2007年08月15日

おすすめの本 ★施設長宮澤京子【2007年7,8月号】

 どうも児童文学が性に合わないのか私はファンタジーが読めない方なのだが、大学で教職科目を取ったときの「児童文学」の教授が熱っぽくファンタジーの世界を語る人だったこともあってゲドを読み始めた。20年も前になるが、人間と竜との関係、地下の迷宮の世界、魔法使いや魔女、影や闇の世界という非日常の展開に、引き込まれた。しかしそのときは、あらすじとは関係なく、自分の思い込みで読んでいたように思う。
 歳月が経過し、ここ7年は認知症の方々と生活をともにする現場に身を置いている。現実だけでは計り知れない、異界への行き来や駆け引きを日常的に生きる必要に迫られ、神話やファンタジーの持つイメージの世界を拠り所として理解を深めていくことが求められる現場だ。
 第4巻の出版を機に再度『ゲド戦記』を読み返してみると、「おもしろさの意味合い」が違っていた。それは「見えない世界」をみることの大切さや「闇」に対するリアリティという、別の物差しが私自身の中にできたからだろう。
 歳月を経て全くのブレを生じずに、ハイタカ(ゲド)は私を虜にしてくれる存在である。ゲドは大賢人になってなお、少年のピュアな興味や冒険心を持ち、シャイで決して出しゃばらず、そして必要な時には多過ぎず少なすぎず登場している。

「孤独」を生きざるを得ない宿命を持ち、知恵と思慮深さが燻し金のように輝いている。それは、私自身の中に育むべき男性性そのものに違いない。決して伴侶者として求める男性像ではないところは微妙である。
 またテルーには、女性性を生きる勇気と生のすさまじさが際だっている。第4巻「帰還」におけるテルー(ゴハ)の「大地」を思わせるあの豊かな母性は心地よい。男性はこんな女性性を自分の内界に対峙させたいと感じるだろう。テルーの在り方は、女性作家ル=グウィンの新しい女性の生き方を追求した格闘の結果かと共感させられる。
 長い間、私は勝手に原作者を中国人だと思い込んでいた。第2巻「こわれた腕環」のアチュアンの墓所の描写をはじめ、各所に非常に強く東洋人の思想や哲学を感じさせられたからだ。それがアメリカ人だと知った時は驚いた。
 昨年アニメ映画が公開された。私の中の思いこみでは、ゲド戦記の世界が煉瓦色の古びたイメージと鉛色の暗さを持っていたために、青い海と空の広がりや緑の大地が映し出されるたびに、違和感はあったものの、映画のハイタカにも大いに魅力を感じ、ゲドとアレンの師弟としての距離の自然さにも安堵した。またテルーとの農業をベースにしたリアリティある生活描写もとても好きだ。アレンとテルーが思春期のなかで、潔癖でぎこちなくも心を通い合わせていく過程は初々しく感じた。
 魔法の力をなくしたゲドを助けたのは、真の名を唱えた時に竜に姿を変えたテルー(テハヌー)と真の剣を抜いたアレンだった。ここには未来に繋がる希望の若い生命への期待を感じさせられた。映画は各種批評ではかなり酷評だったが、原作に縛られず、映像の持つ独自性をうまく使い、音楽とマッチした印象に残る良い作品で、私は原作とはまた違う感動をもらった。
 今回のおすすめの本『ゲドを読む』は、そのDVDの広告予算で作られた無料の本だ。全国のレコード店で配布している。タダだから価値が低いのとは正反対で、タダだからこそ、その見返りはすごい。河合隼雄の最後の対談ではなかったかと言われる監督宮崎吾朗との対談が収録されている。なんと河合先生は1977にユング心理学の「自己実現」という視点からゲドを読み解いている。現代がもつ課題を「ファンタジー」を通して、「解決」ではなく、さりげない「気づき」に持っていく河合先生の狸親父忍法をみることができる。
 中沢新一は「ゲド戦記の愉しみ方」ということで、『ゲド戦記』が生まれた歴史的時代背景や民族的宗教性(魔術も含め)から、また男性性や女性性という両性具有の視点やルグィン自身の生い立ちからの考察もしている。
