2007年10月15日

出雲の出会いC ★宮澤健【2007年10月号】

 百姓、佐藤忠吉氏は一体どういう人なのか。蕎麦屋を後に、忠吉さんのいる、奥出雲の三刀屋木次(みとやきつぎ)に向かう。川村さんが恩人と呼ぶ蕎麦屋で会った人も、忠吉さんを「みんなあの人の徳で生きているんだ」と言っていた。そんな褒められ方をする人物をこれまで見たことも聞いたこともない。褒める人も、地元の名士で、古物に学ぶ会を作って若い人をそだてようというような粋な活動をやっている人だから、生半可な人ではない。そのひとが最大限を超えたほめ方をするその人物とはどんな人なのだろう。その人物の活動、半生、人となりが著名な作家によって本になり、その出版記念の式典に参加しようとやってきたのだから、まず相当な人物にちがいはないのだが、想像がつかない。
 松江から小一時間で木次に着く。木次乳業を通り過ぎる。これが忠吉さんの作った会社だということだ。大規模ではないがきちんとしたプラントを備えたの施設。一旦そこを通り過ぎて、案内されたのは小高い山の上。そこには、ブドウ畑、パン工場、ワイン工場、移築した古民家などが並んでいた。ロバ牧場もある。間近に見える山が、古事記で八岐大蛇を退治するときの酒を醸した、醸し山だという説明だった。
 ここは出雲風土記、古事記など日本のいにしえの物語の舞台のまっただ中なのだ。新しいものだけが良いとは思わない、古いものの価値を充分に解る空気が息づいているのだろう。だからこそ未来を描く力がみなぎるのだ。忠吉さんの夢を、この醸し山を望む台地に顕現させて来たのだろう。後で忠吉さん本人から聞いたのだが、これを始めるに当たって、いろんな人に声をかけたという。「苦労しなければならない。金はかかる。保証はない。そういうことをやりたいやつは集まってくれと言って始まったんだ」つまり夢というのはそういうところにしか描けないということだ。忠吉さんは純粋にロマンを語りそれを生きることのできる達人なのだ。
 今日の会場は移築された古民家で行うという。一旦木次乳業に戻ると今日の参加者達が集まりはじめる。事務所に入ると川村さんが一人のじいさんを呼び止めて、案内してきた。「会長さんです」「はぁ」つまり忠吉さんなのだ。名刺を交換する。「佐藤忠吉でございます」肩書きは百姓となっている。私も農家だが、こうなると百姓とは名乗れない。こっちは比べればまだまだ、二か三姓程度のものだ。及びもつかない。
 一見して本物の百姓を感じさせる。無駄な肉の全く付いていない細く機敏に動く体。「私は何も知りません。ひたむきに生きております。」という極めて謙虚な空気。しかし土を知り、稲や、野菜と語る術をもち、天候や水や川の流れなど自然天然の理を生かし切って生きてきましたのが「百姓でございます」という迫力が体から伝わる。
 会社の裏山から下りてくる沢を自ら案内する。「役所はU字溝で工事すると言いましたが、すぐにそれは違うと言って談判しました。水というものはその流れの3倍を蛇行して浄化されるものなのです。」彼はなんと、沢をU字溝にするという計画を変更させ、石を並べて水の流れる庭園にしてしまったのだ。これで、「水はきれいだし、沢崩れもおません。」そこには沢ガニが数匹歩いていた。まさに知恵のかたまりだ。しかも美的感覚が謳歌されている。
 確かにこれはすごい人物だと納得していると、そろそろイベントが始まろうと                していた。                                つづく
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柿の木を見上げて★在宅介護支援センター 藤井覚子【2007年10月号】

 私は里の在宅介護支援センターの担当になり、この春からYさんと関わるようになった。Yさんは話し好きで、初めて会ったときから会話はしているのだが、あまり私と目を合わせていないことが気になった。簡単には心を許せないのだろうと感じていたが、何より私自身に緊張感や固さがあったのだと思う。半年のおつきあいになり、やっと最近になって目を見て話してくれる感じが出てきた。私もYさんを近く感じられるようになり、関わりも楽しめるようになってきた。
