2008年10月15日

餅米の手刈り日和 ★デイサービス 三浦由美子【2008年10月号】

 今年四月、新人として就職したとたん、餅米の田んぼの担当になった。右も左も解らないまま、トラクターの使い方を教えてもらい、春の田起こし、代掻き、田植えとこなし、その後の水管理などやってきた。みんなで手植えの田植えをしたのは5月22日だったが、何が何だかわからないまま、あっという間に稲刈りになった感じがする。

 9月30日、実った餅米の手刈りを、里全体でおこなった。天気は完璧な秋晴れで稲刈りに持ってこいの天気となった。
 デイサービスは、稲刈り目当てか、18名利用という過去最高の人数になり朝から慌ただしかった。歩きと車の二手に分かれ、私は歩きグループでいざ田んぼへ向かう。あまりの天気の良さからか、普段は控えめな ナツ子さん(仮名)が自分から「こうやって外歩くのもいいもんだね。」とフフっと笑いながら話しかけてくれる。
 ミツさん(仮名)は家から自分の鎌を持ってくるほど楽しみにしてくれ、ナツ子さんと共に帽子に割烹着とすっかり稲刈りルック。「倒れた所は手でザスザスと刈らないとね。」と勇む ミツさんに、「おめさんザスザスと刈れるってか。」ナツ子さんが言う。普段のおしとやかさと違った一面をチラッと見せてくれる。
 田んぼに着くと、車も到着してんやわんやになるが、ふとみると田のなかではミツさん達がすでに田に溶け込んで作業をしていた。

 良夫さん(仮名)も農家の人。稲刈りの様子をじっと座って見ていたが、束ねるのを頼まれると嬉しそうな表情になった。良夫さんの手は長年の経験で自然と動く。親指を使い上手く中に稲を入れ固定している。束ねるだけでは物足りない様子なので、「結ぶのと刈るのどっちがいいですか?」と聞くと「どっちも。」「じゃあ刈る方をしませんか?」と鎌を渡すと突然拳に力が入り鎌をぶんぶんと振るので、「やっぱり結ぶのをしましょう。」と束ねに戻る。でも物足りなさはあるので、しばらくしてさりげなく鎌を渡すと、待ってましたといわんばかりに力強く稲を刈っていく。リズミカルな見事な刈りかたに目を見張った。 良夫さんにとっては刈って、束ねて、両方で稲刈りなんだろうな。

 キクジさん(仮名)は足腰も弱っているので、見学の側かと思っていたのだが、田んぼを目の前にすると体が自然と動いてしまうようで、スタッフの藤井さんが一緒に稲刈りをした。「なんだ?こうか?」と手元は危ういものの、いい表情になる。座って休んでもすぐに立ち上がり稲に近づいていく。今度は私と一緒に稲を刈る。「こうだな。あれ?こうか?」とおぼつかないながらも、必死だ。 キクジさんにとって稲刈りは大事なことなんだ。

 チカさん(仮名)は「大正7年生まれ。でも80から数えないことにしているの。」と話すお茶目な方だが、この日はいつもと違った。「面白そうねえ。面白そうねえ。」と稲刈りをにこにこと眺めていたが、突然「私もやりたい。」と鎌を持って、表情が真剣になる。そして手慣れた手つきで稲を刈ると、サッと束ねて行く。私はあっけにとられながら、結び方を教えてもらおうとするが、なかなかできない。簡単そうにやっているのにできないことを疑問に思いながら、 チカさんの手早い作業に見入っていた。チカさんの真剣ながらも明るい姿は、どこか力みすぎている私に、もっと自分らしく楽しめと教えてくれているような気がした。