 『ゲド戦記』は、私のようにストーリィで楽しませてくれる許容度もありながら、歴史や宗教・心理といった専門家が考察してなお読み解いたとはいえない、括ることなど出来ないすごさも持っている。
 この本が無料で本屋さんやビデオ屋さんの店頭に山積みされた驚き、そして手に持って開いた時は、硬くて難しそうな一般向けしない文章という印象。なのにあえて「どうだ!」と叩き付けてくる感じがたまらない。そして、こんなすごいファンタジーの名作を、僕は「映画にしました」という宮崎吾朗監督。みんなを巻き込み熱くさせるこのうねりは 何なんだ!この『ゲド戦記』とは一体何なんだ!・・・そう興味を湧きたたせるだけで、この本は広告としての目的を十分発揮している。DVDも買って、本もそろえてしまい、ついでに「テルーの唄」のCDまでという作戦にはまってしまうこと疑いなし。
 私は岩波やジブリの回しものではないが、『ゲド戦記』はそんな商業主義とは関係なく、現場に生きる者にとって大切な何かを一人一人に語りかけるすばらしい作品である。それに取り組んだ映画の人たちも深いところでは「銀河の里」の同志なのではないかと感じた。
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出会いの覚悟と腹 ★グループホーム第二 板垣由紀子【2007年7.8月号】

 夜勤明けでもうろうとした頭で事務処理をしていたら、激しい音がベランダから響いてきた。スタッフも慌てているようなのでさすがに気になり様子を見に行った。
網戸がひん曲がって壊れ、そこに眉間に皺を寄せイライラした感じで、落ち着きなく歩き回る男性の高齢者がいた。デイの利用者で私は初めてお会いする方だった。デイで不穏になり、荒れて周囲から非難され、居場所がなくなり、外に出てグループにやって来たのだった。
 自由のきかない半身が後ろに傾き、今にも転びそうになりながら、それでも足を引きずって歩き回っていた。壊れた網戸を直していると、向こうでバンバンと音がする。今度は木戸を思い切り開け閉めしていた。怒りがこもって近寄りがたさがあったが、何とか接点を持てぬものかと「こんにちは」と挨拶してみる。やはり耳には届かず、とりつく島もない感じだ。
(なぜ俺の体はこんなことになってしまったんだ。なぜ俺はこんなところに連れてこられたんだ。何で俺の後を着いてくるやつがいるんだ。)そんな叫びが聞こえてくるようで、胸が痛かった。スタッフももう呆然とするしかなく関わりようのない感じになっている。
 再び腹を決め、言葉をかける。「すみません、これ壊されては困るんです。」もうそのままぶつける。すると、チラッとこちらを睨み、無言でその場を離れ、今度はカーテンを思いっきり引っ張る。わたしも食い下がる「これも壊されると、私困るんです。」網戸にも手が伸びる。私が網戸をおさえると、手が腹に飛んできた。やりとりするうちこちらももうすっかり腹が据わってきた「叩くのなら叩いてもいいけど、本当はそんなことじゃないでしょ?」
 それを聞いてか手が止まった。少し入れた感じがする。「どうぞ、疲れたでしょ。そこに座りませんか?」と声をかける。なんとかソファーに並んで腰を下ろせた。しかしまもなく何かに突き動かされるように立ち上がる。私も一緒に立ち上がった。(おさまらない何かが出てくるのかのよう?緊張が走る。)
 その人が何かを喋った。「はやぐ・・・」私は、必死にその人の言葉を聞こうとする。固く閉じられた窓がいくらか開いた感じがした。次の言葉は出て来なかったが、何か言葉をくれようとしたのだ。なにかが繋がったと確信した私は、続けて言葉をかけた。
 「あそこに、ずっと見ている女の子がいるでしょ。あなたのこと心配しているよ。」私はなんとか、監視しているんじゃないことを伝えてわかってもらいたくてそういった。
デイのスタッフの彼女は一部始終を見ていて、そこですぐに意を汲んで、すっとその人の横に来て一緒にソファーに座った。私は「お茶を入れてくるから」と彼女にバトンタッチした。
