2008年12月15日

第一回里の音楽祭を終えて ★デイサービス 藤井覚子【2008年12月号】

 里の音楽祭のメイン、ジャズコンサートの担当になり、私にとっては初めて経験の連続で 、音楽祭を通して人・歌・音全てが新鮮で心に残った。特にジャズミュージシャンとの出会いは、私にとって異次元で非現実の世界に引き込まれる感覚で、刺激的 だった。
 音楽祭前日、ドキドキしながらミュージシャンの荒井さんと板倉さんを、新花巻駅で出迎え 、駅前広場でちょうど獅子踊りが披露されていたので足を止めて見物した。そのうち板倉さんの姿が見えなくなったので、周りを見回してみると、獅子踊りの後ろに座っていた。後 から「なんでも後ろから見るとおもしろいものなんですよ」と言われたのに妙に納得してしま った。芸術を追求してきた65歳の行動と言葉はさすがに深いと感じた。
 視点を変えることで、新しい発見があるということは芸術の面だけでなく、人間関係においても当てはまることだと思う。特に対人間相手の福祉の現場では、本当はマニュアルや型どおりな考えだけでは通用するはず はない。障害や問題点ばかり見てはその人の全体性は失われ、その人らしさも感じることはできないはずで、現場ではこちらがいかに多様な視点を持てるかが問われ る。
 今回のジャズコンサートのイベントの企画運営は私にとって、いろんな意味で自分への挑戦だった。特にコンサートでの司会では、極度の緊張で、最初の挨拶をしたとたん頭が真っ白になり、その状況に自分で驚いてしま った。司会進行も決められた言葉を棒読みでつなぐしかない私にひきかえ、逆にステージでは、自分を自由に表現していく荒井さんの姿。まさにフリーインプロビゼーションのライブで、言葉ではなく声で、複雑な感情や、色彩までを表現しているかのようで、その豊かな表現力に関心させられた。
 アーティストは音楽を通して表現をしていく。自分を表現している人というのはこんなにも輝いて見え、人を魅了する力があるのかと 驚きを隠す事ができなかった。板倉さんの繊細なピアノの音色と、林さんの優雅なベース音、その空間全体が自由で心地よく感じられた。2部ではトークも交えて荒井さんがお客さんと一緒に音楽を作ったのですが、その場で共に音楽を作っていく感覚は新鮮で不思議で楽しく感じた。
 コンサート後の打ち上げでも、ミュージシャンの生態をうかがえるような話や、それぞれの音楽の歴史の話などを聞くことができ、私にとっては、異界の世界の人たちとの出会いで、衝撃的で、今の自分とこれからの自分を確認し考える機会ともなり、貴重な経験とな なった。
 音楽祭の午前中は雨模様のあいにくの天候にも関わらず、昨年より多くの来場者があり、地域の方もたくさん来ていただき、里の祭りが地域に根差し始めていることを感じた。来年度から小規模特養も始ま る。里の音楽祭は地域の交流と、音楽や芸術の発信の場として展開していければと考えている。初回の音楽祭だったが、来年度も何か新しいものに挑戦し、来場される方に楽しみにしていただけるよう発展させていきたいと思 う。
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パリの旅 最終回 ★グループホーム第1 西川光子【2008年12月号】

 2008年、私のパリの旅は30年前へのタイムスリップを繰り返しつつ、思わぬ自分自身の心の動きに驚かされながら終盤を向かえる。
 芸術の都に輝く2つの美術館、ルーブルとオルセーはパリの至宝と言われ、歴史ドラマを感じさせられる。絵画、彫刻等展示作品の数の多さもさることながら、かつて宮殿だった巨大で荘厳な建物に圧倒された。
 30年前と違っていて驚いたのはモナリザの絵の特別な厳戒態勢だった。周囲5メートルがロープで囲んであり近づけない。ロープの三方には人が群がってカメラに収めようとする人でごった返していた。囲いの中から不思議な微笑を放つモナリザが見えた。
