2008年03月15日

いつの間にかテーブルに集まって… ★グループホーム第2 板垣由紀子【2008年3月号】

 節分の豆まきが終わり、残った落花生をただ食べるのも芸がない、ピーナツみそを作ろうかということになった。作り方は?「お母さんがつくってた」丁度その日の勤務が、岩手、山形、青森と出身がバラバラで、それぞれのピーナツみその作り方で盛り上がった。
 結局、青森出身の伊藤スタッフの手作りの方法で「作ってみよう」ということになった。
 テーブルに豆を広げ利用者もスタッフもみんなで殻を剥き始める。いつも「小馬鹿たれ」と誰かを怒鳴っているサチさん(仮名)も、夢中で剥く。時々口にぽいと放りながら剥く。向かいでは守さん(仮名)が剥いたはしから全部食べている。サチさんが剥いたのを守さんが食べてしまうのではと気が気ではない思いで、私も隣に座って殻を剥く(気づいたら一気に食べられてしまう)。豊さん(仮名)は口で殻を割りながらこれまた食べるのに一生懸命だ。
 そのうちいつも豊さんがテーブルを叩くと「うるせ小馬鹿たれ」と罵るサチさんがテーブルを叩いてピーナツを割り始める。「景気いい、豪快だねサチさん」とスタッフも乗る。
 

 
 別テーブルでこの様子をみていた久子さん(仮名)を誘うと、いつもなら「ここさ持ってこ」というのだが、この時は自分から椅子を押してきて、みんなの輪に入る。「何たらおめ食ってばりで」と隣になった守さんに一言言ったが、「こぼさねよにな」と柔らかい言葉をかける。「私ココア入れてきますね。」3時近くなるとスタッフの一人が、こびる、という感じで自然にみんなにお茶を出す。そんな中最後は“食べる”一筋だった豊さんが、軽く砕いたピーナツをすり鉢でする。伊藤も実家のお母さんに電話をして調理方法を確認して仕上げ、夕食の卓に一品として上がった。
 

 

 普段は、利用者それぞれが居室にいたり、歩いていたりと、個々で過ごすことが多い。ところが今回はみんな集まってなんだか楽しかった。意図してやったことではなかった。スタッフの興味から、やってみるかになり、やろうやろうと気持ちがひとつになった。このとき、伊藤が、母の味を“作ってみよう”と積極的にやり始めたのが大きい。母親がいろいろ作って食べさせているという環境も、それを自分もやってみようという伊藤の姿勢も何か温かいものを感じる。こうしたことがなかなか受け継がれづらい世の中で、グループホームを通して受け継がれていく感じもいい。
 何事もやってみよう、やってみたいという気持ちあることが大事だ。気持ちが入っているからこそ、見ている人を引きつけ、いつの間にか参加させてしまったのではないかと思う。気持ちが入っているかどうかは大きな鍵だ。認知症の方とのアクティビティとなればなおのこと、本気が無ければ通用しない、認知症の方は理解できないのではなく、本気や本物でないと通じない、本質を見抜く力を持っていると実感させられる。
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ある日の入浴 「一人じゃ入りたくないよ」 ★デイサービス 藤井覚子【2008年3月号】

 脱衣場のスタッフから「敦子さん(仮名)が誰か女の人連れてきてちょうだいと言ってます」と聞かされたのが始まりだった。私が脱衣場に行くと少し険しい表情の敦子さんがいた。「敦子さん、お待たせ」と言うと「ひとりじゃ嫌だと思っていたの、あんたも早く入りなさい」と言う。「私も中まで一緒に行きます」と言って敦子さんが服を脱ぐのを手伝おうとすると「私のことはいいから早く脱いじゃいなさい」ピリピリとし始める。「敦子さん、私が背中擦るから」と言うが、私も服を脱いで一緒に入ることに敦子さんの中では決まっているようで納得してもらえない。
 どうしようと戸惑っていると、敦子さんは裸になって、湯船に入ったものの、敦子さんからすれば一緒に当然入るべき私が服も脱がないのが許せない。「早くしなさい!」と厳しい視線を私に向ける。湯船に浸かれば少し気持ちも変わるかなと思ったのは思い違いだった。「嘘つき女!!」と浴室に響く声。「えっ?!」と固まる私。睨み付ける敦子さんの顔を見ながら言葉を失う。「敦子さん。私背中擦るよ。そろそろ上がらねっか?」と声をかけるが、私を睨み付けて頑として上がろうとしない。仕方なく他のスタッフに声をかけてもらってみたが変わらない。
 私はもう腹を決めて服を脱いで湯船に入った。すると敦子さんの表情はみるみる柔らかくなってさっきまでの険しい表情はどこへやら。「そんなに熱くないわよ、背中を擦ってちょうだい」とにこやかになり、気持ちが落ち着いた。
 湯船から上がってからは「ちょっと手伝ってちょうだい」と自分から頼んできてくれて、着替えをたたむ私に「要領よくたたんでいるじゃない」とニコッと微笑む。一緒に入浴しようと決めるまで私自身、仕事的に考え、なかなか踏ん切りがつかないところがあったがいざ入ってみると一緒に入浴を楽しめる自分がいた。
 一対一で向き合っていると、時にはどうしたらいいのか分からなくなることがある。「こうすればうまくいく」 というようなものはなくてその場その場で違う状況がある。声掛けもタイミングも毎日が手探りだ。でもなかなかうまくいかない時に限って見えてくるものがたくさんあることを今回の敦子さんとの入浴を通して感じた。「ひとりじゃ入りたくないよ」というのは敬子さんの本音だったと思うし、その時に私は一緒に入る人として選ばれたんだと思う。選ばれた私自身がそれをきちんと引き受けることができるかどうかが、勝負として常に問われる現場にいるんだということ強く感じる日々である。
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今月の「うっ!!」 〜久子さん的常識編〜 ★グループホーム第2 伊藤洋子【2008年3月号】

 物静かだけれど、さりげなくシュールで味のある久子さん(仮名)。そんな久子さんのこだわりのいくつかを、今回はそのおっきなおしりとともに紹介いたします。


そのいち、ばい菌はお尻からやってきてお尻にくっつく。


そのに、凍み大根(寒大根)は、あまり煮すぎない。
ちなみに外に干すのは夕方である。


そのさん、バレンタインにもらったチョコは、いらなかったら男の人にあげる(あれ??)。
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「盗られた話」で盛り上がる ★グループホーム第1 西川光子【2008年3月号】

 92歳だが色気も品格もある現役の良子さん(仮名)。良子さんは男性、特に理事長がお気に入りで、来るたびに、手を取ってキスしたり、帰る時には投げキッスで送る粋な方だ。
 毎朝リビングに来て時計を確かめ、早いともう一度部屋で眠るのだが、ある朝、時計を見て、振り向いたタイミングでバランスを崩し転倒してしまった。転倒は高齢者にとって致命傷にもなりかねない。腰が痛いと訴える良子さんと整形外科を受診する。良子さんとのドライヴはコンサート、舞踊鑑賞、お食事とおしゃれな外出が多い。骨折ではないかと心配をかかえて出かけるのは胸が苦しく、祈る思いでの受診だった。
 診察の結果、幸いにも骨には異常はなく、おまけに骨密度も良い数値と言うことで一安心。気分は一転、嬉しくなってそのまま帰るのがもったいなくなり“おやつショッピング”に立ち寄った。 良子さんにチョコレートを渡すと大喜びで「わあーチョコレート!嬉し〜い。私ね6才のころからチョコレート食べていてね。ねえ食べようよ。はい・・ア〜」と運転中の私の口に適切な大きさに割って運んでくれる。
 腰の痛みもどこへやら“おいしいね”とおしゃべりがはずむうち「あのね、着物3枚に帯、腰ひも、腰巻きにタビまでなくなったのよ。本当に嫌になっちゃう」と「盗まれ話」になった。「盗まれ話」は良子さんの日常茶飯事で、一緒に嘆いたり、怒ったりと気持ちに添いながら、盗まれたかどうかの「事実」ではなく、盗まれた「心の真実」に沿いながらの受け答えをしてきた。
 この日はチョコレートの甘さにひかれて気分もよかった私は「あら(盗ったのは)どんな人だったの?」と聞いてみた。「背は私より3センチくらい高くてね。いつも私の押し入れをかましている人なのよ。」と言う。
 えっ、ドキッ!!「それって私の事じゃない」と思わず言うと。「ウ〜ウ、違う違う。顔の色は黒くて小太りでずんぐりしているの。あなたはね、一目見たときから好きだったもの。あなたのはずないでしょ」と言ってくれたので、安心しちょっと嬉しくなって、さらに質問を続ける。
「その人っていつも着物着てる人なの?」・・・「そうね、洋服と半々かしら」「婦人部で一緒だった人?」・・・「婦人部ではねえなあ〜」と考え込む。私もしつこく「一回に3枚もっていくの?それとも1枚ずつ持っていくの?」「一回に3枚ではないから1枚ずつなんだね」・・・「まあ〜なくなっても別にいいけどね」と段々どうでもよくなってくるのが伝わったが、私はさらに「その人、タビはいてた?靴下はいてた?」と聞く。「そこまで見なかったわ」と言う。確かにそりゃそうだ「泥棒の足まで見ないよな」と私のクエスチョンは終わる。

 あとで思い返すと“盗られ話”でこんなやりとりができた自分がとても新鮮に感じられた。「盗られた」と言われると、躍起になって「誰も盗ってないよ」と言いたくなるのが自然である。私も以前だとそうなったに違いない、しかし、「盗られた」と言わざるを得ない気持ちがそこに動いているのは事実だ。その気持ちに沿って聞いていくなかで、盗った人の像をイメージで生み出すことの不思議さをこの時体験した。事実をいくら押しつけても内的真実は生き生きとうごめいている。そこが大切なのだと言うことをこの数年の現場の体験から学ぶことができたように思う。良子さんの「盗られる」ものはめがね、服、下着、着物、化粧水など、身につけるものに限られている。良子さんの人肌恋しさと関連があるのだろうか。思いがつのって深刻さが増すと盗られるものは下着など肌に近いものになっていく傾向もある。
 この時私が、イメージを膨らませて、良子さんの盗られた話に入って行けたのは、昨年里の事例研究会で、ユング派分析家の放送大学の大場教授を迎え、そこで事例発表をさせていただき、心が動く深い体験をしたことが大きいと思う。その後、大場先生の本も読み、授業の録音15時間分を感動して聞いたことも影響している。
「盗られた話」から良子さんの複雑で細やかな広いこころの世界の窓が開かれていくことが実感として感じられる。「だれも盗りませんよ」なんて野暮なことはとても言えなくなる。骨に異常がなかった安堵の嬉しさにちょっと舞い上がりながら、今後も良子さんの心の世界に、自分のイメージを働かせながら添っていきたいと思った1日だった。
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スパークリングスパーク(その1) ★宮澤健【2008年3月号】

 自立支援法によって危機的な状況に追い込まれているのはどこの授産施設でも同じだと思われる。私は自立支援法の精神は、ひとりひとりの市民と地方行政が、障害者が生きることとその存在に対して意識し、自分自身の問題として考えることをうたっているものと理解しており、成熟した理想社会の実現に向かうべき法律だと信じている。
 ところが裏にある、社会保障費をどう削減するかという経済事情が優先してしまい、法の運用としては最低に近い形で動いてしまっているというのが現状ではなかろうか。経済基準でこれを運用しすぎるので、障害者を働かせてお金を自分で稼がせろと言わんばかりの無謀な形にもなってきたのではないかと思う。もちろん障害者にとって働ける場があるというのは良いことに違いないが、その確保をどうするかは相当の努力と繊細な対応が必要である。もともと福祉は所得の再分配という支え合いが原則と考えると、福祉の基本を逸脱する危惧まで感じてしまう。
 もう一つ大事なのは障害者の個性と適応の課題である。現代の日本人は社会に適応するために相当個性を抑圧していると思われる。個性は抹殺状態といえるぐらい厳しく追い込まれている現状を感じる。そうした状況下にあって、知的障害者の現場に携わる者の素直な実感からして、障害者は大いに個性を発揮して生きているというところに重大な価値があることを日々実感してきた。抹殺された個性を彼らは厳然と発揮して生きていてくれることが、我々個人と社会の救いなのではないかと感じてしまうのである。
 今回のファイナルシンポジュームを企画して、物心両面でお店を支え応援していただいた多くの方の代表としてどうしても登壇いただきたかった3人の女性がおられた。その中のお一人佐藤倫子弁護士は、「いろいろ社会的な問題を起こしてしまいやすいのは障害者がエネルギーを持って生きているという証だ」とそこに存在の力を認められている。そうした理解の上で事件に巻き込まれる障害者の支援に奔走されているのは、なにも語らなくとも通じる同志を直感してきた。
 堅苦しくやるのではなく、「居酒屋レストランらしく飲みながら気楽に語るなかで、熱のある議論を展開するのがいい」という提案も佐藤弁護士からだった。私もそれが悠和の杜らしいと即座に賛成した。そこで、倫子先生の好きなスパークリングワインを飲みながら白熱する会ということでスパークリングスパークと銘打ったのだった。
 この会を是非一般にも知ってもらい参加してもらいたいと新聞社に取材の申し入れをした。早速取材に来てくれて、大きな紙面で報道になったのだが、内容はシンポジュームの紹介ではなく、「自立支援の店頓挫」という情けないタイトルで載った。「赤字続き遂に閉店」。まさに敗北感漂う紙面だった。さらに「理事長は肩を落としている」と書いてある。肩を落としているどころか、ここからどうするか必死のファイナルイベントに挑戦しているのである。肩は怒っているぐらいだが、もともとの猫背が肩を落としているように見られたのかもしれない。

 

 赤字は確かに事実であるが、一年店を街に展開し活動した意味と成果は十分あったと考えている。店の評判は高かったし、閉店の決定には、やめないで是非続けるべきだとの声を、意外に多くの方からいただいた。応援をするからやめるなと言ってくださる方々も大勢あった。たくさんの方々がこの一年の我々の挑戦に注目し声援を送っていただいたことは感謝この上ない。
 これはプロセスであって、終わりではない。だから頓挫はいただけない。私のイメージとしては玉砕が近い。自立支援法を掲げて、突撃をしたつもりである。万歳を叫びながら総員海の底に壮烈な最期を遂げた感じにしてほしい。問題は靖国で会おうならず支援法で会おうだ。障害者の自立の支援とは何かをここから考えたい、また考えるだけの事がこの突撃にはあるはずなのだ。犬死などしたくない。精霊として蘇りたい。それが今の思いである。
 スパークリングスパークはどうスパークしたか次回に続きます。
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今月の一句 思い出を… ★デイサービス 鈴木美貴子【2008年3月号】

 思い出を 仲良く食べに はとぽっぽ あなたのそらを 飛んで行けたら
 

 デイホールで指揮をとる保さん(仮名)と、ピアノを弾きながら歌っていた。良夫さん(仮名)がソファからチラリと見たので、良夫さんも呼ぶ。「良夫さんの18番は?」と聞くと「はとポッポ」とにんまり。「歌ってけで」と「ポッポッポハトポッポ〜♪」と歌っていたが、最後のところ、“みんなで仲良く食べにこい♪”を「そらやるぞ〜思い出あるからポッポッポ♪」と。歌ってくれた。思い出があるから飛んでいけるということなのかなと思えて面白かった。

 

 ひな人形 それぞれちがう 同じでも よく見てみれば あなたとわたし
 

 セイさん(仮名)が「あや、赤いの綺麗だ」とひな壇を見ている。隣りに座ると、「みんな同じように見えても、ほれ違うよ、よく見て」と言う。遠くから見れば三人官女は三人とも同じに見えるし五人囃子は五人同じに見える。でも・・・近づいて見てみると違う、一人一人の表情。
何日か後、今度はグループホームのハナさん(仮名)がひな飾りを見にデイホールに来てくれた。人形一つ一つをじっくり、指をさしながら見ていたハナさん。戻る時、「また来てくださいね。ハナさん」と声を掛けると「いつ見に来てもおなじなんだ」と一言。いつ見ても同じ・・・。ん〜・・・。ひな人形を見ていたセイさんの言葉とハナさんの言葉がなんか????になった。同じようでも同じではない。違うようでも違わない。私の頭が渦を巻いてくる。同じ、違う。人の形をした人形、人って・・・??違うように見えるけど同じ所もあるし、同じように見えるけど違う所もある。自分(人)も他人(人)も同じ?違う?同じでも違ってもどっちでもいい。でも、よく見て、何かを見つけたい。同じなのか違うのか、どんななのかを、自分で。
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