 その後、怒りや焦りは幾分収まったのか、会話は少ないなりに、一緒に過ごせる時間が続いた。テラスで二人で昼食を一緒にする姿もあった。その後二人は片付けや、掃除など一緒にして過ごした。
 数日後車に乗って畑に行く彼と出会った。まるで別人のように穏やかな表情で、「どうも」と言葉をかけてくれた。あのときから繋がっている感じがして、嬉しかった。
 人と向き合うとき、こちらの覚悟を試されるときがある。今回のように何かに突き動かされているような人の場合は戸惑いも大きい。こちらも対決の腹を決めなければならないことがある。社交も社会性も通じない。ダメダメじゃ繋がれない。そんなときの真剣勝負、本気のやり取りしか通じない。反応もいろいろだ、腹を決めたつもりが相手には通じない甘い腹だったりもする。引き受ける覚悟の“腹”はやってみなければわからない。しかし覚悟を決めて、向き合うしかないことが現場では度々ある。覚悟のないまま向き合うわけにはいかない世界で我々は勝負を求められる。そうは言ってもこの例などは夜勤明けの朦朧とした意識が功を奏したにすぎなかったりもする。ともかく本音しか伝わらない。ごまかしや上っ面は見透かされる。認知症は、社会性を奪っていくのかもしれないが、本質を見抜く力は先鋭化されている。認知症の方との関わりの中には、人と関わるということの本質と原点があると思えてならない。表層的で形式だらけの現代には貴重なことだとつくづく思う。
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思いを埋め、道をつくり、道を歩む★グループホーム第一西川光子【2007年7,8月号】

 ネギの苗を植え遅れて気にかかっていた。夕方が近くなったが「今日こそ植えるぞ」と張り切って米子さん(仮名)と玄関を出た。小屋から鍬を取って畑に向かっていると、通りがかりの人が親しげに声をかけてくれた。
「お母さんですか?先生ですか?」挨拶なのだが、不思議な挨拶に私は一瞬とまどった。しかし米子さんと私の関係を見てそういう言葉をくれたことは察することができた。
私は米子さんの顔をのぞき込みながら「はい、先生です」と答えた。言葉としてはちぐはぐだが、空気としては成り立っていく。そのやりとりを通じて心地よい風が通り過ぎたように、不思議な快感となって私たちを包む雰囲気があった。
 先生ですと言ったのは、米子さんの口癖が「先生」であり、米子さんが先生と呼ばれる仕事をしてきた人でもあるからかもしれない。私はそのラインで答えたのだが、気持ちとしては、「お母さんですか」という言葉の方に感動していた。二人を見かけた通りすがりの人が、施設から職員に付き添われて利用者が出てきたとは見ていない。「お母さんですか」と声をかけたくなるほど我々二人がほのぼのとした雰囲気に包まれていると感じてくれたのなら、私たち二人の雰囲気は「銀河の里」らしい在りようなのかも。
 通りがかりの見ず知らずの人の言葉に支えられたような、いい触れあいができたような、幸せな二人をみて、その人も幸せな気持ちになってくれたのかも知れない。なんだか良く解らないまま、「ウフッ」と言う感じで笑顔を交わして別れた。
 そこから私も米子さんも極めて上機嫌になる。「月が出た出た」歌を口ずさみながらルンルン。米子さんも調子よく一緒にうたってくれる。なぜこんなにハイテンション?と自問自答してしまうが、心地よさに任せて歌い続ける。炭坑節は米子さんの十八番。人を元気づけ、場を盛り上げ、いろんなところでいろいろな思いを持って踊ってくれる、米子さんの心配りの歌だ。
 そして、畑に着いて、いよいよ畝を立てようと私は鍬を振り上げたが、すぐに米子さんは「どれかして」と私から鍬を取り上げた。米子さんは、実に手慣れた身のこなしで鍬をふるい、ネギを植える畝を作っていく。疲れはしないかと心配して何度も声をかけるが「まだまだもう少しだから」と鍬を離そうとしない。
 私は目の前でハツラツと作業している米子さんの姿を見守りながら、一年以上も前、とりつかれたように畑に穴を掘った米子さんを思い出した。
