2009年01月15日

希望 ★ワークステージ 高橋健【2009年1月号】

 先日、所用でM市に出掛けた時のことだ。待ち合わせの時間まで多少時間があったので中心街にあるデパートでご飯を食べた。週末だというのに、デパート内には客が数える程しかおらず悲惨な様相を呈していた。誰一人として遊んでいる子供がいないゲームコーナーから響き渡る耳障りなゲーム機の人工音が、虚無感をより一層募らせる。地下に喫茶店のコーナーがあるというので行ってみると、まだ夕方だというのに全店閉店していた。広いスペースがありテーブルと椅子が置いてあるので、金はないが時間と体を持て余している若者達の格好の溜まり場になってもよさそうだが、誰もいない。7年程前僕が高校生だった時は「消費者」でも「学生」でもない、自由な存在で居られる空間で仲間と時間の空白を、ただ埋めるだけの無為の時間を過ごしたり、進路について語り合ったりしたものだが、このような現場を目の当たりにすると、もはや隔世の感がある。
 一般的に10代後半にもなれば、内面化の季節が到来し将来への不安や悩み、理想とする人間像や職業の探求等、自分一人では到底答えを見つけられない課題に長く執拗に支配されると思うのだが、現代の若者達はどういった形で、これらの課題と向き合っているのだろうか。逡巡している個を支えるうえで、家族や学校等の中間集団が果たす役割は多大であると思うが、現在は崩壊の危機に瀕していて全く機能していない。これは僕の印象論ではあるが中間集団が瓦解しているので、一足飛びに国家といった、より大きな共同体に個を浸して歪んだナショナリズムが生まれているのではないか。

 僕が10代の頃はご多分に漏れず、目指すべき人間像の探求に、日々足掻き苦しんでいた。内面から止め処なく噴出してくる、混迷した思いに支配され、どうしようもできなかった。しかし、この僕の思いを汲んでくれる大人は周囲にいなかった。学校では「学び方」は一生懸命教えてくれたが「生き方」は教えてくれなかった。子供達の意思を尊重します等と御託を並べていたが、それは単に子供達と真剣に向き合うことを恐れていただけではなかったか。家族は自分を守ることに汲々として、見て見ぬふりをしていた。少しでも本音を言おうものなら即座に全否定された。どうやら自分にとって都合の良い話ししか聞きたくないらしい。全否定されるならまだしも、全く興味を持ってくれないと話す友人もいた。
 精一杯紡ぎだした言葉を無視されることが、いかに子供達を窮地に追い込むか想像できないのであろうか。経済危機が泥沼化している昨今の状況であれば、悩める若者が見殺しにされるのは目に見えている。心が沈むニュースばかりがメディアに飛び交い、もうこの世界には、どんな可能性も尽きてしまったような印象を多くの若者達が受けているのではないか。繋がりの切れた殺伐とした世界から、匿名性という檻に囲まれた避難地に逃げ込まざるをえない若者達。かく言う私も、身を縮めて檻に閉じこもっていた一人である。世間的な価値観と自己のそれとに齟齬を感じていた分、閉じこもる傾向はより強かったように思う。その檻から引きずり出してくれたのが、DSの利用者であるのり子さん(仮名)だった。のり子さんは社交だけで匿名性を保持したままの、ごまかしの関係を許してはくれなかった。挑発的なまでに檻から出てくるよう切迫してきた。そんな時は、もう制御できない程に衝き上がってくる熱で体を打ち震えさせながら、檻から飛び出した。抽象的な表現になって大変申し訳ないが、超越性を備えたのり子さんは檻から出た僕を回収することなく、異他性を保持したままで向き合ってくれた。互いの個を殺さぬまま他者と繋がる究極のコミュニケーションを垣間見て、人間の存在を深くまなざす介護の現場には、ぶつ切れの現代を紐帯する潜勢力を秘めているのだと確信した。しかし、この事に気づいている大人は驚くほど少ない。未だ介護はお世話の枠内でしか語られていないのが実情である。
 僕はパラダイムの転換を図りたい。何の才能もない若造に、そんな大それた事は不可能な事は重々承知だ。むしろ可能か不可能かは僕にとって大した問題ではない。たとえ不可能でも追い求めるだけの価値がある、これが僕の賭け金だ。しかし、運動体としての銀河の里であれば・・・。そんな希望を抱かずにはいられない。
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新年にむけて★グループホーム第2 近藤真代【2009年1月号】

 銀河の里で迎える初めてのお正月。
 前年までは家族さんと過ごしていたより子さん(仮名)も「銀河の里で正月をしてみたい」と銀河の里に残ることに。私も年末年始は勤務。これは、年越しから正月までどうなるだろうか、とドキドキ(ワクワク?)していた。
 まずは大掃除。より子さんを誘うと「そんなに綺麗にしなくていいよ。あんたがやってね」とか言っていたのに、昼食後には可愛らしいエプロン+三角巾姿で登場。まだ昼食を食べている私に「ゆっくり食べなさい。私先に始めるから」と一人で部屋から荷物を出し始める。結局2人でああでもない、こうでもないと隅から隅まで掃除をした。より子さんの「“掃除した”っていうのが大事なんだから」と聞いて、掃除をしてまた次の年に繋げるという感じがした。
 大晦日はお節作り。やはりより子さんはエプロンに三角巾姿。「近藤さんは何を作るの?」と私の紅白なます作りを監督するより子さん。不器用な私に色々と小言を言うこともあったが何とか完成。私はへとへとに、でもより子さんは休むことなく年越しの準備へ…
「それじゃあ、良いお年を〜」と私が帰ろうとすると「お疲れ様。良いお年を」とより子さん。ああ、本当に今年は終わるのだと感じた。
 子供の頃、新年を迎えるということにワクワクしていたのを思い出した。1年が終わって、新しい年が来るということがとても特別なものに感じられた。しかし、そんな気持ちも年をとるごとに忘れていた。大掃除やお節作りをしたことのなかった私にとっては、憧れの年越しを体験できて、そのワクワクした感じを思い出すことが出来た。
 より子さんはどうだったのだろう?
 2009年も良い年になるといいなぁ…と思いながら、雪の中車を走らせた。
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