 凱旋門、シャンゼリゼ通り、ルクセンブルク公園を散策し、ノートルダム寺院で最終日を過ごした。寺院では午後4時にミサが行われパイプオルガンの演奏を聞くことができるという。私にとってノートルダム寺院のパイプオルガンの音色は格別な思い入れがあり、今回の旅の中でも最も楽しみにしていた。”いよいよこの時がきた!!”とばかり期待で緊張していた。
 早めに到着したので寺院の塔に登った。高さ69メートル、386段の石段。狭くうす暗いラセン階段。石の中央がすり減っていて、どれほど多くの人が訪れたのか祈りの重みが伝わってくるようだった。塔の上からの展望は建物の繊細さが実感できて、寺院と一体になれるような格別なものであった。
 さていよいよ4時が近づき、塔を下って寺院の入り口にむかった。寺院前の広場一面に椅子が整然と並べ埋め尽くされ、予約席という張り紙。入り口には係員がずらり並んで、入場券を点検していた。なんと”今日は特別の日で招待者のみの入場”とのこと。ガガ〜ン。ショックにうちひしがれながら簡単に諦めることもできず、主人を置いて私一人交渉に向かった。門扉にしがみつき何とかならないかと必死に訴えたがダメだった。そのうち、私と同じ思いの人で広場は埋め尽くされ、招待者は人波をかき分けて入ってく。世界各国か大勢の神父が集まる特別な日。彼らが広場を一周して寺院に入るところから荘厳な儀式が始まる。広場にいる人々も皆ミサの参加者なのであった。ミサは4時間にわたって行われる。
 広場を埋め尽くした人々からは信仰への情熱が伝わってくる。ミサを受けたいという切実な気持を感じた。私は寺院内に入れないものの、広場に集まった人々の渦の中で神への信仰と情熱を体感しつつ敬虔な気持に浸っていた。広場には特大スクリーンが用意され、ミサの様子が映し出されていた。
 気づけば寺院前広場に並べられた椅子は満席となり、立ち見の人であふれて身動きがとれない。主人を捜すことが困難になってしまい、祈っている人々の中を探し歩くこともできず迷子状態でパニクッてしまう。
 致し方なく、広場脇の小高い場所に居座って待つことにした。ミサの終了時間は夜8時を過ぎる。下手に動けばすれ違いになりそう。9時には暗くなってしまうので不安がよぎったが、夕焼け空が暗がりに入るころ、主人は私を見つけてこちらに向かって歩いてきた。ミサの間、お互い動かずに別々に過ごしたがこの時空は尊いものと感じられた。
 30年前に残した思いを終結する意味合いの旅として訪れたパリ。このミサの時はそれを十分に達成してくれた。もうこれ以上良い旅はできないのではないかと思うほど深く心が動いた旅となった。
 銀河の里での多くの出会いを経験したことで、人間に対する目差しと感性を鍛えられ、この旅が”心の旅 ”として豊かなものになったのは間違いない。現場はありがたいものだとつくづく感じた。今回30年の一区切りの旅を経て、また新たな次の段階に向かって生きていこうと決意を新たにしたのだった。
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やっぱ、そっちかよ ★デイサービス 中屋なつき【2008年12月号】

 銀河の里に特養がオープンする来春に向けて準備が進んでいる中、現場に必須とされるリーダー研修を3日間受けてきた。最近注目されているユニットケアとはなんぞや、という内容なんだけれど、グループホーム8年の経験から見て、残念ながら新しい発見はひとつもなかった。それどころか、ユニットケアはこうあるべき!と断言し、ユニットケアそのものが目的でゴールになってしまっている感じの、押しつけ感ばかりが強く、やりたいようにやらせてよ!と思ってしまうこと多々あり。まぁ、全国的に見たら、大型施設の流れ作業的な介護がまだ主流で、利用者主体の個別ケアを大切にせにゃあかん!と頑張っている姿だと捉えれば、新しい動きとしてこういう研修が必要なのもわかるんだけど。
