2008年08月15日

超コミュニケーション?!な日々〜その2〜 ★デイサービス 中屋なつき【2008年8月号】

 「あやしい」「くさい」が口癖のデイサービス利用者のレイ子さん(仮名)。だいたいが辛口系な性格の女王様タイプといったこところだ。特に男性に対して厳しい。同じテーブルに座ろうものなら、「あんた!何でここに来んの?!」と険しい顔でそばに寄らせてももらえない。
 テレビの男性キャスターにも「ふん、いい加減なことばっかし!」と叫び、女性キャスターと隣り合わせで話していると、「何やってんの、いやらしい!離れなさいよ!」とテレビに向かって拳を振り上げる。


 ある日、いつになく静かにテレビを見ているので、そばへ行っておはようの挨拶をした。テレビから私の顔へ視線が移って、一瞬の間を置いた…その後「パソニック!」と突然言った。「???…は、はい?なんだって?」私は目が点になって聞き直す。「パソニック、そこに書いてあるでしょう、だから大丈夫」テレビに「Panasonic」のロゴ表示があり「あぁ、そうだね、ホントだ、書いてあるね…」
 気を取り直しソファの隣に腰掛けて、しばし一緒に高校野球観戦。
「若い人たち頑張ってらね」
「そうよ、パソニックだもの、いっつもだから大丈夫」
 かみ合わない会話ながらも応援する気持ちは一緒だと私は感じるのだった。
 そのうち、ふと膝に置かれたレイ子さんの手元を見ると爪が伸びている。思わず「あら、結構伸びてるね」と、その手をとった途端、「いいの!」と私の手を振り払う。
「これが長いおかけで勝負に勝つんだから!」掌をピンと張り、指を立ててこちらにかざしながら、
「これが白いうちは野球が負けないの!」
「???…再び目が点でござるよ、レイ子さん」
 私は半分独り言のように言いながら、これじゃ今は爪切りできないなと一旦諦める。
「そ、そうだよねぇ、長くて白いもんねぇ」自分でも何を言っているのか解らなくなる。


 10分くらい時間が過ぎて、気持ち切り替わったかな、と探りつつ、持ってきた爪切りを無言でヒョイッと目の前に出して見た。すると・・・。「おや、あんた、切ってくれんの?」と返ってきた。パソニックも野球もさっきまでのこだわりは消えていて、笑顔で手を差し出してくれる。ちょっと拍子抜けしつつも笑顔を返し、無言のまま爪切り開始。何かしゃべったら、レイ子さんの気が変わりそうな気がした。
 「案外と上手にやるねぇ、最初はなんだかあやしいと思ったけんども」片手が終わるとやっと一安心、話をしても大丈夫な感じになる。
 「そうでしょ、上手いんだよ、私」と調子に乗ると、「肉まで傷つけないように、しっかり!」と気を引き締める一言。「女同士だから大丈夫!長くて白いもんね、パソニックだから!」訳のわからないことを再びつぶやく私。それにしっかりうなずいてくれるレイ子さん。


 なんだかどこか繋がった余韻を残して、無事に爪切り終了。かみ合わないけど繋がれる。この不思議な感じが面白くてたまらない。今日もどんなズレ具合を披露してくれるかレイ子さん、思いっきりこだわり続けてほしいと願う。

 正解を脅迫的に求め、ズレることを許さない現代社会はあらゆる事から繋がりを失ったが、思いっきりズレながらそのズレのおかげできちんと繋がれるレイ子さんに人の不思議な関係を教わる思いがする。ズレてはずすことが、逆説的にきちんと繋がることに関わっているに違いない。ズレることが許されなかったりすると、人間は繋がったり理解し合ったりすることもできないのだろう。

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今月の一句 夕涼み… ★グループホーム第2 鈴木美貴子【2008年8月号】

 夕涼み 蛍もおどる 宵宮の 太鼓の音と 神楽の踊り


 生きてきた 旅路を思う 宵宮の 他人に負けても 己にまけじ
 

 八雲神社の宵宮にコラさん(仮名)を誘ったが「目が見えねくてわがね。暗くてわがね、歩かれない。」と拒否。「大丈夫、ちゃんと転ばないように支えるから」というが「なにしてここの人はそうだべ。見えなくてわがねえのだ」とがんとして動かない。「じゃあいい」と諦めた。次の日、私は早番で「おはようございます」と声かけると布団の中から「おはよう」と機嫌はいい。体を起こすと「心いれかえた」と一言。えっ????昨夕の誘いが強引すぎたかな・・・・コラさんと楽しみたかったのにコラさんを考えさせてしまったのかな・・・・・。、コラさんはそのまま語り続ける。「自分に負けないように生きてきた」「自分に負けるな。我に負けるなって生きてきたった」「他人に負けても自分に負けるな」「今の人は自分に負けるから人殺したりするんだ」とラジオできいた事件の事を話す。生きるって戦い、それも自分との戦い。
 その後、「昨日のなんじょだった?話聞かせて。神楽どうだった?」と言ってきた。「神楽もいがったよ。太鼓もよかった。紫波の金山太鼓の人たち。」というと「太鼓か、今までなかったな、んでいがったんだな。昼間だば行ぐどもな」とコラさん。「んで今度は昼間にでかけるべし」というと「秘書さんお金かけなくて楽しめるとこ探して」一緒に行けなかったが良かったと伝えて、コラさんのにんまり顔がみれた。
 行きたいけど暗くて目が悪くて、みんなに迷惑がかかる、気をつかわなければならない、行きたいけど行けない、我慢して自分と戦っているのかな・・・・。コラさんは、目が見えなくなってきた自分と戦い、負けるなっと自分に言い聞かせているんだろうか。
 コラさんも私もこれからどんな戦いをして、歳を重ねていくのだろうか・・・・・。

 あの世へも 体に任せて 生きていく 死ぬのは嫌でも あの世は楽し
 

 久々のグループホーム勤務で コラさん(仮名)の部屋へ。
「おはよう」と表情やんわりのコラさん。でも話は、「死ぬの近いかもしれない・・・」と暗い。でも、表情は柔らかい、その時の コラさんの言葉。
「人間は死を恐れてはいけない」「体のありのままに生きていけばいい」
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笑顔の力★ デイサービス 藤井覚子【2008年8月号】

 銀河の里では、月に一度、介護予防教室や温泉デイサービスを実施している。それを通して感じるのは、笑うことが元気の源になっているということだ。
 温泉デイサービスでは50名程参加し、レクリエーションや歌、体操等毎回様々な活動をしている。特にレクゲームでは、「あはははは!!」と声を出して笑うほど盛り上がることもある。できなくても間違っても、なんだかそれがおもしろくて、みんなで声を出して笑ってしまう。その瞬間、ものすごいエネルギーを感じる。参加している方からも「笑うことが一番健康にいいんだ。だからここさくるのも楽しみにしている。」と嬉しい言葉が聞かれる。声を出して笑うことは一番の健康法じゃないだろうか?

 ある時の温泉デイで、「笑顔は化粧いらずだな」と話してくれたサツキさん(仮名)のことを思い出した。サツキさんとの出会いは温泉の部屋に飾ってあった一枚の掛け軸だった。掛け軸をジッと見つめていたサツキさんが「あれ、なんて書いてるんだべ?」と私に尋ね、近くにいた人みんなで宙書きをするうちに「仁者寿」という言葉だということが分かった。「徳がある人は幸せになれるということなんだ。いい言葉だ」と満足そうな笑顔で帰った。
 ひと月後サツキさんは「仁者寿」と書いた自分の作品を持ってきて見せてくれた。「書道、習っているから書いてみた。へたくそだけど見せたくて」と少し恥ずかしそうに話しながらも、その眼はイキイキとしていた。せっかくの記念だからとその場で写真をとった。サツキさんは照れながらも「あやもうしわけないな」といって自分の作品を披露してくれ、本当に嬉しそうだった。

 そのまたひと月後に現像した写真を渡すと「あや!立派にとってもらって。ありがとう」と話し、まじまじと写真を眺めながら一言。「笑顔はいいな。笑顔は化粧いらず。」その言葉を聞いたミキさん (仮名)は「なんたらおめさんからいい話聞いたじゃ」と話し二人で顔を見せあい笑っていた。その二人のやりとりをみているだけで、なんだか温かい気持ちになった。
  家に一人でいるだけでは、なかなか笑う機会なんてないし、テレビとのにらめっこになりかねない。人は人と出会い、話をし、笑うことができる。高齢者の生きがいや楽しみの場が限られてしまう状況にある中で温泉デイサービスは「みんなが集まり、楽しみ、出会い、笑う」機会として大切にしたい。毎回、皆さんのパワーに押されぎみな私だが、皆さんの笑顔に背中を押されてこれからも走っていきたい。
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パリの旅 第二回 ★グループホーム第1 西川光子【2008年8月号】

 パリの初日の朝食は香ばしくパリパリと軽い歯ざわりのフランスパンで始まった。それにたっぷりのジャム、野菜サラダ、フルーツとスイーツ、入れ立てのホットコーヒーだ。
 食事はペンションの旦那さんと奥さんがどちらか交替で同席してくれて、身振り手振りでけっこう会話を楽しんだ。写真などを見せてくれて通じない言葉をつないでくれた。
 テーブルの上のお皿、ポット、パン用バスケットなどもヨーロッパらしさをかもし出していて、紙ナプキンもカラフルで華やかさがあり、おしゃな心地良さを感じさせられた。


 1日の予定をペンションのオーナーに話すと、バスの時刻を調べてくれてバス停も教えてくれた。ありがたく感じながらバス停に向う。途中、早朝にもかかわらず一目で物乞いとわかる薄汚れた身なりの中高年の男性が私達に近寄ってきた。いまにも”いくらでもいいです”と手をさしだす勢い。平然と堂々と掛け合ってくるのにドキッ!!したが無言で・・・通り過ぎた。いわゆるホームレスの人だと思うが、日本ではこのように迫られることは滅多にない。迫り方にお国柄の違いを感じた。
 バス停は簡単に見つかった。それは風除付きで椅子も沢山備え付けてあり、ゆっくり休めるようになっている。バスの利用頻度の多いのが解る。バスに20分も揺られると町の中心部に到着。
 街並みにはビルは全くなく石造りの建物ばかりで、1階から2階にかけて手の込んだ彫像が飾られており、風格と芸術的雰囲気が漂い、歴史豊かな西洋を感じさせる。

 今日の目的は、パリ発祥の地と言われるシテ島にそびえるノートルダム寺院へと向かった。中世フランス建築の最高傑作といわれ、200年もの歳月を費やして完成されたというその塔の姿が目に飛び込んできた。30年前と全く変わることのないその佇まいに息をのみ、心を奪われる瞬間であった。ノートルダムはゆるやかに流れるセーヌ川の流れにたたずみ、夢の世界への入口のようでもあった。しばしそのシルエットに吸い込まれて眺めていた。少し場所を移動して眺めると又別な雰囲気になって、不思議な魅力を感じた。
 平日だが、世界中からの観光客でにぎわい、セーヌ川の遊覧船は満員の人々を乗せ華やかな雰囲気だ。
 30年前、このノートルダム寺院前の広場に訪れたときはまだ殺風景で、ボーとのんびり過ごせる感じだった。私は寺院の中から聞こえてくる荘厳なパイプオルガンの音色に酔いしれ、ぼんやりと寺院の正面の姿に見入っていたその時、新聞紙を広げた数人の男の子達にあっという間に囲まれ”えっ何?”と思っているうちに彼らはさっと消え去った。
 何だったんだろう・・・とバッグの中を見てみると財布がないではないか!!えっえっどうしよう。警察官に訴えたが”財布は無理”とあっさり言われた。悲しみといらだちと不安で途方に暮れたあの日のことが思い出された。

 今回は全くと言っていいほどそのような危険は感じられず、そういった子供達の姿は見えない。観光客の増加と共に警察の取り締まりが強化されたらしい。しかし私はそのときの苦い体験から、自ずと肩掛けバッグを握りしめ、知らず知らずに手に力が入っている。 今回の旅はどのような心境の自分に出会えるのか、というどこか自分を客観視する旅でもあった。こうした感性は「銀河の里」において、心のひだをそっとすくい上げたり、イメージでその人の中に寄り添ったりと、人間の真髄に迫ろうとする日々の影響によるものだろうと思う。
 それにしても30年前、ハネムーン旅行なのになぜ一人ノートルダム寺院の前でボーとしていたのか・・・・。それは私にとって人生最大といってもよい出来事だったかもしれない。その心境を回想しつつ、心の旅路をたどってみたいのだが、その訳は次回で・・・。
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おすすめの本 『坂の上の雲』 ★施設長 宮澤京子【2008年8月号】

『坂の上の雲』1〜6巻 司馬遼太郎著 文藝春秋1968-1972(産経新聞に連載)
 
 司馬遼太郎の長編歴史小説で、維新を経て明治という時代を生きた正岡子規・秋山兄弟の三人を中心に、日露戦争という途方もない戦いを、これら「楽天家達」が、まるで坂の上の雲を掴まんばかりに、命をかけて突き進んでいく姿を描いた作品である。
 6巻を読み終えるのに2ヶ月を要した。なぜか一気に通して読むことができず、途中にその他の本を6冊挟まなければならなかった。私のなかで初めて「私の国籍である日本」「日本人である私」そして「私が生きているこの時代」を日露戦争という歴史の視点から見つめる機会が与えられ、流し読みしてはいけない・・・  「考え、考え」そして「休憩」を入れながら・・・といった感じで進んだ。折しも読み終わりは8月3日で、原爆投下と終戦記念日の真近であった。

 20世紀初頭の帝国主義の中にあって、 日本は農業の他に産業もなく資源の乏しい、極東の小さな国だった。1904年に日本が日露戦争に踏み切らなかったか、負けていたなら、日本は植民地になっていたはずだ。大国ロシアに勝ったというのも奇跡に近い。ロシアには世界最強の騎兵といわれたコサック騎兵集団と、無敵とうたわれたロシア海軍のバルチック艦隊があった。この小説の主人公である伊予松山出身の秋山好古、真之兄弟はこのふたつと戦い、兄は陸軍少佐として満州でコサック騎兵隊と壮絶に戦って破り、弟は連合艦隊参謀として、日本海海戦の作戦を練り勝利に導いた。
 初めのうち私は、この「勝利」の謎が知りたくて読み進めたが、司馬は日露戦争の勝利は、敵失も含め参謀達の綿密な計算に基づいた作戦を粛々と実行したからであるとしながらも、それは薄氷を踏むような綱渡りの勝利であり、どうみても「日本が勝ったのではなく、ロシアが妄想によって自爆して負けたのだ」と言っている。


 日本政府は、その戦争の実態を国民には説明せず、国民も知ろうとはせず、勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになった。その部分において日本は民族的に痴呆化したとも表現している。日露戦争の勝利によって、日本は近代国家の仲間入りをするが、それはとりもなおさず帝国主義の仲間入りであった。日露戦争を境にして、日本の国民的理性が後退して狂躁の昭和期に入り、太平洋戦争に突入していく。狂躁は1945年に日本の広島・長崎に世界初の原子爆弾が投下まで続き、降伏しポツダム宣言の無条件受諾により敗戦となる。
 敗戦時、戦車連隊の士官であった司馬遼太郎は、この瞬間から日本と日本人とは何かを考え始めたと言う。高い志を生きた日本人が、なぜに理性を失い狂躁的妄想にやられて堕落してしまったのか。最晩年の司馬は、「あのときより今がさらにひどいんじゃないか」と対談で述懐している。つまり日本人は敗戦の廃墟の中から信じられない尽力をして奇跡的な経済復興を成し遂げ、世界の経済大国に躍り出たが、いつもダメなのは勝った後だ。その後の冷静な分析、認識ができないまま傲慢に溺れ、理性をうしなった恥知らずな行動に走る。
 日本は長い鎖国の後、近代、現代の流れの中で国際社会とつきあわざるを得ない状況になったが、そこで大事なのは、日本人らしさや日本の文化を失わず更に深めていくことである。日露戦争も経済復興も、どん底で守りの戦いはものすごい力を発揮するものの、勝った後がひどくなる。急速に方向性を見失い自分がなくなる。

 韓国の初代文化相のイ・オリョン氏はこれらを『「縮み」志向の日本人』と言う本で論じている。拡大路線の中では日本は失敗してきたが、縮小路線では実に絶妙の生き方ができるというのだが、日本の文化は宇宙を俳句や庭園、盆栽など小さなもののなかに縮めることが得意な文化だと言う。拡大して他を脅かすのではなく、繊細で微かなもののなかに宇宙を遍満させるたり、モノを通じて命を感じる感性は、異文化や他者が共存して生きる知恵として無双の文化だと思う。この知恵を国際社会に発信する志こそ21世紀の日本の若者に求めたい。しかしその価値を今の大人は全く理解できていないのが現状だ。大人に公への大志がなければ若者の志が育つ土壌がなく、若者は個人の内側に鬱屈していく傾向になるばかりだ。

 司馬がこの本で語りたかった「楽天家達の志」───  明治維新を経た彼らが、ロシアという絶対勝てるはずのない相手にさえ立ち向かっていく志と情熱こそ、受け継ぐべき姿勢ではないかと思う。唯一の被爆国となり、戦争放棄を明文化した日本国憲法第9条を得た日本は、本気で世界に平和を語りうる国だ。現代の「楽天家達の志」は、人類の大きな敵「戦争」に対して、あらゆる叡智を結集させていくべきである。司馬自身は映像化に対して否定的だったらしいが、夫人の許諾を得て、NHKが来年から「21世紀スペシャル大河ドラマ」として「坂の上の雲」の放送が始まるそうで楽しみだ。この映像化には、今の日本と日本人を深く見つめなければならないという意図があるのだと思う。


 戦争賛美やパワーへの信奉が強くなりつつある狂躁・妄想の渦の底にある現代日本において、必要なのは日本文化に深く根ざした若者の志ではなかろうか。国際社会に面と向かって「和を持って尊しとなす」と叫べる日本人像を期待するが、それは高齢社会のまっただ中の、介護現場において、人間の老いや死を透徹したまなざしで見つめうる、深い日本文化の奥から可能性が開かれるにちがいないと期待している。
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殯(もがり)の森とグループホーム ★グループホーム第2 板垣由紀子【2008年8月号】

 銀河の里の6月の研修セミナーで、『殯の森』を観た。この映画は、会話らしい会話がほとんどなく、ストーリーで展開する作品でもない。グループホームの新人スタッフマチコと認知症の利用者シゲキさんを軸に展開する全面心理描写といった展開だ 。

 マチコはどこか影のある女性。居間に集まりみんなでお坊さんによる説法を聞くシーンで、シゲキさんが「わたしは生きているんでしょうか?」と問いかける。「“生きる”には2通りある。ひとつは、食べる、排泄する、寝るということです。」「もう一つは、実感です。」とお坊さんが答える。そして、マチコさんに 「シゲキさんに触れてみてください、優しい言葉をかけてください。これが実感です。」と説く。
 お坊さんという宗教性の体現者でありながら、現代では全くその実感を失った、遺跡のような存在が作品の早い部分で登場し、「生きる」「実感:リアリティ」を語る。まさにこれは現代と現代を生きる我々の深いテーマである。生のリアリティの喪失という現代の宿命を、死の側から照射することの意味をとらえ直そうとした視点を感じる。 マチコは事故で、子どもを亡くしたことにより、笑うことはおろか、泣くことも、怒ることもできず、感情を奪われてしまった状態だが、こうした設定はマチコ=現代人、若者、現代社会そのものだ。


 マチコは掃除中、シゲキさんの鞄をさわる。それはシゲキさんの“怒り”を引き出して、突き飛ばされ怪我をして、(一つめの実感)。この仕事を続けられるかと悩む。主任は「こうしなきゃいけんことはないからね。」と言葉をかける。(生きること、にはマニュアルはない。)
 シゲキさんが木登りをしていて木から落ちてしまう。マチコがかけつけると、シゲキさんは突然走り出し、マチコが追いかけていく、二人の鬼ごっこが始まる。はじめは必死のマチコだったが、隠れては飛び出すシゲキさんを追いかけながら“笑いあう”。最後は“遊び”になり、そこに笑いが帰ってくる。(二つめの実感)

 マチコとシゲキさんが車で買い物に出かける。途中で車がはまってしまい、助けを呼びに行くが人は見つからず、戻ってみると、車にシゲキさんの姿がない。ここから二人は深い森をさまようことになる。森は、“異界、精霊、”現実の時間軸とは、ずれたところにある。周りから遮断された世界でシゲキさんは何かに突き動かされるように歩き回る。誰にも止められない何かがある。それに翻弄されながら、ついて行くしかなかったマチコだったが、どんどん突き進むシゲキさんが、川を渡ろうとした時「行かんといて〜!」と泣き叫ぶ。子どもの死とリンクして“泣き、叫ぶ”。(三つめの実感)このあと積極的にシゲキさんについて行くマチコ。二人が行き着く先は、“真子(亡くなったシゲキの妻)”( 殯)シゲキさんが求めていた場所。(殯とは喪上がりからきたことばで、亡くなった方を送る場所、またはその方の眠るところ?*要確認)そこに穴を掘り体をうずめ満たされた顔のシゲキさん、それを見つめるマチコ。シゲキさんからオルゴールが手渡され、天にかざして奏でるマチコ。ヘリコプターの音が聞こえている。
物語はここで終わる。


 ヘリコプターの音が、わたしには、現実にちゃんと戻れる、しかもリアリティを取り戻し、何かと繋がって戻れるんだろうな。そう感じさせた。いつかもう一度見た時には、自分の心境によって又違った見方をするのかもしれない。

 殯の森がグループホームを舞台に描かれたことはグループホームの現場にいる人間としてありがたいと思うし重大な意味があると捉えたい。現代社会では、ここまで深い出合いは、一般社会ではおきにくい。関係を求めない、繋がることを求めない。求められるのは効率と目に見える成果。自分を殺し、それに合わせて生きていくしかない。求められる自分を演じ、はみ出したらはじかれるのではないかという恐怖と隣り合わせで、正解を出すために脅迫的になる。それが現代社会ではないか。


 認知症の世界はその対極にある。全てが実感であり、感情だらけだ。何ものにも支配されないその自由な魂がある。それと真っ向向き合うという極限の生がある。そこに現代が失ったリアリティを回復させる根源的なエネルギーがある。その可能性を持った関係性の場としてグループホームがあると銀河の里はとらえている。 殯の森と銀河の里は全く同じテーマをもって存在していると確信できる。
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河合隼雄先生追悼シンポジウムに参加して ★ワークステージ 高橋健【2008年8月号】

 7月21日に東京の九段会館大ホールで行われた「箱庭と河合隼雄先生」という河合先生を追悼するシンポジウムに理事長と僕の2人で参加した。会場には800人もの聴衆が集まっていた。僕は初めてシンポジウムに参加するということもあり、様々な分野の識者の話しから、どんな知的滋養を摂取することができるのかと期待しながら、「その時」を待っていた。


 シンポジウムの構成は三部に分かれており、第一部は翻訳家であり演劇評論家でもある松岡さんと脳科学者の茂木さんの講演となっており、第二部は臨床心理士の高野さんによる「箱庭療法による心理療法のプロセス」と題された事例発表。第三部は松岡さん、茂木さん、高野さん、京都大学の河合俊雄さんによる全体討論という構成になっていた。

 第一部での松岡さんの講演は、ご自身の専門であるシェイクスピアの著作を引きながら、まさに目から鱗が落ちるような議論を展開されていて、僕と理事長は「頭いいなぁー」と思わず感嘆してしまった。続く茂木さんの講演は数年前に「脳と仮想」というご自身の著書で<クオリア>(意識の中で立ち上がる、数量化できない微妙な質感)をキーワードに展開していた議論と、ほとんど変わらない話しをされていて、知的想像力を喚起するような話しではなかったのだが、茂木さんの人生経験も交えながらの洒脱で軽妙な語り口に僕はすっかり心を奪われていた。「肩の力が、程良く抜けた知識人」という印象を受けた。

 茂木さんは講演の中で、宇宙の中の森羅万象は、その客観的なふるまいにおいて数字に還元することができ、方程式で書くことができ、数字に還元できないものはこの世界に存在しない、または無視してもよいという近代の科学的世界観に、情熱的でラフな口調で批判を浴びせていた。茂木さんが敬愛する河合隼雄や小林秀雄やアインシュタインは、この強大な敵に闘いを挑み、勝負を決することができぬまま、果てていったのだと。

「私達は<近代の檻>の虜囚なのではないか」なんて、一丁前に勿体ぶった疑問を抱き始めたのは僕が大学時代に貪るようにして本を読み始めた頃である。政治学や経済学で理論を構築する際に、政治や経済を運営するプレーヤーは人間であるので、必ずモデルとなる人間像を定位する。その人間像が、科学的世界観に毒されすぎていて、どれもこれも陳腐なのである。(人間は、常に理非を弁別しながら行動するといったもの)科学的に推し量ろうとしても、そこから溢れ出す所にこそ人間の本質があるというのに。近代という時代は論理的一貫性や整合性を追求するあまり、「理性的主体」などといった「ありもしない主体」を創りあげてしまったのだ。
 私達が生きている社会制度は、このような「エロス」や「他者」を全く欠いた、徹頭徹尾「ロゴス」を追求する近代的人間観を前提にして成り立っている。おそらく現代社会は社会制度の構造上、「エロス性」や「他者性」を醸成するような空間を欠いているのだろう。
 
 第二部での事例発表は、心的な病を患った青年が数年間に渡って作り上げた250を超える箱庭をスクリーンに映し出して、高野さんが、その箱庭を作成した時の青年の状況や内的世界の変遷を説明していくという非常に内容の濃い事例発表だった。スクリーン上からでも圧倒されるような印象を受けたが、実際に箱庭を作成する場に居合わせたら、さらに濃密な内的世界観に触れられるのだろうなと思った。


 第三部での全体討論では、箱庭を作成したことがある茂木さんが早速手榴弾を投げ込んだ。茂木さんは次のように主張した。箱庭を作成している時というのは、言葉に出来ないほどの内的なパワーが溢れ出している。その世界観を、ただスクリーンに映し出すだけでは、到底伝えられない。銀河の里のスタッフの皆さんはお気づきだろう。この茂木さんの主張は、銀河の里が抱える喫緊の課題と通底している。ついに「その時」がきたぁー!!と、血肉をわき踊らせたものの、茂木さんの手榴弾は不発で、識者の方々は静まりかえってしまった。それほど難しい問題なのである。


 常に揺れ動く運動体である銀河の里で起こっている出来事を言語化して、他者に伝達するのは絶望的なほどに困難である。近代的な価値観によって編成された言語体系を用いて銀河の里を表現することは不可能だろう。ただ、こうも言える。言語によって表現不可能だからこそ、言語を用いて表現する欲望が喚起され続けるのではないか。僕は、これからも銀河の里について語り続けることを止めないだろう。
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銀河の里は「個室ユニット型特養」にどう夢を描くのか(2) ★理事長 宮澤健【2008年8月号】

 ユニット型特養という新しい制度が生まれる中で、これがこれからの未来型ケアの場だと期待できるかというと、期待感や希望が全く持てないのが現状で、これはいったいどういう事なのだろうかと考え込んでしまう。
 これから本格化する高齢者の介護をただの問題としてしか制度は扱っておらず、そのラインから出てきた問題解決方法、つまり対策でしかないことが大きいだろう。そんなものから未来への夢や、展望は生まれようがないない。
 しかも高齢者や介護者にとってよりよい環境の整備という前向きな姿勢よりも、どうやれば社会保障費を抑えられるかという、経済的状況からの施策の上に出てきているので、その具体的内容を知れば知るほど、近い将来の高齢者介護の実態は惨憺たる状況に陥ることがありあり見通せる。
 利用者からすれば、経費負担は甚だしい上に、しかも個室であるのはいいのだが、それだけの個が日本人に育っているかどうかも疑問で、独立ではなく孤立、孤独化する可能性は充分にある。おそらく高齢者は孤独地獄のなかでほったらかしにされ、バカ丁寧な言葉使いとは裏腹に、関わりや関係性を遮断され、人生がなんたるか、自分とは何だったのかという人生の最終章の総仕上げの仕事を放棄せざるを得ず、あの世ともこの世とも繋がりを絶たれて行き先を失って悶絶の苦しみを味あわされることになるだろう。
 そうした人間のもつ心理的課題を制度が全く扱えないのは仕方ないにしても、現場の介護の専門性がそれらを全く語り得ないのはなぜなのか。人間の心は一切ないことにして事が進んでいく時代性があるようだ。
 自らの死、あの世という課題は、かつては宗教が担ってきた重要テーマであった。それが個人に極端に委ねられたのが現代である。我々は諸宗教が語るあの世を信じる事は難しくなったし、日本人がご先祖様になっても尊敬される可能性はほとんどない。心のよりどころとして家族は最後の砦だが、それも、個々が生き延びるのに精一杯で、世代間の介護や養育、教育に丁寧に手がかけられなくなり、家族も機能化して、人間としての関係性をほとんど失いつつある。介護が社会化されたのは、時代の要請で会ったはずだが、介護が持っていた、心の繋がりを含む全体を捉えていかなければ大きな過ちにつながるに違いない。作業としての介護の部分を社会化するだけでは、繋がりという人間の基本的な精神の支えを失う可能性があることを忘れてはならないはずだ。


 人間は出生を祝い、成人を祝い、結婚を祝い、死を悼む。自分が死ぬことを知っている人間にとってそれぞれの通過に意味を見いだす必要がある。老い、病み、死に向かう過程は単なる通過ではすまない何かを人間は持っているはずだ。制度やシステムはそうした象徴的な意味を見落とす。第三者評価も情報公開も書類の整備を見るだけで、生きている人間には目をくれようともしない。いま、福祉の介護現場の周辺は人間否定と生命の否定が想像を絶する勢いで渦を巻いている。こうした事を10年も続ければ社会も人間も関係性や生命感を壊滅的に失ってしまうだろう。そういう所に人間が人間らしく生きていけるはずがない。福祉施設はこのままでは数年で最も人間を疎外した、加虐的な組織、社会となってしまう。そしてそこで働く介護者のほとんどが、非人間的な人格を持たざるを得ず、日常的な虐待が行われる恐れは現実の事になりつつある。
 命を見つめるまなざしを失うということはそうした危険をはらんでいる。その最も危険度の高いのが福祉施設という現実がある。我々はあくまで人間とその命を見つめその尊厳を勝ち取る戦いを今求められているといていい。
 特養ホームが4人部屋より個室がいいのは当然だとおもわれるが、安易に個室になればいいと考えるのは浅はかだ。日本は元々個室の文化ではなかった。戦後個室化が進んだが、それが良かったとは言えない面が多々ある。子どもが閉じこもったり、話をする機会がなくなったり、父親の存在感が全く薄くなったりしたのは個室を安易に取り入れた影響も大きいはずだ。
 自我の確立が大前提に育つ西欧においては、個室があろうと個と個はきちんと向き合い、やり取りを失わないだろうが、自我が曖昧で、どことなく繋がっている感じでまとまっている日本人に個室が入るといっぺんに繋がりが消えてしまう。
 戦後の住宅様式が日本人の自我のありようと絡んで、家族の繋がりや関係性の喪失に大きな影響を与えてきたことも反省しながら、個室化に関しては安易に考えるのではなく、様式の革命的な変化にどう対応するのか、意識や、考え方、生き方まで深い変容を求められる事だとまず理解しておく必要がある。
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