 マイ鎌を持ってきたミツさんは、どんどん刈り続けていた。束ねかたを聞いたが、チカさんとは違うやり方だった。それぞれ流儀があるのだ。我々の世代は自由なようで流儀を持っていない一律世代だが、一律のように見えて高齢者はしっかりと流儀を持っている。
 ミツさんは、活き活きとした表情で根気よく何度も教えてくれる。畑仕事が大好きでいつもデイには草取りをするという気持ちで来てくれている。今日の稲刈りは、そんな ミツさんを外すことはできなかった。田んぼでは作業を優しく丁寧に教えてくれる先生であった。いつも「私は、畑しかしてこなかったけど草を取るのは得意だよ。」話し「早く畑に行きたいなあ。」と口にする ミツさんの稲刈り作業の姿を見ながら、「体に染み込む」という言葉がわかるような気がした。生きることと作業と喜びが実感として繋がり体に染みこんだとすれば、自分たちはそういう実感からほど遠い。それは「生きる」ということからも遠いことかもしれないとなるとどうすればいいんだろう。
 今年、田植えから稲刈りまでの一連の流れを経験したが、果たして私は稲と共に成長できているのだろうかと、すくすく成長する稲を見て思った事も度々だった。時には夜中の水見や草取りなど、曜日や時間に関係ない米作りの作業に、デイサービスの仕事と関係あるのだろうかと迷いもあったが、次第に頭を下げる稲穂を見ながら稲に親近感が沸いた。みんなで稲刈りができて、嬉しかったし、ほっとした。これから美味しいお餅を味わいたいと思う。
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「もち米の手刈り」と「はせがけ」 ★ワークステージ 高橋健【2008年10月号】

 9月の末日に、多数の銀河の里人が、秋晴れに、煌々と輝く黄金色のもち米の田に一斉に集結し、恒例の稲刈りをした。何しろ、デイサービス、グループホーム、ワークステージの各所からほとんどの人が参加する。スタッフも合わせると総勢50人を超えようかという人数が山の中の棚田に集まるのだから、それだけで壮観な景色だ。
 ワークステージの利用者やスタッフにとっては春からの努力の結晶であるが、高齢者にとっては、人生の結晶のような場面と時間が繰り広げられるので、その小さな田んぼには語り尽くせぬ程の無数の物語が蠢き、実ったもち米の稲穂に増して深い味わいをもたらされる。
 普段はそれぞれが異なる時間、異なる物語を生きているが、この日、この場で「稲刈り」というひとつの現在のうちに繋留され、その「共通の現在」のなかで、それぞれの物語が交錯し、共鳴が起こり、触れ合う刹那の「ざわめき」「揺らぎ」「響き」が奏でる協奏曲が響くという現場の迫力に身も心も震撼させられる思いだった。
 今年の新入職員や若手スタッフの打ち合わせで、餅米の稲刈りははせがけをすることにした。はせ棒、はせ足を集め、はせの組み方はワークのスタッフ、米澤里美さんのおじいさんに教えてもらった。最初、80歳に近い米沢じいちゃんの作業を支えなければならないと僕は思っていたのだが、はせがけが完成する頃には、僕はおじいさんの「身体の頭の良さ」に、すっかり舌を巻いていた。はせ棒を地面に突き刺す時、手をさしのべようと頭では思ったのだが、全くお呼びでなく、腰ががっちり決まった姿勢で振りおろされた棒は、その体のぐらつきのなさに習うように大地に「ズドォーン」と突き刺さった。その体の決まり具合に僕は呆気にとられ息をのんだ。伸ばしかけた手を、そっと引っ込めながら、邪魔こそしないようにいようと思った。
 僕も真似して、棒を振り下ろしてみるが、腰がヘナヘナで、突き刺さらないばかりか、やり直すと、同じところにさえ打ち込めないグラグラぶりで決まらない。
 2本のはせ棒の位置を決めるとき、おじいさんは肘で長さを測った。ロープの長さも、腕を使って測る。おじいさんは、どんな作業をする時も基点としていたのは、自ずの身体であった。細部にいたるまで洗練された身のこなしは「型」がしっかりと決まっていた。おそらく、おじいさんのたたずまいが一本芯が通っているような印象を受けるのも、そのせいだろう。昔の人は「型」を重視して、その「型」が人々の倫理性を担保していたのだという話しを聞いたことはあったが、それを現実に目撃したような気がした。 
 現代は身体性が甚だ脱色され、華やかに装飾された記号としての身体像ばかりが氾濫している。そんななかで「身体への渇き」を覚える若者がほとんどと言っていいだろう。
 僕も、じいさんになったとき、「そこの若けぇの、体の使い方がなっちゃいねぇな」と言えるようになりたいものだが・・・。うーん、このままでは先行き不透明である・・・トホホ・・・。ともあれ、今年は物語がぎっしりつまった餅を、食べてがんばろうと思う。
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パリの旅 第四回 ★グループホーム第1 西川光子【2008年10月号】