 でもその内容、やり方は、受講者がそれぞれに頭を使って考えていく事を許さない感じが拭えなかった。ユニットケアはこうでなければダメです、というマニュアルに当てはめ、あなたの施設ではどうですか、と○×で答えを出させる。×の項目は直ちに○になるようにしなさい、○なら○で良し、という極めて単純な思考。×なりの事情や、×だけども代わりにこういう工夫をしているといったそれぞれの特徴には注目しない。○ならば、その実態がどうであっても、それ以上の興味も関心も持とうとしない。
 こういう研修をしていたら、全国一律の、個性も何もない、誰がやってもまるで同じ施設が出来上がるだけじゃんか。それぞれの地域性や、住んでいる人の個性があって、その施設毎にカラーが出てくるから面白いんだろうに。「個別ケア」と唱える人達が個性を消す方向に必死になっている姿が、なんだか矛盾しているなぁ…と、おかしくなってしまった。
 最終日、受講生が研修を振り返って発言する時間があった。ある人が「うちの施設長は、職員も一人一人個性がある…とよく言います」と言うので、「お、いいじゃん、中にはわかっている人もやっぱりいるんだ!」と微かな希望に耳を傾けた。ところが続けたのが、「個性がバラバラだから、ケアの内容がバラバラになってしまう。申し送りやケアプラン等をちゃんと導入して、ケアの統一を徹底することがとても重要だと、うちの施設では施設長をはじめ職員全員がそう考えています」 微かな期待はたちまち裏切られ、ガックリ…首を折って絶句した。「やっぱ、そっちかよ…」。スタッフも個性を持っていると、せっかく気付いていながら、なんでわざわざ一律にしてしまうんだろう。
 銀河の里のふたつのグループホームが、それぞれ全然違う雰囲気を醸し出しているのは、そこに居る利用者とスタッフの個性のぶつかり合いで紡いでいる日々が在るからだ。ひとつのグループホームでも8年前と今では全然違う。当然だよ、そこに居る人が違うんだもの。今ここに居る人と人との関係で、物事がなされていって、そこの暮らしが創られていく。「生きる」ということはそういうことじゃないか。なんで「生きる」を奪ってわざわざ管理にしなきゃならないんだ?
 質疑応答で「入浴拒否の強い方がいて困っています。皆さんの施設にもそういう方はいますか?また、どのように対応されていますか?」という質問が出た。それに対して、「甘い物が好きな方で、お風呂入ったら饅頭あげるからって言った」とか、「服のままお湯かけて、入ってもらったこともありました」なんて言う講師の人もいた。
 いいよ、そりゃ…。いろいろやってみるのはいんだけど、こうすればこうなる的な、便利なマニュアル紹介程度に語られ、そこに在るはずの「関係」が見えてこない。「やり方」を並べ立てたって、同じやり方が通用するわけがないのに。
 私が声をかけても「されかもな!」と拒否して絶対入らない人が、若い男性スタッフの誘いには「あんたが入れてくれんの?ありがとう」とニコニコで入浴することもある。気の合う利用者さん同士で誘い合って「おめが行くなら俺も行ってみっかな?」と入ることもある。確かに苦肉の策、まさに湯をかけたこともあったが、入浴後、「おめにこったなことまでさせて、申し訳けねぇなぁ」と服を着ながら妙にしっとりと、そんな会話が展開された。お湯をかけたこっちだって「多少無理しても関係が壊れることはない」という感触があってこそそれをやれたのだ。
 いろいろ考え、工夫をして悩み、あれもこれも試してみる、それでも今日もまた入れなかったね…等々の物語が展開していく。そのプロセスの中に、「この人と私」の関係が生まれてくる。一対一のケアには「関係」というキーワードは抜きにできないはずだ。
 そこで、里のケースを少し紹介しながら、「それぞれのケースで工夫や苦労が必要ですが、何をするにも関係性ということが重要な決めてだと思う」と発言した。すると講師を含め、会場全体がポッカ〜ン…とでもいうようにシーン…としてしまった。ここでは関係性なんて関係ないんだ。言わなきゃよかったと思ってしまう。

