川村さんはNHK松江局に3年いたあいだに、毎日のようにここに通ったというだけあって、おばちゃん達も孫に話しかけるような話し方だ。「あんた元気しとったんか」商売と言うより、自宅でお昼を出す感じなのだろう。私に対しても、レンタカーのキーが壊れていたのでテープを借りたが、「かしてみ、やったげるから」とおばさんは私からキーを取り上げてしまった。「あんた座っとき」と一方的だ。面倒見が良いというか、人なつっこいというか、こんな感覚はあまり味わったことがない。
松江のそばの食べ方は独特だ。その特徴は割子そばと釜揚げにつきる。ざるに割と濃いめのつゆをかけて食べる。釜揚げはどんぶりにそばを入れ、そば湯をかけてつゆを入れる。ちょっとした違いだが、なんか本当は大きな違いなのかも知れない。出雲のそば通はよくかんで食べろと言う。一茶が詠んだように「そばの花、江戸の奴らがなに知って」くらいの勢いで、かまずにつるっとやるのはよそでやれと言わんばかりだ。江戸にしっぽを振らない誇れる深い文化を感じる。
前日の夕方松江に着いたので、ホテルにチェックイン後、街に出かけたのだが、結構驚かされる街だった。東北に十数年住んでいると、地方はどこも同じだと思いこんでしまう。国道の周辺はどの街も同じようなフランチャイズが並び、自動車屋、洋服屋、スーパーと街の特色というものはほとんどない。元々の繁華街はすっかりさびれて不気味な静けさが漂っている。そういう地方への思いこみが覆るようなところが松江にはいっぱいあった。
泊まったのは駅から1分のホテルだがこれは新しい形のスーパーホテル。なぜか1ヶ月前に予約を取ろうとして周辺のほとんどの宿がいっぱいだった。(宿が少ないのではない、観光地で宿だらけなのに。)なにか祭りでもあるのかと思ったがそんな様子もない。それで空いていた宿なので期待はしていなかったが新しくてなかなか、その上朝食もついて一泊4000円しない値段だ。
土地勘がないので、ホテル前からタクシーを拾って走るがしばらく周りは寺だらけだ。寺町だと運ちゃんが言う。なるほど。一体これほどの寺が必要で、どうやって食っていけるのだろうかと考えてしまう。タクシーの行き先は県立美術館、2分でついた。
これまた立派な美術館。美術館というなら、これくらいのセンスは欲しいと思わされるくらい良い感じだ。宍道湖に面した場所にあり、庭の向こうはすぐ湖だ。そば屋の4畳半の奥にも坪庭があったように、建物には庭がなくてはならないと決められているかのようにどこにも庭がある。その伝統が活かされ、美術館は宍道湖の湖畔を借景した庭造りをねらっているに違いない。ちゃちな公園とは訳が違う。街にこれだけ巨大な散策の場があること自体うらやましい。
なんと言っても宍道湖は、夕日の名所だ。その夕日を主役に美術館はたたずんでいる。その周辺も夕日を前提に、散策と憩いの場として整備されている。日本人にとって夕日の入りは深い精神的象徴を持つとされる。それを理解した何かがこの町にはあるような気がした。美術館の閉館が日没までという設定がそれを証明している。粋な感覚だ。
美術館では有本利夫展をやっていた。有本利夫に出会えたのは奇遇だった。明日会うはずの、百姓、佐藤忠吉さんを理解するヒントが有本の作品と思索の中にあろうとはこの時 は思いもしなかった。