 ”丘の上には成功がある。・・・モンマルトルの丘は画家たちの夢のゆりかご”と言われるところだ。石畳の階段を登っていくと画家たちが集まっているテアトル広場についた。 道路はキャンバスに向かう画家でいっぱいで、制作販売もしている。若い女性からかなり年配の男性まで多様で、その光景自体が絵になる。カラフルなテントが並び、あざやかな色のカフェテラス、レストランがあって、観光客で賑わう華やかさにウキウキさせられる。
 お店もおしゃれで、つい入りたくなる。ところが、板チョコ1枚800円という値段に驚くが、それでも買ってしまいたくなるおしゃれなパッケージにチョコも身を包んでいる。
 ただ、30年前はもっと静かだった。今回はみやげ店もずらりと並んで、当時と全く違った感じはあった。カフェテラスで一休みする。すぐそばで絵筆を握っている画家の姿を見ながらのコーヒータイムはひと味違う雰囲気を感じられたのだった。
 丘を登り詰めると、サクレクール寺院が堂々と姿を現す。その変わらぬ姿は30年前に私をタイムスリップさせる。あの日、一人になって心細い気持ちで広い階段を登ったことが蘇えってくる。階段の途中で休んでいると通りがかりの、日本人の男性に”日本人ですか”と声をかけられた。一人強がりながらも本音は心細く、当時の異国で、日本人に声をかけられただけのことが不思議に、安らぐ感じがあった。

 そんなこの場所での過去の情景を思い浮かべながら聖堂の中に入った。教会の重い扉を押したとたん。なんと!! やわらかなパイプオルガンの音色と賛美歌が私たちを迎えてくれた。その響きにすっかり心を奪われながら、前の席に進み腰を下ろした。ミサが行われている最中だったのだ。フランス語の響きが意味はわからないが心に染みいってくる。
 巨大な天井は、一面、キリストが幼い子どもに手をさしのべている宗教画が描かれており、私はいつの間にかその物語りの世界に包まれていた。
 30年前、一人残されて複雑な心境でこの場にたたずんでいた自分と、30年過ぎて夫婦でここに来られて、至福に満たされ感動している今の自分を感じながら、こんなに感動するものかと自分で驚いているのだった。ステンドグラスからこぼれる光が神々しく、しばし神秘的な時間に浸る。無意識に身をまかせ、イメージの世界にひたった。今の時も、30年という時も、時はどんどん流れていながら、どこか不動の自分を感じたのだった。

 帰路、地下鉄の駅で回数券を買うあいだ、通りゆく人々をあくことなく眺めていた。改札口は無人で切符を入れると回転棒が動き通過するしくみになっている。その回転棒の下に赤シャツの太った男性が寝っ転がってもがいていた。修理をしているいるのかと思ったが、道具は持っていない。そのうちギューギューと動いて回転棒をくぐり抜けた。無賃乗車目的で改札を通り抜けたのだ。その場面を見ていた駅員は何もとがめず通り過ぎた。赤シャツの太った男は私たちの向かいのホームで平然と電車を待っていた。その男と別々の方向でどこかほっとしながら、電車に乗り込み空いている席に座った。
 われわれの座席の向かいには黒人の男の子と母親が座っていた。その子は2〜3才くらいで、指をしゃぶっていた。私はその子の様子になぜか惹かれた。そのお話は次回で…。
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今月の一句 にせものの… ★グループホーム第2 鈴木美貴子【2008年10月号】

 にせものの 月に照らされ 十五夜の ほんとの言葉 乱れる気持ち
 

 コラさん(仮名)の見る月は3つに見える 。
 十五夜の日。夕食後、お供えをベランダに用意して月夜を感じた。久子さんは「ろうそく用意して」と月夜にろうそくの明かりで、静かななんともいえない雰囲気にたたずんでいる。
 常々「目が見えない」と言っているコラさんだが、この夜は珍しく「見てみるかな」とテラスに出てきてくれた。私は嬉しくなって「ほらあれ」とコラさんの手をとり月の方に指をむけた。すると「あれ、月だってが、おかしいな。あれが月だってが」と言う。指を指している顔はやんわりした表情で確かに見えている感じだったのだが・・・。
 ところがその後、部屋に戻り、「嘘の月見せられた・・・月が3つみえたおんや」と文句をいう。私は少々傷ついて「偽じゃないよ、本物の月だ!」と言うと、「見なきゃ良かった」と切り捨ててくる。
 私はまさかコラさんと月見が出来るとは思っていなかったし、月を見上げているコラさんの顔をみて暖かい気持ちになっていたところでのその言葉にガーンとなにか痛いモノを感じた。
 そのときは「あれは本当の月なんだ、三つに見えるのが今のコラさんなんだ」と強く言う私と、見えなくて困っているコラさんがいたんだと思う。いつになく強く主張する私にコラさんは「あんたは強い人だ」と言った。その言葉は私の中にはすんなり入らず、「強くいないとやっていけないの」と押してしまった。最後にコラさんは「いがみあって人の気持ちがわかるんだ。これからも頼むよ、秘書さん」と言って納めてくれた。
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この夏の読書と思索 ★宮澤京子【2008年10月号】