 大学の芸術科を出て、資格も経験もなく現場に入った8年前に感じた、いわゆる「介護」に対する違和感が、今も新鮮なまま私の中にある。新人3ヶ月目の研修で、右も左もわからない小娘が、講師の先生に食ってかかったこともあった。今にして思えば冷や汗が出るほどの「ひよっこ」だったんだろうが、想いとしては変わらない。要は「関係の中でどう生きるか」だ。申し送りやケアプランが大切なことは当然で、軽視しているわけではない。利用者やスタッフをも守る大切な事柄ではある。だけれど、書類があればそれで良しの監査や、ユニットケアの○×など、そんな単純な答えが出る仕事ではないはずだ。人間への興味関心を真摯に強く抱いているかどうかが、この仕事の核であることを大事にしていきたい。今回の研修では、人と人との関係から生み出される「生きること」については、ひとかけらも触れられていなかった。日本の福祉は、「社会に役に立たない者を問題が無いよう管理する」という概念から解放されていない、程度の低いものだとしたら残念なことだ。
 来春、新たにやって来る入居者とスタッフとなる人材も含め、どんな人々が集い、どんな関係や暮らしが生まれてくるのか、楽しみだ。人間対人間の苦労と面白さを共有できる関係づくりに、クリエイティブな感覚で臨みたいと思う。
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里の音楽祭〜コンテンポラリー・ジャズと里との出会い〜 ★グループホーム第1 前川紗智子【2008年12月号】

 3年前、事例発表会で銀河の里を初めて知ったとき、それは只々「衝撃」だった。事例を聞きながら、訳もわからず泣けてくる。それが里と私の出会いだった。(その時はまだ)言葉では説明はできず、なにがなんだかわからないけど、とにかく“すごい”って衝撃だけが確かにある感じ。こうした銀河の里との出会いの衝撃は、私だけではなく他の人も似たようなインパクトがあるようだ。
 話は変わるが、今回、里の音楽祭でお呼びした荒井皆子さんの音楽も、里の出会に近い衝撃の感覚がある。音楽祭のメインとしてジャズ・ヴォイス・プレイヤーの荒井皆子さん、ピアノの板倉克行さん、ベースの林正男さんのジャズコンサート。ジャズはジャズでも私たちが普段聞いていてイメージするオーソドックス・ジャズとはちがって、荒井さんたちが手がけているのはコンテンポラリー・ジャズ(現代ジャズ(?))。荒井さんの肩書きはヴォーカリストではなく、ヴォイス・プレイヤー。ヴォイス・プレイヤーなんて耳慣れないが、荒井さんの歌声を聞くと、歌っているというよりもむしろ、まさに、声を使って演奏している、声を楽器としている、という表現が確かにしっくりくる。
 スタンダードの曲であっても、次第に本来のメロディラインから逸脱していって、解釈と表現がフリーに展開していく。だから、彼らのライブ・サウンドは、普段の音楽を楽しむモードではとてもついて行けない。メロディラインをなぞるようなものとは違うし、そのメロディに乗ったり、酔いしれたり、癒されたり、そんな容易いものではない。メロディラインの路線で聞き出すと、そこに還元されない音に難解になり、引いてしまう。
 荒井さんたちが創り出しているライブ・サウンド・ステージは、譜面やコードネームの音に守られた(縛られた)メロディの世界ではなくて、自由で純粋な音と音の世界。それらの音と音の遭遇の場面に立ち会って、その衝撃に圧倒されて息を飲む、とでもいったらいいのか。
 そんなアバンギャルドな演奏にコンサート会場のデイホールは独特な張り詰めた空気が漂った。私は後ろの方で立って聞いていたのだが、場の雰囲気に涙が出てきてしまって、うずくまるハメになり、その姿に気づいたお客さんに、席を譲られてしまった。
 フリー展開は、楽じゃないはず。時折、それぞれの音で不協和も起こしながら、でも同時にそこに登場している時のあの感じ。それぞれの内面から出た生の声、音で対決しながら、結果として共鳴していく。普段慣れ親しんでいる音楽というものからかけ離れているのに、でもどこか近い感じがする音楽。グループホームの同僚のHさんも「(普通に聴いていて)2曲目で、ダメだと思った。でもハッとなって。そうだ、これは魂と魂の掛け合いだっ!て気づいた・・・」と言う。そのコメントに「そう!そう!」と同感する。
