2008年01月15日

霊性の支えと日本人 ★施設長 宮澤京子【2008年1月号】

 便利で豊かの裏返しのようにかさかさし始めた日本の社会のなかで、ここ7年、認知症のお年寄りと、暮らしの中にたたずむことを本分に生きてきた。そこで実感させられたことは、認知症を超越する、人間の存在の凄まじさだった。認知症ごときで、人間はその存在の偉大さを失ったり、脅かされることはない。むしろ本質的には、尊厳はさらに深く際だつことを見せつけられてきた。
 しかし、尊厳や存在といった話題は、社会でも福祉業界でもほとんど取り上げられることはないし、切り出してもほとんど通じないのが現状だ。そこには超越的ななにか、宗教性、芸術性がかかわってきて急に怪しく感じられるのはわかるような気がする。しかし人間からそれらを取り去って人間を語り得るだろうか。語り得たとしてそれは意味があるだろうか。
 日本人に尊厳や存在を語れば怪しまれ、いじめの標的にされるのが落ちなら、外国の人に語ったほうが理解されるのではないか、いやむしろ外の人は日本人の持つ超越性や芸術性を希求しているのではないか。そう考えて英語の必要性を急に感じるようになった。日本にいても英語を使う機会は少なく上達しないので、思い切って短期留学を決意した。若い人を送った方が良いと言われながら、押し切って率先垂範とばかり夏のオーストラリアにやって来た。
 最初の一月過ごす中で違和感が常にあった。それは物足りなさというか、落ちつかなさというか妙な不安定さだった。住んでいるこの町この場所に支えを感じないのだ。
 ジャングルの中に突如人口的な近代都市がつくられたのだ。歴史がないと言えばそれまでだが、そこには霊性が宿れないでいるのではないか。明るい光、青い海、広大な大陸の自然。観光としての資源は充分ではあるが、そこには光しかないのかもしれない。そうした光を求めて、日本の若者がワンサと観光にやってきている。日本人だらけと言っていい。明るさの中に飲み込まれた日本人はもはやそこに陰翳(いんえい)をとどめることがない。陰翳を失った世界は露出オーバーのしらけた光がまぶしいだけで、厚みも、立体感も浮き上がってはこない。
 異国の地に立ち、何か気持ちが落ち着かないのは、心細いとか淋しいといった事ではない。ホームシックになれるような繊細さは残念ながら持ち合わせていない。ヤワではないはずの私を揺さぶってくるのは空虚かもしれない。気がつかずに持っている心の軸、心の支えのような何かが、価値も意味もないものにされてしまうような感じ。浮ついた日本人の若者にあふれているからそう感じるばかりではない。街には神社、お寺、教会というものが見あたらない。神や超越からは切り離された土地なのだ。
 経済的に豊かになった日本人が、簡単に地球の裏側に来られる時代。カスタマーとしての対象でしかない。金だけで繋がっていることの軽薄さを、お互い隠して意識しないことにしているかのようだ。
 昨年、田植えの後、草取りで田んぼに長い時間はまっていたとき、ビジョンが現れた。今は亡き、サトコさん(仮名)やミツコさん (仮名)ギンさん(仮名)が見守ってくれていた。一緒にやっているときはただ彼女らの作業の腕前に圧倒されていたのだが、あの世に逝っても彼女らは私たちを支えてくれている。生死を超越した先達との連帯感。自然のめぐりへの信頼と畏敬、地に連なる縄文の息吹、日本には守るべき育むべき精神文化と歴史があることを異国で実感させられている。
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今月の一句 歌声が… ★デイサービス 鈴木美貴子【2008年1月号】

 歌子さん(仮名)
「お風呂も歌も食べるのも大好きですよ」と入浴しながら話す。
「歌うとうるさいって言われるから。お風呂で歌うの好きですよ。」
私もよくお風呂で歌を歌う。浴室は声が響く。自分の声が響く空間はまた違った世界。
お風呂で歌うこと・・・私も好きだな。自分の世界にひたれるからか・・・。
声を出す。元気が出ます。
 

あの世へも 体に任せて 生きていく 死ぬのは嫌でも あの世は楽し
 

 久々のグループホーム勤務で コラさん(仮名)の部屋へ。
「おはよう」と表情やんわりのコラさん。でも話は、「死ぬの近いかもしれない・・・」と暗い。でも、表情は柔らかい、その時の コラさんの言葉。
「人間は死を恐れてはいけない」「体のありのままに生きていけばいい」
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今月の「うっ!!」 〜コラさんと替え歌編〜 ★グループホーム第2 伊藤洋子【2008年1月号】

 どんぐりころころ 2番の歌詞より
(ある日コラさん(仮名)と大声で歌って笑ったのでした)


 コラさんころころ喜んで〜
しばらく(2号(戸來)と5号(菊池)と)一緒に遊んだが〜
やっぱり3号(清水)恋しいと
泣いてはスタッフ困らせた〜♪


(作詞 by コラさん&伊藤)
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アートシーン:石川優太絵画展『Door』を見てパート2 ★宮澤健【2008年1月号】

 前川さんが心に感じるものがあったと重く語るので、私も最終日ぎりぎりに石川優太の作品展を見に寄った。若いこの作家が死を凝視することで、生を問いかけていこうとしている姿勢が伝わって、我々と同じ匂いがそこにあるように感じた。
 私は広島の山奥の村で育ち、子どもの頃から周辺の山々に分け入ったものだ。子ども同士で山に遊びに行くことは日常だったし、それこそ柴刈りや、たきぎ作りの親の手伝いに行くのも日常だった。
 今思えば山は生命に満ちていた。そして暗く静かな世界だった。山は生活の表ではなく、周辺であり奥なのだが、火や道具を取り出し生活の日常を成り立たせるための支えの源であった。昔話で、ばあさんが川、じいさんが山へ行くのは、生活が山と川で支えられていたということだろう。私は期せずして、昔話の暮らしの実体験をしながら育ったのだと思う。
 3歳くらいから2年間、近所の幼なじみの女の子といつも遊んだ。二つ年上だから私から見れば随分とお姉さんだったその人は小学校に上がったとき。「もう小学生だからあんたと遊ばない」と言った。私はケリをつけられ寂しい思いをしたのだが、それは思春期以降恋愛をするたびにケリをつけられて辛い思いをした、その辛さとほとんど同じものだったように思う。「遊ばない」というのは「一緒に山に行かない」という意味だった。山は深く性とも結びついていたのだ。
 山にところどころ池があった。その一つにつばくろ池というのがあった。小一時間山道を歩かねばならないのだが、それはどこか神秘を漂わせていた。その池まで行くことが目標になったりした。途中には古墳があった。石棺を取り出した空洞の洞窟は不気味だった。その中に入ったのは、中学になって男友達と度胸試しでコウモリを見に行ったときだった。葬式が出ると、火葬は山で行った。つばくろ池の途中に火葬の小屋があった。たまには山に入って帰らない人もあった。山は死も引き受けていた。
 山は日常と連なった非日常の世界だった。その異界と日常は頻繁な行き来があったように記憶している。今 では山に入るものはいなくなり、ましてや子供が山に入ることはあり得ないだろう。
 日常は異界と乖離しエロスのエネルギーやときめきを失う。 20代の画家が、現代が失った死と性の異界のドアを探っているのかも知れない。そんなことを感じながら、私は子どもの頃過ごした山の記憶を思い起こしたのだった。
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アートシーン:石川優太絵画展『Door』を見て ★グループホーム第1 前川紗智子【2008年1月号】

 ギャラリーでは、展示を見るだけでなく、そこに置いてある、他の作品展のチラシをもらってきて、さあ次はどこへいこうかと考えるのも楽しみのひとつだ。あるチラシを手にした。そこに描かれていた作品は、先月東京でムンク展を見たときに受けた印象を思い出させるものがあった。決してきらびやかではない、影の印象、でもだからこそ感じる生命感のようなもの、と言ったらいいんだろうか。その絵のタイトルは「spirit/魂」。後日、その「石川優太 絵画展 『Door』」を見に行った。
 ギャラリーに一歩足を踏み入れて、その全体の印象から、作者は想像していたよりも若い人なんだなと感じた。30代?…。だが、事実はもっと衝撃的だった。私よりたった2つ歳上なだけだった。新しさや若さの印象を受けながらも、でもそれが私とさほど年の変わらない人が成し遂げたものだとはなんだか信じ難いような深みがあった。また、そこには作者自身の美術に対する考え方や今回のテーマについて書かれたあいさつ文のようなものが置いてあったのだが、その文章読んでみても、いいなぁと思った。今回の絵画展の『Door』というタイトルには、「光や闇、生と死、日常と非日常の合間に位置する扉(Door)を開け、そこを行き来する力そのものを表現しました」という気持ちがこめられている。作者自身が「死について巡らせた想い」がテーマであり、死を通して、その死を「受容し輝きだす生命」を描いたという。
 「同んなじだ」、そう思った。私たちが「銀河の里」を舞台に、高齢者と関わる中で、見つめていっているそのものと、作者が見つめて描いているものは同じことだと思った。
 人は「死」と直面して初めて生きるんだ。そんな風に感じる。それは本当の死でなくてもいい。何かの終わり、それに伴う喪失や傷…。そういった喪失体験を通して、そこで悲しんだり苦しんだり、さらに、そこからは逃れたくても逃れられない、忘れたくても忘れられない、そうした受けざるを得なさの中でもがきながらも、受容を可能にし、そうして引き受けた先に、今までには味わえなかったような生き生きとした新たな生が広がっている。もちろん、受けざるを得ない苦しさの中で、全く支えを持たなかったら、それは本当の死を迎えるケースもあるのだろうが。人生の段階にはそういった小さな「死」が存在していて、それをひとつひとつクリアしながら、本当の死に向かっていく。「死」と直面する度に私たちの中身が濃く深くなっていくように感じる。そりゃぁ、辛いが。死を通して初めてつながれる気がする。
 死を味わうことが生きる上で実は一番大事でも、そういった段階ごとの死とうまく向き合えないのが現代であるようにも思う。忙しい現実生活に押し流されて簡単に埋もれてしまう。死を死とみなしている余裕すらなく、心を凍らせてやり過ごす。いちいち心を使っていたら、できないやつとレッテルを貼られてしまう。 Doorを開けてこちらとあちらを行き来する力や、支えを私たちは本当に必要としているのではないだろうか。
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事例発表の感動 ★グループホーム第1 西川光子【2008年1月号】

 銀河の里で久々の事例研究会を開催することになった。里ではおなじみの放送大学の大場先生をお迎えすることが2年前から決まっていたのだ。その会にあろう事か私が事例発表することになった。私の担当のミヤさんが今年の2月から赤ちゃんを産み、育てはじめたのだが、それは他の利用者武雄さんや、フクさんとも深く関わっていたし、私自身の内面にも大きな影響を与えていた。この子育てはどういう意味があるのか。グループホーム全体のダイナミズムはどう動いているのか。銀河の里としてもこのことをきちんとまとめ、検討しておく必要がある動きのひとつだった。「メメちゃん育て、たましい込めて」とタイトルを決め、事例をまとめにかかった。
 メメちゃんは人形なのだが、ミヤさんは本気で育てている。周囲もその子育てに関わったり、巻き込まれたが、いいかげんでは許されない雰囲気がある。人形だからといって遊びなのではない。人形だからこそ命を吹き込める。魂を込められるということもある。モノと命、魂の関連が考察される事例として迫ろうというのだった。まずミヤさんの生い立ち、人となりから始まり、メメちゃん誕生にまつわる関係、そして子守と育て、メメちゃんにまつわる人びとのこれから、という内容でまとめていった。
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ハナさんの「生まれて初めてだよぉ?」 ★グループホーム第1 前川紗智子【2008年1月号】

 ハナさん(仮名)のバイタルチェックは日々格闘だ。ハナさんも入居して1年以上が過ぎ、その格闘も大分慣れてきたが。「いでぇー!!」「苦しー!! 」と血圧測定のあのぎゅーっと締め付けるのが我慢できなくて「死んでしむぅ」と激しい抵抗がある。ぶちーっと血圧計のチューブをひっぱり取ってしまったことも、手が飛んできたり、つねられたり、痰を引っ掛けられたり…、こっちは“たかが血圧測定じゃないかハナさん”と思うが、ハナさんとしては“殺される”なのだから仕方が無い。
 実際、ハナさんはその手で洋裁の仕事をしながら、旦那さんを早くに亡くした後も女手ひとつで、3人の子どもさんを立派に育ててきたんだ。今となっては節が曲がってしまった手をまじまじと見つめながらなでていたハナさん。腕を締め付けられることで、その大事な手を壊してしまうという気持ちは、なんだか胸の奥がぎゅうっとなる思いだ。グループホームの暮らしの中では、こうして格闘があってもその格闘をまた違った角度で味わいなおせるだけのその人との関わりとゆとりがあり、私たち職員はそれに助けられている。
 結局、血圧測定だけを目当てにハナさんに向かっていっても門前払いをくらうのだ。ハナさん全体と出会ってからでなければ。だが、これが一歩外に出るとそうも行かない。とくに病院では悔しい思いをして帰ってくることが多いのだ…。
 ところが、先日、病院で、素敵な看護師さんに出会った。血圧測定か…、ハナさん今日はどうかなと、どきどきの私。ところが迎え入れてくれた看護師さんは「ハナさん」と語りかけ、ハナさんの両手をとって「わぁ、ハナさんの手、冷たいねぇ、冷たくて気持ちいい。」ハナさんも「あやぁ、おめさんの手ぬげぇごどぉ。」と、看護師さんの目を見つめにっこり。迎え入れられて、心も体も暖まる、問題の血圧はというと本当に測ったのかと思うくらい何事も無くあっさりと終わった。
 その後、ハナさんが一言、「生まれで初めてだよぉ?ありがとうございます。」看護師さんは「血圧測ったことないの?まさかぁ。」と笑っていたが、私は本当に生まれて初めての暖かい病院受診、血圧測定だったはずと深く納得していた。血圧測定で、こんないい出会い方をしてくれたのはあなたが生まれて初めて、と私も思った。
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ハナさんの「このひと、いっこ、なにをいってるかわからねぇ」 ★グループホーム第1 田代恵利子【2008年1月号】

 11月末、市の健康診断にハナさん(仮名)と息子さんとともに私も付き添って行った。ハナさんは92歳と高齢で、最近は下半身の関節痛がひどく、痛み止めを飲みながらの生活で、車椅子生活を送っている。会場に着くと、健常者向けの対応にしかなっていなくて、階段の登り降りがあり、立ったり座ったりが必要で、車いすのハナさんには厳しい環境だった。結局、血圧測定、採血、問診のみで、レントゲンや尿検査、身長体重は測定できずに帰ってくるしかなかった。下調べをしてなかったのはこちらの手落ちと反省せざるをえないが、踏んだり蹴ったりなのは、問診の人の不愉快な対応だった。
 問診が始まると、「この方は認知症ありますか?」といきなりきた。会話に品位も気配りもない。「はい・・ありますけど」と私が答えると、それからは当のハナさんは全く無視で、「堅いものは食べられますか?」と私に聞く。そこに差別的雰囲気が満ちているので、内心ムカムカきて私は「本人に聞いてもらえませんか?」と言ってしまった。その人は不機嫌に顔をしかめながら、嫌々な感じでハナさんに質問をする。「三ヶ月以内で飲み込みが悪くなったと感じたことはありましたか?」嫌々聞くから余計聞こえにくい。ハナさんは「えっ」と聞き返。息子さんや私が、耳元で伝える。すると、ハナさんは彼女なりに一生懸命答えている。「ここ三ヶ月以内ですよ」と係の人が念を押す。ハナさんは少し考えていたが、突然大きな声で「この人、いっこ、なーに言ってるのがわがらねぇ」とあきらめたように言い放った。
 係の人は、「これでは聞いても意味がない」と言い、私はそのまま、ムッとした表情でその場を後にしたが、帰りの車中でも怒りがおさまらなかった。息子さんも「もうちょっとうまく話せないのものかね」と悔しそうだった。市の健康診断が車いすでは受けられない環境だけではなく、“認知症”は来なくていいと言われたようで理解しかねる。関係を無視して質問をしても、「この人いっこなにいってるかわからねぇ」のは当然だ。認知症や高齢者に対する現実を思わぬところで突きつけられて、ショックを受けた出来事だった。
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ショートステイの出会い ★グループホーム第1 山岡睦【2008年1月号】

 ある日、遅番で出勤した私は、スケジュール表に“昭さん(仮名)ショート(ショートステイ)”と書かいてあって不安になった。昭さんは、どこか近寄りがたいイメージが強く自分に気合を入れなければならなかった。
 ご飯の準備が出来、デイサービスで待つ昭さんを迎えに行く。「どうも、昭さん。ご飯の準備が出来たので迎えに来ました。」と言うと、「お嬢さん、名前は?」と話しかけてくれた。「山岡といいます。」と答えると、「山岡テッシューか」と言う。「テッシュ?ティッシュ?」と私は何のことなのかわからず、しどろもどろ。そんないきなり来た私に対して警戒心を抱くのではなく、何度も名前を聞いてくれた。
 前回のショートの時は、慣れない場所に落ち着けず、「行くぞ!」と何度も立ち上がっては歩いていた。だが今回はどこか落ち着いている。食事を終えた昭さんと一緒にソファーに座る。「行くぞ」と言う昭さんに、「今日はもう遅いので私は行きません。明日なら・・・昭さんも明日行きませんか?」と返してみる。すると「うん」と頷きそのまま居てくれる。前回は振り払ってでも立ちあがって歩いていたので、ちょっと拍子抜けしてしまう。
 私はなんとなくそのまま座っていたくて、その場を離れずにいた。するとポンっと私の膝に昭さんが手を置く。その上に私も手を置いて「昭さんの手あったかい!私の手、冷たいでしょう?」と言うと、私の手を掴んで「孫の手だな」と呟く。孫か・・・まだまだ子供ということかもしれないけれど、身近な感じで接してくれるのが嬉しかった。その後の「行くぞ」「明日行きましょう」という会話を繰り返していたが、次第に「行くぞ」が「寝るぞ」に変わり、そのまま布団に入った。やりとりをしながら安心感を持ってもらえたように感じた。
 翌日も一緒にソファーに座ってTVを見ていた。急にバンッ!と平手で背中を叩かれた。「何ですか?」言うと「按摩だ!」と言う。「おぉ!実は私肩こりひどいんですよ。気持ちい〜。」と言うと、「うん」と笑みを浮かべながらバシバシと何度も叩いてくれる。かなり強い力だけど、優しさが込められている気がして心地よい。少しずつ、昭さんに対する自分の気持ちも変わっているのを感じていた。
 しばらくすると今度はじっと私の顔を見て「先生、何歳だ?」と言う。「23歳です。」「結婚した?」「まだです。」「未婚!」「はい(笑)」「誰か・・・将来性のある男紹介してやる」「え、ほんとですか!?ありがとうございます。お願いします。」「うむ。」私はなんだかちょっと気難しいおじいちゃんと将来の話をしているような気持ちになった。
 今までのショートで、昭さんとこんな風に話をしたことがなかった。いや、私が話そうとしていなかったのかもしれない。今回、昭さんが私の緊張の糸をほぐしてくれた。
 ショートステイは数日しか関われない。でもこれも一つの出会い。毎日続けて関わることは出来ないけれど、短い時間に会話を重ねて、お互いの心の中に何かが生まれたら、それはすごく意味のあることだと思った。次のショートステイではどんな話ができるかな。
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ハルエさんの受診 ★グループホーム第2 板垣由紀子【2008年1月号】

 ハルエさん(仮名)は主治医から、認知症の進行からすればこの春には寝たきりが予想されると一昨年の夏に言われたのだが、その春を越えて次の春を迎えようと今も元気で歩き続けている。手が震えて箸が使えず、手づかみになってしまうことや、落ち着かず座ってゆっくり食べることができなかったり、他者とのコミュニケーションがいびつでトラブルになったりする事もあるのだが、料理を手でも食べられるおにぎりにしたり、他の人とは離れたテーブルで職員と1対1で食事したり、工夫をして、グループホームの中では何とかやっている。
 しかし、世間に出るとなるとなかなか勇気がいる。昨年、風邪で病院受診をしなければならなくなった時は、2人がかりで受診した。問診の医者にはかぶっていたタオルケットを投げつけ、待合室ではじっとしていることができず院内をグルグルと歩き回り、売店のミカンをわしづかみして一口かじって投げ捨てたりと大活躍だった。
 今年も熱が出て、病院受診になった。車の中で、このハルエさんの状況を受け入れてくれる医者や看護婦さんならいいなと願うような気持ちで向かう。今回は車いすで来たのだが ハルエさんも降りようとはしない。助っ人の理事長が、歩く代わりに車いすを走らせる。「わあ、押してくれるの?」とハルエさんも乗っていい調子。
 診察室に入ると、先生の対応も柔らかい。注射も「ちょっと痛けど、我慢出来る?」と聞くと負けず嫌いの(?)ハルエさん「大丈夫よ〜」。針が刺さる瞬間「いたァ〜いい〜」と叫んだがなんとか無事に乗り切る。次の難関はレントゲン、これも記念撮影とばかりに難なくクリアー。そのあと点滴になったが、起きあがろうとしたり、管を外してしまわないか心配したが、じっと横になり、隣に座る私に「大変だったでしょ、あんたも寝なが。」と声をかけてくれるほどで、2時間機嫌のいいまま点滴は終わった。
 この受診に自信を持って、11月末には、インフルエンザの予防接種を受けに出かけたのだが、やはり、混んでいる中待つのはきつい。さりげなく一緒に立って歩く。ぐるっと回って席に戻ると、しばらく会話が続き。待合室にとけ込む感じになり、 ハルエさんの笑い声に周りの視線が暖かくなるのを感じる。
 ともすると、世間の目の中で、しくじるとハルエさんを悪者にしてしまうことになる。待合室では、静かに座って待つものだろうが、ダメダメで制止に走るとたちまちハルエさんは、世間からは浮いた存在になり、困った人、世話の焼ける人になってしまう。歩き回ることに振り回されるのではなく、彼女の気持ちにより添えているといい空気ができあがって来ることがある。ここら辺りは難しいところで、わずかでもはずしてしまうと、さらし者にして、困った人、大変な人と同情と哀れみに見舞われてしまう。世間に出るときには、そういうことを自覚し、覚悟し、引き受けていく緊張感がいつもある。
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2008年もよろしくおねがいします ★グループホーム第2 漆山悠希【2008年1月号】

 私は初詣が好きだ。新しい一年の始まりに、新しい気持ちで、今年の無事を祈る。今年も変わりなく元気で過ごせますように、よい縁に恵まれますように…。
 銀河の里では石鳥谷の熊野神社へ初詣に出かけた。二つのグループホームの全員で行けた。はじめは「行かない」と言った人も、みんなが車に乗っていると、「やっぱり行く」と出てきてくれた。「大勢行くなら、おら、行がね」と言う人も、スタッフの熱心な誘で出発した。
 神社では、それぞれ真剣な面もちで祈っていた。並んで、車椅子で順番を待っていたら乗っていた豊さん(仮名)が、「行って拝んでくる」と立ち上がって歩いて行こうとする。私は嬉しくなって、とっさに 豊さんの手を引いた。二人で並んで、お賽銭を入れて、パン、パン、と手をたたく。豊さんの手の、強く、あたたかな音。しっかりと手を合わせて頭を垂れるその姿を、私は見ていた。94歳の祈りは、心にじんと沁みるものがあった。
 トモミさん(仮名)と拝んだ後には、おみくじを引いた。でこぼこの雪の上で、トモミさんの乗る車椅子はがたがたと音をたてる。うんしょ、うんしょ。とくじの前まで行って、体の自由の利かない トモミさんの代わりに、おみくじを引いて一緒に願いを込める。大吉!「毎朝、朝日拝むといいって書いてあるよ。トモミさん早起きだから、毎日拝めるね」と言うと、 トモミさんの目はおっきく開いて、口元はゆるんで、いい顔で笑ってくれた。思いや祈りは、目には見えない。けれども一緒に手を合わせて拝んでいると、目には見えないところに触れる気がした。
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