 この夏は、私の人生にとって初めて戦争の歴史(「日清戦争」「日露戦争」「太平洋戦争」)にふれ、真剣に「戦争と平和」を考えた。きっかけは司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだことにはじまった。彼が書き残さざるをえなかったと言われる「ノモンハン事件」を、半藤一利がその遺志を継ぐべく書いた作品『ノモンハンの夏』。真夏のまぶしい日差しの中で、日本思想史の子安宣邦の『「近代の超克」とは何か』に至ると
 「ぬくぬくと快楽をむさぼっているお前の思想のルーツはどこにあるか」と、問われるような幻覚におそわれた。日本人として今を生きる、私の思想や信条が、これらの戦争史の上にあるのだという実感により、平和で我が儘に暮らす私の日常を揺るがしてくるのだ。

 時期を同じくして、NHKでは今年の終戦記念にあわせて、戦後63年を経た戦争体験者の高齢化が、戦争そのものを風化させるのではないかとの危機感から、広島・長崎の被爆者や東南アジアの戦地から生還した兵士達、BC級戦犯として服役した人達の証言を集めたドキュメンタリー番組が数本作成放送された。
 語られる証言は63年もの長い沈黙の年月を経ながら、その内容は、沈黙の時間の長さとは対照的に、まるで昨日のことのようにリアルで、戦争の残酷さ悲惨さを伝え、今でも深い傷跡となって各々の人生に刻印されている事実に揺り動かされた。
 「民主主義」「平和主義」が自明のことであるかのように錯覚しているが、それは敗戦によって占領国アメリカから授かった思想であったこを忘れている。その上、日本がアジア諸国を侵略してきた過去の歴史を、自身が平気で消去できる人間であることへの羞恥と怒りを覚えずにはおられなかった。
 「皇国日本」の旗の下で「天皇陛下万歳」を唱和させられ、隣組単位で思想統制がはかられ、体制批判をすれば「非国民」として投獄される恐怖国家があり、敵や侵略した国に対して「鬼畜米英」「露スケ」「朝コロ」といった誹謗や根拠のない中傷がまかり通る。敗戦間近には、軍事資材調達のため、個人の貴金属や台所の鍋釜、公園の銅像まで供出し、「竹槍」の訓練・「風船爆弾」の製造、兵隊不足で「学徒出陣」や障害者・中高年者の徴兵が進められ、ついには「国民総玉砕」と本土決戦まで覚悟するに至る。
 間違っているはずだが、昭和16年12月の米英に対する宣戦布告に対して、国民の多くが感激し落涙したのはどういうことなのか。今だから無謀と言い切れる作戦も、その時代に私が生きていたら、きっと涙を流し
 「万歳」と叫び、訳のわからない大きな流れに飲み込まれ死んでいったに違いない。
  誰の指揮命令で、国民の命を駒として戦地に送ったのか。考えなければならないのは、参謀本部にも、大本営にも、天皇にも、内閣にもどこにもその責任を問えない体制で行われた歴史があることだ。
 20世紀初頭においては、持てる国が、持たざる国を植民地化することによって領土の拡大をはかる帝国主義の時代にあって、資源の乏しい小国日本は、「東亜協同体」というアジアを植民地化する以外に大国に立ち向かうことはできなかっただろう。
 戦争を終結させたアメリカの原爆投下は何を意味するのか。結局は核の脅威に生きる事を余儀なくされた時代がきたということだ。
 私は、世界の歴史の中でも希と言われる戦争のない平和な時期に生まれて生き、おそらく戦争を経験することなく死ぬであろう。がしかし、これはアメリカの核の傘に入っている事で保障されている安全にすぎないことも事実である。

 敗戦から奇跡的な復興を遂げ、「高度経済成長」を経て物質的な豊かさを謳歌し、「飢え」という言葉は、今の日本の子ども達には死語だ。しかし本当の「豊かさ」から返って遠ざかる生のリアリティの希薄化は増すばかりだ。「飢餓」「貧困」「強制」「戦争」に対する強い嫌悪と同時に、「飽食」「豊かさ」「自由」「平和」の薄っぺらさにも腹立たしさを感じる。