 自分たちが、普段、銀河の里で目の当たりにしていること、出会っていること、そうしたものに、荒井さんたちの音楽は本質的に近いのかもしれない。難解だし、言葉で説明しがたく、一般には受け入れがたさもある。でもその中心にうごめいている魂があって・・・。
 馴染みやすさや調和に照準を合わせていくことは、容易い。でもうごめいているものを抱えながらでは、結局は独創的な道を歩んでいくしかない。そしてそれを孤高で孤立したものにしてしまわないで、周囲にも浸透させていくこと、つながっていくことは、とても大変な道のりなんだろう・・・。なんて、人ごとのように言っているが、里も同じ苦悩を背負っている。音楽と福祉と世界は違うものの、思いがけない同志??との出会いに、自分たちの歩みを、また違った視点から確かめて、励まされたような気がした。こじつけ?!いやいや、きっとそう・・・。これからも荒井さんたちの音楽を追ってみたいと思う。
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里のアートシーン2 ★宮澤健【2008年12月号】

 話のついでに英哲をしばらく語る。
 英哲は56歳だ。見た目は年相応に見えるのだが、その太鼓をたたくときの迫力は年齢を超越している。筋力や持久力は2若手の直弟子たちの方があるだろうが、そういうパワーとは別次元の何かを持っている。体力の衰えが顕著になるこのくらいの歳から、渋みや味がでてきるのがホンモノということだろう。この年齢は一気にみすぼらしくなり、若者から毛嫌いされるような男と、人間の魅力と言うものを思い知らせてくれる男との分かれ目の時期なのかもしれない。
 英哲は背は高くないので、実際対面すると小さいのに驚く。その驚きは、太鼓をたたくステージでの巨大な存在の対比としての驚きなのだが、小さいものが巨大なものに挑み、迫力に満ちた壮大な世界を演出するというのは、いかにも和の神髄に透徹した構成ではないか。かくありたいと思う理想の一形態としてあこがれる。
 英哲の直弟子の太鼓集団があり、20代から30代の若手が、太鼓打ちのプロとして活躍している。彼らのステージも聴きに行ったことがあるが、このときは私は全曲通じて熟睡した。ステージが始まったとたんに、これは眠れると直感したので、思い切り眠りに没頭した。大音響と弩級の低音の中での眠りは実に心地よかった。太鼓の音は胎内で響く母親の心音に通じると言われるだけあって、安らかな眠りも太鼓の本質ではないかと思う。
 ところが英哲は眠らせてはくれない。あくまでこちらを祈りの世界に誘い続けるかのように響く。英哲の太鼓が別格なのはそこだ。英哲が作り出してきた芸術には、福祉現場の我々にも学ぶべきものが大きいと感じ、講演のDVDを里の研修で鑑賞したり、生のステージにふれる機会をつくってきた。
 国立劇場での千響3部昨は空海千響、天地千響、人智千響と銘打たれ3年続いた。どの会もそうだが、特に最後の人知千響では、英哲カラーは意識して押さえたように感じた。地方や素人の活動や新たな取り組み、他の楽器や芸術とのコラボレーションなどを多く紹介する趣をとっていた。文化というものはそういうところから根付き、生まれ育つのだということを意識させられる構成を取ったように私には感じられた。
 ただ、4時間にも及ぶステージの最後に、これが英哲だと言わんばかりの演出があった。世界最大規模の巨大太鼓を9基並べて、国立劇場の回り舞台で登場させたのは圧巻だった。それが一斉に打ち鳴らされ、咆吼する全曲15分の大曲に会場は大いに酔いしれたのだった。
 太鼓は音楽としての音だけでなく、パフォーマンス性が強い。体の動きも見せ場となる。楽器はどれもが人間の体との調和といえるのだが、太鼓にはダンスの要素すら入ってくるほど体の動きが重要だ。
