私も仕事柄かなりの人と会う。普段誰と会っても緊張するようなことはほとんどないのだが、今日は違った。岩宮先生は相当特別な人なのだ。
国立大学の研究室はなぜかどこも狭い。しかし先生の部屋は狭いがきれいに手入れの行き届いていて研究室とは思えない。大学の研究室は書類や本がごったがえしていて、散乱し混乱を極めている印象がある。この部屋は面接室であって、研究室ではないのだろうと勝手に納得する。思春期の女の子の部屋に入ったような感じがどこかしたのは、感じすぎなのだろうか。
「紅茶でいいですか」と言われる。「お構いなく」ではなく、「是非お願いします」といった感じで「はい」と言ったのは私だったかも知れない。
壁に岡野玲子の陰陽師のイラストが額に入れて飾ってある。川村さんも気がついて「岡野玲子ですね」という。「必読書ですからね」と私。「はい必読書です」とお茶を入れながら先生。「心理の必読書なんですか?」と川村さん。「うーん」と説明はしにくい。岩宮ワールドの必読書というところだろうか。
お茶を出してもらって、挨拶。こういう形でお会いできたのは始めてだが、追っかけで先生のワークショップに参加し始めて久しい。4年前に一度会場で名刺をいただいたこともあった。その時、「認知症の現場をやっている者で、一度、岩手の花巻に先生に来ていただきたい」とお願いしたのだった。そのことは先生も覚えていてくださったようだ。今回もそのお願いに来たようなものだ。
特に明確な趣旨があるわけでもなく会って話が通じる。考えてみれば不思議な時間。普通、社会人はこんな感じで用もなく会うことはないだろう。内容も意気投合とも違う、話が盛り上がると言うのとも違う。何かを深いところで確認するようなそんな会話だったような気がする。あっという間に1時間が過ぎた。我々も次に向かわなければならず、先生も会合の時間が迫っていた。話題は多々あったが、それはここでは語りにくい。ただ色々話した後、「我々がやっているのは祈りに近いと思います」と言うと、即座に「それは私の仕事(心理臨床)も全くその通りです」と言われたのは印象的だった。こなしたり、片づけたりする作業ではない。深い超越への信に支えられて始めて可能になる種類の仕事。先日、長崎原爆記念の8月9日に多田富雄の新作能「長崎の聖母」の再演を見たが、2001年に脳梗塞で倒れながら、能に情熱をかけておられる多田先生の仕事も、人類に開かれた心と生き方があり、それはまさに祈りそのものだと感じた。この殺伐さが増すばかりの世の中で数少ない同志は「祈り」で通じているように思った。
「大切なイメージを、ひとつひとつつぶしていくような、砂をかむような世間のしきたりの中で仕事をせざるを得ない」状況は先生も我々も同じ戦いをしているのだと感じつつ部屋を出て大学を後にした。
「何で今日は喋らないのかと思った」と後で妻(施設長)が私に言う。「いや、確かに」
本物を目の前にすることは、なかなかないからなと汗をぬぐったのだった。
次の目的地、木次へ向かいながら、面白いそば屋を紹介すると川村さんが案内してくれる。街のはずれの路地の奥まった所にそのそば屋はあった (つづく)