 たかが63年前、お国のため、銃後の人々のため、子孫のためにと突撃や、特攻に散った若い命。作戦の破綻から孤立無援の島やジャングルで無念の戦死をとげた多数の人々のたましいと、今を生きる我々はどう繋がっているのだろう。なんら繋がりがないというのでは彼らは報われまい。子供じみた風潮が渋谷や新宿の雑踏やメデイアを支配し、ギャル王国と化してしまいそうな現代日本社会が、彼らのたましいに何をたむけることができるのか。
 近代の日本の歴史とその過程を見据えたうえで、今後の未来を描いていく必要がある。日本人として何が大切でなにが大事なことなのか、失ってはならないものは何なのか、今こそ考える必要があるだろう。そしてそれは最後のチャンスで、ここで踏み外す訳にはいかない時を迎えているはずだ。しかも現状は暗く重い。しかしこの深い闇の中こそ新たなる夢と希望があると確信を持って若者たちに伝えたい。人間の尊厳と、生命の重さは、これまで語られてはきたが、人類が真にそれを実感する挑戦は今から始まるところではないか。現場にある我々はその取り組みの重要な使命を担っていると私は信じる。つづく
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餅米の手刈り日和 ★グループホーム第2 近藤真代【2008年10月号】

 春、皆で植えたもち米の小さな苗を見ながら「次は稲刈りだね」と行っていたが、あっという間に実りの秋、もち米の手刈りの季節がやってきました。
 植えた時のように、その日も暑いくらいの快晴。「稲刈りだな」と以前から力の入っていた、豊さん(仮名)は待っていられない様子で一足先に行ってしまった。追いついてみると、頭にタオルをかぶり田んぼの中に座ってじっと様子を見ていた。私は遅めに行ったので、「ここは自分が植えたところだな」と思っていたところはもう刈り取ってあって、はせ棒にはもう稲の束が半分以上かかっていた。「今日中に刈り終わってしまうかな?」と豊さんに聞くと「んだな。終わるんだ」と監督のよう。暫く私の隣で作業の様子を他の利用者の方たちと共に見ていた。
 手植えの時もそうだったが、刈る人、稲をかける人、それを見ている人、こびるを配る人、皆それぞれが動いていて、“祭り”という印象をうける。いつもは車から出ないサチさん(仮名)も出てきて、歌を歌ってくれた。その日のサチさんの歌は、いつもと同じ歌なのにお祭りで聴く民謡のようだった。出かける前に「今日は稲刈り祭りだ」という言葉を聞いていたが、祭りを実感しながら、かき氷を食べた。

 後日、石鳥谷の田んぼでの稲刈りで、こびる届けに行ったのだが、豊さんは「行くぞ。鎌もったか?」と立ち上がり、本当に稲刈りを始めていた。95歳とは思えないパワーに私は圧倒される思いだった。1・2束刈ったところで理事長のコンバインに任せ、他の利用者さんたちも作業をじっと見ていた光景も印象に残った。“仕事を引き継ぐ”と言うのはこういうことなのではないかと思った。それから豊さんの仕事は終わったのかニコニコ顔の普段の豊さんに戻っていた。
“沢山の過程を経て、もち米も私も成長していければいいと思う。”と手植えの時に書いたのだが、もち米はしっかり成長していたけれども…私はどうなのだろう?春に比べれば、少しは成長できているのかなぁと刈り取られた田んぼを見ながら思った。
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今年の稲刈り ★グループホーム第1 西川光子【2008年10月号】

 9月20日、前日まで肌寒い日々が続き心配したが当日は絶好の稲刈り日和となった。 去年、3時間も稲刈りにつきあった、良子さん(仮名)とミヤさん(仮名)の今年の稲刈りに私は密かに注目していた。 稲刈り前日の良子さん「ごめんなさい。今日寝てたいの」と1日中、寝間着で過ごす。スタッフは”明日に備えて休養だよね”とヒソヒソ。

