの熱気が会場を包んだ。私は緊張で頭が真っ白になっていたが、お客さんの眼差しの温かさを感じた。
夏祭り終了後、夕方には特養に出向いてさんさを披露した。会場はしっかりとスタンバイされていて、いざ登場すると「待ってました」というような大きな拍手で迎えてくれる。普段一緒に過ごしている利用者さんの前での披露で緊張が高まる。太鼓の音がホールに鳴り響きはじめた途端にユリ子さん(仮名)は涙ぐむ。邦恵さん(仮名)も手拍子をしながら涙を流す。踊りながらも利用者さん一人一人の暖かい眼差しを感じていた。普段寝たきりで眠っていることが多い方も目をぱっちりとあけている。
踊り終わると「アンコール!」と声がかかった。サエさん(仮名)は立ち上がって拍手をし満足そうな笑顔をみせてくれる。「喜んでもらいたい」「楽しんでもらいたい」「何かを起こしたい」という気持ちが伝わったようだった。アンコールが続き何度も踊る。「みんな、あんなに汗してな」とねぎらう言葉をかけてくれる。何度も拍手をしてくれ、「良かったよ」ととびきりの笑顔を見せてくれる姿をみて胸がいっぱいになった。
何かを起こしたいと思い始まったさんさ隊。でも、実際にさんさを披露して、こんなに反応があることは予想していなかった。喜びや感動を豊かな表情でストレートに伝えてきてくれた利用者さんに感謝の気持ちでいっぱいだった。
花火の対決 ★グループホーム第1 西川光子【2009年9月号】
「おら行がね、いがね。花火ばいっつも見でるがらいい〜。おめど行って来!!行がねったら 行がねよ!!」と夕食後さっさと布団に寝てしまったミヤさん(仮名)。今年の花火大会は特養も一緒に行く事になっていて、グループ1はぜひ全員で出かけたいと計画をしていた。
何とか行く気持ちになってもらおうと誘うが、返ってくる返事は”行がない!!”。そこで一人になるのが嫌いなので、「みんな行って一人っこになるよ。誰も居なぐなるよ。いいのっか?」といってみたが、なんと返ってきた返事は「一人でもいい。寝てるから。い〜でば、やんかやんか。」とますます動じない。
みんなが車に乗り込み最後の一人になった。すでにウトウト寝始めている。どうしようか・・・・。”でもやっぱり一緒に行きたい。起こすけどごめんね”と声をかけた。「ミヤさ〜ん。ぺっこ起ぎでけで。北湯口の人達みんなしてバスで来てミヤさんのどご待ってだよ。すぐそこさ来てだのす。」と言ってみた。 ねむそう〜に「どごさえ〜」と体を起こしてくれた。よし!!もう一歩と勢いがわいてきた。「まず、せっかぐだから、みんなど一緒に行って見でこねっか?」と続けたが「やんかやんか行がね、いがね。おめ行って断ってきてけろたのむ〜」と得意の甘い願い節でたのまれてしまった。
「だ〜れ、ミヤさんのこど待ずでらのさ、俺ばり行ったってみんながっかりするんだよ。まず顔だけでも出さねば申さげねんだね〜」と義理深いミヤさん!!もう祈りにも近い心境になっていた。「じゃ二人で断ってこねっか」と言ってみる。
「ほだな。足も痛ですよ。寝ぷてすよ・・・・」と言いながらも起きて玄関に向かってくれた。私はドキドキしつつも”ここまで来れば大丈夫”と安心した。ところがバスまでは行ったがステップに足を上げようとしない。握り棒に手をかけ「あのよ、行がねからたのむよ」と元気よく断る。「運転手の人、耳遠いみたいで聞こえねど。まず中さ行ってしゃべって!!」あせった私は無意識にミヤさんを後ろから押した。すると「なんたら、何して押すのや!!」と怒りだし「まずわがね、ける」と戻ってしまった。私の話す”まず”とミヤさんの話す”まず”は全く正反対の意味でミヤさんに私は完敗。