 Yさんの家に大きな柿の木がある。窓からその大きな柿の木を見ながら「この木はもう40年も前に植えたものだ。おれの自慢の木だよ」といきいきとした表情で話してくれた。 
 その柿の木は開拓仲間のミツさんと一緒に買ってきた苗だと言う。ミツさんの植えた方の柿の木は今、里のグループホームミツさんちの庭先にそびえている。思いもよらない繋がりがあった。
 「今年は実がいっぱいなってるが、誰もやる人がいない。取りにくるのもいないんだ」と少し寂しそう。「この木はらいさま(雷様)がよくとおるような木だから、切ってしまってもいいんだけどさ」とも言う。私が「らいさまってなんですか?」と聞くと「雷様のことだ。言葉は変わっていくからな」と話す。
 40年もYさんの人生を見つめてきた柿の木は今年もたわわに実をつけている。この柿の木の話ができたことは、Yさんの人生のある面に触れさせてもらったようで嬉しかった。
ソーシャルワーカーとして半年、ようやく関わりの初めの一歩を踏みだせるようになったところかもしれない。人と関わりのなかで、自分の変化と、それに対する相手の変化も感じる。今後どういう出会いを自分は積み重ねていくのだろう。
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バトンを受け継ぐ★GH2 牛坂友美【2007年10月号】

 今年も餅米の手刈りを行った。ワークステージと高齢者と、東京から農業体験にやってきた中学生3名も一緒だ。朝から田圃へ出た。今年の春に手植えをした田圃である。残念ながら私は田植えには参加できなかったが、皆の一年の思いがこうして実ったのだと思うと、ここに立たせてもらえることに感慨を覚えてしまう。
 手刈り体験は、私は今年で3年目。なんとかWまるぐ“ことも覚えた。去年・一昨年と教わったおばあちゃんの事を思い出す。今年は、桃子さんが生き生きと、中学生に刈りかた、まるぎ方を指導しており、またそれを温かく見守るスタッフがいた。毎年、こんな風に里の稲刈りを自分のことのように見守ってくれる高齢者がいる。手刈りの経験などほとんど無い若いスタッフも、その技や、姿勢を見せられ、教えられてきたのだろう。
刈る人、まるぐ人、運ぶ人、はせにかける人、車や家の中で見守り待っている人、と役割はさまざまであるが、もってきたお茶と小昼は皆一緒に味わう。どうして田圃で食べる小昼はこんなにも美味しいのだろうか。
 日が暮れて、午後の部も終盤になった。デイサービスの帰り送迎の時間も迫っていたので、休みだった私は最後に中学生とワーカーさんと落ち穂拾いをした。里に戻り、残るスタッフと理事長の力も借りてはせ棒にかけた。田植えからずっと、田圃にほとんど関わりがなかった私だが、朝にうちから田圃に入り、落ち穂を拾い、こうしてはせ棒にかけるまで、今年の稲刈りに関われて良かった、とその時は漠然と思っていた。
 幾日かして、スタッフの一人と稲刈りの話になった。私が、最後に中学生と落ち穂を拾ったことがすごく嬉しかったのだ、と話してくれた。ひょんな話で、はじめは「そうでしたか?」としか思えなかったのだが、話していくうちに、まずはせ棒に稲をかけたときにこぼれ落ちた稲穂を集めて「踏んでは、申し訳がない」「中にいる人にもみにしてもらおう」とそのスタッフが声をかけてくれ、一緒に落ち穂を拾ったのだった。
 落ち穂、私もそれを勿体ないと思って拾うことはできただろう、しかし、目についてひょいと拾えるような稲穂ばかり拾ったと思う。彼女のように、田圃には出ずに中で過ごしていた高齢者に、埃のなかから一粒一粒を拾ってもらおうとは思えなかった。私はその時、「こんな事をひょいとできるのはあなた(そのスタッフ)しかいない!」と冗談を言って笑ったのだ。