 頭や口先が突出して、何でも書類だけで完結してしまおうとする時代になってしまって、身体がかなりの疎外感に苛まれている時代である。周囲を見渡しても体と、頭と、心の分離に苦しむ若者の姿は甚だしいものがある。その現代のまっただ中で、英哲やその弟子の若者たちの取り組み、また佐比内金山太鼓の活動もこの時代を生きる若者たちにとって大きな意味を持った、貴重な活動だと思う。
 身体に関しては現場でもかなり重要になるので、意識し続けて来たが、そんな折、その身体をかなり重視し、身体から歌を生み出そうとしているジャズボーカリストとの出会いがあった。今回の銀河の里音楽祭に、メインとしてその方をお呼びしたのだが、次回はその成り行きを語りたい。
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“コラ”ボレーション「重みがないね」 ★グループホーム第2 板垣由紀子【2008年12月号】

 11月3日はコラさん(仮名)の誕生日だ。毎年この日は、里の収穫祭(今年は音楽祭)にあたる。今年は連休だったので前日2日が音楽祭。毎年自分のことはそっちのけだと、愚痴をこぼしているコラさん。3日の朝「今日は原敬記念館に連れてってもらう。」と突然の申し出。こちらとしては、13日に以前から行きたがっていた大迫記念館に、担当の美貴子氏と、私で出かける計画になっていた。今日の今日、盛岡の原敬記念館までは行けない。
 誕生日は何がほしいと聞くと、毎年、何もいらないと言う。今年も前日にそんな会話をしていたくせに、朝から鈴を鳴らしては部屋にスタッフを誰彼なく呼んで、「今日はコラの誕生日って分かってらっか?88歳米寿の祝いだよ。市役所からは何もないのか?金杯とか銀杯とかもらうんだべ。ここでも手ぬぐいの1つも作って配らないのっか?」と催促が激しい。私も一言いいたくなって、「コラさん、今日は始まったばかりだよ、何か準備していても、言われたからやったみたいじゃない。信じて待つこと出来ないの?」と言う。コラさんは 「何か欲しいって言っているワケじゃない、これ去年、及川さんがくれたった。」とリボンを結んだままの靴下のプレゼントをタンスから出して見せつける。それはおととしの、しかも誕生日じゃなくクリスマスのプレゼントじゃんとむかつく私。
 そう来るなら、とことん祝ってやると、私は意地になる。紅白のまんじゅうを作り、パッケージには“祝88歳”の手書きののしを添えた。美貴子氏もプレゼントを買いに出かけ、スタッフ総出の作業で気合いも入った。夕方コラさんの部屋へ私と美貴子氏の二人で、届け行くが、コラさんはすっかり寝てしまっていた。ずれずれだがコラさん起こす。「おめでとうコラさん」「何たらや、うるせごど。」めんどくさそうに起きるコラさん。「コラさん紅白まんじゅう」と渡したのだが、それを見つめて一言、「重みがないね。」ときた。
 なにが欲しいか聞くと「いらない」と言うくせに、その日になると何もないのかと朝から騒ぐわがままなぶり。そして「重みがないね」と言う言葉・・・。
 参ったなと思いながら後で考えさせられた。コラさんが欲しかったのは、唯のプレゼントとしてのモノではなく、儀式としてのお祝いではなかったのか。米寿と言う節目の88歳。よくここまで生きたという意味や、あの世に近づいてきて、向こうにきちんと行ける節目としての祝いが必要な時期かもしれない。私たちがしようとしていたことは、そんな儀式とはほど遠い、イベントとしてのサプライズではなかったか。誕生日は、裏を返せば、またひとつ死に近づくと言うことでもある。祈りの入った儀式がない事を「重みがない」と言ったのかもしれない。
 その後、13日にはコラさんと予定通り大迫の神楽記念館に出かけて10日遅れの誕生日の祝いに変えた。朝からコラ大御神のお出かけに雲ひとつない晴天。記念館では神楽を見ながら19歳まで若返ったコラさん。重みのある祝いの儀式になったかしら。