しかたなく早まわりして玄関の鍵を閉めた。「なんたら開がねじゃ〜」と別スタッフに相談するミヤさん。それでしかたなくバスに乗って出発。ところが バスが出発したとたんに「運転手の人によ”わらすも泣いでるし、おれ行ってられねのだから北湯口までいってけろ”っておめたのんでけろ!!」と言ってくる。「ミヤさん直接たのんだ方がきいでけるど思うよ。たのんでみで」と返すが受けつけず「まず、おめたのんでけろ。それそれ。」と頑なだ。
私は、半分ミヤさんになりきっていた様で、ありったけの声で前席の運転手にたのみこんでいた。運転手の戸来さんが耳に手を当て「はあ〜よく聞ぎねども・・・・」と受けてくれ、現地に着くまで、そこでのやりとりが続いた。だんだんみんなそのかけ合いが楽しくなり、まさしくシナリオのないアドリブミニ劇場となった。
バスの中のみなさんもしっかりこのことに注目してくれ笑い合ったり、ヤジったりで観客になってくれた。主人公のミヤさんは現地に着くと「ねぷたぐなったじゃ〜」と言いつつも外に用意された椅子に腰かけ、出されるおやつに「これめがっけな」と好物のがんづきをおかわりしている。「花火は」には「うん、きれんだ、きれんだ」と社交辞令風であったが最後までつき合ってくれた。 帰る段になると、来る時の大騒ぎとは違って一番先にバスに乗り込み、悠々としている。私も隣でゆったり他のみんなが乗り込む様子を見ていた。
最後に車椅子の特養の方が、車いすから降りてバスに乗り込んできた。数人のスタッフの支えで、バスのステップヘ上がる。スタッフの動きがスムーズで驚く。その時理事長のさりげない声掛けと、何気ない体の支え方がとても印象的だった。力むことなくあくまで自然体で、心のこもり方が指先にまで行き届いているように感じた。そしてバスに乗りおえた時の喜びを共有する理事長の一連の対応に心うたれるものがあった。
ミヤさんとの格闘のあとのショットだったから余計印象に残った一コマだったと思う。私にとって今年の花火大会は格別意味深いものになった。
何とか行く気持ちになってもらおうと誘うが、返ってくる返事は”行がない!!”。そこで一人になるのが嫌いなので、「みんな行って一人っこになるよ。誰も居なぐなるよ。いいのっか?」といってみたが、なんと返ってきた返事は「一人でもいい。寝てるから。い〜でば、やんかやんか。」とますます動じない。
みんなが車に乗り込み最後の一人になった。すでにウトウト寝始めている。どうしようか・・・・。”でもやっぱり一緒に行きたい。起こすけどごめんね”と声をかけた。「ミヤさ〜ん。ぺっこ起ぎでけで。北湯口の人達みんなしてバスで来てミヤさんのどご待ってだよ。すぐそこさ来てだのす。」と言ってみた。 ねむそう〜に「どごさえ〜」と体を起こしてくれた。よし!!もう一歩と勢いがわいてきた。「まず、せっかぐだから、みんなど一緒に行って見でこねっか?」と続けたが「やんかやんか行がね、いがね。おめ行って断ってきてけろたのむ〜」と得意の甘い願い節でたのまれてしまった。
「だ〜れ、ミヤさんのこど待ずでらのさ、俺ばり行ったってみんながっかりするんだよ。まず顔だけでも出さねば申さげねんだね〜」と義理深いミヤさん!!もう祈りにも近い心境になっていた。「じゃ二人で断ってこねっか」と言ってみる。
「ほだな。足も痛ですよ。寝ぷてすよ・・・・」と言いながらも起きて玄関に向かってくれた。私はドキドキしつつも”ここまで来れば大丈夫”と安心した。ところがバスまでは行ったがステップに足を上げようとしない。握り棒に手をかけ「あのよ、行がねからたのむよ」と元気よく断る。「運転手の人、耳遠いみたいで聞こえねど。まず中さ行ってしゃべって!!」あせった私は無意識にミヤさんを後ろから押した。すると「なんたら、何して押すのや!!」と怒りだし「まずわがね、ける」と戻ってしまった。私の話す”まず”とミヤさんの話す”まず”は全く正反対の意味でミヤさんに私は完敗。