 そんな話から、これまでの事を思い出す。おととし、去年と田圃の一枚上は小豆畑であったのだが、その時も同じようにしてこぼれ落ちた小豆を拾ったのだ。とても寒くて、お昼の時間も迫り、もう戻ろうとしていた時だった。デイサービスで来ていたキヌさんが「勿体ねかべ」と鞘からこぼれ落ちた小豆を一粒一粒拾っていた。腰は曲がり、指は細くて手は全体しわくちゃだった。そのあと、暖炉の前でお昼を一緒に食べたような気がする。いや、もしかしたら暖炉に薪はくべられていなかったのかもしれないが、温かい印象が残っている。
 特別な意識は何もなかった。けれどもスタッフとのやりとりから、キヌさんのその姿勢――に表れる農や暮らしへの姿勢というのは、私の中でわずかだが生きていたのだと思うことができた。私のように、直接農業に関われなくとも、高齢者の農業に対する姿勢(それは生き方そのものであると思うが)を見せてもらってきたこと、それを受け継いでいくことはとても大切なことだと思う。
 今なお、おおらかな気持ちで若いスタッフを見守ってくれるキヌさんや、今後里の人としてどのように居てくれるのか楽しみな桃子さん、これまで高齢者とともに田圃を作ってきたスタッフやワーカーさんらに支えられながら、今年も餅米を収穫できたことに感謝の気持ちでいっぱいである。
どうもありがとうございました。
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林英哲の太鼓 ★GH2 板垣由紀子【2007年10月号】

 林英哲の太鼓を初めて聞いたのは昨年8月、銀河の里の研修会だった。私は元来太鼓が好きだ。音階のないぶんストレートな感情表現を感じて、自然に体が動いてしまう、耳ではなく体に響く、あの感じが好きだ。祭り、神楽、しし踊りにも欠かせない太鼓は体を通じて心やたましいにも響くような気がする。
 研修ではDVDだったのだが、今まで私の知っている太鼓とは全く違った。なにより太鼓を打つその姿に圧倒された。太鼓を連打するその姿は、何かを伝えてくる、必死さ、真剣さを感じる。背中が語る。
 この研修会の直前、「家に連れて帰ってくれ」と私に迫る利用者がいた。荷物をまとめ玄関に運び出し「送らないなら一人で歩いていく」という。一人で歩いて行かれると困るだろうとの脅しも入っている。私は、「これから大事な研修に出る。遅くなるが、その後でいいなら待っていてもらえるか」と伝えた。彼は無言でどかっとソファーに座り込んだ。
 研修会で、太鼓に魅せられ、GHに戻ると、夜中の12時近かった。おそるおそるドアを開けると、夜勤者が手で×マーク。彼はソファーに座って待っていた。
 「待っていてくれたんだ」と素直に思えて言葉でもそう伝えた。その人も「今までやってたのか」と労うようにことばをかけてくれる。「寒かったでしょ」ともう一人のスタッフが着るものや、タオルケットを渡す、私は3人分コーヒーを入れ、3人が無言で飲む。その沈黙が、いつもなら、何を言おうか、どう切り出そうかと落ち着かなくなるのだが、この時は不思議なくらい、静寂な時が流れた。無理に「送っていけ」と言うこともなくそのまま休んだのだった。何かに包まれ、守られているようだった。
 その年の12月、林英哲のライブに行く機会に恵まれた。一泊なのではたして、子ども達をおいて行けるだろうか?一瞬の迷いはあったが、どうしても行きたかった。母と子ども達に話すと“案ずるより産むが易し”で割とすんなり。思いの強さか、はたまた日頃の行いの良さ(?)か??。(なんだかんだ文句言いながらも支えてくれる母親と、母の背中を見て5年、一番の理解者となってくれている子ども達に助けられている。)
 この時はちょうどノロが大流行。現場は予防策の対応に追われ、そのさなかの上京となった。ライブは圧倒的な迫力だった。始まったとたんにどんどん引き込まれていく。第一部の最後「船歌」の漕ぎ出す感じに「よいしょ、よいしょ」と「さぁー行くぞー」という気持ちが沸き上がってきた。DVDで聞いた「澪の蓮」がライブで響くとゾクッとした。現場がノロ対策マニュアル一色に追われるなか、暮らしが姿を消し、寒々としたものを感じていた私に、「さぁ〜漕ぎ出でよ」と背中を押してもらったようで勇気が湧いてきた。