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継ぐ決意とワークステージの力 ★ワークステージ 米澤里美【2008年12月号】

 農家に生まれた私だが農業を手伝ったことがない。特に中学生からはクラブ活動、大学ではアルバイトに明け暮れ、大学卒業後は韓国の留学とほとんど家にいない生活が続いた。長女の私は幼い頃から家を継ぐ立場にあることを聞かされてはきたが、「家を守る」だとか「家を引き継ぐ」などは重荷でしかなかった。特に山間地での農業に明るい未来があるとは思えず、家に残ることに対して密かな抵抗もあったように思う。そんな私が関わらずとも祖父、祖母を中心にリンゴ栽培や稲作は続けられてきた。
 留学から帰り、銀河の里に勤めて4年目。里は農業を基盤に暮らしを生きる福祉を実践しているところだ。里で農業に関わることになって、50年かけて祖父や祖母が築いてきたリンゴ畑や田んぼの偉大さに気がつくようになった。作物への気配り、天候との対話。理不尽に裏切られることもある、ひたむきな忍耐と努力、そして祈りがあって農業は築き上げられていく。そのなかに、私自身の生きている実感を取り戻させてくれるリアリティがあることを感じるようになった。
 この9月に祖母が亡くなった。5年前にアルツハイマーと診断を受け、施設や病院を転々とした。私は祖母が寝たきりになり、言葉も出なくなってもどこか祖母の凛とした存在に魅せられるところがあった。危篤の知らせを受け、駆けつけると、一度停止した心臓が持ち直し、精一杯の息をしていた。その20分後祖父と母が集中治療室に入ってきたところで祖母は逝った。まるで、みんなが揃うのを待ってくれたかのようだった。温かかった体がどんどん冷えていくのを見届けながら、祖母が強く生きて、築いてきた軌跡を思った。私は何かを受け継ぎ繋いでいかなければならないのだろう。でも何をどうやって・・・。農業で生きていくことは経済的にもかなり深刻で、兼業でやれるとも思えない。
 祖母の葬儀が終わると、リンゴの収穫と稲刈りの最盛期を迎えた。今年の作業はワークステージの力を借りての稲刈りとなった。銀河の里は6ヘクタールの稲作をしているが、今年はその他に米澤家の1.5ヘクタール、そしてワークステージ利用者で一人暮らしの真さん(仮名)宅の稲刈りもやった。
 真さん宅も米澤家の田も機械が入れない場所があって、ワークステージで手刈り軍団を結成した。管理が行き届かなかった場所は、草がぼうぼうで、ひどい所では草の中から稲を探す状況。田んぼがぬかるんで足のふくらはぎまで長靴がはまり、ぬけないで苦戦もした。全身どろんこになりながら稲を刈った。
 苦戦しながらも20人あまりの人が一つの田んぼを手で刈り取る様は、昔を知らないのに昔を見るような懐かしい光景だった。昔はこうやってみんなで協力し合って農作業をやっていたんだろうなと思った。人手不足と機械化で今はどこも一人とか二人の作業で、このような光景は見られない。苦労して刈り終わると、「やったー!」とみんなで拍手して、お互いをねぎらった。
 おかげで例年10日ほどかかった作業が3日で終わった。地域が疲弊し、離農が後を絶たない。高齢の女性が一人でコンバインを使って稲刈りをしている現状もある。そんなところに、作業の出来不出来は別にしても、大勢の若者が田に入って、活気のある稲刈りはあり得ない風景だ。この軍団に明日への希望をみる思いがした。
 祖母や祖父が切り開いてきた畑や田を、私一人では出来ないけれど、ワークステージの力を借りながら、農業や地域を元気にできたら嬉しい。
 食料自給率が40%と言われる日本。生産者の現状はますます厳しくなりつつある。その中でも条件の厳しい東北の中山間地の過疎の進む地域で、障がい者と共に農業で生きていくことを選択することは自分でも信じられないことだが、弱いものが集まることで何かがスパークして大きな力が出るかもしれない。そういうミラクルを信じて、戦い生きる事を続けていきたい。
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認知症と橋がかり ★宮澤健【2008年12月号】

 認知症のグループホームを開設して8年が過ぎようとしている。いつも感じるのは、認知症などという診断のレッテルを誰の都合で誰が貼ったのだろうかという疑問だ。
 一般の認知症への不安は増大し、認知症にならないためにどうするか、原因はなにか、治す薬は開発されるのかといった方向での議論が盛んである。それは大切な仕事として尊重されるべきではあると思うが、全面的にその空気一辺倒になってしまっている現状に辟易し、ばからしく感じることさえある。
 というのも、認知症の人と暮らしていて、その人を認知症などと意識することは現場では実際ほとんどない。「認知症への正しい関わり方」などというふれこみのガイダンスにお目にかかることがあるが、大体が笑いたくなるようなお粗末なものばかりだ。
 本来、一人の人間と向き合い、生きていくとき、認知症であろうがなかろうがほとんど関係はないはずだ。私が認知症になっても私は私だし、むしろ認知症として扱われると、「ひどい扱いだ」と騒ぎたくなるだろう。「認知症の正しい関わり方」と認知症で人間を括ってしまうことが、そもそも正しくないのだ。
 一人の人間とその人生を「認知症」などとひっくるめられてはたまらない。確かに認知症かも知れないが、それはそ 人のほんの一面であって、人間というのはそんなものをはるかに凌駕してその人自身であるという事実をこの8年目の当たりにしてきた。そうした人間の広大な世界を押しつぶして、認知症という狭い概念に閉じこめようと誰が何の為にやっているのか見極めて騙されないようにしたい。
 「認知症」という言葉はもはや現代の呪いだ。おうおうに、この呪いは、個人を消し、大衆の不安をあおり、人間の内的世界を無視し、治療や介護の対象として操作し扱おうと仕掛けてくる。日本全体が特に医療、福祉の現場ではかなり強烈に、この呪いにやられてしまっている。呪われてしまった人々は、醒めるまで呪い脅かし続けるので、それとの戦いが続く。
 呪いに対抗するために我々は「癒しの祈り」を持つ必要がある。具体的にどういう祈りを持てるのか模索は続いているのだが、このところ気にかかるのが能の橋がかりだ。古典をはじめ日本文化に造形の深いドナルド・キーン氏は橋がかりを「意識と無意識の通路」とと語っている。言ってしまえばその通りだとは感じるが、そう単純に言い切ると外れた感じもする。私自身も初めて能をみたときに、橋がかりを「異界と現実の通路」と直感したが、これも似たり寄ったりの当たり障りのない、解釈というところだろう。
 当たり障りのない解釈と、深みのある存在の間にははるかな隔たりがあるが、説明というものは常にその程度のものだ。「認知症」というのも本来説明に過ぎず、理解するために単純にして、医療的対応を明確にするための掛け言葉に過ぎない。つまり医療関係者の都合によって呼び習わしている記号に過ぎないはずなのだ。人間存在とははるかにかけ離れたただの記号は、返って呪いの言葉になりやすい。本当に必要なのは呪いではなく救いのはずなのにである。
 橋がかりは不思議な空間である。中間領域と言葉にすればこれまた怪しいが、橋がかりも認知症も中間領域として見事な通路だと捉えるなら、橋、場、通路としての機能を両者は共通に持ち合わせている。あちらとこちらを繋ぎ、行き来を可能にし、演じる場として役者や人間を生きる可能性に満ちている。
 呪いの充満した現代のただ中で、橋がかりに現れる怨霊や情念は、笛や鼓や謡いの音の中での舞を通して呪いを打ち砕くように思える。認知症という橋がかりを通路に、個々の個性や、性格を存分に発揮し、個々のたましいの祭典を執うことで、現代の呪いを解き放って貰いたいものだ。
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