 当日は予定通り。バッチリ決めて、「何ってもやるわよ〜」と朝から息を巻いて、着物姿田んぼに向かう。田んぼでも大活躍「これ掛けるのか〜」とはせに行き、「ずいぶん大っきな束だごど。あんまり大っきすぎでこれわがねんだ」とよける。結びの甘いのは「こったなのは掛けでもすぐ落ちでわがねんだ」とよける。しっかり結んであって、束の太さの適当なものだけを手渡す。その差し出すタイミングの良さ!!餅つくときの縁どりも見事だけどここでも絶妙な心配りだった。他者の存在を尊重して進められる”間”の取り方の絶妙。 良子さんの生き方と育ちを感じたのだった。
 一方ミヤさんは朝からベッドでぐっすり寝入っていて、目を覚ます気配など全くない。トイレが近いので起きてくるだろうと待っていたが、トイレにも起きない。致し方なく、気持ちよさそうに寝ているところ申し訳ないと思いつつ「 ミヤさ〜ん、久しぶりだから逢いたくて来たよ〜」とバカデカイ声で話しかけた。眠くて片目しか開けられないミヤさん。だが片目のまま「あや〜そうが〜おもしれ〜ハハ・・・」と言ってくれる、”よし、ヤッター行けるぞ”とあの手この手で起こしてついに車に乗り込んだ。
 田んぼに着くとメメちゃん(子守している人形)に「ありゃ〜いっぺいだよ。めるが、それ」と見えるように向きを変え語りかける。「日にとされるからここでいい」と車の中で一人過ごす。それでも気持ちは働いていて、その場にすっかり入っているのがよく伝わってくる。 こういう参加の仕方、時間の過ごし方も格別な味があり、 ミヤさんらしい居かたなのだ。
 かき氷の機械も田んぼにやってきて、作業の合間にかき氷が出た。コメさん(仮名)、カツコさん(仮名)、ハナさん(仮名)、車いすの3人も、かき氷をいただいた。氷を見てア〜ンと口を開けたが、口に入ってから”!!しゃっこい!!”と顔全部をしかめるサナさん。でもスプーンが来ると、又大きく口を開ける。氷を食べながらもサナさんの目はジィーと稲刈り作業を見守っていた。
 カツコさんは「ほ〜ほ〜」と氷を口に入れる。冷たいという仕草はなく、ペロペロ何口もいける。働いている気持ちになっているから、喉も渇くのだと感じた。
 稲を5〜6本手にしてにっこにこの表情をしているコメさん。気がついたらしっかり膝の上でモミを手こきし、服がモミだらけ・・・。モミだらけでもかまわず、 コメさんはかき氷をスプーンで平らげた。5月に足を骨折し手術したのだが、今は歩く勢いで、田んぼにやってくることができた。

 今年も暮らしの中でそれぞれが生きて行っていると感じられる稲刈りのひとときを秋晴れの中過ごしたのだった。
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アートシーン-銀河の里で音楽祭 ★グループホーム第1 前川紗智子【2008年10月号】

 佐比内金山太鼓が、11月2日、「銀河の里」の音楽祭にやってくる!
 私がはじめて佐比内金山太鼓を見たのは、一年前の春だったか、夏だったか・・・盛岡のバンドの企画ライブだった。太鼓のフェスか何かで出会っていたら、もしかしたら印象は違っていたのかもしれない。でも、あのロックバンドのライブイベントの中で出会ったという衝撃はただものではなかった。

 若者の音楽。表現という域にはまだ到底達し得ない。でもただ溢れる感情やエネルギーが、そのまま雑音のように発散されている。アグレッシブで、エネルギッシュだが、“若さ”はぬぐい去れない。不安や憤りの、もがきのようにも感じられる。同じように自分をもてあましている様な若者が(私もそのうちの一人)フロアを埋め尽くしている。だが、太鼓の音と共に、うだうだと、気だるく澱んだ若い人たちの空気に、緊張が走って、観客みんながステージに引き込まれていた。はじめは、太鼓かよ?という感じでいた人たちも、トリを飾ったあのドラムと太鼓の協奏に、すっかり魅了され、息をのんで立ちすくんでいた。ドラムと太鼓のさしの勝負のような構成でありながら、太鼓になじみの薄い若い人たちに、ドラムというものを介して、でも圧倒的に太鼓を伝えてきていた。
 ドラムだけではきっと華々しいだけで散らばってしまう音も、太鼓の重低音にしっかりと支えられて包まれている、地に足がついている、そんな感じだった。太鼓のあのじわじわと地から満ちてくる音、くぐもったような温みのある音は世代を隔てることなく響くものがあるように思う。
 もともと「ライブ」では、音が、そのままダイレクトに体に伝わってくる。耳で聞くというよりも、体にあびるといった感じ。音って振動なんだ!とびっくりするほどに。しかもその音は、演奏している人のエネルギーそのもの。音色の向こうにしっかりと人が感じられる。
 今は、CDやデジタルの音楽が日常に溢れて、そういったものとは切り離して音のみを簡単に持ち運んでいるが、それらの音は実は薄っぺらいのではないか。ライブであるということ、その場に居合わせている、臨場感、迫力、音を介して人や時間が出会っている、あの感じ。場の一体感・・・。きっと、これが音楽の持つ本来の持ち味なんじゃないのだろうか。