 米子さんは、認知症になってしばらく不穏な自分を抱え、気分も安定しなかった時期が長く続いた。いいところのお嬢さんとして育ち、当時としては高学歴のお嬢様だった。そのお嬢様がお嫁に行ったのは、田舎町のしがらみの、ただ中ではなかったかと想像する。死んだ方が楽くらいの苦労を山ほどした。その苦しい思いに認知症になってからも、さいなまれ続ける米子さんがいた。じっとしていられなくて、歩き、動きまわった時期が続いた。寝れないで歩き回る夜が続く。何かの拍子に落ち込み、悲しい気分に包まれて外を出歩かねばならない米子さんがいた。
 そのころ米子さんは「辛いことがあったらね、畑に行って土を掘って埋めなさい。そして青空を見るの。ほら」と私に言って聞かせるような口調で励ましてくれることがあった。
そんな言葉を何度も聞かされたおりもおり、あるときふっと外に出て行った米子さんが、畑に向かい、とりつかれたように、鍬で穴を掘りはじめた。いつも聞いていた言葉を実現するように目の前で見せつけられて、私は何も言えず、そばで佇んで見守るしかなかった。私は何時間でもつきあおう、つきあうしかないと覚悟した。心を無にするための穴だと私には思えた。
 その時の様子は痛々しく私の目に焼き付いた。しかし長い時間脇目もふらず作業を続けたあとの不思議な行動が更に私の印象に残った。穴を埋めた後、そこからまるで新しい道をつくるかのように丁寧に線を引いていった。それは新たな旅立ちの道筋だと私には感じられてならなかった。           (次ページへつづく)
(前ページ続き)
 無心で掘ったその穴に思いを埋めたのか、その時を画して吹っ切れたように米子さんに変化していった。不穏な行動や、一般に徘徊と呼ばれるような一人歩きは激減した。
 畑仕事をしながら、これまでの米子さんとの数年を私は、思い起こしていた。
私がそんな思いにふけっているうちに、畝はいつの間にかできあがり、ネギも植えられていた。「やっぱり米子さんは先生だ」と心の中で念を押すように私はつぶやく。何も目に入らず、とりつかれたような米子さんではなく、今、現実にきちんとネギを植える米子さんが目の前にいる。
 あの日の不思議な道は、あれから今日に至る米子さんの新たな道筋だったのだと私は確信できた。その道を私たちは一緒に歩いてきて、さっき通りがかりの人に声をかけてもらったのだ。一緒に歩いてきたこの一年の道程と、ここまで来た今日の私たちを嬉しく感じた夕刻の畑仕事だった。
「お母さんですか?先生ですか?」
「ええ、もちろん両方です」私は今、迷わず誇りを持ってそう答えることができる。
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出雲の出会いA★理事長宮澤健【2007年7、8月号】

 雨のなか島根大学の建物が見えてくる。構内に入り教育学部のエレベーターに乗る。5分の遅刻。岩宮先生の研究室のドアは少し開いていたような気がする。川村さんがノックする。すぐに「はいどうぞ」と聞き慣れた声がして本物の岩宮先生がいた。夢じゃなかろうかと緊張する。3人で良かった、一人じゃ固まって話ができないかもしれない。
 私も仕事柄かなりの人と会う。普段誰と会っても緊張するようなことはほとんどないのだが、今日は違った。岩宮先生は相当特別な人なのだ。
国立大学の研究室はなぜかどこも狭い。しかし先生の部屋は狭いがきれいに手入れの行き届いていて研究室とは思えない。大学の研究室は書類や本がごったがえしていて、散乱し混乱を極めている印象がある。この部屋は面接室であって、研究室ではないのだろうと勝手に納得する。思春期の女の子の部屋に入ったような感じがどこかしたのは、感じすぎなのだろうか。
 「紅茶でいいですか」と言われる。「お構いなく」ではなく、「是非お願いします」といった感じで「はい」と言ったのは私だったかも知れない。
 壁に岡野玲子の陰陽師のイラストが額に入れて飾ってある。川村さんも気がついて「岡野玲子ですね」という。「必読書ですからね」と私。「はい必読書です」とお茶を入れながら先生。「心理の必読書なんですか?」と川村さん。「うーん」と説明はしにくい。岩宮ワールドの必読書というところだろうか。
 お茶を出してもらって、挨拶。こういう形でお会いできたのは始めてだが、追っかけで先生のワークショップに参加し始めて久しい。4年前に一度会場で名刺をいただいたこともあった。その時、「認知症の現場をやっている者で、一度、岩手の花巻に先生に来ていただきたい」とお願いしたのだった。そのことは先生も覚えていてくださったようだ。今回もそのお願いに来たようなものだ。
 特に明確な趣旨があるわけでもなく会って話が通じる。考えてみれば不思議な時間。普通、社会人はこんな感じで用もなく会うことはないだろう。内容も意気投合とも違う、話が盛り上がると言うのとも違う。何かを深いところで確認するようなそんな会話だったような気がする。あっという間に1時間が過ぎた。我々も次に向かわなければならず、先生も会合の時間が迫っていた。話題は多々あったが、それはここでは語りにくい。ただ色々話した後、「我々がやっているのは祈りに近いと思います」と言うと、即座に「それは私の仕事(心理臨床)も全くその通りです」と言われたのは印象的だった。こなしたり、片づけたりする作業ではない。深い超越への信に支えられて始めて可能になる種類の仕事。先日、長崎原爆記念の8月9日に多田富雄の新作能「長崎の聖母」の再演を見たが、2001年に脳梗塞で倒れながら、能に情熱をかけておられる多田先生の仕事も、人類に開かれた心と生き方があり、それはまさに祈りそのものだと感じた。この殺伐さが増すばかりの世の中で数少ない同志は「祈り」で通じているように思った。
「大切なイメージを、ひとつひとつつぶしていくような、砂をかむような世間のしきたりの中で仕事をせざるを得ない」状況は先生も我々も同じ戦いをしているのだと感じつつ部屋を出て大学を後にした。
「何で今日は喋らないのかと思った」と後で妻(施設長)が私に言う。「いや、確かに」
本物を目の前にすることは、なかなかないからなと汗をぬぐったのだった。
次の目的地、木次へ向かいながら、面白いそば屋を紹介すると川村さんが案内してくれる。街のはずれの路地の奥まった所にそのそば屋はあった                                               (つづく)
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土曜デイ、ランチに出かけるの巻 その@★DS 昆 里美【2007年7.8月号】

                                              
 T.杜のランチに出かけることになる

 授産施設ワークステージで運営している「悠和の杜」で、5月からランチが始まることになり、そのプレオープンに各部所でも出かけることになった。デイサービスでは木曜日メンバーでの外食が一番行動しやすい状況なので、木曜日で予定を組みたかったのだが、他部署との調整により土曜日に決まった。
このとき土曜日のメンバー11人のうち6人が、かなり個別の動きのある人たちで、社交性や社会性をぶっとばした個性がそれぞれ全開し、大活躍する。そうした動きに臆することなく面と向かって実に率直な激しい言葉(例えば:うるせぇー、くたばれ、お前なんかがが来るところじゃねぇ等々)が飛び交うという、とても過激で派手な曜日だ。正直なところ「土曜日だけは外出は控えたい」状態なのだ。
 土曜日メンバーでの外出を躊薯させるのは、この時点のデイサービスの職員体制にもあった。これまで長年の中心的存在であった戸來さん、牛坂さんの二人が移動になって、私と熊谷さん体制のデイサービスがスタートしたばかりであった。おまけにデイサービスの支えであった葛巻さんも新年度が始まった直後に転職で去ってしまい、4月に入ってきたばかりの新卒の藤井さんも、当然戸惑いのまっただ中で、ドキドキの新体制だった。3年目とはいえまだまだ経験の浅い私と熊谷さんが中心となって、介護員の脇山さん、看護師の高橋さん、新人スタッフの藤井さんの5人の体制。いつもならわくわくしながら外出の計画をたてるのだが、今回は「外食に出かけられるのだろうか?」という不安のほうが大きかった。「過激な土曜日メンバーでの外食は無謀なのでは?ここは中止すべきでは…。」との慎重論もでた。けれども、これからこの体制でデイサービスをまわしていかなければいけないのに、逃げてしまったらこの先どうなるんだろう?いつまでもベテランスタッフに頼っている甘い自分たちでいいのだろうか?頼れる人がいないことの不安はあるけれども、もしかしたらこれは自分たちにとっていい機会なのかもしれない。いろいろ考えをめぐらしたが、「よし、やるぞ!」と開き直ってしまうと、気持ちが楽になった。ここを乗り切ることで何かが変わるように思えたし、自分が変るチャンスがきたような手応えもどこかで感じていた。

U.杜での作戦会議

 土曜日に向けて計画を立てることになり、実際の場所を見ながら計画を立てたほうがイメージがつかみやすいと、熊谷さんと二人で夜の「悠和の杜」に出かけた。カウンターに陣取り、あそこに誰々さん、ここがトイレだから誘導はこうこうなどと具体的にイメージを作っていく。若い女性が二人で店内をきょろきょろしながらひそひそ話をしているのは怪しい(妖しい?)様子に違いない。ちょうど店の応援に来ていてカウンターの向こうで働いていた理事長が「今日はどうしたの」と声をかけてくれる。「あした外食の予定なので、現場で作戦を練っているところです。」というと、「おお、それはすごい意気込みだな」と感心してくれた。
 土曜日の利用者は11名。人数は少ないが個性的な11名が外食を楽しむためには、念入りに計画をたてる必要を感じていた。特に神経を使ったのが席決めだった。ここで重要なのが鏡子さん。鏡子さんの出方ひとつで、場の雰囲気が決定的にきまるからだ。鏡子さんは根はアッケラカンとしたいい人なのだが、個別の行動にならざるをえない人に対しては、「怒り」にも近い感情を引き出されるのか、厳しいチェックと罵声を浴びせるのが常だった。まぁ、認知症キラーともいうべき存在。
 デイサービスの中ではそういう罵声や怒声もうまく雰囲気にしたり、勢いにしていったりすることで、誰も傷つかない全体の空気を作ることができる。しかしそれは、デイサービスという器に支えられてできることであって、外に出たときには難しい。
しかし今回は内輪の店で、貸し切り状態なので、世間の目は気にしなくてもいいので、それだけでもかなり守りはあるほうだ。外出ということで、鏡子さんがよそ行きのモードになって、あの口撃がいくらかおさまってくれることを期待しつつ、また同時に「おいしいものでも食べに連れて行ってよ」と口癖のように話す鏡子さんに、今回の外食を一番に楽しんでもらいたい。鏡子さんの座席は他の人の動きが気にならない場所、一番奥のテーブルに決めた。
 ひとりひとり普段の様子を思い浮かべながら、それぞれどこに座るのが最適かをパズルのように組み立てた。食べ物さえ見ればすぐさま手が伸びる昭三さんの席は、同じテーブルに座った人の食事や、並べられている料理へ手が伸びることを考慮して、スタッフと一対一で過ごせる壁側の位置。普段から動きが激しく、何かと気になりやすく、一旦気になるとそのものにまっすぐに向かっていってしまう辰雄さんは、食べている途中に食器を持ったまま歩きだすことも考えて、普段を知る私が、と。
 由香さんは人が集まるところが苦手で、デイでもほとんどスタッフと一対一で過ごすことが多く、大勢のテーブルでの食事は難しいので、奥の落ち着いた少人数の席に。まりえさんはこの数年、デイサービスのホールに入るどころか、送迎車から降りることのできない時期も長く続いた人だ。一日車で過ごすことも多く、食事もお弁当にしてスタッフと車で食べることが何ヶ月も続いた。最近になって、やっとホールのテーブルで一緒に昼食がとれるようになってきたところ。今回の外食ではお店の中に入り、座って食事ができるのだろうか。まりえさんは日によっても状態に波があり、「車中」という守りの場所を確保しつつ、あとはぶっつけ本番で様子を見るしかないだろう。座席が決まると、次は車から店内への誘導の手順、流れ、それぞれの担当スタッフの配置も大事なポイントだ。普段の里での様子と相性を想定しつつ組み合わせを作っていく。誘導もこちらの意図通りには動いてくれるとは限らない昭三さんやまりえさんには、みんなが席について落ち着いた最後に店内へ誘導ということに決めた。
 気がつくとすでに閉店の時間、あっという間にかなりの時間が過ぎていた。しかし、どんなに念入りに計画を立ててみても、実際に何が起こるかは神のみぞ知る・・・だ。当日になってみなければわからず、不安は残ったが「よっしゃー、来るなら来い」と、覚悟だけは決った。      
                         (次月号へ続く)
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豊さんの夢日記〜もち編〜 ★グループホーム第2 田代恵利子【2007年7・8月号】

 夕食後、今日はめずらしく早めに寝入った豊さん。いつもの豊さんなら、いったん就寝するものの、30分もたたないうちに「う〜んう〜ん」のうなり声とともに部屋から出てきて「いま何時だ〜」「まだ寝ね〜のっかぁ」と夜勤のスタッフに声をかける。時には、スタッフの肩もみサービスをしてくれる。そして、リビングを一周し「寝るぞ〜」と言いながら部屋に戻る。寝つくまでこれを幾度となく繰り返す。それが朝方まで続く時もある。夜の豊さんは、気むずかしい感じの昼間とはまた違った陽気なおじいちゃんに変身する。寝ぼけてかめがねをかけ忘れて見せるつぶらな瞳がなんともかわいい。94歳とは思えない元気な豊さんから、私達は結構パワーをもらっている。
 “今日は静かな夜だなぁ”とすっかり安心しきってつい、うとうとし始めた夜中の2時。豊さんの部屋から声が聞こえてきた。その声はだんだん大きくなっていく。“何事か?”と豊さんの部屋へ行ってみた。すると…
 「醤油もってこ〜……聞けねーのが〜……頼む〜」と叫んでいる。
豊さんの顔をのぞき込むと横向きに寝ており目もつむっている。“はは〜ん寝言かぁ”と思わずふくみ笑いしてしまった私は、すぐさま紙とペンを用意し豊さんの寝言をメモりながら語りかけた。
田代 : 「豊さん、何に使うの?」
豊さん: 「もち゛につけて食うのよ〜」「いま焼いでら〜」「あ゛――」
 今まさに、もちを食べようとして興奮している豊さんの夢を壊してはいけない。しかも先の展開も気になる!私は、もうちょっと付き合ってみたくなって、醤油の代わりに空のペットボトルを手渡してみる。すると、
豊さん: 「醤油でねーじゃ。ただの空ビンだぁ〜」 
“えぇ゛〜見えてんの?”と驚いたが目は閉じている。ペットボトルは枕元に投げ捨てられた。
豊さん: 「なんにもね〜から寝た方がいいな」
しばらくそんな寝言のようなやりとりの後、夢だと気がついたのか、
豊さん: 「夢だじぇなっ。俺バガだな。さがんだりして」
と、あきれた感じでつぶやく。そのうちだんだんその声も聞こえなくなり、静けさが戻る。

朝になって、豊さんに知らないふりして聞いてみた。
田代 : 「豊さん、もち食べれたったか?」
豊さん: 「………アハハハ、何もなかったじぇ、夢だったじぇ」
     「もぢ焼けたから、醤油もってこ、なんて…負けだっ」
     「さわいで、もさげねがったな(騒いで申し訳なかったな)」
そんな会話をしながら、二人で大笑いした。私は「あとで本物のもち食べようね」と言わずにはいられなかった。
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