2008年07月15日

コラさんとわたし ★グループホーム第2 板垣由紀子【2008年7月号】

 新年度になって、新人スタッフが加わり、チーム作りに手間取る時期が続いた。私はグループホーム全体の見守位置に張り付かねばならない立場に専念せざる得ず、コラさんにジャックされるがまま身を委ねるようなゆとりがしばらく持てなかった。
 最近になってよもぎ餅をついた日、久々にコラさんの部屋でドンと腰を落ち着ける事ができたときコラさん私に言った。
「イシドリヤ(私のことコラさんは住んでいるところで呼ぶ)だけはと信じてら〜のにと思ってらった。俺もわがねぐなって甘えるがと思ってらった。」コラさんは、おまえを信じて、呆けたらおまえに甘えようと思っていたのに、おまえは俺を棄てていってしまったとコラさんらしく皮肉まじりに私を責めているのだ。それでもヨモギ餅を「うまい」とほおばる。コラさんの饒舌は止まらない。
 「豊さんが唸るのも民謡歌ってらな〜、サチさんが怒鳴るのも浪曲18番始まったな〜と思うごとにした。」と言う。ものは考えようだというのだ。それができればたいしたもんだ。悲観的なタイプのコラさん。「言うのはたやすいよ」と私は吹き出しそうになる。「ユーモアもなぐさねようにさねば〜。人間面白ぐねばふくれてしまう。朝の空気ぬげ(温かい)いがった。(よかった)。神経でうんと変わるんだ。」
 そうそうその通りと久々のクラさんトークに浸りながら納得しながら、「クラさんもよろしくね」と言ってしまいそうになる。「悩まねば人間でねんだ。餅だばふくれてもいいが、人はふくれてはわがね。」全くその通り。
 「黙って任せよう〜。譲った以上は、黙ってやね〜ど。」 コラさんは自分に言い聞かせているのか、深い言葉をはきながら、「♪なかなか思うようにいかねもんだ〜」と歌を歌っている。そうやって毎日あがいているコラさんが人間らしくて好きだ。


 実はこの日、私は結構落ち込んでいた。自分が誰とも繋がっていなくて、“独り(ひとり)”の気がして、変な一日だった。コラさんの部屋で話し込んで救われた。コラさんも、あんたに救われたって・・・・。お互いな〜んにもしてないまま救われたりする関係が面白い。
 イケイケの私も、基本がイケイケだからこそ「あちゃ〜」と悩んだり、「オッと〜」とずっしり重たくなることもある。自分で自分が嫌いになることもある。それは、出してしまった自分と向き合う人との関係で起きてくる。人から理解されがたいところもコラさんと似ている気がする。
 悩んで重たくなるとすごく苦しいけど、な〜んにも関わらずシラ〜と生きるより(もう、きっと出来ないけど)深いところを生きる事ができると信じている。



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コメさんの転倒と、骨折 ★グループホーム第1 前川紗智子【2008年7月号】

 あんなに歩いて歩いたコメさんも、今年の正月はなんだか元気が無く、椅子に座ってウトウト居眠りなんてことも多くなり、体が年を感じてきたのかなぁ”なんて思っていた。ところが春になって、いろんなものが始まりを迎えると、コメさんも以前の感じを取り戻したかのように、パキパキ、せっせと仕事モードになってきた。“よしよしいいぞ、私もコメさんに引っぱられて、里の暮らしをいろいろ学んで育ててもらったんだ。今年の新人さんを引っぱっていってほしいなぁ・・・”。
 でも、ここでしっかり意識しなきゃいけなかった。もう私が鍛えてもらっていた頃の体ではない。気持ちが年取らないことはすばらしいことで、その気持ちで体を支えているという側面もあるが、気持ちのレベルと体のレベルがアンバランスになればなるほど、リスクも大きくなる。そのことにコメさんが転倒してから気付いたのだった。
 転倒して歩けないコメさんと、すがるような思いで病院へ行く。だが、レントゲンがうまくとれず診断できないとの事。ちょうどゴールデンウィークの前だったのだが、連休明けに再受診をするように言われる。その病院では骨折の手術はできないとのことだった。そうであれば、骨折の疑いがある時点で、他の総合病院への紹介を期待したが、そうしてはもらえなかった。祈るような思いと絶対安静の状態で、長い長い連休が明けて、再受診に家族さんと共に行った。骨折となれば、紹介状をもらって手術のための転院する必要があるが、午前中でなければ受付けてもらえないので焦る。しかしなかなか順番がこない。。診察券は並んで出したのに・・・。2時間近く待って、診察室に入るなり信じられない言葉。
「手術する気ないでしょ?」
 え?!びっくりしすぎて言葉も出ない。“そりゃ手術しなくても済むならしないし、必要ならするでしょ?まずその骨の状態見てから処置の選択肢おしえてよ・・・”家族さんへもどうなのかと言葉がとぶ。家族さんとしては、手術は必要であればしてもらいたいが、認知症だから、そこをわかった上で、適当な対応を得られるかが心配だというものだったのだが、家族さんが「認知症もあるので・・・」といいかけたその話の途中に割り込んできて医者はこういった。
「手術しても意味があるかってことだよねぇ」“はぁ?何言ってんの!”
「もともと歩かないんでしょ?」“誰がいつそんなこといったんだよ!歩いてたし。” もう怒りを通り越してあきれてものも言えないとはこのことだ。やっとの思いで、「歩けるし小走りだってするし、他の人よりも元気なくらいだったんだ」ということを伝え、だからできればまた歩くことを目指したい、当然手術を希望することを伝える。「まぁまずレントゲンとって」“そうだよ、それさきだろ・・・”


 レントゲンの結果、きれいに骨折していた・・・。やっと紹介状をもらうが、総合病院の午前の受付は終了。ドクターから電話を入れてもらって今日中に総合病院で受け入れてもらえるよう手配してもらえないかと相談するがそれも叶わなかった。
 診察室を出て、家族さんも私も言葉が出てこない。やっと「これはないですね。」とぼそり私が言うと、息子さんも「ありゃ医者じゃなくてただの骨接ぎだな。」いやいや、もう骨接ぎ以下だ。骨のことだけでも見てくれればいいのに、認知症の骨折は直す価値なしとみなして骨すらみないという域だった。認知症に対して無理解、曲がった見方をしている。それはそれで出会いがなければわからないのだし仕方の無いことかもしれないが、それを医者として診察室に持ち込んでほしくなかった。人として、息子さんに浴びせてほしくなかった。


 人は、診察室の椅子に座った瞬間に、その人ではなく、「患者」になる。患者で重要なのは患っている部分であって、その人全体ではない。だから医者には骨や、認知症しか見えない。その人の全体、人生や暮らしはなおざりにされて、患者としてしか存在を許されず、全体性が切り刻まれるようにしてその人は傷つけられる。これは病院において端的に表れるが、私たちもそれを承知で、病院を健康の為に利用しているのに過ぎない。それが本末転倒して、社会全体がそうした人間分断の圧力を高めつつあることは問題だと思う。
 その後、コメさんは総合病院で無事手術し、1ヶ月弱の入院の後、銀河の里に戻り、今では手引き歩行もできる状態までに回復してきている。


 今回の事から、我々現場の覚悟として、認知症への理解がまだまだ低いなか、認知症の人の暮らしや人生のありようを、しっかりと外へも伝えていく力を持って対峙しなくてはならないと感じたのだった。



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スパークリングスパーク(最終回) ★宮澤健【2008年7月号】

 スパークリングスパークはまさにこうしたロダンの仕事の延長線上にあったのではないかと妄想が広がる。このシンポジュームの女性登壇者の面々は、男性原理のまっただ中で、男性社会を勝ち抜いて生きているいわば猛者達だ。しかし彼女らはその奥に、女性性の輝きを秘め、女性性の開花を体現している。これはそのまま次の時代のパラダイムだと思う。役所をはじめ地域まで現代社会のあらゆる場が、男社会の堅苦しさや、重苦しさにやられてエロスの息吹を完全に失いかけている。
 そこでいくら集まって会議を繰り返しても形式に流れ、表面的なつまらない内容で終わるしかない。この会では「障害者自立支援」といったテーマを、スパークリングワインを飲みながら、ほろ酔い加減で、好き放題、言い合い、しかも芯はしっかりして、たがもゆるまず羽目もはずさず、本質に迫る。ちょっとぐらいズレたってびくともしない。深い奥行きと広い統合力と多少のけん制。綺麗事より現実感覚。まさに女性性の本領発揮ではなかったか。21世紀を超える次代のパラダイムの顕現がこの会の本質的な醍醐味であったはずだ。参加者がそれを体感したことは大きな意味があったと思う。
 かつてアメリカのウーマンリブの戦士が、男との同権を掲げ、男の占めていた地位を占領してみたら、なんとくだらないことを男達はやっていたんだとバカらしくなったという話がある。今回のシンポジスト、女性4名の活躍と発言は、日本の女性として、次代のパラダイムを体現し、障害者が社会に進出する際の器として、重要なモデルであることを示すことがこのシンポジュームの根底の目的であった。そこに気がついた人は少なかったかもしれない。しかし、参加者が無意識的であれ体のどこかにそういう新しい風を感じたとすれば、それぞれの生き方のなかで生かされる時が来るかもしれない。
 しかし時代は男性原理の悪弊の上に悪弊を積み上げ、悪循環を起こし、硬くて脆弱な社会を先鋭化させつつあることは確かだ。その裏で、子どもや若者への無意識的な圧力が高まり、彼らは個性を発揮するどころか孤立の穴に落ち込み、生きるリアリティを喪失する危機的状態に追いやられつつある。リストカットなどの自傷行為や、近年頻発する無差別殺人やなどには、通底する問題があり、そうした内閉された圧力が噴出暴走しているように思われる。今、我々の社会は、子どもや若者に、人間としての他者や自分を消去することをあらゆる機会に教育強化し続けてしまっている。


 福祉の現場にもそうした人間消失の波は怒濤のように押し寄せ、現実にほとんど飲み込まれてしまっている。人と人の触れあいと関係性の原点である介護や育児が、家庭から切り離され、社会的サービスとして提供されることによって、個から離れ、社会化されたことで、権力から管理されることになった。そのなかで本来人間的な内発的行為であるはずの関わりや関係性が、マニュアル化され、監査や、第三者評価、情報公開といった官僚的価値基準一辺倒に管理、支配され人間の生きた脈動が消滅してしまう。
 監査は権力行使だから致し方ないにせよ、第三者評価、情報公開事業が毎年非人間性を先鋭化させていく傾向にあるのは実に恐ろしいことだ。生身の人間が、しかも老いや障害や病といった重要なテーマを抱えている人に、最も人間的な関係が必要とされる福祉現場において、調査員はそんなものには一切触れようとはしない。
 福祉現場は深いテーマを持った人間の集まりだ。それに関わり向かおうとする真摯なスタッフの志もある。それらの出会いはまさに人間の生きる場を創り出す可能性を秘めている。その神聖な場において一切人間を見ようとしないのは甚だしい人間抹殺と冒涜を感じる。まっとうに人間と向き合おうとするスタッフをしっかりと見つめ、支え、励みになるようなまなざしが最も大切なはずだが、それは全く抜け落ち冷徹な「人間は見ません。書類だけ見ます」という態度では真摯なスタッフほど傷つく。こんなことを繰り返えせば若いスタッフは書類をそろえれば人間は見なくていい、実に楽だ、と簡単に教化される。
 社会全体が障害者のテーマや人生に同行する姿勢を、ことごとく切り刻み、表面的な管理と支配に流れる空気が満ちている。近代の夜明け時代のフランスのバルザックに体現された男性原理への希望や夢は消え、現代では醜く、激しい男性原理の燃えかすになった。ロダンのバルザック像が、近代の夢と希望の裏におぞましい醜さも見抜いていたからこそ、当時の社会からの強い反発を受けたに違いない。
 近代文明の恩恵に預かりきった現代、そうした抵抗や反発はロダンの時代の比ではないだろう。しかしその抵抗に耐えて、障害や病、老いといった人間の根源的テーマから存在の本質に迫る生き方を探らねばならない。それには女性性の回復は必須だ。エロスの回復復権とも言いたいが具体的にはこれを機会に考えていきたい。そうした思索を深める上で、現実の社会で契約、書類、効率、ロゴスなどを駆使して戦い抜き、同時に豊かなエロスを息吹かせて輝く4女史の姿は大いに勇気づけられた。


 最後にスパークリングスパークに手弁当で御登壇いただいた佐藤倫子弁護士、石鳥谷中の滝田充子先生、カナンの園の菅生明美さん、NHK元解説委員の小宮恵美子さんの4先生方に感謝申し上げます。一年余り「悠和の杜」を応援してくださった皆様、現場の仕事を終えて店にかけつけ応援してくれた里のスタッフにお礼申し上げます。ありがとうございました。(終わり)
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パリの旅 第一回 ★グループホーム第1 西川光子【2008年7月号】

 6月、1週間のお休みをもらい、結婚30周年記念に30年ぶりに夫と花の都パリへ旅してきた。


 出発の前日までグループホームでの濃厚な日々。頭は旅どころではない状態であったにもかかわらず、いざ当日になると朝の3時半の起床で、切り替わっている私がいた。いかに気持ちが体を動かすものであるかと実感しながら仙台空港へと向かった。 予定より早く1番のりで空港に着き、空港ターミナルはまだ閉まっており5分ほど待つ。2番目に到着した人は大柄の黒人で”グッモーニング”とお互い笑顔であいさつを交わして”海外に行く”という気分がぐっと高まる。
 私は飛行機が離陸する”時”がどうにもたまらなくワクワクし、感受性が高まる。”あっ 今地球を離れた!”と思うその『瞬間』が何ともいえない。あとは上昇に身をまかせ、天へ向う気分。雲の層を抜け、快晴の空に浮かぶと異次元の思いに浸る 。


 なぜに天はたたえられるんだろう?天に召される、昇天、天は極楽・・・などなど。そんな気持ちをいだきながら見る空はなんとも味わいがあり、不思議な世界そのものでいくら眺めていてもあきない感じがある。宇宙にボーと居させてもらう実感。みんなが悠久の時限で繋がっているという感じが湧いてくる。空港で”さあ〜10時間だぞ。退屈しないよう本を買おう”と本屋に行く。真っ先に目に飛び込んできた本が、茂木健一郎の「すべては音楽から始まる」という本。迷うことなくそれを選び、旅の仲間とした。銀河の里の現場で働きはじめてこんな本に感じ得る自分になったなと思う。
 席は三人掛けで窓側でなかったが、隣り合わせは、「よろしく〜」と声をかけたくなる優しい雰囲気を持った若い女の子。「スケーターの村主さんに似てるね」と話すと「よく言われます」との返事でうち解ける。「わあ〜すごいなあ〜見て下さい、あれ!!」と私を窓に誘い、国際便の飛行機がずらりと並ぶ光景に感動している。「お〜すごいね、いろいろの国に飛ぶんだね」と壮観な情景を彼女と共に味う。


 彼女も”離陸の瞬間がたまらない”というので、その瞬間”今だ”という時、二人の目と口が大きく開いていた、たわいもない共感に心地良い時間を過ごしながら旅が始まった。
 彼女は横浜の大きな病院に勤務している看護士で夜勤明けだという。お父さんの仕事先がスイスで両親と一緒に初めての外国旅行とのこと。つい私も仕事柄医療とのギャップを語りたくなり医療側の認知症に対する気持ちを聞いてみたりする。「意志がすぐに伝わらず、もっともっとじっくりお付き合いできたらどんなに良い治療ができることかとあえいでます」と話す。認知症側から通じる人で空の旅はミニミニフオーラムとなった。
 そんな感じで、あっという間にドゴール国際空港に到着。時刻は夕方で、宿まで直行。裏町を走るバスから見るパリ。道は狭く、車・スクーターでゴチャゴチャ。ゴミは散乱し、とても花の都とは思えない光景。それに比べ日本はなんときれいなんだろう。


 荒々しい運転に耐え、やっとの思いでホテルに着いた。宿は日本で言うならペンションといったタイプのホテル。私達が到着すると「やあーようこそ、待ってたわよー」というジェスチャーとフランス語で迎え入れてくれる気さくな感じのご夫婦。
 ご主人はインテリアのデザイナーで部屋の置物・飾りは自作のもの。とても粋な雰囲気が漂う。浴槽にまでお花を飾ってある。早速ディナーとなる。料理は庶民的でワインを数種。前菜、キッシュ、サラダ、スイーツ。塩味が強く私は少しひいてしまった。
 言葉がわからないながら、お話が面白かった。私が知っているフランス語は「”アン、ドウ、トロワ”」と数を数えて指を折ると、フランスでは「アン、ドウ、トロワ」と指を広げていくと言う。日本はイン(内)、ヨーロッパはアウト(外)なんだと。さっそく文化の違いにふれる。なるほど〜。これは面白い。
 夕食後、長旅だったし今日はお風呂に入って休みましょうとバスタブに横になった。ところが身長が足りなくてか、つかまる所がなくてなのか、起きあがるのに四苦八苦。ひっくり返ったクワガタがもだえているような有様で慌ててしまった。明日から地下鉄・バスと徒歩によるオリジナルな旅のスタート。どんなハプニングに出くわすのだろうか、ワクワクしながら眠りについた。 つづく。
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フィリピン散策記4〜そこに生きる人々〜 ★ワークステージ 高橋健【2008年7月号】

 カルカルに到着し、周辺を散策すると主要都市のセブとは異なる雰囲気を感じた。バスから降り立つとすぐに、売り子が、どっと押し寄せてくるのはセブと何ら変わらなかったが(というか、おそらくフィリピン全土でそうなのだろう)、カルカルの街並みからは身体の内奥をゾクゾクさせ、身体の感受性を鋭敏にするような「アジア臭」をあまり感じない。カルボンマーケットでは、鼻を劈かんばかりの「アジア臭」が目にするものすべてから、むんむんと立ち籠めていたが、カルカルでは残り香のような、微かな臭いしかしない。


「はて!?どういうこった?」と、よくよく目を凝らして住居を見ると、建築様式が一風変わっている。1階は石造りで、キリストの十字架が飾られ、2階は木造で風通しが良くなるような構造になっている。セブには石造りの住居は皆無だった。そういえば、「僕の中の高速列車が今日もガタガタいいながら♪」なんて気分良く口ずさみながら歩いていて気づかなかったが、教会がやたらめったら多いではないか。


「むむむ・・・ははぁーん」と僕はニンマリと合点した表情を浮かべた。カルカルは当時、世界に覇を唱え、7つの海を支配していたスペイン帝国が統治していた時代に繁盛したカトリックの文化を色濃く残しているらしい。数十世紀に及ぶ時間と生死を移ろう人々の営為の集積、近隣諸国との交流によって醸成されてきたフィリピン的な文化が正しく継承されず、忽然と人の家にノックもせずズカズカと土足で入り込み、飯をかっ喰らい、おまけに「迷妄の闇で閉ざされた迷える子羊達を啓蒙の光に満たされた我等が導いてしんぜよう」と要らぬ世話まで焼いてきたスペインの文化を色濃く継承している事実に頭の固いポストコロニアル(植民地)研究者は憤慨するだろうが、事はそう単純ではない。おそらくカルカルの人々は、従順にスペインの文化を受容してきたわけではないのだ。木造と石造が組み合わされた住居を見ると、彼等の「暮らし」をスペインの文化に入念に練りこんでいった姿勢が窺える。一直線の道路をひたひたと能天気に歩き前方を見ると、川が道路を寸断しているではないか。僕は、思わず足踏みしてしまい、近づきもせずにおろおろと突っ立ていると、青年達が乗った数台のバイクが豪快に水しぶきをあげながら川に突っ込んでいくのが見えた。「なんだ、こいつらは?」とカメラをスタンバイして興味津々に近寄ると、バイクを降りた青年達が談笑している。青年達が屯している、すぐ隣では、腕白な子供達が川にダイビングして楽しそうに遊んでいる。カメラを持ってアホ面を浮かべている日本人が気になるのか、子供達が一斉に僕の周りを取り囲み話し掛けてきた。しかし地元の言語で語りかけてくるため、何を言ってるのかさっぱり理解できない。このような時は、相手の言っている言葉を柔和な表情で鸚鵡返しすれば相手の気分を害すことはないので(あくまでも僕の経験則ですが・・・)、その経験則をフルに動員すると、なぜか話し!?が盛り上がった。

 

 どういった経緯で道路が川に寸断されたのかは解らないが、日本であれば危険地帯に指定され出入り禁止になり、即座に復旧作業が開始されるような場所がフィリピンでは子供達の遊び場になってしまう。日本では人々の不安を掻き立てるだけでしかない場所が、フィリピンでは遊びを生成する場所になってしまう。アクシデントがあると、すぐに亀裂が入ってしまうような膠着した心ではなく、フィリピンの子供達のように、しなやかな心を持ちたいものだ。いくら年を食おうが子供達から学ぶことは多い。カルカルで過ごした時間を想起しながら、このヘタクソな文章を書いているが、前景に浮かんでくるのは、一直線に続く道だ。僕の足を誘う一本の道。「僕が道を歩く」のではなく、道に呼ばれて、引き付けられていく感覚が今でも僕の身体に残っている。(続く)

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今月の一句 咲く花に… ★グループホーム第2 鈴木美貴子【2008年7月号】

 咲く花に 思いを寄せて 水かける 色や香りと 華やぐ今を
 

 種をまいてもなかなか花が咲くまで見るところまで行くことがなかったが、今年はちゃんと花を育てたい気持ちに満ちていた。プランターに花の種をまいた。 久子さん(仮名)は「水をやるのは三日おきくらいでいいんだ」と言う。そして芽がでた。「花の芽が出たっけな。かわいっけな。」という 久子さんの顔は子をみる母のように見えた。「このくらいおがったんだから、咲くとこみてえじゃな。」と水やりをしながらいう久子さん。
咲くところがみたい、その思いはとても大切なことに感じた。どんな花が咲くのかな。色、形どんなふうになるのかな。母のように見守りながら、感じながら花と今を生きる。
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超コミュニケーション?!な日々〜その1〜 ★デイサービス 中屋なつき【2008年7月号】

 銀河の里で働いて8年目、今年はデイサービスの担当。認知症対応型の、近隣でも珍しい形のデイサービスだ。世間の人から「大変だね」などとよく言われるが、大変を超えると実に楽しくおもしろいのだが、確かにどう超えるかが難しい・・・。普通の世間ではない、次元を超えた超コミュニケーションがきめてなのだ。


 昼食後…大抵の人たちがお昼寝する、一日の中でも一番ゆったりする時間帯。暖炉前に腰掛けて居たケイさん(仮名)の隣に座ると、たちまちケイさん独特な世界が展開する。
「ねっちゃ、ねっちゃ。おめさん、いっちゃ、いっちゃ」
「そうだっか? ケッコさんも、いっちゃ、いっちゃ」
 リズムの感じがなんとも心地いい。何が良いんだかは解らないまま、我々は繋がった感じになる。近くにあったぬいぐるみを持って、
「めんこちゃん、めんこちゃん、めんこちゃ〜んちゃんっ、」
 …とリズムに合わせてぬいぐるみを動かす。すると、私は消えてぬいぐるみとケイさんの会話が展開されてくる。
「あいや〜、なんとおめさん、まなく玉(目)のめんこいこと〜」(ぬいぐるみをピョンピョンと動かす)
「いっちゃ、いっちゃ、元気良くて、いっちゃ〜」(ピョンピョンのピョンッ)
 ケイさんのなんとも言えない笑顔があって、ぬいぐるみを動かしている私も楽しくなる。ところがケイさんが急に真顔になって、
「ねっちゃ、おめ、これ、ちゃんとしまって、家さ持って帰らねんば」
というので驚く。
 どうやら、大事な物なんだから何かに入れておけ、ということらしい。
「袋っこだとか、風呂敷っこだとか、なんでもいんだ、ちゃんと隠れるやつ」
「隠すの?」
「ほなんだ、ほなんだ、見えないようにしてなさ」
 急いで事務所から風呂敷をとってきて、ぬいぐるみを包んで「これでいっか?」と聞く。
「いんだ、いんだ。それ、人がいっぺぇ居たからな、そっと行ってんじぇ」
「行くの? どこに?」
「どこって、おめ、おめさんの家さ」
「???」

 

 戸惑いつつも真剣なケイさんの表情に押され立ち上がる。するとケイさんも席を立って、
 「重てんだ、重てんだ」と立ち上がる。風呂敷を斜め掛けに背負って結わえると、ケイさんは後ろから手を添え、小声ながら迫力のある声で「それそれそれぇ〜!」とかけ声。私はそれにつられて歩き出す。
 なんとも奇妙な珍道中!「それそれ」とケイさん、「ほいほい」と私。ケイさんの独特なリズムに、いつの間にかのめり込んで、ふと気付いたら、他の職員も利用者さんも笑顔で見ている。こっそり「なんなの? どうしたの?」と訊かれるけど、「いやぁ、確かに…、なんだろね、わかんない…」としか言えない感じ。ケイさんはそんな周りの様子はいっさい気にせず「それ、そ〜れ!」と小声で追いかけてくるリズムと歩調。

 

 そのまま巡りながら、昼寝から起きてきたタツさん(仮名)の前をほいほいと素通りしたのだが、ケイさんは私の知らぬ間にタツさんの隣にチョコンと座っていっぷくしている。「あ、あれっ? 」と戻ると、二人の会話。「おめさんたち、何、大事そうに持ってらった?」「あのね、これはね、このねっちゃの着物だとか、そういうの」「はぁ〜、ばっちゃんがこしらえてやったの?」「そうだ、そうだ、縫ったり編んだりしてな」「はぁ〜、おれも機織りだば、若えころ一生懸命やったったどもなぁ」「そだっか、そだっか、いっちゃいっちゃ」

 

 二人はすっかり会話が盛り上がり、だんだんに私も風呂敷も目に入らなくなってきた感じ。珍道中は一段落? 二人を残して私は、風呂敷を持ったままテーブルの昭さん(仮名)のところへ行ってみる。「どっこいしょ、あぁ、重かった」と風呂敷包みを下ろす。「お嬢さん、それ、なんだ?」と、少し面食らったみたいにして昭さんが言う。「へへ…、子供、おんぶしてた」と、ちょっとイタズラ心で私。「お嬢さん、子っこ、出たってか?」
 そこへちょうど事務所に内線が入ったので、「ちょっと行ってくるね。昭さん、子供みててけで」と言うと「あーっ?」と急に困った顔して、「おれは知らない」とあわてて断る昭さん。わざと聞こえないふりしてその場を立ち去ると、「だめだ、だめだぁ…」と慌てふためく昭さんの声が後ろから追っかけてくる。いつも「子っこつくれお嬢さん」と下ネタの昭さんだが、子どもをつくるのは好きでも預けられるのは苦手らしい。電話にむかいながら、ぶふふ、と一人で笑いをこらえた。

 

 この一連の出来事が、何とも言えない心地よさで、今も身体に残っている。意図した訳でもないのに起こってくる関わりの中で、次々に人と人を繋いでいく出来事。その中に身を置いたときの「?」に真剣に向き合ったとき、常識では起こりえないモノが見えてくる。これからもこの難しさと面白さを味わっていきたい。 (続く)

日常のコミュニケーションではない、なにかを超えた超コミュニケーションがデイサービスにはある。それは言語で切りきざまれるような、現代の言葉の使い方とは全く違った、心と心が繋がっていくような深いコミュニケーションである。
 認知症という現象はそういう関係を通じて表層的で深みを失った現代人の関係性を問いかけているように感じる。それは現代の我々が何を失い、人間にとってなにが本質的に大切かという問いかけでもある。
 認知症介護の現場はそうした問いかけに真摯に向き合い、取り組むことで次代の新たな文化の基盤を見出していく使命があると思う。大げさに聞こえるかもしれないが、そうした可能性をもった分野は今のところ他にそうそう見出すことはできない。その位の覚悟をもって取り組む必要はあるはずだ。

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殯(もがり)の森の感想コーナー 【2008年7月号】

 先日、2ヶ月に1度、銀河の里で定期的に行なわれているセミナーで「カンヌ映画祭」においてグランプリに輝いた『殯の森』を鑑賞しました。河瀬直美監督によって制作されたこの映画は、共に愛する人を失くし喪失感を抱えるグループホームに暮らす男性と、新任介護福祉士の女性が、森に墓参りに出かけるというのが大筋の物語です。原初のエネルギーあふれる盛夏の森で「生死の襞」をたゆたう叙事詩に、映画鑑賞後、スタッフの間に深い沈黙が流れました。今月から連載形式で、『殯の森』の感想をお届けしたいと思います。
 
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 グループホーム第1 佐藤 寛恵
 

 冒頭の鐘の音。死へとつながる音に、連なる人の足音。茶畑の中を葬列が歩んでいく。私自身そのような葬列の中に加わったことがあり、確かにあった死の上を歩いているような感覚が戻ってくるのを感じた。それを思い出すと同時に、圧倒的な「死」がじわじわと迫ってくるような、「死」と「生」の強力な匂いにどんどん惹きつけられてしまった感がある。見ていて目がスクリーンから離れられなくなっていくことだけ頭の中で理解しながら、多くの想いが揺さぶられていたように思う。自分の中に何かを探してそれが出会ってまた何かしらの反応を示すように、深いところで言葉にならない思いをかき混ぜていった、そんな映画を見たのだと思い返せば思い返すほど思う。


 この映画の中でのマチコとシゲキの2人には、死と隣り合って閉じ込めた思いがあるからこそ、生きながらに死に、死にながらに生きているという「死」と「生」を常に感じた。思いがその「生」や「死」に影響するからこそ、生きながらに死に、死にながらに生きることで肉体としての死に向かっていけるのだと思った。その中でもマチコがマチコの夫から浴びせられた言葉によって思いが閉じ込められ、感情の全てを奪われる。その後にそれを開放するのは何なのか、感情が死んだらどうやってまた感情が産まれてくるのか、グループホームを舞台として選んでくれて私はすごくほっとした気持ちになった。ここなのだと言ってくれているような気がしたからだ。感情が産まれていく過程、映画の中でもマチコが体験するが、本当にそのような体験があると感じている。


 映画のことを思い返せば思い返すほど、あの森の中に私も迷い込んでしまいそうなくらい、いろいろな思いだけ湧き上がって一向に言葉になろうとしないものたちと出会う。その迷路の中で、透き通ったピアノのメロディーが心地よく、隅から隅まで染み渡っていくそんな救われ感が鮮明に残っている。音が人の思いとなり、指先の先までまるで声を聞き取る器官のように敏感になって、ただ涙が溢れてくる。言葉を超えたものを歌っている、「死」と「生」の間の森にいる「わたし」をまざまざと見せ付けられたような、決して痛くない許された傷を私にも刻まれたような気がしている。
 
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 デイサービス 三浦 由美子
 

 デイサービスに勤務が決まった時、以前からメディアで取り上げられていた『殯の森』を自然と思い出し、レンタルショップへ行きかりて一度見たが、その時はあまり映画の中へ入ることはできなかった。しかし、今回の銀河セミナーでは『殯の森』へ自分も入りこんでしまったかのようであった。


「生きるとは何ですか?」というような問いかけを主人公の認知症の方が住職へ聞くと、「生きることは、実感することです。」と住職は言った。それを聞いて今の自分は、生きていると実感できているのか疑問に思ってしまったが、住職の言葉には納得するものがあった。その場面では、若い女性の方とおじいさんは生きることに失望しつつあったのかもしれないが、二人で森へ入り始めると親しい人の死について向かい続けていることが、二人にとって生きる実感になっているように感じた。親しい人の死により、二人の心が重なりリンクして二人は生きることに実感し始めたのかもしれない。そして、一度心が繋がると女性はおじいさんを全力で守りついて行き、なんだか女性の方の強さが増した気がした。


 グループホームという場所で、このような関係になることは実際にはそう簡単には見られないと思うが、銀河の里ではあり得るのではないかと見ていて思った。私は、まだ余裕のないせいか、一人一人を深く見て、その人の人生を深く考え受けとめることがまだまだであると思う。決められた時間や利用者皆さんの安全を考えると、どこまでその人の世界に入っていいのか迷ってしまう部分が正直ある。映画の中で、認知症の方の世界が広がり女性はとことんついて行った。ついて行かざるおえなかったのかもしれないが、私があの女性の立場だったらどうしていたのか考えてしまうと、自分の無力さを痛感する。表向きではない「本気」が必要なのだと強く感じた。見ていて何度も自分に問いかけていた。「本気だしてますか?」過去に実際に問いかけられた言葉である。やはり本気を出していないと見抜かれてしまう。そして、本気でなければ進めないと思った。


 今、実際に認知症の方と時間を共にしている。一人一人が、この場所に来るまで私の想像できないほどの経験をされて来たと感じるが、その一人一人の人生と関われることがとてもありがたい。しかし、自分ばかりが何かを与えてもらうことにこれでいいのかと考えてしまう。これから、『殯の森』を目指してその方の人生と向き合いたい。
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