 11月の音楽祭では、この佐比内金山太鼓だけでなく、吹奏楽、ジャズも企画されている。どんな出会いになるのか、とても楽しみだ。
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今年の花巻祭り ★グループホーム第2 板垣由紀子【2008年10月号】

 花巻祭りには、私が新人だった頃は、お弁当を作り、2〜3人で見物に出かけていた。そのうち夜、予約席を取ってグループホーム合同で、スタッフも総出で賑やかに出かけるようになった。私は、どちらかというと、お祭りにはまるよりも、歩いて行ってしまう方と過ごし、縁の下の力持ち的に参加してきた。
 今年は担当ということで、どんな出かけ方をするか、誰とどう過ごすか、過ごせるか?銀河の里という枠、守りから外に出て行くときの覚悟や、外で浮かないようにするには・・・と頭を巡らす。
 今年は、みんなで出たい気持ちが強かった。考えなければならない状況は山ほどある。車いすが必要な人が入居者の半数を超える今、その移動は?どうする。花巻祭り、コラさん(仮名)の目には届くだろうか?サチさん(仮名)はドライブは好きだけど・・・うるさいところは嫌い・・・、怒り出さないだろうか?
 久子さん(仮名)は出かける車に乗ってくれるだろうか?守さん(仮名)に、ハルエさん(仮名)に、トモミさん(仮名)、いつもグループホームにど〜んと居て支えてくれる人たち、自分で外に歩いて出ることのなくなった人たちと華やかなお祭りを楽しみたい。去年は、「夜なら行かない」と留守番をしたコラさんに合わせ、昼間に出かけることにした。お煮染めに赤飯は祭りにつきものと、よーし作って持って行こう。どんどん乗ってきて、ワクワクしてくる。そんなときはマイナスな状況も、“どんと来い”って気になる。例のごとく行くの行かないのとやりながらも、全員車に乗り込み、いざ祭りへ。お囃子が聞こえて、山車が通る。「何たらうるせじゃ!」とお囃子の太鼓の音にサチさん怒鳴りはじめる。やばい展開・・・。「花巻祭りのお囃子だよ。」「ほー、花巻祭りな。」と気を取り直してにっこりするサチさんにほっとする。
 福祉用特別観覧席の一番前ではハルエさんが笑っている。その後ろにサチさん。子供御輿がワッショイワッショイとやってくる。私も合わせて「ワッショイワッショイ」とかけ声をかけるとサチさんも「ワッショイ。ワッショイ。」。おまけに掛け合いのワッショイを、、声色を変えて両方やっているサチさん。すごい。
 何とも言いようのない楽しさをワッショイの波がはこんできてくれる。守さんは始め「何だ〜?」という感じだったが、だんだんワッショイの空気に乗っていく。コラさんにみせようと移動するが「おめさんは見えるところでいがべ、オレ見えなくなった。」と例のごとく嫌み口撃。ありゃ〜そうきたか。それならと一番前の席に移動「ここなら一番見えるでしょう。」作ってきたお煮しめや、お赤飯を広げ祭り気分も盛り上がった。
 楽しい祭りに終わりはつきもの。帰りの準備にかかる。トイレによる人、車いすで移動する人、順調に乗り込む。最後になったコラさんに「そろそろ暗くなってきたし、帰りますか?」「何?」「暗くなるから・・・そろそろ・・・」「来る時はホレホレって連れてくるくせに見てれば帰れってが?」とまた口撃が来る。コラさんが「6時に帰るなら」っていってたんじゃ????って言いたくなるが、もう気持ちは風流山車に釘付け聞く耳なし。「それじゃ、みんな送ったら迎えに来るから、みっちゃんと見てて。」とコラさんは結局さごまで祭りを見てしまった。