 そして今年9月2日、二度目の英哲ライブに行った。今回は日帰り。早朝出発し2時からのコンサートが終わってすぐにトンボ返りというスケジュール。今回のタイトルは「大地千響」、尺八と津軽三味線との共演だった。大迫から、岳神楽も共演した。
 今回は低音が襲ってきた。これで3回目の「澪の蓮」も強烈だった。座席に座っていて、首から上を後ろに持って行かれそうになる。体が座席に張り付く。重い。首を手で押さえて戻さないと、後ろに倒され天井を向いてしまいそうだ。 

 そんな体感をしながら、そこに立つ英哲の背中に、篤いものを感じる。今の自分が抱えている、孤独な戦いと共鳴したのかもしれない。大きなものを抱え、これでいいのか、これでいいのかと答えのないところを進む私にとって、英哲のひたむきに打ち続ける姿勢が私に響く。ライブの低音に酔いながら直感が動く。「自分で見つけるしかない、進んでいくしかない、背負ったからには投げ出せない、向き合い、もがき、そこから見えてくるものを大事にしながら、積み重ねていくしかない。」
 英哲の太鼓は、生きる姿勢、魂の叫びみたいなものを感じる。会場のそれぞれがそうしたものを感じるのだろう。最後は会場総立ちのスタンデイング拍手となった。時代は表面的な整えではなく、内的に深く極めることで他に普遍としてつながっていくあり方が求められている。英哲の太鼓の魅力はその姿勢にあると感じた。         
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おすすめの本★施設長 宮澤京子【2007年10月号】

 この本は、善意を施そうとする職業にあるものに必ずつきまとう「影」や「悪」を、あからさまに暴いている。例えば、人の命をもてあそぶだけの「いんちき医者」、魂の救いを語る一方で破滅を祈る偽善の「宗教家」、優しいふりとお節介なだけの陳腐で傲慢な「ソーシャルワーカー」という具合だ。援助者は善意を装いながらその本質は悪に支配される宿命を持っているというのだ。
 著者は、その影を三つの異なった心理学的な構造としてとらえている。第1は個人的な影で、個人の中で抑圧されなければならなかったイメージ・ファンタジー・欲動・体験が、自我の理想に破壊的に働きかける。第2に普遍的な影として、普遍的な価値や理想がもつ暗い一面としての残忍さ・権力・貪欲さが普遍的理想をひきずりおとそうとする。
 そして本著で迫るのが、第3の元型的な影である。この元型的な            影は、光に対する影という二次的なものではなく、それ自体独立し            た事実として存在し、それは「私たち自身の中にある殺人者であり、自らを殺すこと」と表現され、「悪」そのもので 究極的には、この元型的な影が存在することが、人間の独特な特質であるという。
 影を宿命として持つこうした仕事に、人は何故駆り立てられ、その不愉快な側面にひきつけられるのか。また、社会や教育に掲げられる「輝かしい未来や理想」の探求、人類愛に燃えて使命を全うしようとする「善」は、全くの欺瞞であり、行き着くところは「福祉や幸福」とは真逆の、深い「闇や影」の落とし穴というのは、あまりにも酷な結論ではないか。

 私が身を置く社会福祉の世界も、「理念」を掲げた途端に「形骸」となる悪循環のなかに浸かって、体裁の良い理念づくりと評価項目クリアに躍起になっている。拍車をかけるように制度やお上は、脅迫的に「理念」を求めてくる。ところが“福祉”という美名のもとに引き起こされる暴力・虐待そして差別や侮蔑は、こうした構造の中で日常化し肥大化している。運営管理のためのマニュアルと、リスク回避のための方策が次々と積み上げられていくばかりだ。残念ながら、そこには影や悪の存在を問う視点は持ち込まれていない。確かに「手だて」として、対処療法的に幾重にも縛りや守りが必要となってくるであろう。しかし、それらが客観的な正しさや良さによって正当化された時、「力の影」がうごめき、無慈悲や残忍さが吹き荒れるということは、専門職の基本としてしっかり肝に銘じておかねばならない。
