松江から小一時間で木次に着く。木次乳業を通り過ぎる。これが忠吉さんの作った会社だということだ。大規模ではないがきちんとしたプラントを備えたの施設。一旦そこを通り過ぎて、案内されたのは小高い山の上。そこには、ブドウ畑、パン工場、ワイン工場、移築した古民家などが並んでいた。ロバ牧場もある。間近に見える山が、古事記で八岐大蛇を退治するときの酒を醸した、醸し山だという説明だった。
ここは出雲風土記、古事記など日本のいにしえの物語の舞台のまっただ中なのだ。新しいものだけが良いとは思わない、古いものの価値を充分に解る空気が息づいているのだろう。だからこそ未来を描く力がみなぎるのだ。忠吉さんの夢を、この醸し山を望む台地に顕現させて来たのだろう。後で忠吉さん本人から聞いたのだが、これを始めるに当たって、いろんな人に声をかけたという。「苦労しなければならない。金はかかる。保証はない。そういうことをやりたいやつは集まってくれと言って始まったんだ」つまり夢というのはそういうところにしか描けないということだ。忠吉さんは純粋にロマンを語りそれを生きることのできる達人なのだ。
今日の会場は移築された古民家で行うという。一旦木次乳業に戻ると今日の参加者達が集まりはじめる。事務所に入ると川村さんが一人のじいさんを呼び止めて、案内してきた。「会長さんです」「はぁ」つまり忠吉さんなのだ。名刺を交換する。「佐藤忠吉でございます」肩書きは百姓となっている。私も農家だが、こうなると百姓とは名乗れない。こっちは比べればまだまだ、二か三姓程度のものだ。及びもつかない。
一見して本物の百姓を感じさせる。無駄な肉の全く付いていない細く機敏に動く体。「私は何も知りません。ひたむきに生きております。」という極めて謙虚な空気。しかし土を知り、稲や、野菜と語る術をもち、天候や水や川の流れなど自然天然の理を生かし切って生きてきましたのが「百姓でございます」という迫力が体から伝わる。
会社の裏山から下りてくる沢を自ら案内する。「役所はU字溝で工事すると言いましたが、すぐにそれは違うと言って談判しました。水というものはその流れの3倍を蛇行して浄化されるものなのです。」彼はなんと、沢をU字溝にするという計画を変更させ、石を並べて水の流れる庭園にしてしまったのだ。これで、「水はきれいだし、沢崩れもおません。」そこには沢ガニが数匹歩いていた。まさに知恵のかたまりだ。しかも美的感覚が謳歌されている。
確かにこれはすごい人物だと納得していると、そろそろイベントが始まろうと していた。 つづく