2008年04月15日

今月の一句 味噌造り… ★グループホーム第2 鈴木美貴子【2008年4月号】

 味噌造り 心をあわせ 仕込んだら 秋にはでるよ ホントの味が
 

 今年も、銀河の里でとれた大豆で味噌を仕込んだ。すり鉢とすりこぎで、煮た大豆をつぶす。始めは、「ほらやって」と監督のようにみていたレイ子さん(仮名)が「かしてみな」と大豆をつぶす。かわりばんこにすりこぎを握る人、すり鉢をおさえる人。1sの大豆をみんなでつぶした。「しあげやって」とレイ子さん。仕上げも念入りに何回もやる。「みんなで心あわせてやったから」と満足した様子でレイ子さんが言う。その日の午後、レイ子さんと歌を歌っていた。するとレイ子さんの目から涙。「どうしたの?」と声をかける。「話しても涙。笑っても涙。」とレイ子さん。涙は悲しい感じがするが涙にもいろんな涙があるな・・・。話しても涙、笑っても涙。
 向かいに座っていたのり子さん(仮名)が「おばあちゃん若いわね」と言う。「感情あらわすから。みんな隠してるから。」とレイ子さん。感情をあらわすって・・・・。涙を一人で流す事もある。誰かとのやりとりを通じ感情をあらわすのには相手が必要だ。心をあわせることで見えてくるその人。こころがずれることで見えてくる自分自身。豆をつぶすとき味噌を作るぞとこころを合わせながら、私は何をやれば良いんだろうと自分を考えた。


 こころには 晴れないものが いつもある それでもいいの 生きていくから
 

 たまさん (仮名)と頭と頭を合わせての挨拶。頭と頭を合わせた後、目があい二人笑う。その時たまさんが一言。「笑えばここすっきりする」と胸に手をあてて言う。すっきりしたいときは笑うか・・・。ん〜泣いてもいいか・・・・・。出会ったときには笑顔がいいな。
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おすすめの本 『陰翳礼賛』 ★施設長 宮澤京子【2008年4月号】

『陰翳礼賛』 谷崎潤一郎 中公文庫 1975.

 昨年の稲刈りが終わって3か月オーストラリアでホームステイをしながら語学学校に通った。極力日本語を排除して、現地の言葉、文化にどっぷり浸れる環境を意識して、あえて2冊の本しか持っていかなかった。その一冊がこの本『陰翳礼賛』だった。
 はじめの一ヶ月は、広大な自然に圧倒されながらも、そこには歴史や文化の蓄積がなく、どこか人口的で宗教性や霊性を感じさせない空気に、違和感と不安定感に襲われた。滞在した観光地ケアンズは「原始そのもののジャングルの上に、近代が浮かんでいて中間領域が全くない」といった印象だった。地に足のつかないような座標に面食らった。
 そこに住む人びとは一様に明るく、フレンドリーでよく喋った。観光客や留学生を多く受け入れているケアンズにとって、日本人はお金を落としていく大事なお客なのだ。私の片言の英語につきあってくれる人の多くも、合理性・効率性が優先され、お互い表面的なやりとりに終始して心が動かない感じが残る。曖昧な中間領域に身を置いて落ちつく日本人の私には、ものごとを「YesやNo」で割りきりたくない意固地さも加わって苦しい感じだった。さらに食事が雑な感じで腹を下し、結構なダイエットになってしまった。そんなとき夫がこの本を渡してきた。
 ホームスティ先では、いつものように早めの夕食を終え、部屋に戻り腹休みとばかり、この本を読みはじめた。まもなく部屋の電気が消えた・・・私の部屋だけかと思ったら、この地域一帯の停電だった。「Kyoko!Do you have a candle?」と聞かれるが、そんなもの海外旅行の携帯リストに載っていなかったし、「懐中電灯ではなく、ろうそくですか?」と聞き返したいところだった。
 ホストマザーは、ろうそくを皿にのせて運んできてくれた。ほのかに揺れる炎を感慨深く見つめながら、せっかくだからその明かりで読書を続けたのだが、なんと本の内容が京都の料理屋「わらんじや」の下りにさしかかったのだった。まさに電燈をともさず燭台の光で食事を提供する店の話なのだ。
 著者谷崎は日本の漆器の美しさは、ぼんやりした薄明かりのなかに置いてこそ発揮される。昔からある漆器の肌は、黒か、茶か赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生まれたというのだ。さらに日本の料理は常に陰翳を基調として闇というものと切っても切れない関係にあるという。東洋人は何でもないところに陰翳を生ぜしめて、美を創造する。美は物体にあるのではなく、物体と物体とのつくり出す陰翳の綾、明暗にあると言うのだ。まさに現代文明の明るいばかりの光には品位も艶も粋もない、現代をスパッと切ったような心地よさがある。
 私は「ろうそく」の共時をオーストラリアで体験しながら、日本人で良かった!日本人の感性に乾杯!と叫びたくなる。私を襲った異国での座標軸の不安定さは、日本文化としての「陰翳」を意識することで、ずいぶんバランスを取り戻せた。
 まばゆいばかりの光に照らされた観光地に日本の若者が大挙して押しかける。若者達の大半は何の悩みもないかのようにはじけているか、そうでなければ諦めてしらけている。日本人は伝統的に陰翳の意味、明るさだけではなく闇や影の価値を知りそれを基盤に大人の文化を築いてきたのではなかろうか。それが今、世界の流れの中で翻弄され若者にほとんど伝わっていないのは残念としか言いようがない。
 私の英語は大して上達しなかったが、日本と日本の文化の奥深さを発見し実感することはできたかもしれない。現代の高度に制度化された社会はまさに明るさだけの世界になりつつある。陰翳を知り人生そのものに迫る福祉現場を目指すには、一度はこの本『陰翳礼賛』に目を通しておくべきだと思う。
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雪のない4回忌 ★グループホーム第1 西川光子【2008年4月号】

 今年も3月12日、私も含め4人のメンバーが集まった。勤務体系からしてそれぞれの都合の良い日を決めるのには、シフト変更したりと難を要するのだがこの日ばかりは「3月12日ネ!!」だけで決まってしまう。
 毎年同じ居酒屋の同じ小部屋。おまけに座る席もおのずと同じ席という無意識のこだわりがある。この集いの始まりは4年前にさかのぼる。銀河の里のデイ利用から始まり、グループホームに入居して共に暮らした、 正吉さん(仮名)をめぐる会合なのだ。
 正吉さんはデイサービス、グループホーム両方を通じて田んぼ、畑、と農業に強い関心をもって関わり、冬には雪かきを必死でこなすなど、暮らしのなかで懸命に生きようとしていた。しかし体力・気力の変化と認知症も進んで、グループホームでの仕事を定年退職ということになり、儀式としての記念行事も行い、同じ「銀河の里」の中のグループホームからもう一つのグループホームへ移動して、われわれ4人のメンバーと新しい暮らしを始めたのだった。
 われわれ4人のメンバーとの付き合いは年月こそ短く、1年たらずのおつきあいでしかなかったが、そこでの出合いの日々は壮絶そのものだった。 正吉さんは来た日から 自分の家族 、一族を作り上げていった。私達はそれぞれ奥さん、姉、友人、上司、母と役割をもらい、その役は最後まで変わることなく続いた。
 毎日毎日が激しく、優しく、まさに人間の本質のぶつかり合いの日々となり、語り尽くせぬ膨大な1年となった。一年後その 正吉さんかなり衰弱して入院となった。皆でやるせない気持ちを共有し、街に出て居酒屋に集まることにした。それが3月12日の夜。その約束の朝8時30分、出勤時刻に訃報の連絡が入った。その夜、尽きぬ思いを暖め、店の最後の客になって外に出た。すると晴天だった空は 正吉さんを象徴するかのように雪となりシンシンと降り続いていた。みんなで舞う雪に向かって正吉さんの名前を呼んだ。
 それから毎年同じ日に同じ場所に4人で集まった。去年まで毎年、雪の夜の会合となった。やっぱり雪の姿になって正吉さんが来てくれていると思った。
 今年は一転おだやかで暖かい天気。雪の気配は全くない春そのものだった。”やっと天に召されたんだね”と私は感じた。いよいよ旅だった 正吉さんを送り、我々メンバーもそれぞれ新たなスタートなんだなと強く感慨にふける夜だった。タクシーで帰るのはもったいない気持ちがして私と美貴子さんは深夜の道を歩いて帰った。
 メンバーそれぞれがそれぞれの方向に進む今年、でもきっと来年も同じように会うと思う。 仕事場でも、なんら打ち合わせをしなくても、それぞれがそれぞれでいてうまく絡めた感触がある。年令に開きのある私までもが溶け込んで話せるこの空気。何ともいえない ”信頼関係 ”の心地よさがあった。それは 正吉さんという存在が作ってくれた関係だったと思う。
 今年の会合の前、待ち合わせまでの時間に物置の片づけをしようとダンボール箱を取り出したところ、偶然なことに中から出てきたのは”正吉”と書いたスリッパと軍手だった。この記念日に、たまたまこの箱を引っ張り出すという巡り合わせ。深い次元で深く出会うという人の不思議の体験をさせてもらったこのメンバーの集まりはそれぞれの人生の途上をつなぎつつ毎年続いていくと思う。
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ワークステージ奮闘物語〜みんなで健康診断編〜 ★ワークステージ 米澤里美【2008年4月号】

 ワークステージは今年で5年目を迎えた。ワーカーと共に年を重ね、一年を巡ってみると、年に一度の恒例行事に対して、今年はどうなるだろう、と‘ドキドキ’する。その中の一つに「健康診断」がある。これがとっても難関だ。毎年何かが起こる、血液検査は特に命がけである。毎年スタッフは、起こってくる騒ぎの対応に追われる事になる。

 昌子さん(仮名)は、まだ健康診断の日程が決まらない2月頃から緊張し、当日まで不安でいっぱいな毎日をすごす。「なんで健康診断なんかありゅの?なくしてほちい。」と涙をぽろぽろこぼしながら訴えてくる
「昌子さんが元気で働くために、体が元気かどうかを調べるんだよ。健康診断を受けるのも仕事の一つだよ。」と話しても、納得いかない。昌子さんは、人見知りで深い信頼関係ができていない人とは、話すどころか、目を合わせることもできない。それなのに健康診断は見ず知らずの人に体を触られるのだから昌子さんにはとても辛いのだ。しかたがないのでともかく頑張ろうとスタッフも昌子さんも不安なまま、腹を決めて臨むのだがそれでも簡単にはいかない。
 スタッフは1週間の受診期間にどういうメンバーで組み合わせるか悩む。注射が苦手な人は最大2人まで、仲悪い人同士は一緒のチームにしない、なおかつそのチームには個々人と相性のよいスタッフを配置する、など考慮してチーム編成をしていく。
 初日は男性チーム。いつも元気なよしきさんの顔が青ざめてる。太り続けているだいきさんは体重測定を気にしている。結局、肥満傾向を医師からの厳重(?!)注意され、スタッフを含めてダイエット計画が必要となる。
 女性チームの日。朝から緊張して、口数が少ない。車中、やっと絞り出す言葉は、「注射怖い」ともう泣きそうな昌子さん。院内に入ると、もうパニック状態。昌子さんは、院内に入った途端、我慢してた涙がぽろぽろと流れ出し、診察室前で動けない。シズコ (仮名)さんは、車中はなんとか耐えていたが診察室の前にきたところで固まったまま動けず泣いている。緊張して、出かける前にトイレに行ってしまったウメコ (仮名)さんは院内のトイレでずっとがんばっている。
 付き添いの私が泣き出したくなるが、私の気を引きたいキーコ(仮名)さんは、院内におかれた剥製をいじっていたずらをはじめ、診察室の前のドアや廊下の壁に頭をぶつけはじめた。制止すると「何よ!」と私の手を振り払い席を立ったり座ったりを繰り返し落ち着かない。そんなみんなの様子を見ていたリンコさん (仮名)も自分もとばかり「具合が悪い」と私に訴える。

 こんな状況も、毎年のことなので看護師さんも理解してくれていて、上手に声がけをしながら促してくれる。私は、看護師さんとアイコンタクトでやりとりしながら、(今だっ!)というタイミングで検査を勧める。長縄飛びの中に入れるように、リズムを取りながらタイミングを待つ感じだ。
 なんとか検査をこなしていくのだが大詰めは血液検査のシズコさんと昌子さんだ。レントゲンも、心電図も泣きっぱなしで、あまりに二人が泣き続けるので、看護士さんは、「無理しなくていいよ〜。注射なしでもいいんだよ〜。」と言ってくれたが、その言葉にはしっかり首を横に振る。「うっ、うっ、がんばりゅしかにゃいっっっ・・!泣かにゃいで、頑張ってこいって言わりぇてきたもんっ・・」と決意は固い。しかし、全く動くことができないまま泣いている。(おーっ!自分と闘っている!)と私も内心ドキドキ。「注射受けるのも、受けないのも自分で決めるんだよ。」と私は二人を待つしかない。
 そのうち二人はそれぞれ、自らのタイミングで、ズンズンッと歩いて、注射をする台までやってきた!緊迫した空気に「ほんとにやるのね?大丈夫だからね!」看護師さんまでも緊張している。私はふたりの手を握って涙と鼻水を拭く。緊張の血液採取が終わった。これで全ての検査をやりきった!「やったー!」と思わずふたりの手を握る。すごい!すごい!みんな一つ残らず、全ての検査をやりきった!
 トイレでがんばっていたウメコさんは、尿検査を後回しにして、他の検査を受け、二人が血液検査で自分と闘っているときに尿検査も完了!キーコさんは反抗しながらも、時々私の手をぎゅぅぅ〜と握りながら、全ての検査を受けた。リンコさんは、具合悪いと言いながら完了。今年も大騒ぎの健康診断。みんなを送り届けた後はぐったりと疲れを感じた。きっとみんなもそうだったに違いない。「健康診断」を通じて見せてくれた、弱いけど強いみんなの健闘。これからもいろんな場面で、みんなと一緒に‘ドキドキ’していきたいと思う。
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にぎやかなおやつ作り ★デイサービス 藤井覚子【2008年4月号】

 デイサービスではほとんど毎日おやつ作りをして楽しむ時間がある。利用者さんの中には3時のおやつを楽しみにされている方も多いので手はぬけない。
 この日のおやつはきな粉ボーロ。おやつの準備を始めると、自然とみんながテーブルに集まり始める。ところがいつもなら「手伝いますよ。何をすればいいの?」と積極的に声をかけてくる サエさん(仮名)が今日は目をつぶって黙って座っている。
 どうしたんだろ?具合悪いのかな?と思って心配になる。そのうちサエさんの目の前に座っていた昭さん(仮名)が食べ物に手を伸ばしはじめる。私が「まだだよ、もう少し待ってけで」と慌てていると、それまで黙って座っていた サエさんが「男の人は黙って待ってるの!」とガツンと言いながら、昭さんの前に立ちはだかる。
 それでスイッチが入ったかのようにサエさんはおやつ作りに加わる。そうこうしているうちにレイ子さん(仮名)が「もうちょっと良く見せてちょうだい」とおやつ作りを見に来る。「ねぇちゃん混ぜてやるから」と 正志さん(仮名)も手伝ってくれる。生地を丸める段階になるとレイ子さんは「あんたはいいから早く丸めて!」と監督さんになって、みんなの動きに指示をし始めたりして、いろんな人が加わりおやつ作りが段々にぎやかになる。
 「砂糖はこれくらいかな?」と聞くと「もうちょっと」「いいあんばいだ」と意見が出る。作る人もいれば監督のように指示する人、出来上がりを楽しみに見守る人とみんなに役割がある。みんなで作るおやつは大きさも形もバラバラなのだが、バラバラだからおもしろくあじがある。今時バラバラのほうが貴重だと思う。
 レシピを頼りに毎回おやつ作りをしているのだが、時には作っている途中にユリ子さん(仮名)が本を持って行ってしまったり、誰かが電気コンロのコンセントを抜いていたり、順序どおりにいかないことは日常茶飯事である。
 そんなドタバタした中でもみんなで作ったものを共に味う喜びは大きい。「この味付けはレイ子さんだね」と話しながら「おいしかった」「何とも言えない味ですね」といわれるとやっぱり嬉しい。おやつ作りをしているとみんなが一体となってその場にいるように感じる。その過程の中には一人一人の役割のようなものがあり、そこからいろんな物語や会話が生まれてくる。これからもにぎやかなおやつ作りからどんな味と物語が生まれてくるのか楽しみだ。
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コラさんはコラさんのままで・・・いつまでも ★グループホーム第2 板垣由紀子【2008年4月号】

 グループホームに勤務になって一年が過ぎ、コラさん (仮名)ともいろいろあった。まだ関係や距離がとれなかったはじめの頃の夜勤で、お互い引けない感じになって私が「じゃもう話さない」と幕を下ろして立ち去ろうとする後ろ姿に向かって「バカ野郎」と怒声を投げたコラさん。あのときからコラさんと本当のつき合いが始まったように感じる。今もその事を思いだして語ると、コラさんも照れながら「始めてだ人にバカ野郎なんて言ったの、ごめんや。」と笑う。私も「あれから本音で話せるようになったような気がするよ。けんかするほど仲がいいってほんとだね」と返す。
 今では、誰かと言い合いをしてすっきりしたい時に私を呼ぶような気がする。例のごとく呼び出しの鈴が鳴り、部屋を訪れると、いきなり突っかかってくるコラさん。

 コラ)「一番心配なのは、モウゾウ(妄想のこと)を見ること。」
 板)「(以前話していた)旦那さんの夢っか?」と返すと、怒り出す。
 コラ)「意地悪だね〜。そりゃ〜旦那の夢も見るよ。」となんか勘違いしている?
 板)「前話してくれたモウゾウの話だよ。」
 コラ)「それはとっくに終わった。」とどうもお互い収まりつかない。
 板)「お腹すいてる時に話す話じゃない、満腹にしてからくるから。」と私は幕を引く。

 しかしまたすぐ鈴が鳴り、声がかかる。話はどうやら、「自分で自分のことが出来なくなってしまうのではないか、おかしくなってしまったのではないか、呆けてしまった、そうしたらここにいられなくなるのでは?」という悩みのようだ。
 「何だコラさんそんなこと悩んでいたの、ここは、わからなくなっても居られるから大丈夫だよ。そのために私たちが居るんだから。」と話すと、「あや〜そうなの、いがったよろしく頼むよ。」と一応安心している。
 以前は「だまされて連れてこられた。」「ここはひどいところだ。」と悪態のたれ放題だったが、最近は随分とかわいくなってしまった。悪態をついて、ここよりいいところがあるいう「夢」を持ち続けたほうがいいと思うのだが。
 変わったといえば最近、あれほど執拗に通った病院受診も面倒だと言って行かなくなった。男性スタッフを一日ジャックし、病院の各科を巡るのが生き甲斐のようなところがあったのに。ここしばらく女性スタッフだけだったし、ひとりひとりがそれぞれじっくりと話も聞いて関係を作ってきたことも影響しているかも知れない。

 新年度、新人スタッフも入って新たなスタートの4月「俺こっただから罰当たった〜。」とどんより落ち込んでいる。話を聞くと、「新しい人入ってきたから教えてあげてと言われたけど、わがね。」とどうやら慣れたスタッフに身体の介助をやって欲しいコラさん。
 「今まで通り、やって欲しいことや困ることかはっきり言えばいいんだ。わがまま言ってください。今の若い人たちに、察してもらおうと思ってもそれは無理だよ。日本は察しの文化だったけど、戦後アメリカが入ってきて、今は個の文化・・・。」「わかった、気づいて欲しいと思うから苦しかったんだ、わがまま言います。」「そうだコラさん、今の世の中察してもらえないなら、きかなくなって世直ししよう。」「俺の肛門悪くなったのは、このためが〜。 」
 俺は生まれついてのわがままと語るコラさん、これからも、悩んだり、喧嘩したり、笑ったり、怒ったりのありのままで、若い人のリアリティを育てていってくださいよろしくお願いします。
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農業と新人の私 ★ワークステージ 三浦由美子【2008年4月号】

 銀河の里に就職して、早3週間が過ぎようとしている。ワークステージで、知的障害者の方達と農業に取り組んでいるが、農業に初挑戦の私は、毎日が初めてのことだらけで、ただ目の前の作業に夢中になっているうちに一日があっという間に終わる。
 土に触れ、畑を耕すなどしていると、もしかしたら農業は面白いのではないかと感じ始めている。今まで身近に農業を感じたことはないが、祖父と祖母が農家だったのでたまにとどく祖父達の作った沢山の野菜達が、いろいろな表情をしていて食卓に並ぶと何だか温かく、ほっとしたものだ。しかし、その時は普段自分の食べているお米や野菜など、作る側の苦労をあまり考えたことはなかった。
 まだ農業に取り組み始めたばかりではあるが、実際に体験してみると一言では表せない時間と手間がかかっていることに驚く。鉢に入ったトマトの小さい苗達を見ていると、今の自分のように見えてくるが、いずれ大きい実になるトマトとともに私自身も農業を通して成長していけたらと思う。
 農業班の利用者の皆さんには、時には優しく時には厳しく一喝されながらも日々いろいろと教えて頂いている。そして、皆さんと一緒に過ごしていると、長年の経験がものを言う世界だと実感し、頭が下がる思いである。今はまだ農業の「の」の字も知らないところだが、この1年を通して流れを把握し、皆さんに助けて頂くだけでなく私も畑班の力になり一刻も早く戦力になるように取り組んでいきたい。
 最近、地産地消や食育などが話題となっているが、農業こそが基盤だと言うことはよくわかる。そこには安心して食べられる、新鮮でで、信用できる大きな価値があるはずだ。銀河の里のお米、野菜はやっぱりおいしい、また食べたいと繰り返し言ってもらえるお米作り、野菜作りをしていきたい。
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フィリピン散策記1 〜そこに生きる人々〜 ★ワークステージ 高橋健【2008年4月号】

 2月23日から3月20日までの約1ヶ月間、僕は「銀河の里」新人研修の一環として語学留学のためにフィリピンのセブ島に滞在した。24年間生きてきて初の海外の滞在である。出発直前まで(正確にはフィリピン到着後も)卒業の残務整理や新生活の準備に追われていたので、フライト中でさえもフィリピンへ行くという実感がなかった。
 しかしマクタン国際空港から一歩足を踏み出すと、むっとするような熱気と人の臭いに包み込まれ、怪しげな人達に一気呵成に押し寄せられたとたん、なぜだかよく分からないが、僕は満面の笑みを浮かべていた。僕は未知の経験をする時に、身体が素直に反応するらしい。日本では見向きもされない僕がフィリピンに着くやいなや、この大歓迎である。既知の経験に還元することが不可能で、何らかの感情で枠づけする事できなかったために、恐怖や喜びや怒りが交錯し、ぐちゃぐちゃになった状態が「笑み」として表出されたのであろう。僕は現前するものに対して純粋な「驚き」を感じたのだ。
 感情さえも制度化、商品化されてしまった現代の日本の高度消費社会では決して味わうことのできない感覚である。現代の多くの日本人は喜怒哀楽を「感じる」のではなく、喜怒哀楽を、ただ単に「消費」させられている。もしくは消費させられている事をシニカルに自覚しながら「消費」しているのである。ノリつつシラケる、シラケつつノルといった感じがそこにある。
 学校の授業が土曜日の午後と日曜日はオフだったため、オフの日はカメラ片手に1人でプラプラと散策して歩いた。セブ島には有名な観光名所があるが、端からそんな所には興味がなかった。観光客が見たい物を展示し、購入したい物を売り、感じたいことを感じさせる装飾された空間で、フィリピンで生きる人々の暮らしが見えるはずはない。というわけで、語学学校の先生に「非常に危険だけど、フィリピン人の生活を支えている場所だよ」と紹介してもらった、カルボン・マーケットという露店が乱雑に並ぶセブ島で1番大規模な青空市場に行った。

 

 シートの上にパック詰されていないまま乱暴に並べられた魚介類や肉類、生きたままの鶏、色彩豊かで形が不揃いの果物、もみくちゃにされたような衣類、インチキくさい雑貨等、ありとあらゆる物が店頭に並べられ大勢の人とハエとゴミで賑わい、活気に満ち溢れていた。様々な臭いが混じりあって、鼻がひん曲がる程の異様な臭気を発し、脈絡のない電線が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、人々は好き勝手に小道を闊歩していた。混沌とした空間の中に「生きよう」とする強固な意志とリアリティがそこにはあった。しかも人々の表情には悲壮感のようなものはまるでない。人びとの表情は極めて明るく、開放的な雰囲気があった。

 

 振り返って、物質的にはフィリピンと比較にならない程の高い生活水準を享受している僕達日本人の、悲壮感あふれる顔はどうだ。希薄で平板な生活の落とし穴にはまってしまったかのようだ。村上龍が「希望の国のエクソダス」の中で語る言葉を思い出す。「日本には何でもある、ただ<希望>だけがない」
 僕たち日本人は何を引き替えに「希望」を失ってしまったのか考える必要があるのではないか。フィリピンの街かどや人びとの表情の中にある息吹を感じながら僕は日本と日本人としての自分を振り返らざるを得なかった。 (続く)
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スパークリングスパークに参加して ★デイサービス 中屋なつき【2008年4月号】

 「悠和の杜」閉店のファイナルイベントで「スパークリングスパーク」と題してシンポジウムがおこなわれた。閉店だから新聞記事にも載ったように「残念」とか「頓挫、肩を落とす」なんてとらえ方が一般的なんだろうけど、全くの逆!なんだかモリモリと熱い気持ちが沸き上がってしょうがない!って感じのイベントだったのです!

 ワークステージ支援員の、米澤の活動報告は、私が留学でいなかった一年間に起こった、杜のいろんなエピソードが紹介された。店で活躍したワーク利用者の顔、姿。職員も共に奮闘する中で、一人一人の成長の様子が生き生きと伝わってきた。
 自分が一年「銀河の里」を離れていたと思えないほどリアルに伝わってきた。店は閉店の形を取るけれども、これはぜんぜん終わりではない、まだまだ物語は始まったばかり!杜をやって起こってきた出来事や利用者の成長に引っ張られながら、さぁ、次の作戦を!と、なんだかみんなに対する感謝の気持ちとやる気とで体が熱くなる。
 シンポジストは、偶然?!なのかどうか、女性ばかり4人ズラリと並んだ。黒一点は進行役の理事長。客席に男性陣。田舎では滅多にないだろうこの図式にそれだけでワクワクさせられる。出てくる、出てくる、迫力満点の話!現場の生の声!これこそ女性の力だ。
 店の取り組みとその意義を、長年の経験から論理的に的確に、経営面の課題を探りつつ語ってくださったカナンの菅生さん。お客さんとしてもお付き合いしてくださった滝田先生は、特学の生徒さんと向き合う戦いの日常を人間的魅力たっぷりに紹介してくださる。障害者の事件を多く担当している弁護士の佐藤倫子先生は、店の特性酢豚の大ファンで常連のお客様として応援してくださり、「まだ応援しきっていないんだからやめないでほしい」と心強い励ましをいただいた。認知症ケアの著作もあり、障害者関連の番組も手がけておられるNHK解説委員の小宮さんは、当日ほとんど飛び入りで、東京から来てシンポジストの席へとハメられてしまった!
 この四名に共通して感じられる事は、男性社会の最先端で活躍し実績をあげながら、女性としての自分をしっかりと生きることで、最終的には豊かな女性性で勝負をされているところだと感じた。失敗や一筋縄ではいかない出来事もマイナスとは捉えず、次のステップとして大切に見守ってくれる眼差しがある。「美味しかった。閉めるのは本当に惜しい」と自分の店の事の様に悔しがってくださったり、「利用者が育っている姿が嬉しい。ここでくじけないで!」と声も。女性ならではの「育む」姿勢。体感的なリアリティは、男性社会の他人事に乾いて聞こえる意見とは対照的で実に興味深かった。
 私が個人的にも印象に残ったのは、いつも論理的で父性的な社会に通用する話を展開される菅生さんの一言。(直情型べらんめいタイプの私にはとってもカッコ良く見えてあこがれちゃう!) 米澤の活動報告で、利用者と社会に出て行くとき「利用者を守っているつもりが、むしろ自分の身を守るために彼らを利用してしまってはいないか?」という葛藤の中で自身も鍛えられてきたとの話に触れたときだった。それまで菅生さんらしい現場の戦士の語りの最後の最後、言葉を切り、無言で一瞬空中に目線を上げ、ためて一言・・・「がんばっておられますね」と言われたのだ。その1〜2秒の「間(ま)」に、一瞬言うか言うまいか迷って、それでもやっぱり言って下さった励ましの言葉と私は感じた。事業を抱え、社会で勝ち残りをかけた戦士として戦いながら、その奥には豊かな女性性が充分に脈打っていると感じた。菅生さんのその一言だけは会場全体ではなく米澤に代表される若いスタッフに向けて届けてくださったと思った。
 授産施設立ち上げにあたって見学に行ったカナン牧場。あのとき、プロジェクトXを垣間見たような菅生さんのお話にパワーをもらって、勇気を振るい起こされた。何かが生まれてくるとき、あるいは成長していくとき、そこを支え育てる力(母性と呼ぶ?)を秘めた父性・・・って感じ!これこれ!こういう姿を見せてくれる大人に出会えたことが感動!

 店という形で、利用者と一緒に街に出てみてわかったこと。やらなければ出会えなかった、たくさんの人と出来事そのものが収穫で成果だった。感謝と新たな挑戦への意欲に武者震いするようなシンポジウムだったのです。
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