 翌日も、祭りでもらった手ぬぐいが無くなった盗まれたと大騒ぎ、結局コラさんの思い違いなのだが、楽しい祭りも「良かったね」で終わらせず、「行かなきゃよかった」になるコラさん。「あんなに楽しんでたじゃない」と気持ちを逆なでされる、そのコラさんが「浦島太郎みてだ。」と笑う。たしかに、祭りは竜宮城かも。変わらずにある日常がありがたいのかもしれない。
 いつもは何秒か前の記憶も忘れるサチさんが、祭りの翌日、「あのね、昨日、はなまき祭りに行っていっぱいごちそうになったよ、人もいっぱいいてにぎやかだったよ。」と語るのでみんなで驚いた。祭りの神秘的な力?エネルギー??例のごとく今年の祭りも実に過激に過ごさせていただけました。感謝です。
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銀河の里探訪記 その1 ★NHKエンタープライズ 横川清司【2008年10月号】

 ある人から岩手にすばらしい認知症ケアを実践しているところがあると聞いて、半信半疑、取材の下調べで銀河の里を訪ねた。実際なるほど不思議な空間で、まさに異次元を体験した。

 本格的な取材と、その不思議な感じをどう伝えるのか悩みながら、打ち合わせも兼ねて、新宿東口の小さな焼鳥屋で、宮澤健さんと飲みながら話をした。
 宮澤さんの口から出てくる言葉は、新鮮で異次元の感動を呼び起こす。
 宮澤さんは、グループホームでの生活をもう一つ「新しい人生」を生きるのだと言う。それは、「認知症の人が」と言うのではなく、介護するスタッフと出会って一緒に新しい人生を生きるのだと言う意味のようである 。
 もともと認知症と言う病気を考えるとき、医療的側面よりも介護や福祉的側面が大きいとの認識や、生活環境と言う言葉の中には人間関係、特に家族関係の問題が大きく、脳の機能が低下し云々・・・は置いても、むしろコミュニケーション障害と言う視点が重要だとの認識もある。そうした私の耳には、耳触りの良い言葉として「新しい人生」が心に響いた。
 この焼鳥屋で宮澤さんに、昨年カンヌ映画祭でグランプリをとった映画「殯の森」の制作に、私自身協力プロデューサーとして関わった関係から、できあがったばかりの「殯の森」のDVDをプレゼントした。
 心に傷を負った女性がグループホームのヘルパーとして認知症を持つ老人たちと生活をするうちに、他者との関係を回復するストーリーを軸に、人と人の関わりに介在する別の世界、今を生きている次元とは別の世界が語られる。そんな映画を「銀河の里」の介護に関わるスタッフに観てもらいたかった。
 銀河セミナーというこれまた不思議な内部の研修会で、それが上映、鑑賞されたとのことで、里のスタッフは勢い、異次元の世界が描かれていることを端的に見据え、自らの体験に寄り添って明確な感想を持っているという。それを聞いてみたいと思った。

 現代に生きる我々は、自分を隠すことで安定的で安全な日常を保証されているといった誤解に基づいて暮らしている。さらに、経済至上主義のスピード感覚が要求され、まるでオリンピックのアスリートのような目標と即刻反応する機能と勝負に徹する非人間的な力が要求されている。他者の存在とは相対的なもので自身が関係性を持とうとするかどうかによって存在が決まる。この世には、自分と関係のないものは存在しない。
 コマ撮りの世界のように、雑踏を行きかう人は瞬間に移動し、点となり明確な像を結ばないで過ぎ去っていく。流れは次第に激しさを増し、車の光が線となって都会を縦横に走るかのごとく、そこに立ち尽くす人は、この世に存在さえし得ない。この社会はそうした立ち尽くす人が無数にいて叫び声をあげているにもかかわらず無視され続けている。
 子供から老人に到る世代に関係なく、駅のホームの端やビルの屋上の角や人影のない公園のトイレの隙間や、何カ月も開くことのないアパートのドアの中で声にならない叫びをあげながら彼岸への旅を計画している人がいる。唯一、年間3万2千人と言う数字が報道された瞬間だけ、この世の存在証明を受け取るかのように。
 そんな世相を背負った現代にあって、銀河の里では、介護を関係性としてとらえようとしているところが独創的だ。さらにこれをエロス(関係性)と認識しているところが実にクリエイティブに感じる。もしかすると介護する人は預言者でないのか?もしくは、あの世界とこの世界を行き来し、双方の言語を操り、それぞれの思いを繋ぎ暮らしを創造する。トランスレーター。
 介護や福祉とはかけ離れた、別世界に引き込まれ、そこに自分自身の宇宙も展開するといった不思議なことになっていくのが銀河の里の世界だ。
posted by あまのがわ通信 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする