2008年06月15日

フィリピン散策記3〜そこに生きる人々〜 ★ワークステージ 高橋健【2008年6月号】

 10分程歩いていると、バスターミナルらしき場所を見かけたので近づいてみると、突然数人の埃にまみれた男達が僕の周りを取り囲み、舌をまくしたてながら、何やらわけのわからぬ言葉を話してきた。僕は状況を全く理解できず、ニヤニヤしていた。途方にくれている時に出る僕の悪い癖である。ただ、ひたすら笑っている日本人に業を煮やした男が僕の腕を引っ張り、強引にバスの中に連れ込もうとした。そう、彼等はバスの呼びこみなのである。大半の呼びこみが10代前半の少年達だった。フィリピンでは、どこに行こうと、多くの子供達が大人達と同様に立派に働いていた。


 日本では、働いているところはおろか、子供達が遊んでいる姿すらほとんど見かけることがない。現代の日本の高度資本主義は幼い子供達までも消費者の対象として絡めとり、人々の欲望をエネルギーにして駆動し続けている。


 僕も消費社会の奔流に呑まれてきた世代ではあるが、小学校低学年の頃に月に1度くらい大工をしていた親父に建設現場に連れて行かれ、朝から夕方まで手伝いをさせられた。その様子を見ていた会社の社長が気をきかせてくれて、月末に2000円入った給料袋を僕に渡してくれた。その給料袋には「高橋健」としっかりと僕の名前が書かれていた。給料袋に僕の名前が書かれているのを見て嬉しさがこみ上げてきたのを覚えている。なぜそのような感情がこみ上げてきたのか今になってもよく解らないが、おそらく、僕の小さい身体でも富を生産できる主体になりえるのだということを身体が感知したからなのだろう。僕が生産したその富に、僕の名前が刻印されている、この瞬間に「所有」という概念が僕の中で確立し、それとともに、「自己」が芽生え始めていったのではなかろうか。このようなプロセスを経ないと、「ドラえもん」に出てくるジャイアンのような自他の区別が欠如した所有感を持った子供が育ってしまうのではないか。俺のものは俺のもの、お前のものは俺のものといったように。日本の多くの子供達は「生産する喜び」を享受できずに、ジャイアニズムに支配されているのでは・・・、気のせいか・・・。


 いやはや、また脱線してしまった。フィリピンに話しを戻そう。呼びこみの男にされるがままに、バスに乗り込むと、バスの中は空席が目立っていた。僕が席に座ってから運転手が乱暴にアクセルを吹かし前進したので出発するのだと思いきや、即座に後進し、また元の位置に戻った。前進と後進を何度も何度も繰り返すので、「この運転手、気でも触れたか」と訝しげな表情をしながら運転手を見ると運転手は、両隣のバスの運転手を睨め回していた。両隣の運転手も競うようにして、前進と後進を反復していた。ターミナルには30台程のバスが止まっていたが、どのバスも例外なく、前進、後進、前進、後進、前進、後進・・・である。30台ものバスが「今すぐ出発するから早く乗り込みやがれい」と威勢のいい啖呵を切っていた。轟音を立てながら響き渡るバスのエンジン音に負けじと、呼びこみが怒鳴り声をあげ、その大声に負けじと売り子が、狂ったように声をあげ、バスに体を前後に弄ばれながら、僕は小さな悲鳴をあげ・・・。エンジン音と大声と排気ガスと埃と汗臭さが乱舞し、まるでお祭り状態である。30分程経ち、席が満員になると、やっとこさバスは目的地に向けて出発した。どうやら、セブから30キロ程南方にあるカルカルという街に行くらしい。料金は70円くらいだったろうか。整備されていない、デコボコした道路を猛スピードでかっとばし、すぐ前方にカーブがあるというのに、クラクションをけたたましく鳴らしながら車を追い越していく。バスは海岸沿いを疾駆し、青く輝く海を眺めているうちにあっという間にカルカルに到着した。(続く)
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遊びを生きる場と時とその必要性 ★グループホーム第1 前川紗智子【2008年6月号】

 小さい頃、夢中になって遊んでいて、気付いたら日が暮れてしまいそうになっていた、なんてことはよくあった。一度なんか、石垣の下にある小川の岸で一人遊んでいたが、薄暗くなったことに急に怖くなって家に帰ろうと思うんだけど、飛び降りた石垣がよじ登れなくて泣きそうになる。助けを呼ぶけど誰も気付いてくれない。もう必死になって、靴も靴下も脱ぎ捨てて裸足でなんとかかんとか石垣をよじ登り脱出・・・すると今度はあれ?!あぁ・・・石垣の下に靴も靴下も置いてきちゃったよ、ってことに気付いて、ちくしょう・・・と思いながらもう一回飛び降り、靴と靴下をまず石垣の上に投げあげてまたよじ登る・・・。遊びの世界に一人で入り込んでいくと、そこから帰ってくるのは結構大変だった。おままごとや人形遊びの後の片付けも。でも、遊んでいるときの、周りの世界なんて一切関係なく、ただただ自分が向かうものと呼応しているような時間が好きだった。濃密に感じられる時間。


 大人に近づくにつれ、そういう時間が少なくなっていった。時間に追われるとはよく言ったもので、しなければいけないことを片付けていくような時間の使い方が多くなる。片付けは、本当は遊びのあとにくるものだ。モノに向かい、集中して、ある世界を謳歌して、カッと熱くなった体をゆっくりと冷ましながら、そのことを整理する、また新たに一歩引いた視点からその時間を見つめ直すそういう要素を片付けは持っていると思う。でも、片付けだけで構成されているような日々になっていく。遊びを持たない片付けは、中身のない、作業としての片付けに過ぎない。そして遊びはまた違った場面で求めるように、要素によって空間も分けられていく。


 思い起こせば、銀河の里に来て間もなくの頃、大きな発見だったのは、ここにはそういう遊びの中にいるときのような、純粋にモノと対峙できる時間があって、しかもそれをスタッフが意識しながら支え、見守っているということだった。〜しなければいけないという専心義務で、すっかり萎縮していた私が、どう生きたいかを軸にそこにいる利用者に引っ張られて身をゆだね、その世界を体験する中で、まずその萎縮した状態からの開放が始まっていったのだった。


 現代は、生きて行くことが容易にセットされる。少々苦もあるだろうが、専心義務に従って、それをこなしてクリアしていけば、やがてその苦すら無痛化していく。でもそれは死んでいることと同じかもしれない。本当に生きていくのは容易じゃない。何をしたらいいのかではなく、何のため?が主となって、じゃあそれはどうやって?と、イメージ、ビジョンが描けないと進めない。そしてさらにそれを見つめ直す力も必要となる。
 銀河の里という場所は、現代社会の中で稀有な場所かもしれない。でも本当は求められるべき場所だと、私は自信を持って感じる。主体性を損なわずに、さらにその主体性としての自分自身を見つめていく中で、真の客観性をも育てていく場と時を、社会や地域、家庭に取り戻す必要があるはずだ。
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スパークリングスパーク(その3) ★宮澤健【2008年6月号】

「悠和の杜」のファイナルイベントはその一ヶ月の間に4本のコンサートライブを開催した。1年2か月の営業期間中に行った企画イベントはどれも満員だった。演劇、音楽ライブを通じて文化の香りを街に息づかせることは障害者の使命であるとも感じてきた。それは障害を持つこと、障害者と生きるということが人生や、人間存在に対して極めて深い関心とまなざしを持つことだからだ。勢い芸術や宗教性に対して強い親和性が生まれる。それらを基盤に障害者の生きる周辺から、新たな文化創造が行われ次世代の地域が生まれる可能性がそこにあると信じる。
 時代はおそらく、障害者が社会になじむことを強制する歴史を終えていて、一般社会が、障害者の世界に入って共に生きる時代がすでにきているはずだ。現実には障害者が街に出たり、地域で存在感を持つことに対してまだまだ抵抗の強い、古い考えの人が地位のある立場を占めているので具体的な変化は時間を必要とするだろうが、時代はすでにとっくの先に行ってしまっている。
 事実、「悠和の杜」のコンセプトを深く理解してくれる人も意外と多く、強烈な情熱で応援をしてくれる人もあった。多くの方々から励ましと応援を、我々がどう活かし次の戦いに挑むかだ。それを待ち望んでくださるかたが多数おられることが解っただけでも大いなる力になる。それにしても、一年間、店を営業するなかで強く感じたのは地域や、街のエロスの欠如だ。繋がり、生み出すエネルギーがからきしなくなっている。あるのは管理や、システム、制度、縦割り、堅苦しさといった男性社会の軋むなごりだ。東北の縄文のエロスは明治の開国とともに富国強兵のなかで叩かれ、消滅し、空を向いて威張りくさった軍人の傲慢がそそり立って、地域を軍靴で踏みにじったまま今だに支配され続けいるようだ。
 エロスの欠如、ロゴスの切断といった地域の現状の中で、障害者はどのように存在感をもたらすことができるのか。それには豊かな女性性を地域に取り戻す必要があると思う。スパークリングスパークで登壇いただいた4人の女性は現場で戦っている女性戦士である。知性と馬力、情熱、愛。それらを男が失ってしまった時代。形式とシステムにしがみついて、カスみたいな生き方しかできない今時の男に比してなんと生き生きしていることか。


 10年ほど前NHKスペシャルで「神の手を持つ男ロダン」という番組があった。ロダンは近代の象徴としてのバルザック像を芸術家協会から依頼される。天才ロダンは1年の納期を超えて苦しみ抜き、ロダンは病気だとの噂まで広がるなか4年の歳月を費やす。遂に完成した作品は、本人納得の作品だったが、グロテスクとして嘲笑され、返品となる。フランス近代の象徴としてのバルザックを天才が苦しみ抜いてその本質を描ききったときそれは男性原理の本質を表現した作品に仕上がった。それは屹立したペニスを握って空を仰ぎ歩く姿であり、それは豊かさのどん底をあえぐ現代の姿にも通じる。作品はグロテスクで芸術や、美としては受けとめられなかった。敗北を味わうロダンだが、天才が見抜いた近代のロダンのバルザック像を現代はそのまま生きているのではないか。
 近代は当時の人びとにとっては夢や希望として勢いを持っていたはずだが、天才が見抜いたのは屹立したペニスを握って闊歩するグロテスクなパワーだったのかもしれない。現代の我々はその興奮を鎮める必要があるだろう。そのために豊かな女性性が必要になる。ロダンはそのことを理解して、その作品以降、女性美を徹底的に追求して行ったのではないか。教養と美貌を備えた上流階級の多くの女性が、ロダンのその使命に応えてロダンに身をゆだね、その芸術に貢献しようとしたことは理解できる。知性のある感性豊かな女性達にとってそれは誇りであったに違いない。屋根裏に秘蔵されたロダンの女性スケッチがあくまで芸術として輝くのはそういう使命に貫かれた仕事であったからだ。しかし当時はどちらも異端としてマジョリティには理解されなかった。(続く)
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今月の一句 作らずに… ★グループホーム第2 鈴木美貴子【2008年6月号】

 作らずに 写る顔には 真の声 待っているよで 残せた一枚
 

 先日、他の施設に入居が決まった タツ子さんが、デイサービス最後の利用の日に会をやった。さよならの会ではなく待ってるよ会。来年、銀河の里に小規模特養が出来る予定なので、ぜひ入居してもらいたい、また タツ子(仮名)さんと過ごしたいとの思いから待ってるよ会を開いた。タツ子さんは「いがね」と言う。また会える、会いたいとは思っているがやはりどこか淋しい、ほぼ毎日利用していたので余計だ。おやつを食べた後、みんなで タツ子さんを囲んで写真を撮った。その時、カメラを向けてくれたスタッフのかけ声がなんか嬉しかった。カメラを意識して写るとなんか不自然な表情、作り笑顔になる事が多い。そこでカメラマンの一言が決まった。そのスタッフが発した言葉は「待ってるよ!!」だった。早速、 タツ子さんに渡そうと印刷した写真をみて、嬉しくなった。「待ってるよ!!」そうだ、待ってるよタツ子さん。また会いましょう。だよね。

 


 ありがとう 頬の温もり 感じつつ あなたの思い 伝わる思い
 

 ショートで来た正志さん(仮名)との入浴。正志さんはお風呂好き。以前はショートで朝昼晩と3回は入浴していたが、最近は体調が良くないので長湯をひかえ様子を見ながら入浴してもらっている。人の手を借りたくない人なので私はどういう形で見守りや介助に入ったらいいのかと考えていた。 正志さんのペースで入浴してもらいながらまずは浴室で充分話をしたあと、体を洗って、湯舟へ。「お姉ちゃん、ありがとう。貧乏屋に生まれたけど今はこうして山の湯っこさ入れてもらってありがとう。」と 正志さん。そして「後はいいから。お姉ちゃんもう行って」と言う。悠々と湯舟に浸かっている姿をみて、見られてるのも嫌だよなと思い、浴室の隣の脱衣場で待つ。「あ〜あ」と顔を洗いながら気持ちよさそうな声が聞こえる。ちょっとしてから「 正志さん、そろそろあがらねっか?」と声を掛けると「今あがる」と返してくれる。
 脱衣場で服を着終わると私の腕を掴むので、立ち上がるのかな??と思ったがそうではなく、掴んだ腕を自分の頬に寄せて「ありがとう」と言う。暖かさが伝わって、暖かい気持ちになれた。人の手はかりたくないと頑固な所もあるがその時の感謝の顔は、ああやって気を張っていないと自分として居られないのかなと感じた。感謝の気持ち、言葉と体温で伝わる。暖かかった。
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シンポジウムに参加して ★グループホーム第1 西川光子【2008年6月号】

 先日5月20日「認知症への対応」と題した認知症予防シンポジウムが、ぼけ予防協会主催で毎日新聞、岩手日報などの協賛で盛岡アイーナで開催された。
 現場に身を置き日常的に認知症の人の人間的深さ迫力、威力といった魅力を見せつけられてきた私には「対応」とか「予防」という言葉がすでになじめないので、普通なら全く関心が湧かないのだが、今回は当方の理事長がパネリストということだったので無理を押して都合をつけ、参加したのだった。
 どんなディスカッションになるのか楽しみで気持ちを弾ませたり、タイトルの付け方から推測してあまり期待できないかもと押さえてみたりで開演を待っていた・・・。


 基調講演は岩手医科大学の医師高橋智先生で、わかりやすく認知症を解説され、やさしい内容で「生活に支障があるかどうか、環境によって診断が変わる」という点を語られて共感できた。パネリストの金沢先生は、医師で自ら訪問診療をしてこられた方。「一人の人間として検診に行くし、家族の一員になれる」と医療に一番求めたい所を語られ、とてもたのもしく思えた。家族会代表の方は夫を4年間在宅で介護した体験談を語られた。
 我が理事長は15分の持ち時間で語り尽くせぬ普段の現場の実践を500枚の写真を使って紹介した。しかし「持てる力を出しているオリジナルのケアですね。」とさらりと流すだけのコメンテーターの一言は、理解が浅く物足りなさを感じた。
 最後に再度岩手医科大学の高橋先生がまとめの発言として認知症の人の環境づくりの決め手として「昭和の心」を取り戻す大切さを訴えた。しかしこれは、現実とはかけ離れた希望的妄想で、認知症とそれを支える社会のありようをあまりにも単純に収めてしまおうとするお粗末さを感じて、ため息をついてしまった。


 個別には、県の役人以外は、現場で実践されている真摯な姿勢を感じさせる登壇者で、内容も興味深かったのだが、進行とまとめ方があまりに事なかれに終始し迫力を欠いていた。シンポジウムが進んでいくうちに私はイライラしてきて、最後は「でもでもこんなもんじゃない!!」と叫びたい心境に駆られ、納得のいかなさがつのった。
 会はディスカッションにはならず、行政と医療、施設のうけ入れも整っていて「何も心配ありません」と言ったようなきれい事でまとめようとする甘ったるさに、腹立たしくなってきた。
 ”認知症”との壮絶な戦いや、人生をかけたエネルギーのぶつかり合い。その中で生まれてくる人と人とのつながりや出会いを現場で体感している私にとって、今回のシンポジウムは、認知症の理解や環境の未整備に不安、不満をかかえている現状がありながら、そういったものを表面的な見方で封じ込め、ごまかそうとしているようにさえ思えた。
 認知症を「対応」などでごまかそうとしてもうまくいくはずはない。ごまかすのではなく社会のひとりひとりがきちんと向き合う必要がある。こうした当たり障りのない会合ではなく、現場からのリアルな現状や物語を、いろいろな形で発信する場や機会をつくって、認知症を社会や人生にどう生かすかを考える広がりを作り、認知症を軸に未来に向かって新たな文化を生み出す活動を展開する必要を強く感じた。
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もち米作りの始まり ★デイサービス 三浦由美子【2008年6月号】

 生まれてはじめての田植えはとても楽しかった。正直もち米の手植えがこんなにも意味のあることだとは思いもしなかった。当日みんなと田んぼへ出てみて、一緒にものを作っていくことのおもしろさが少しわかった気がした。


 前日の夜に全部署の農業担当と職員で打ち合わせをしたが、田んぼに入る人、陸にいる人、車担当、配車、参加者、当日の準備など細かな確認を行い、里にとっても大きな行事であるとそのとき感じた。
 当日デイサービスの利用者さんと田んぼへ着くと、ワーカーさん、グループホームの皆さんですでに田植えは始まっていた。私は早く田に入りたくてワクワクし、急ぎつつ冷静にデイの利用者さんを車から降ろし田のあぜまで移動した。私とペアになったアキオさん(仮名)はかごのいすに座り、じっとみんなの植える様子をみている。いよいよ田に裸足で入ると、田の土はひんやり冷たく気持ちよくふわふわしていて面白い感触であった。アキオさんから一ヶ所一ヶ所植えるたびに苗を渡してもらい、「アキオさんこの辺でいいですか。」と植えながら聞くと「いい。」とうなずきながら返事をしてくれる。室内では、力が入り誰かを殴るまねをしたりする方だが、田ではそんな動きはないどころか優しく見守っていてくれた。近いと手渡しで渡してくれ、少し離れるとふわっと投げて渡してくれた。一緒に田植えをすることで、アキオさんとも少し近づけた気がする。あぜを見渡すと、サトさん(仮名)やヨシコさん(仮名)たちも田植えを見守ってくれている。今まで農業をしてきた高齢者の皆さんは、田を見る目がとても優しい。
 そのうちワーカーさんも苗を手渡ししてくれ、気がついたらグループのノモさん(仮名) も手渡ししてくれ、トキオさんからも苗をもらって一度に沢山苗抱えてのてんやわんやぶりが面白かった。「トキオさん!」と呼んで手を差し伸べる私、後ろで「三浦さん!」と呼ぶワーカーさん。横で黙って苗を差し出しているノモさん。みんなから苗をもらいたいから高速で動く私。
 ノモさんには餅つきの時に話しかけたが、せっせと餅を丸め言葉を返してもらえなかった。だが田んぼでは苗をどんどん渡してくれた。田植えを通じて、ノモさんとも関われた。
 そのうちワークの高橋さんが、アキオさんに苗を渡してほしいとジェスチャーをしている。そこで私が  「アキオさん!私さ!」と手を伸ばす。高橋さんも「アキオさん!こっちさ!」と競い合いになり、アキオさんは二人に言われて投げようとして投げられなくなり、迷って「わかんねえな」と横にいるスタッフに話しかけていた。アキオさんは苗を植えやすいようにちぎって渡してくれたこと、これでいいのか聞くと「うんうん。」とうなずいてくれたこと全てが嬉しかった。


 こうして田んぼでは、いろんなエピソードが沢山みられたが、普段とはまた違った生き生きとした表情が見られた。ワーカーさんと高齢者の関わりなど一緒にもち米の手植えをみんなでできたことは本当に意味のあることだったと思う。そして私にとって、米作りの始まり、食の始まり、農業の始まりを体験できたことは貴重だったと思う。田んぼでは私の下手な代かきのため雑草が残って生き生きしている。これを入って取ってしまって、この田のもち米の収穫を楽しみに待ちたい。
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銀河の里は「個室・ユニット型特養」に夢をどう描くのか(1)★施設長 宮澤京子 【2008年6月号】

 国の政策では、利用者からホテルコストを求めやすいユニット型特養を推進し、新規に設置する特養は、ユニット型でなければ認可や指定をしない制度の縛りが設けられている。
 花巻市の介護保険事業計画では、地域密着型の介護施設として「小規模特養」の計画が上げられている。地域密着型サービスにおいて、先駆的に事業展開してきた当法人は、相談業務から在宅サービスそして終の棲家としての特養までの一環した事業を担う使命があると自覚し、市の計画に沿って小規模特養の着手に2年前から準備を進めてきた。
 グループホームでは、身体的に機能が低下して寝たきり等になった場合、電動ベッドの設置がない・車いすの移動可能な十分なスペースがとれない・家庭用浴室しかない等のハードの理由で、他の介護施設に移ってもらわざるを得ず、利用者の身体状況が変わったことで、今まで築いてきた人間関係が切れたり、生活の場を移さなければならないことは残念であり、切ないとの声があった。グループホームでの生活の流れで暮らせる特養ホームの設置は、築いてきた人間関係をそのまま維持できるということで利用者やスタッフ双方にとって意味のあることと考えられる。
 一方、当法人は相談業務、デイサービス等の地域密着型のサービス提供で地域福祉に貢献すべく事業を展開してきた。長丁場の在宅介護を継続していく家族にとって‘鍵’は、親族以外にいつでも宿泊の介護を頼める場所があることである。そういうところがあると介護者が出かけたり、休息をとったりしながら、支えができるので、在宅支援にとってショートステイは必須事業といえる。


 上記がユニット型特養とショートステイを展開する社会的動機であるが、制度に乗って施設を運営するだけでは、一気に管理に成り下がる危険がある。一人の人間に深く迫り向き合うことは、その背景にある社会や時代と歴史と向き合う事でもある。ひとりひとりの出会いの中から普遍を発見的に探索していく銀河の里らしい夢を描いていく必要があると考える。ユニットケアに賭ける里の夢を模索してみたい。
 介護保険が始まる以前の措置時代の特養ホームは「介護者」と「要介護老人」という上下の図式が強固に存在し、雑居部屋でプライバシーはなく、介護側の都合が優先された業務中心の日課の生活を余儀なくされるような、いわば集団飼育時代が長く続いたと見るべきだろう。
 やっと平成12年に「契約時代」を迎え、高齢者がカスタマーやユーザーとしてヘルパー・デイサービス・ショートスティそして福祉用具といったサービスを選び、買うという時代になった。これは介護保険導入に伴い高齢者福祉事業が社会福祉法人の独占事業から、NPOや一般企業の参入という規制緩和策がとられたことで、競争という市場原理が働くようになったためである。
 しかし特養ホームは、まだ社会福祉法人の独占事業で設置の規制も強く、ひとつの施設待機者が数百名という売り手市場である。そのため、ケアの質を問う市場原理のメスは入りにくいままであった。ところがここに来て個室型ユニットが特養ホームに導入され、利用者がホテルコストを負担することになってはじめて、主客が逆転することになった。かつての「要介護老人」はお客様になり、「介護者」は介護労働提供者に位置づけられた。「ご利用者様」というどこかおもはゆい呼び方も聞こえるようになった昨今である。
 このような中、特養ホームの「ユニットケア」にまつわる設計の説明会や研修会があちこちで開催されており、来年度の開設を予定している我々もその渦中にあるため、東京や、仙台に出かけて最先端の情報を求めてきた。しかし残念ながら、我々の琴線に触れるような「個室ユニット特養の展望」にはまだ出会えてないように思う。それどころか、日本の介護研究の最先端である組織の、ユニットケア推進部門のトップの講師の話でも、当たり前の生活とは、「食べる・出す・ねる、そして風呂」と定義して講義を展開されているのを聞きながら、強い違和感を感じ胸がもやもやと苦しくなった。(このときは「居眠り」の手法で乗り切って、我ながらあっぱれと思ったのだが・・・。)
 つまり日本の福祉は今だに人間や人生には焦点が当てられておらず、管理一辺倒で終始してしまう現状にあるのではないか。管理は大切ではあるが、それで終わってしまっては、個々の人生の総仕上げの時期を共に過ごす現場としてあまりに表面的で薄っぺらになり、もったいないと感じてならないのである。続く
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みんなで植える、もち米の手植え ★グループホーム第2 近藤真代【2008年6月号】

 祖父母の家は農家で田んぼを作っていると言うのに、私にとっては初めての田植え。当日は暑いくらいのいい天気で気持ちが高まる。
「じゃあ、入って」と促されて、初めて裸足で入る田んぼの感触は、暖かいような冷たいような不思議な感触がした。しかし、思ったより動きにくく、私は田んぼの中で立ち往生…祖母がさっと入って、ささっと植えていたけれど、実はすごい事だったんじゃないかと思った。やっと動ける状態になり、まずはどう植えたらいい?と、何も考えずに田んぼに足を突っ込んでしまった私は辺りをきょろきょろしてしまう。
 でも、そんなときに「そのくらい開けたらいいんだ。」「植えるのは3センチぐらいだな。」と、デイサービスとグループホームの高齢者の方たちからアドバイスと苗をもらい、一つ一つ植えていく。
 私一人では不安ばかりなはずだが、見ていてくれる人がいる。「そうだ。そうだ。」と言ってもらえる。泥だらけになっても、「あやー…服まで汚れて。」と私の汚れた足に水をかけてくれる人がいる。一人でやる作業じゃなくて、みんなで田植をやっているんだと感じた。それは安心できるし、やる気も出てくる。
 あっという間に田植えは終了。みんなでお茶を飲みながら、植え終わった田んぼを眺める。「終わった」という雰囲気がワークステージのワーカーさん、デイサービス・グループホームの皆さん、職員スタッフ全体を包んで、とても気持ちのいい雰囲気だと思った。これも、みんなで植えたからなのかなと思った。
 私が植えた所は大きな田の中でも一部分だが、みんなの手で植えたこの苗たちが実を付ける頃には私はどう成長しているのだろうか。お茶を飲み終わった頃に、「次は稲刈りだね。」「いや、草取りだよ。」と言う会話が聞こえてきた。沢山の過程を経て、もち米も私も成長していければいいと思う。
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唄われ冥利 ★グループホーム第1 佐藤寛恵【2008年6月号】

 どんとこーい、どんと来い。


 世界にめり込んでいくのを
 必死に抗う
 それでもそれでも吹く風を
 真っ新野原の真ん中で
 ただ一言を受け止める
 気持ちが座って風止まる
 世界を上から眺めてる


 そのタイミングとその足で
 踏み込め抜け出せ
 笑いたい
 唄って手拍子
 つるさんかめさん
 八戸小唄。


 なんだなんだと近づいて
 なんだなんだと笑い合う


 どんと来るから どんと来い
 どんと来たから どんと来い。
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繋がる戦い 華と鬼 ★グループホーム第2 板垣由紀子【2008年6月号】

 バンバンと毎日テーブルを叩く豊さん (仮名)に、例のごとく「何たらうるせな、静かにせ〜おめの面でもただげ。小馬鹿たれ。」とサチさん(仮名)が怒鳴る。グループホームは大騒ぎになる。怒鳴るのはそれだけではない。せっかくゆっくり食べている人にまで「何だその食べ方、ベラベラと食ってしまえ。」「そったな食べがだねんだよ、小馬鹿たれ。」と攻撃する。空気が悪くなるので、スタッフはいろいろと声をかけるが、さらに興奮し大騒ぎになったりすることも度々だ。


 ある時、食事中の利用者の皿をかたづけてしまい、「べらべらと食べるのっす。小馬鹿たれ」と叫んだサチさんが許せなかった私は「何でそんな言い方するの?」と怒りを向けた。 サチさんは「何たら、んで、俺がわるってが?」と言う。
「悪いとかじゃなくって、今食べてるんだから、私に任せてよ」
「何たら、おめ人の悪口する」
 私もこうした時はゆとりがなく、説き伏せようとしてしまう。結局通じず、興奮して「あとしらね。好きにせ。」とそっぽを向かれてしまうが、たまには「解った」と収めてくれることもある。でもバトルの後で「何時に出かけるのや」と穏やかに話しかけてきて関係を取り戻すのが サチさんのかわいいところだ。
 サチさんは毎朝夕、授産施設「ワークステージ」の送迎バスに同乗している。「8時半になったらバス来るえ。」と待っている。そんな サチさんを毎日迎えに来てくれるのが、ワーカーの雅之君。「サチさんバスに乗りますか?乗りませんか?」 「乗ります」とふたりは手を繋いでバスに乗る。サチさんは人の顔を覚えないタイプの認知症で、毎日来ている雅之君のことは「誰だかわからね」が、ふたりの関係は深い。スタッフが誘っても絶対昼寝はしたことのない サチさんだが、ある日雅之君が、昼休みにサチさんと部屋に行ったと思ったらサチさんはベットで寝ていた。どうやったらそんなことになるのか、スタッフが同じことしたら怒りまくるはずなのに、信じられない。


 ワーカーのミコさん(仮名)も午後をグループホームに来て過ごす事がある。例のごとく豊さんのテーブル叩きに、サチさんの「うるせ〜」が響き、「叩くぞ」と勇み立つ サチさんにミコさんが微笑みと共に「サチさん・・・エ・ガ・オ」と声をかけた。サチさんもその雰囲気に「ア〜ハハハッ」と怒った顔をしながら笑っていた。
 知的障害のあるこの二人の言葉はすごい。教科書的だったり、何とかしなくちゃと役割的に言葉を発する職員と違って、真っ直ぐに、素直な心を伝えてくる。それは切る言葉ではなく繋がる言葉だ。注意したり、説教をするのは簡単だがそれは人の心や関係を切り刻み、気がつかないうちに操作や管理に陥りやがて支配をしてしまう危険性を秘めている。そこには自分は関わりを避け、傷つかない所にいて、相手だけを切り刻もうとする暴力を感じる。


 私はすぐバトルになってしまうが、相手を切り離しているわけではなく、引き出されたり、引き受けたりして、感情を動かして、傷つけ、傷つく。不器用ながらもなんとか繋がろうという戦いなのだが、苦しい。これには第三者の守り、眼差しがほしいところで、見守られ感のないバトルはかなりきつい、守りがなければやらないほうがいい場合もある・・・・。未熟な私はあとで気づき、やらなきゃよかったと思うこともままある。
 私は繋がろうという気持ちや姿勢は強いのだが、どこか未熟で鬼になってしまうのだろう。雅之君やミコさんはどこか「華」を持っている。利用者の春江さんもそんな「華」を感じさせる。和室でクッションチェアーに腰掛けていても優雅だ。リビング全体を眺め、そのときの空気を読み、場を支え包み込む。彼女はきっと相手のことをいろいろ感じ、イメージしているに違いないと思う。それはかなりクリエイティブな作業だと思う。華のある人は誰かと、何とか繋がろうというクリエイティブを持っている。
 私は繋がろうとして「鬼」になってしまうが、繋がる戦いの中で洗練されていつか「華」のある人になりたいと願うものである。
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