2008年09月15日

フィリピン散策記 最終回 〜そこに生きる人々〜 ★ワークステージ 高橋健【2008年9月号】

 カルカルに到着し、周辺を散策すると主要都市のセブとは異なる雰囲気を感じた。バスから降り立つとすぐに、売り子が、どっと押し寄せてくるのはセブと何ら変わらなかったが(というか、おそらくフィリピン全土でそうなのだろう)、カルカルの街並みからは身体の内奥をゾクゾクさせ、身体の感受性を鋭敏にするような「アジア臭」をあまり感じない。カルボンマーケットでは、鼻を劈かんばかりの「アジア臭」が目にするものすべてから、むんむんと立ち籠めていたが、カルカルでは残り香のような、微かな臭いしかしない。


「はて!?どういうこった?」と、よくよく目を凝らして住居を見ると、建築様式が一風変わっている。1階は石造りで、キリストの十字架が飾られ、2階は木造で風通しが良くなるような構造になっている。セブには石造りの住居は皆無だった。そういえば、「僕の中の高速列車が今日もガタガタいいながら♪」なんて気分良く口ずさみながら歩いていて気づかなかったが、教会がやたらめったら多いではないか。

「むむむ・・・ははぁーん」と僕はニンマリと合点した表情を浮かべた。カルカルは当時、世界に覇を唱え、7つの海を支配していたスペイン帝国が統治していた時代に繁盛したカトリックの文化を色濃く残しているらしい。数十世紀に及ぶ時間と生死を移ろう人々の営為の集積、近隣諸国との交流によって醸成されてきたフィリピン的な文化が正しく継承されず、忽然と人の家にノックもせずズカズカと土足で入り込み、飯をかっ喰らい、おまけに「迷妄の闇で閉ざされた迷える子羊達を啓蒙の光に満たされた我等が導いてしんぜよう」と要らぬ世話まで焼いてきたスペインの文化を色濃く継承している事実に頭の固いポストコロニアル(植民地)研究者は憤慨するだろうが、事はそう単純ではない。おそらくカルカルの人々は、従順にスペインの文化を受容してきたわけではないのだ。木造と石造が組み合わされた住居を見ると、彼等の「暮らし」をスペインの文化に入念に練りこんでいった姿勢が窺える。一直線の道路をひたひたと能天気に歩き前方を見ると、川が道路を寸断しているではないか。僕は、思わず足踏みしてしまい、近づきもせずにおろおろと突っ立ていると、青年達が乗った数台のバイクが豪快に水しぶきをあげながら川に突っ込んでいくのが見えた。「なんだ、こいつらは?」とカメラをスタンバイして興味津々に近寄ると、バイクを降りた青年達が談笑している。青年達が屯している、すぐ隣では、腕白な子供達が川にダイビングして楽しそうに遊んでいる。カメラを持ってアホ面を浮かべている日本人が気になるのか、子供達が一斉に僕の周りを取り囲み話し掛けてきた。しかし地元の言語で語りかけてくるため、何を言ってるのかさっぱり理解できない。このような時は、相手の言っている言葉を柔和な表情で鸚鵡返しすれば相手の気分を害すことはないので(あくまでも僕の経験則ですが・・・)、その経験則をフルに動員すると、なぜか話し!?が盛り上がった。


 どういった経緯で道路が川に寸断されたのかは解らないが、日本であれば危険地帯に指定され出入り禁止になり、即座に復旧作業が開始されるような場所がフィリピンでは子供達の遊び場になってしまう。日本では人々の不安を掻き立てるだけでしかない場所が、フィリピンでは遊びを生成する場所になってしまう。アクシデントがあると、すぐに亀裂が入ってしまうような膠着した心ではなく、フィリピンの子供達のように、しなやかな心を持ちたいものだ。いくら年を食おうが子供達から学ぶことは多い。カルカルで過ごした時間を想起しながら、このヘタクソな文章を書いているが、前景に浮かんでくるのは、一直線に続く道だ。僕の足を誘う一本の道。「僕が道を歩く」のではなく、道に呼ばれて、引き付けられていく感覚が今でも僕の身体に残っている。
 
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超コミュニケーション?!な日々〜その3〜 ★デイサービス 中屋なつき【2008年9月号】

 家庭ではお風呂に入るのが難しいという利用者の方も多く、デイサービスでの入浴は重要で、家族さんもそれを期待される。しかしそういう方に限って本人さんは風呂嫌いだったりする。「お風呂に入りましょう」は禁句で、声かけにはちょっとした工夫が必要で、声さえかけずに無言で風呂に向かうのが鉄則という方も。  「温泉」なら入るという人もあるので、スタッフは「いっい・湯っだっなっ!」と必死に歌いながら、かろうじて誘導する光景もよくある。誘うのが大変でも、入ってしまうと意外と気持ちよく長風呂だったりもする。声のかけ方は微妙で絶妙なタイミングと空気を必要とするのだ。とにかく日々、「お風呂に入ってもらいたい」と真剣に願いながら誘う。

 レイ子さんは、お風呂自体は嫌いじゃない方で、こちらがそのまま「お風呂に行こう」と誘っても大丈夫な人だ。「あらぁ、風呂さ入れてけんの?」と嬉しそう。畠山看護師と「銀河温泉〜、よいとっこぉ、一度はぁおいでぇ〜、どっこいしょ〜」なんてやりながらニコニコで、まず大抵は問題なく脱衣場まで行けちゃう。湯船につかり、窓のそとに見える景色を見ながら「こんなに立派な松の木を眺めて、極楽だよね」とご機嫌で入る。ところが!いつもいつもこういう訳にはいかない。「一緒に入るって言ったじゃないか、この嘘つき女!」と怒鳴られて、思わず自分も服を脱いで一緒に入った藤井さん。何か気にくわなかったのか、腕をしこたま引っ掻かれた山岡さん等々みんな苦労して入浴ドラマを展開している。高橋看護師と一緒に機嫌良くお風呂に行ったのに、入っているうちに気持ちが変わり、だんだん「怪しい」「臭い」という言葉が出てきて、遂に「このスパイ野郎!」ってことになってしまい、慌てて、私が駆け込みスパイ役を交代し、なんとか最後は高橋看護師につないでやっと入浴が終わったということもあった。

 そんなだから、先日もちょっと身構えて声をかけた。取っかかりの感触はまずまずで、にこやかに脱衣場まで行って、ベンチソファに腰掛ける。…までは良かったのだが突然「なぁんだか…変になった…」と表情が一瞬にして硬くなり、私をジロッと見上げるレイ子さん。ギョッとひるんだが「いっい・湯っだっなっ!」を歌いながら服を脱ぐ介助を。

「なんか怪しい、されかもうな(なんだりかんだり構うな)」とか言われながらもやっとこさっとこ脱ぎ終わって、シャワーの前までたどり着いた。いざ体を洗おうとしたところで遂に「手かけんな!」とピシャリと私の手を払いのけた。あいや、そっか、自分でやりますか、と無言でタオルを手渡すと、それに対して「さっさどやったらいかべじゃ!」うーどっちだぁ、そっすか、んじゃ、こすりますよ…。と続けるが「ヘタにすんなよ」とジロリ。…はいはい、ただいま終わりますとやってると、なんと「うん、なかなか、上手だ」・・・あれ、褒めてくれんの?と思いきや、返す刀で「さっさど!」と来る。わっ、はいはいはいっ!うーん微妙だ。

 次は湯船に、滑るから気をつけて…、と体を支えようとすると、「余計な手かけんな!」ピシャリッ!…おっと、と一歩引く。そのとたん今度は「ほら!早く!」とやっぱり立ち上がる助けの手を求めてくるレイ子さん。
 一体、どっちなんだよ…と内心で思いながら、それでもやっとこさ湯船に入ってくれたレイ子さんを見てると、なんだかこっちも気持ちよくなってくる。余裕が出てきて油断したか、「湯加減どう?ぬるくない?」なんて優しく声をかけちゃったもんだから、「ぬるいに決まってんでしょ!」と一喝されてしまう。
 一喝されて、再びひっくり返りたくなる心を密かに抑え、熱い湯を入れようか、もう少し長くつかる?等々、言ってみる。「今更何なのよ」、「あんたはセコイ」、「あんたなんかと来るんじゃなかった」とかいろいろ、続けざまの嫌み攻撃にオタオタするのが精一杯な私。そんな私を見抜いてか湯船から出るときには、「ほらっ!ボサッとしてねんで!」と、手を伸ばしてくるレイ子さんなのだ。

 午後になって、テレビを見ているレイ子さんの隣にゆっくり腰掛ける。なんか、あえてお風呂の話題を吹っかけたい気分で「今日はもう入った?よかった?」など尋ねてみる。「うん、いかったよ〜。ここでは、なってもやってけるからねぇ」 この時は特上の笑顔で柔らかいレイ子さんがいる。たぶん、というか当然、午前中の私とのお風呂のことはもう無しになっている。私も今この時この会話を楽しむ。
 テレビ番組に影響されてなのか、会話の所々に「ローヤルゼリー!」などという脈絡のない相づち代わりの言葉が混じって、表面上はなんだか噛み合わないやり取りをしているのだが、レイ子さん独特の世界がそこにちゃんとご健在だ。しばしこのズレ具合を味わいながら、「本日の『心コロコロ早変わり入浴』はなかなかレイ子さんらしかった也」とほくそ笑みつつ、レイ子さんとの時間をすごした。

 介護の教科書では「本人の意志を尊重する」などと正しいことが書いてあり、いちいち「これからなになにします」と声をかけ相手の意志を確認してから進めるのが正解とされている。しかしそれは教科書であって、それが常に通用するほど現実は甘くない。
 家族も周囲もおそらく本人も、お風呂に入るべきだと思っていたとしても、「お風呂へ行きましょう」などと声をかけたとたんに、岩のような頑な扉が閉まって、食事まで拒否に至ったり、時にはパニックになり大混乱ということも起こりうる。この人には禁句で無言の誘導が適切ということもありうるのだ。しかしそれは単純に言える事ではなく、微妙な関係の空気に支えられることが何より大事なことなのだが、これはなかなか簡単ではなく、教科書には書けない部分だ。
 人間の意志というものはそれほど明確で単純ではなくて、拒否しながら同時に求めるアンビバレントでエネルギーを生み出しているようなところがある。レイ子さんはそんなこころのありようを飾り気なくまざまざと見せてくれて、むしろ心地よい。「人間とは本来そういうものだよね」とうなずいてしまう。

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パリの旅 第三回 ★グループホーム第1 西川光子【2008年9月号】

 30年前、私のハネムーンはフランス、ドイツ、イタリアを駆け抜け、そして最終はパリでゆっくり過ごそうというコースだった。
 私にとっては初めての海外旅行で、多くの国を回りたくての駆け足旅行だった。ホテルはその日、気に入ったところを探して決めるという、かなり気ままな旅行であった。
 夫が学生時代にアルバイトをしていたという、スイスのチュリッヒでの散策は実に楽しかった。スイスはまさにメルヘンに出てくるような、緑の美しい風景が印象に残っている。 ドイツへは電車で移動したが、車内で聞こえてくるドイツ語は力強く、いかつい感じでドキッとした。しかしサッカーを語るドイツ人はとても明るく生き生きとしていた。ライン下りで飲んだ白ワインは、甘くとろけるような忘れられない味だった。 ゴシック建築の代表といわれる、高さ160メートルのケルン大聖堂は、ケルン駅の改札口を出ると、ドーンとものすごい迫力で目の前にそびえ立ち、目を見張る荘厳さに驚いた。

 イタリアではルネサンスの都、フィレンツエを訪れた。街全体がすべて中世のレンガ一色である。気持ちも一気に中世へタイムスリップした。フィレンツエの象徴サンタマリアデルフィオーレの大円蓋は実に優美で、その大きさも圧倒された。路上ではいろいろな店が出て活気に満ちており、言葉は通じないものの、イタリア人の明るさと陽気さが心地よかった。皮細工の店が多く、ある店で赤肉のオレンジをもらった。これがおいしくてすっかり仲良し気分になり、茶色の財布とバッグを買った。数日後パリで少年達に盗られたのはこの財布である。新聞紙はスリの少年達の商売道具で、バッグの上に広げて見えないようにしてもう一人が話しかけて気をそらしたスキにバッグから財布を抜き取るのだ。

 ハネムーンの最終コースのパリに着いて、さあ今からパリを満喫しようという時!!夫が慌てふためいて言う 「やあ〜まずい!!日にちを間違えていた!今日帰らないとまずい!」突然の事についていけない私。「ベルサイユ宮殿だけでもいきたい!!」「いや無理だ!すぐ帰らないとダメだ。又連れてくるから必ず!」「そんなこと言ったって来れるはずないでしょ」「仕事を休むわけにはいかない。とにかく帰る」「じゃ私一人残る!!」「そうか、安全なところだから大丈夫。ホテルも帰りの切符も手配するから。何かあったらすぐ飛んでくるから」・・・夫はバタバタと手続きを済ませ空港へと向かった。空港についたとたんに不安になった。心の中で”本当は強引に私を連れて帰ってほしいのよ”と涙で訴えたが、手を高く上げ「じゃあな〜」と夫の姿は消えた。
 一人になって、涙があふれた。涙のあとには怒り、そしてその後はささやかな度胸が湧いてきた。バスでノートルダム寺院まで戻った。パリの中で唯一知っている場所だったので、ほっとしたのか、教会のパイプオルガンの音色に酔いしれ一人ボーとしていた時、少年達に財布を盗られたのだ。独りぼっちになって間もなくなので、すっかりパニックになって派出所にかけこんだが後の祭りだった。その後、 ベルサイユ宮殿、サクレクール寺院と地下鉄で回った。人間崖っぷちに立たされるとなんとかなるものだ、とちょっと開き直った。ホテルも気に入ったところに変えてみた。

 今回30年ぶりにパリに訪れて、普段忘れていたことがフツフツと思い出される”プレイバック心の旅”を体感することになった。前回一人で訪れたサクレクール寺院へ今回は二人で行った。その後モンマルトルの丘に登った。寺院の中に入ると、なんと・・・・まさかこんな感動に出会えるとは夢にも思っていなかった。その詳細は次回で。
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お盆商戦!! ★ワークステージ 関脩【2008年9月号】

 銀河の里のワークののハウスは600坪あり、約5000株の大葉を栽培している。大葉は刺身のツマや天ぷらの盛り合わせの一番端といった脇役。スーパーでも野菜コーナーの端に陳列されるが、かといってないわけにはいかないのが脇役で、特にお盆と正月には需要が高まる。

 銀河の里では6年目にしてこの最盛期を、生育がほぼ万全の状態で臨むことが出来た。今までは、栽培技術が未熟で、原因の分からない症状で枯れる→また植える→また枯れる→またまた植えるの繰り返しで、出荷に忙しいはずの時期を、種まき・苗作りに翻弄され毎年右肩上がりで赤字を累積…。遂に枯れる原因がたった0.1mmの虫だったことを昨年やっと突き止めた、これがまた敵ながらおもしろい虫なのだが、長くなるので今回は伏せておく。

 さて初めてお盆出荷を迎えたわけだが、出荷先からはあらかじめ「すごい数量になりますから覚悟して下さい。」とは言われてはいたものの、あまり実感はなかったが、実際に出荷予定表を見て最終的に出た数が8日から15日までの8日間で20万枚。その数に「嘘だろ?」と、いつも数字には弱いので、今回も何かの間違いだろうと何度も数字を確認するが、計算機にはパック数で何度やっても2,000の数字が表示される。この数は、毎日収穫できる大葉は多くても12,000枚が良いところ。200,000枚という数を8日で割ると1日に25,000枚を収穫しなくてはいけない。備蓄しておいた60,000万枚、を引いたとしても毎日18,000枚を収穫しなければならない計算だ。これは寝ないで収穫するしかないと、大葉と共に寝起きする生活が始まった。夜は日が残っているギリギリまで収穫、朝は4時から収穫をはじめた。時には収穫しながら無意識に寝ていることもあった…。パートさん、ワーカーさん達も時間を延長して頑張ってくれてた。夜も収穫は続き、最終的には銀河の里のスタッフにも総動員となった。

 最も激しかったの8月11日。その日の出荷は79,000枚、夜11時の時点で残りはいくらか・・・。計算してみると“0”と出た。「やった!」と思いきや計算違い。再計算してみると“3,000”足りない、理事長も含め5人で再度真っ暗なハウスへ入る。

 午前1時、やっと数がそろう。これで納品できる、その数は723パック、いざ納品先の配送センターへ、その時点で時計はAM2:00。眠気も限界で納品先へ到着。納品先での検品。受け荷担当者は元気よく「はい563ね、OKです」。「えっ?」と背筋が寒くなる。いや723のはずなんですが。「あれじゃもういちど数えますね」と再度確認してもらうが、「やはり563ですよ。どこかにおいてきたんじゃないですか。」そんなわけはないと思いながらも、確認してみますと一旦引き下がる…。戻りながら…、「冷蔵庫!?」冷蔵庫に入れたのがあった。もう朦朧として、完全に忘れてしまっていた。その数が160パックそのものだ。再び持ち込み、時計はAM2:30検品終了。こうしてこれまでで新記録の出荷がおわった。その後30分仮眠して、そのまま金ヶ崎の別の市場まで出荷に向かったのだった 。

 こんなてんやわんやで、お盆商戦をパートさん、ワーカー、銀河の里のスタッフ総力戦で乗り切りることができた。大葉の栽培に関しては少しは技術を蓄えてきたとは思うが、まだプロと呼べるには到底及ばないと痛感したお盆だった。次は正月の第2ラウンドが控えているのできちんと向き合いたい。出荷先からは「夏の出荷量なんてもんじゃありませんよ?」と予告されている。冬場なので温度管理など、夏とは違った管理要件が入ってくる。大葉も自分もベストの状態で正月の大商戦を迎えたいと思う。
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やるべき業務と起こってくること ★ グループホーム第2 板垣由紀子【2008年9月号】

 グループホームに新人が配属されて、これまでやるべき業務を優先して動いていたのを、自分自身なるべく座って、起こってくることに身を任せるように切り替えてみた。すると置き去りにしてきたいろいろなことが見えてきた。

 食事介助をしながらリビングにいると久子さん(仮名)がテラスに向かうのが見えた。いつもプランターの花に水をあげる久子さん、行って声を掛けたいな、と思った。食事介助を終えてテラスに行くと、「これ見ろ、サルビア枝分かれして、こっちさも咲くどごだ。」と久子さんが話しかけてくる。種から育てきたが、なかなか花を咲かせないサルビアに気をもんできた久子さんと一緒に花をながめていた。
 そこへ真っ黒に日焼けした高橋君が「板垣さん、まだ野菜ありますか?」と声を掛けてくれた。「キュウリと、ナスと、トマトあとで届けます。」と会話を交わす。高橋君は新人スタッフ、挨拶以外で声をかけられたのは始めてだった。

 リビングに戻ると第1グループホームの利用者の武雄さん(仮名)が来ていた。お茶を出し、話を聞いていると、その向こうでハルエさん(仮名)が我々の様子を軟らかい表情で見てくれている。
 武雄さんが帰ったあとハルエさんをクッションチェアーに誘うと、軟らかい表情のまま「すみません」と言ってくれた。「それでいいよ」と言ってくれているようだった。

 夕方、あと一時間で食事と言う時間帯、玄関から出て行こうとする豊さん(仮名)にスタッフが声を掛ける。「ちょっとそこまでだ。」と豊さん。そこで私は豊さんと散歩にでることに。そこに高橋君が通りかかり、豊さんは、真っ黒に日焼けして、頭にタオルを巻いた高橋君の腕をガッチリ捕まえて「おめ、おどご(男)だが?」と話しかける。「男ですいません」と高橋君。ジッ〜とながめて「おめおっきいな〜。・・・・俺がちいせのだか。」と笑った。
 そうこうしていると第2グループホームの新人、真白君が草刈につなぎ姿でやってきたので、豊さんも一緒にみんなで裏の畑へ行った。草刈り機を使う若者の姿を目で追いながら、高橋君に「たいしたもんだな、やっぱり機械は早いな。」と話しかけ、草刈りが終ると、「ご苦労さん。」と声をかけていた。「じゃ、あとは夕飯にするっか」「んだな。」と戻るが、ずっと高橋君の手をつかんだままだった。

 やるべき業務優先で動いているだけでは見えないことが、人の動きに沿うことで、いろいろな出合いが起こり、展開していく。「そうだよこの感じ」業務だけでは出会えないなにかが、意図せずともちゃんと起こって繋がってくる。今まで、大事にしてきたもを見失いそうになっていた。業務が土台だが、出会い、起こってくることに、この仕事の生きることに直接通じる醍醐味があるはずなのだ。
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『殯(もがり)の森』を観て ★グループホーム第1 前川紗智子【2008年9月号】

 私は、この映画の持つ静けさと間合いが好きだ。
 「静」、「間」それは普通は無なんだけれど、でもこの映画で感じたのは、なんだかこう、そこにすごくエネルギー?があるような、満ち満ち足りている「無」みたいなものだった。

 静かに感じるのは台詞があまり無いからだろう。でも、そこには台詞(言葉)として表現はないけれど、確かに相手へ向けられている“まなざし”みたいなものがあって、そのまなざしはもちろん相手を見つめつつ、同時に自分自身の内を深く見つめているような、そんな言葉以上のものがあるように思う。明確に言葉で表現し尽くして、その場面の広がりや奥行きを狭めることをしていない。だから、こちらの思いや記憶も動き出す。さらに、人の声が途切れたそこには、風や川、虫などの森の音があって、まるで匂いまでしてきそうな、場のエネルギーを伝えてくるようだ。その森の気配が、私の内なる森にもつながって、さらにこちらを揺さぶってくる。間合いがあることで、こっちもそこに入れてもらえる、そんな感じだ。物語の展開を追うのではなく、一緒に歩いて呼吸しているように中に入って一体化してしまう、そんな映画だった。

 この映画で描かれているのは、「人との出会い」、「関わり(融合)」、「生きているということ」の本質のようなもの。こうした題材を、認知症のグループホームと森を舞台に描いてもらえたことは、認知症型のグループホームで働くものとして有難いと思うと同時に、でも、そう!それ以外を舞台にしては決して成り立たないに違いない、というほどまでの実感がある。そう感じるのも、銀河の里で働くその中で、相手との関わりから自分がもらってきたいろんな“本物”みたいなものが自分の中にあるからだと思う。
 認知症という存在の価値、それは決して今の私の言葉ではとうてい表現し尽くせはしないけれど、あの、純粋に自分の生きるテーマにのみ開かれて、入っていき、まっすぐ進んでいくような存在は、他にはなかなか無い。
 私たちは、本質的にはそれを求めながらも、現実の生活を円滑に回し、社会の中でのあるべき振舞いを優先していくうちに、心をすり減らして生きている。自身が抱える問題は、棚上げにしたまま、気づかないようにして、息をころして生きている。そうして自分を守って、同時に自分を殺して。だが、認知症は、逆に人との関わりを常に必要としてくる。我々をもそこにいさせてくれる。その存在に、スタッフは、銀河の里という守りを得て出会わせてもらっているのだろう。

 社会の現実と、認知症の豊かな現実の、間合いに私たちは常に立っている。社会の現実の目線からでは、なかなか認知症の豊かな世界を見通すことは難しい中で、出会い、互いの抱えるテーマのリンクを可能にしたのが、現実から少し遮断され、かつ命のエネルギーに満ちている森という場ではなかろうか。さらに、森は、その中に一歩足を踏み入れると、そこがどこであれ、自分が幼い頃に得た森と同じ感触に包まれる。臭いも音も。自然のものは、社会の縛りから遠い。
 生気の蘇る出会い、それが私たちの目前にある。このことのすばらしさを、実感しつつ、この映画のように、私の立場からなにか伝えていく作業が出来たらと思う。
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残したい気持ち ★グループホーム第2 漆山悠希【2008年9月号】

 サチさん(仮名)は、認知症のために、あったことを長く覚えていられない。食べることが大好きで、自分の分だけではなく、置いてあるものにはなんでも手を出してしまう。ときに他の人の分までサッととってしまうこともあるのだが、サチさんにとってそうなればそれはサチさんのものであって、「とってねぇよ」「知らね」になってしまうのだ 。

 覚えてないので、とったことも、食べたことも、“ない”ことになってしまう。だから、他の人のをとって食べるのはやめてほしいということをいくら伝えようとしても、サチさんは「人の悪口すんな!」になってしまい、最後には「バス来るんだべ?」と全然違う話をもってきて、その場は“終わり”になってしまう。いつもそのパターンで、責めたってしょうがない、病気なんだから…と私は諦めるほかなかった。

 ある日のおやつの時間、サチさんはいつものように一番におやつを食べ終えて座っていた。周りにはゆっくり食べる人や、遅れてくる人がいて、サチさんは気になってしょうがなかったんだと思う。気がつくと向かいの宮子さんがお茶を飲んでいるすきに、宮子さんのお菓子をサッととってしまっていた。私は思わず「それは宮子さんのでしょ、返して」と詰め寄った。宮子さんは何も言わなず、何事もなかったように、穏やかに座っている。サチさんは「とらねぇよ!こいずはもらったのだ!」と言って、クッキーをバクバクと口に入れる。手にはまだ飴を持っていて、「これはおれのだ!」と必死だ。「ちがう、それはとった飴なんだから返して!」と言う私に「なんたらそったな悪口して!おめのことはたいてけるぞ!!」と手を上げる。

 私がその手を押さえてしまうと、「いでぇ、いでぇー」と泣き真似をするが、私はその手を離さなかった。ついにその場は修羅場と化した。「なにすんだ!はたくぞ!ひねってやる!」と言うサチさんに、「いいよ、はだけ!やれ!」と私。サチさんの手を握った私の手を、サチさんはこれでもかと言わんばかりに何度もつねった。「やれ!なんぼでもやれ!」私はどうしたってサチさんの手を離したくなかったのだと思う。離してしまえば、きっとまたそこで“終わり”になってしまうのが嫌だった。とられた宮子さんのことも、こうまでして「返して」と言い張った私の気持ちも、責められて必死になったサチさん自身の気持ちも、サチさんの心には残らない。なによりそれが悔しかった。病気だとしても悔しかった。

 つねってもつねってもびくともしない私に、「この手ひねってやる!」と今度は私の手首を掴んでひねるサチさん。それでも音をあげないとわかると、「わがね」と一言言うと、小鬼のようなサチさんの表情が緩んだ。その顔を見て、“おわり”だとわかった。私も「終わりだな」と微笑み返す。サチさんは「その飴、返してちょうだい」と差し出した私の手に、握り締めていた飴を自分で渡してくれた。

 どこかで少しサチさんと繋がることができたようで、ああ、諦めなくてよかったと、思ったのだった。
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「崖の上のポニョ」と「プリン展」の一日 ★ワークステージ 米澤里美【2008年9月号】

「崖の上のポニョ」がメディアで騒がれている最中、ワークステージのヨシコさん(仮名)もポニョ一色になっていた。昼休み、いつものごとくはにかみつつスタッフに「崖の上のポニョ」のチラシを持ってきてポニョを撫でている。そして、「ポ〜ニョ、ポ〜ニョ♪」と歌う。毎日なので「一緒にポニョ見に行く?」と誘って、お盆休みに二人で盛岡へ出かけた。
 休日に盛岡まで出かけるのは初めてで、お互い緊張していたが、車中の1時間、ポニョの音楽を聴きながら行った。「ポ〜ニョ、ポ〜ニョ♪」とリズムはいいのだが、音程が全く外れた歌をヨシコさんが繰り返す
 「ポ〜ニョ、ポ〜ニョ♪」と何十回も聴いて頭がふらふらになりながら盛岡につく。
 最近出来た新しい映画館に行ったが、時間が早いからか空いていた。ヨシコさんは、大勢の人だかりや、騒がしい所が苦手で、パニックを起こして動けなくなり、泣き出してしまう。映画を見るにもそれが一番の心配だったのでホッとしてチケットを買った。

 時間があったので、盛岡の街を散策。スターバックスで朝食をとり、岩手公園の池を見て、CD店に寄った。ヨシコさんはポニョのCDを買ったがその時初めて笑った。
 ところが上映時間10分前に映画館に行くと、人だかりの山になっていた。ヨシコさんはギョッとして動けなくなる。ここでパニくっているわけにはいかないと、手を引っ張って入り口を突破。ポップコーンをジュースを買って準備し、振り返るとヨシコさんがいない。ずーっと後ろの所で立ちすくんで涙目になっている。「なんだっ?!」とみると、そこに同時上映中の「カンフーパンダ」のでかいのが立っているではないか。そうだヨシコさんは大きな動物が苦手だった!やばい、とっさに私は手で目隠しして、抱き上げるようにしてパンダの前を通過した。このまま勢いで座席まで行きたいところ!!しかし、やっぱり人気映画。満席状態の場内を見て、ヨシコさんは入り口で動けなくなり泣き出してしまった。私は、先に席に行ってポップコーンを置いて引き返し、彼女の荷物をもって、ひきずるようにして席まで突進した。こうしてヨシコさんは息を荒くしながら何とか席にはまった。

 それでも映画が始まったら、二人とも映画の世界にどっぷりとはまった。宮崎監督は「少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに描いて、神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。」と書いている。おもしろいのは、この物語は男性が強い力を持つ存在として描かれていない点である。男性はバカと言われるか、オロオロと慌てるかである。渇いた世の中を変えるのは、子供達の純粋な目で真実を見抜く力と、全てを強く優しく包み込む女性の潤いであるとの思いにふけった。
 見終わった後、ヨシコさんは、「お父さん(フジモト)怖かったけど、ポニョ人間になれてよかったね、お母さん、やさしくてしゅき。」と語ってくれた。

 映画を見終わり、せっかく盛岡に来たのだからと開催中の、プリン同盟の展示会にも立ち寄る。入り口の看板に「芸術はぷるぷるだっ!」と書かれている。プリン同盟はプリンとアートに関わるグループで年に一度、プリンをモチーフにした作品のみの美術展「プリン展」を開いている。
 会場は20人弱の客席でコーヒーの香りがとてもいい喫茶店。店に入った途端、ヨシコさんは8割方埋まったお客さんにびっくり。ギョッとたじろぎ、泣きそうになる。境界さえ突破してしまえば大丈夫との経験則でここも勢いで入って座ってしまう。オーダーを入れたあたりには慣れて、辺りを見回しながら、ニヤーっとわらった。
 ぷうりん(風鈴)、プリンネクタイ、プリガエル、マープリングはがき(マーブル模様)などなど、なんでもプリンに掛けた作品が並んでいる。「崖の上のプリンバッヂ」もあった。このカチコチの社会を揺り動かし崩すのが目的のようなプリン同盟の作品に、ぷるぷると頭が柔らかくなっていく。肩の力が抜けて心がほどけていく感覚にヨシコさんも思わずニマーとなったのだ。

 ぷるぷるに柔らかくなった頭と心で、大きな声でまたポニョを歌いながら帰ってきた。その後、ヨシコさんはますますポニョ一色で、スケッチブック80ページにポニョの絵を描いてくれた。昼休みには踊り付きでポニョの歌だ。
 彼女のポニョ好にどこか私は励まされ、勇気をもらっている。プリン同盟の作品も同じ感じで、しらけた社会を潤す大事な何かがそこにはあるような気がする。
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今月の一句 打つ手なく… ★グループホーム第2 鈴木美貴子【2008年9月号】

 打つ手なく 重い空気に ひしがれて 救ってくれた あなたの歌よ
 

 利用者とスタッフのやりとりの中でお互いの気持ちを思いっきりだしあいぶつかることがある、そんなときそのかたわらにいる自分はどうその関係を支えればいいのか。見守るにせよ、間に入るにせよ。それは当事者としてやりあうよりも難しいことなのかもしれない。言動として動かなくても、その場面にいかに関わるかが、支えになるかどうか決まると思う。見守るにもいろいろレベルやランクがあるらしいことも経験してきた。
 メンバーや状況よっては空気が重くなる日がある。そんな日、和室のクッションチェアに座っていたハルエさん(仮名)の透き通るような声で「春が来た〜♪」が聞こえてきた。重たかった空気が春風が吹いたように明るく暖かくなった。こんな日は利用者のほうがはるかに支えとして頼もしい。ありがたいことだ。

 
 からまって 若さに惹かれ 若がえる あなたの笑顔が 私の命
 

 コラさん (仮名)との話から・・・・・。コラさんは男の人が5号までいる。ある時3号さんが会いに来た。その次の日、「昨日いがったね、3号さん来てくれて」とわたしが言うと「んだ、来てけだった」と笑顔満面。「からまってしまった」「若さにひかれる」という。からまる?????どういうことだ・・・。
 「人は若さに惹かれて若くいられるんだ」というコラさんの言葉と顔をみていると、なぜか「今日もやるぞー!!」と元気が出た。
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