 理想も理念も力を失い、子どもに「夢」を持たせられず、青年に「大志」を語られない時代が重く進んで行く。もはや我々は軽薄な時間を浪費して生きるしかないのか。著者は本書で援助者が自分の中にある「悪」の殺人者を見つめることの重要さを40年も前に大胆に暴きながら、その悪との戦いこそ人類の新たな地平を拓く冒険であると語っているのだ。
 「裕福のどん底」と言った人がいる。立身出世といった夢や大志ははるか彼方の地平に過ぎ去り、我々は新たな地平を探索すべき時を迎えているに違いない。外界の開拓を地球上で覆い尽くした現代、グッゲンビュールは人間の内界、つまり心やたましいの地平を探索し続けてきたに違いない。
 善悪ではない。正邪ではない。それらを越えた全体をどう深めるかが問われる時代である。対人援助者は影や悪と親和性が強いからこそ、新たな地平を拓く探検家としての資格が与えられるのではないか。この戦にこそ、現代の希望が残されているように思う。
 里に暮らす我々も、心を探究し続けるという偉大な冒険に挑み、新たな次元を拓いていきたい。それが里の使命であり、進むべき道ではないかと示唆された貴重な一冊として紹介したい。
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月見に誘われて★GH2 堀中直美【2007年10月号】

 9月25日、今年の中秋名月は晴天に恵まれ見事な月夜となった。私はその日グループホームの夜勤だった。出勤するとリビングの暖炉の上にはお供えがきれいに飾られていた。ガラスの花瓶にすーっと長いすすきが桃色のコスモスと一緒に生けられ、塗りの盆には秋の味覚、葡萄に梨、かぼちゃ、栗が盛ってある。そして、角皿には真っ白な、形の揃ったお月見団子がきちんと並んでいて、それはそれは、見事な飾りであった。
 季節の行事を大切に、など言葉だけで言われてもなんだかピンとこないものだが、こうやってお団子を作り、すすきを生けて飾るともう、ぐーーっと気分が盛り上がり、“絶対に見たい、お月さまに会いたい”となる。形だけでなく心を込めるということは本当に大切だが、今はそれがかなり難しい時代だ。
 こうしたお供えの力もあってか、この夜、ひとつのエピソードが生まれた。
入居して一年半が過ぎようとしている久子さんは普段、とてもクールな感じの人だ。食事も一人黙々と食べ、周囲に関心を示さない雰囲気の久子さんだが、この日は夕食をとりながら「只今の盛岡上空のお月さまの様子です・・・」というテレビに反応した。「箸を持ったまま、久子さんはぐるっと体を反回転させ、背中の後ろのテレビの画面に顔を向けた。そしておもむろにと両手を合わせ、画面の中のお月さんを拝んだのである!予想もしない久子さんの行動に、私もそこに居合わせた他のスタッフも、「えーっ!」と驚いた。
 さらにそれだけではなく。いつもは夕食を済ませると自室に入ってトイレ以外はほとんど顔を見せない久子さんが、一旦部屋に戻るがすぐに出てきて、リビング横の和室へと向かった。そして、和室の窓から空を眺め、お月さまを探し始めた。テレビ画面のお月さまに拝んだだけでは終わらず、本物のお月さまを見たいのだとすぐにわかった。
「久子さん。お月さまこっちだよ!」と私はベランダに誘う。実は私も少し前に、お月さまが見たくてベランダに出ていたのだ。そうしてしばらく煌々と輝く中秋の名月の優しい月明かりに包まれて、私と久子さんは、秋の心地よい風とともに至福の時間をすごした。
 空を見上げ「あやー、ほんとにきれいだ。でも、テレビの方が大きかったなぁ。」なんて、久子さんらしいコメントもあるが、「家にいたときも月見したけども、こったにゆっくりとお月さんを見たの初めてだ・・。」としみじみと話してくれる。
 そういえば私もこんなにゆっくりとお月見をした事なんて、あっただろうか?もし今夜、私が家に居たならば、きっと家族と一緒にお月見をしたと思うが、そこでの私は、子供に行事を伝える役割の“忙しいお母さん”であって、「私」の素のままの心で、月に気持ちが向かなかったかもしれない。この夜、とっぷりと月光に照らされ月夜を眺め過ごす、贅沢で素敵な時間が流れた。
 私は「もう一回、拝もうか」と久子さんを誘った。久子さんはしっかりと手を合わせ、月に願いを込めて目をつむった。静寂のなか私の心に、静かな感動が湧いてきた。今年の中秋の名月はクールな久子さんと過ごしたホットな思い出となった。
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今年の稲刈りとおち穂拾い ★GH1 西川光子【2007年10月号】

 暑い暑いと言っているうちに、あっという間に稲刈りの時期がやってきた。里では毎年、自家用の餅米は手植えで田植えして、手刈りで収穫をしている。今年はデイサービス、グループホーム、ワークステージに加えて、修学旅行の体験学習で、東京の小金井中学校の男子生徒3名も参加した。
 午前の部隊の見送りをした後、着物姿の良子さんが入口に脱ぎ捨てられたスリッパを静かに片づけていた。いつもなら「なんたらこったに散らばしたまま、もう少しちゃんとしろ!」と小言が出るのだが、今日はみんな特別大事な仕事に出かけたのだからと受けとめているのが感じられた。大事な仕事、稲刈りを良子さんは内にいて支えようとしているのだ。決めたわけでもないのに見事な役割分担に私は感動した。
 午後、誰と稲刈りに行こうかなーと思っていると、数日前から鎌をとぎ、「我がやらねば誰がやる!」といった勢いの武雄さんが、一人でさっさと出かけて行った。とっさに「私、武雄さんと行って来るね」と後を追った。
田んぼでは、刈った束を結ぶ人、運ぶ人、差し出す人、はせにかける人が絶妙なチームワークで見る見るうちに、稲の束はズラリとはせにかけられた。
 武雄さんは中学生3人を集めて苅った稲の束ね方を教えている。中学生も真剣に聞いている。誰もグループホームに入居している高齢者とは思っていない。
「こごから10センの所持って、下から20センの所において・・・」と具体的でわかりやすい“教える!伝える”という武雄さんの気持ちがにじみ出る。世代を越えて伝えたかったこと抱えている武雄さんだが、時代の流れの中でそれはかなわなかった。東京の中学生に教えることがその代わりになるのだろうか。みんな汗を拭き拭き、稲を刈り束ねた。
お茶の時間、自分より70も若い男の子を囲んで盛り上がる。「あや〜東京から来たってなぁ〜、ほぉ〜たいしたもんだなぁ」「中学生だって?びっくりした〜、大きいね高校生かと思った〜」「や〜や、ズボンだの靴だの汚ねぐなったな〜」とねぎらったりとてもほのぼのとした交流になる。
 時間が来て「さぁ〜みんな落ちてる稲穂だけ拾って終わりにしよう」と牛坂の声がけで、田んぼにこぼれた稲穂を拾い始める。我々も一見ゴミのようだが、土の上にこぼれた落ち穂を足で踏むことはできなかった。拾い集めてグループホームへ持って帰った。すると声をかけるまでもなく、良子さん、ゆう子さんが当たり前のことのように稲穂を集めそれぞれの流儀でしごき取ってくれる。一番奥の部屋から桃子さんもかけつけ、両手でもみを掬い取り「そんだよな、こんけだって一年かからねばとれねんだものなー」と大切そうに見つめる。
 工場で作れるものではない自然の恵み。一年という時間をかけて生まれて来た命。手を合わせ祈る気持ちが自然に湧いてくる。落ち穂を拾い、もみ粒を集めながら、大いなるもの、超越を感じることができた。ささやかな中に大切なことがいっぱいある。感謝合掌。
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