本格的な取材と、その不思議な感じをどう伝えるのか悩みながら、打ち合わせも兼ねて、新宿東口の小さな焼鳥屋で、宮澤健さんと飲みながら話をした。
宮澤さんの口から出てくる言葉は、新鮮で異次元の感動を呼び起こす。
宮澤さんは、グループホームでの生活をもう一つ「新しい人生」を生きるのだと言う。それは、「認知症の人が」と言うのではなく、介護するスタッフと出会って一緒に新しい人生を生きるのだと言う意味のようである 。
もともと認知症と言う病気を考えるとき、医療的側面よりも介護や福祉的側面が大きいとの認識や、生活環境と言う言葉の中には人間関係、特に家族関係の問題が大きく、脳の機能が低下し云々・・・は置いても、むしろコミュニケーション障害と言う視点が重要だとの認識もある。そうした私の耳には、耳触りの良い言葉として「新しい人生」が心に響いた。
この焼鳥屋で宮澤さんに、昨年カンヌ映画祭でグランプリをとった映画「殯の森」の制作に、私自身協力プロデューサーとして関わった関係から、できあがったばかりの「殯の森」のDVDをプレゼントした。
心に傷を負った女性がグループホームのヘルパーとして認知症を持つ老人たちと生活をするうちに、他者との関係を回復するストーリーを軸に、人と人の関わりに介在する別の世界、今を生きている次元とは別の世界が語られる。そんな映画を「銀河の里」の介護に関わるスタッフに観てもらいたかった。
銀河セミナーというこれまた不思議な内部の研修会で、それが上映、鑑賞されたとのことで、里のスタッフは勢い、異次元の世界が描かれていることを端的に見据え、自らの体験に寄り添って明確な感想を持っているという。それを聞いてみたいと思った。
現代に生きる我々は、自分を隠すことで安定的で安全な日常を保証されているといった誤解に基づいて暮らしている。さらに、経済至上主義のスピード感覚が要求され、まるでオリンピックのアスリートのような目標と即刻反応する機能と勝負に徹する非人間的な力が要求されている。他者の存在とは相対的なもので自身が関係性を持とうとするかどうかによって存在が決まる。この世には、自分と関係のないものは存在しない。
コマ撮りの世界のように、雑踏を行きかう人は瞬間に移動し、点となり明確な像を結ばないで過ぎ去っていく。流れは次第に激しさを増し、車の光が線となって都会を縦横に走るかのごとく、そこに立ち尽くす人は、この世に存在さえし得ない。この社会はそうした立ち尽くす人が無数にいて叫び声をあげているにもかかわらず無視され続けている。
子供から老人に到る世代に関係なく、駅のホームの端やビルの屋上の角や人影のない公園のトイレの隙間や、何カ月も開くことのないアパートのドアの中で声にならない叫びをあげながら彼岸への旅を計画している人がいる。唯一、年間3万2千人と言う数字が報道された瞬間だけ、この世の存在証明を受け取るかのように。
そんな世相を背負った現代にあって、銀河の里では、介護を関係性としてとらえようとしているところが独創的だ。さらにこれをエロス(関係性)と認識しているところが実にクリエイティブに感じる。もしかすると介護する人は預言者でないのか?もしくは、あの世界とこの世界を行き来し、双方の言語を操り、それぞれの思いを繋ぎ暮らしを創造する。トランスレーター。
介護や福祉とはかけ離れた、別世界に引き込まれ、そこに自分自身の宇宙も展開するといった不思議なことになっていくのが銀河の里の世界だ。