しかたなく早まわりして玄関の鍵を閉めた。「なんたら開がねじゃ〜」と別スタッフに相談するミヤさん。それでしかたなくバスに乗って出発。ところが バスが出発したとたんに「運転手の人によ”わらすも泣いでるし、おれ行ってられねのだから北湯口までいってけろ”っておめたのんでけろ!!」と言ってくる。「ミヤさん直接たのんだ方がきいでけるど思うよ。たのんでみで」と返すが受けつけず「まず、おめたのんでけろ。それそれ。」と頑なだ。
私は、半分ミヤさんになりきっていた様で、ありったけの声で前席の運転手にたのみこんでいた。運転手の戸来さんが耳に手を当て「はあ〜よく聞ぎねども・・・・」と受けてくれ、現地に着くまで、そこでのやりとりが続いた。だんだんみんなそのかけ合いが楽しくなり、まさしくシナリオのないアドリブミニ劇場となった。
バスの中のみなさんもしっかりこのことに注目してくれ笑い合ったり、ヤジったりで観客になってくれた。主人公のミヤさんは現地に着くと「ねぷたぐなったじゃ〜」と言いつつも外に用意された椅子に腰かけ、出されるおやつに「これめがっけな」と好物のがんづきをおかわりしている。「花火は」には「うん、きれんだ、きれんだ」と社交辞令風であったが最後までつき合ってくれた。 帰る段になると、来る時の大騒ぎとは違って一番先にバスに乗り込み、悠々としている。私も隣でゆったり他のみんなが乗り込む様子を見ていた。
最後に車椅子の特養の方が、車いすから降りてバスに乗り込んできた。数人のスタッフの支えで、バスのステップヘ上がる。スタッフの動きがスムーズで驚く。その時理事長のさりげない声掛けと、何気ない体の支え方がとても印象的だった。力むことなくあくまで自然体で、心のこもり方が指先にまで行き届いているように感じた。そしてバスに乗りおえた時の喜びを共有する理事長の一連の対応に心うたれるものがあった。
ミヤさんとの格闘のあとのショットだったから余計印象に残った一コマだったと思う。私にとって今年の花火大会は格別意味深いものになった。
悲しい顔の裏にある本当の強さ ★グループホーム第1 村上ほなみ【2009年9月号】
ここしばらく、私はとにかく周りに「怒り」でしか自分を表現できずにいた。不安や淋しさ劣等感が怒りに変わり、突き放すような言葉・態度でしか利用者と関われない日々が続き、そんな自分自身が許せなくて苦しかった。
ある日、そんな私を変えてくれるできごとがあった。武雄さん(仮名)がいつもお世話になっているお礼にと飲み物を買ってくれたのがきっかけで焼き肉パーティが行われることになった。職員も盛り上がり、利用者もいつも以上に食が進む。そんな中テラスにいたフクさん(仮名)だけは飲み物にも食べ物にもなかなか手をつけなかった。この企画のきっかけが武雄さんだということをわかっているかのようにも思えた。私は、そんなフクさんのことが気になりつつも近よって語りかける勇気はなかった。自分に何ができるのかまるで解らなかったからだ。片付けをしながらずっと気になっていた。
片付けが一段落し、ふとテラスに目をやると、フクさんが1人になっていた。いつもの声は出さず、1人で静かな時間を過ごしているようにみえた。私はその姿を見て邪魔してはいけないとは思いながらもフクさんの隣に行かずにはいられなかった。テラスに出て声をかけると、手を差し伸べて私の手を握り、なんともいえない悲しげな表情で私の目をじっと見つめる。何かを伝えたいかのような…訴えているかのような…その悲しい目を見ているうちに、私はいつの間にか泣いていた。まるで、フクさんの代わりに泣いているかのように…。次から次へ涙が溢れてくる。
そのうちフクさんが何を考え何を言いたいのか知りたくても解らず、ただ手を握っていることしかできない時間が次第に辛くなり、私はその場を逃げ出してしまった。ただただ辛く感じたがその反面、救われた部分もあった。普段とは違う表情を見せてくれたのがきっかけで、私に泣く機会を与えてくれたからかもしれない。今まで私は泣くことを避ける代わりに怒りが出ていたように思う。この時、泣いたことを境に不安や淋しさを素直に表現できるようになったような気がする。実際、利用者から不安や淋しさをぶつけられた時にも突き放すような言動ではなく、その気持ちを受け止めながら話せるようになった。自分も同じなんだということを恥ずかしく思ったり、否定しなくていいと思えるようになった。
私は途中で逃げ出したのだが、その時、フクさんの苦しみだけでなく底知れぬ強さに触れていたのかもしれない。このとき、フクさんが私の利用者との関わりを転換する機会を与えてくれたことは間違いない。
ある日、そんな私を変えてくれるできごとがあった。武雄さん(仮名)がいつもお世話になっているお礼にと飲み物を買ってくれたのがきっかけで焼き肉パーティが行われることになった。職員も盛り上がり、利用者もいつも以上に食が進む。そんな中テラスにいたフクさん(仮名)だけは飲み物にも食べ物にもなかなか手をつけなかった。この企画のきっかけが武雄さんだということをわかっているかのようにも思えた。私は、そんなフクさんのことが気になりつつも近よって語りかける勇気はなかった。自分に何ができるのかまるで解らなかったからだ。片付けをしながらずっと気になっていた。
片付けが一段落し、ふとテラスに目をやると、フクさんが1人になっていた。いつもの声は出さず、1人で静かな時間を過ごしているようにみえた。私はその姿を見て邪魔してはいけないとは思いながらもフクさんの隣に行かずにはいられなかった。テラスに出て声をかけると、手を差し伸べて私の手を握り、なんともいえない悲しげな表情で私の目をじっと見つめる。何かを伝えたいかのような…訴えているかのような…その悲しい目を見ているうちに、私はいつの間にか泣いていた。まるで、フクさんの代わりに泣いているかのように…。次から次へ涙が溢れてくる。
そのうちフクさんが何を考え何を言いたいのか知りたくても解らず、ただ手を握っていることしかできない時間が次第に辛くなり、私はその場を逃げ出してしまった。ただただ辛く感じたがその反面、救われた部分もあった。普段とは違う表情を見せてくれたのがきっかけで、私に泣く機会を与えてくれたからかもしれない。今まで私は泣くことを避ける代わりに怒りが出ていたように思う。この時、泣いたことを境に不安や淋しさを素直に表現できるようになったような気がする。実際、利用者から不安や淋しさをぶつけられた時にも突き放すような言動ではなく、その気持ちを受け止めながら話せるようになった。自分も同じなんだということを恥ずかしく思ったり、否定しなくていいと思えるようになった。
私は途中で逃げ出したのだが、その時、フクさんの苦しみだけでなく底知れぬ強さに触れていたのかもしれない。このとき、フクさんが私の利用者との関わりを転換する機会を与えてくれたことは間違いない。
今月の一句 『花の火』★ グループホーム第2 鈴木美貴子【2009年9月号】
寄り添って 背と背を合わせ 望み見る 夜空に咲いた 光の夢よ
花火見る みんなの顔は 華やかで 夜の静寂に 輝く笑顔
今年の花巻の花火大会には、4月から開設した特養の人たちを含むスタッフ、利用者総勢70人で出かけた。毎年花火大会に出かけてはいるが、今年は人が増えて場所選びに苦心していたら、矢沢農協さんのご好意で駐車場を借りることができた。
当日は午前中からベンチを運んだりして会場設営や準備に追われた。マイクロバスも出して、車6台で特養、グループホームが乗り合いで出発!
花火の打ち上げの時間を考慮し、車への乗車の順番を考え、グループホームの人たちが先に乗ってその後特養の人達が乗る。計画を立てる人も容易じゃない。
バスに乗り込む様子を別の車に乗ってみていたヒサコさん(仮名)が「もさくさ劇場でも見ているようだじゃ。(おれも)遅れで申しわげながったど思ってだったらば、まんだおせい人達いだんだな」とコメントしていた。
花火があがる前に現地に到着。車から降りて陣取り、花火が上がるのを待つがなかなかあがらない。ヒサコさんは「背もたれ付いてる椅子のほういがったな」と言うので「いいよ。私によっかかって」とヒサコさんの後ろに座り、私が背もたれになって花火が上がるのを待つ。「おめきたからなんぼかあったかい」とフサ子さん。そうしていると花火が上がりはじめた。「ワー、あがった!!」間近に見える花火。
ちょっと肌寒い夜、ヒサコさんの背中のぬくもりをかんじながら花火を見た。花火の光に照らされながら持ってきたがんづきやつけものを食べながら東北の短い夏の一夜を味わうことができた。
帰りのバスの中は歌や騒ぎで大盛り上がりで観光バスより賑やかだった。大所帯になった銀河の里の今年の花火旅行はこうして大勢で出かけることになり、盛り上がりのなか無事終了したのだった。
それにしてもフサ子さんの背中の暖かさが心地よく印象的だった。花火も夜空に暖かい。写真を撮ろうとカメラを構えるが、暗くてファインダーでは表情は解りづらい。でもそのいい表情は残したい・・・とシャッターを切る。数枚ではあったが思ったより気に入った写真も撮ることが出来た。
「花っこ見てごしゃく人ねんだ」と言う人がいた。花火もそうだ。来年の花火も楽しみにしたい。
花火見る みんなの顔は 華やかで 夜の静寂に 輝く笑顔
今年の花巻の花火大会には、4月から開設した特養の人たちを含むスタッフ、利用者総勢70人で出かけた。毎年花火大会に出かけてはいるが、今年は人が増えて場所選びに苦心していたら、矢沢農協さんのご好意で駐車場を借りることができた。
当日は午前中からベンチを運んだりして会場設営や準備に追われた。マイクロバスも出して、車6台で特養、グループホームが乗り合いで出発!
花火の打ち上げの時間を考慮し、車への乗車の順番を考え、グループホームの人たちが先に乗ってその後特養の人達が乗る。計画を立てる人も容易じゃない。
バスに乗り込む様子を別の車に乗ってみていたヒサコさん(仮名)が「もさくさ劇場でも見ているようだじゃ。(おれも)遅れで申しわげながったど思ってだったらば、まんだおせい人達いだんだな」とコメントしていた。
花火があがる前に現地に到着。車から降りて陣取り、花火が上がるのを待つがなかなかあがらない。ヒサコさんは「背もたれ付いてる椅子のほういがったな」と言うので「いいよ。私によっかかって」とヒサコさんの後ろに座り、私が背もたれになって花火が上がるのを待つ。「おめきたからなんぼかあったかい」とフサ子さん。そうしていると花火が上がりはじめた。「ワー、あがった!!」間近に見える花火。
ちょっと肌寒い夜、ヒサコさんの背中のぬくもりをかんじながら花火を見た。花火の光に照らされながら持ってきたがんづきやつけものを食べながら東北の短い夏の一夜を味わうことができた。
帰りのバスの中は歌や騒ぎで大盛り上がりで観光バスより賑やかだった。大所帯になった銀河の里の今年の花火旅行はこうして大勢で出かけることになり、盛り上がりのなか無事終了したのだった。
それにしてもフサ子さんの背中の暖かさが心地よく印象的だった。花火も夜空に暖かい。写真を撮ろうとカメラを構えるが、暗くてファインダーでは表情は解りづらい。でもそのいい表情は残したい・・・とシャッターを切る。数枚ではあったが思ったより気に入った写真も撮ることが出来た。
「花っこ見てごしゃく人ねんだ」と言う人がいた。花火もそうだ。来年の花火も楽しみにしたい。