2007年06月15日

肝っ玉母さんになりなさい ★グループホーム2主任 板垣由紀子【2007年6月号】

 あんた達は、狂った婆さん相手に何でそんなにムキになって怒るんだ。』
私はコラさんの言葉に引っかかり、カッとなってよく言い合いになる。そんなときに言われる言葉だ。最近は切れやすく、カッとなりやすい人が多いらしいが、私はコラさんの言葉になぜこんなにカッとなるのだろう。 カルシウム不足?のせいばかりではなさそう・・・・  そのコラさんが言う。「言いたいことをいったとき、(言われた方は)気持ちを大きく持って、自分が馬鹿になって、『俺が悪かった。』って折れるんだ。そう言う気持ちが何で持てないの、昔はそうじゃなかったよ。どこに行ってもそうだ。何でこうなってしまったんだろうねぇ〜。」
 自分が悪くなくても馬鹿になって自分が悪かったことにする。それってかなり余裕がないと無理だよな。コラさんとやり取りしているとどこか余裕が持てなくなる。
 私を含め、今の人たちは、自分が悪くないのに悪かったって、言えるだろうか?これはあり得ないぐらい難しい。正しいか、正しくないか、正しい答えは何か、悪と善をはっきり分けて、善か−悪か、二者択一。あらゆるものが○×で判断できるように、まさに生き方としてすり込まれてきたのだ。自分が悪かったって認めることは、敗北に近い。だからなんとしても、間違っている相手をやりこめようとしてしまうような気がする。
 コラさんと話をしていて、余裕が持てなくなるのは、自分の言い分、尺度、気分で物事を決定してくるコラさんに対して、こちらも言い分があり、それが常識で、それを理解すべきで、分かって欲しいと必死になるからだ。必死になればなるほど、言葉尻を捉え、話をねじってこられるようで、さらに意固地にさせられる。その言葉は巧みだ。その言葉にやられてしまう。
「あんたは美人だね、私は美人が嫌いだ」「若いって良いね。」などと、棘のある言葉で若さをやっかみながらチクチク言う。
 「私の死ぬ日、看護婦さんだったら分かりますか?」「馬鹿になった、おがしくなった、長くない。」寂しさと、甘えと、不安が入り交じったような言葉をぶつけてくる。これは、現代人の不安そのものでもあるような気がする。我々は老いや死を上手に受け入れられなくなった。だから、整形をしたり、フィットネスに通ったり、若くあろうと必死になったりする。でもそれは、見苦しかったり、ばかげたことだったりもする。
コラさんとのやり取りで、苦しくなるのは、私の中の不安を突かれるからなのかも知れない。一から十まで言葉にしなければいけなくて、そうでないと分かってもらえないように思っている。本当は言葉では伝わりにくいニュアンスもあるし、言葉で伝えると、きついことも結構多い。沈黙や、超越を含めたやりとりもあって、それはもっと豊かな関係を実現するはずなのに。
 コラさんに『肝っ玉母さんになりなさい』と言われたこともある。つべこべ言わず、どんとして居ろというのだろうが、それが難しい。言葉を越え、超越に繋がるところで向き合えるようになったら、コラさんの前に私が肝っ玉母さんとして立ち現れるのではないかと思うが、それまではしばらく奮闘が続きそう。しんどいけど、コラさんと一緒にそのしんどさを味わっていきたいと思う。
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出雲の出会い@ ★理事長 宮澤健【2007年6月号】

 5月24日から島根県の松江から奥出雲の木次というところに行ってきた。なぜ島根なのか。ことの起こりは今年の2月、NHKの川村さんから突然携帯に電話があった。悠和の杜の出店の件で取材を受けていたのでその話と思って聞いていたのだが、全くの別件だった。認知症の取材を続けていて、オーストラリアのクリスティーナさんを追いかけて番組を作ったが、日本での取り組みとして面白いところはないのかと聞いて歩いているうちに「銀河の里」だと言われたので訪ねたいという話だった。
 ちょうど日本ユング研究所が主催した茂木健一郎のシンポジュームに大挙して東京に出かける日と川村さんの予定が重なったので銀座で待ち合わせた。これまでの何回かの取材経験から、マスコミなんかつまみ食いに過ぎないといった感じを持っていたので、なんの気なしに会ったのだが、会って数分ですっかり話の波長が合ってしまった。 我々とすっかり話が合ってしまうのはかなり怪しい部類に入ると私が言うと、川村さんは世界を取材してきた人だからか、「今やもう当たり前のことになりつつありますよ」と平然と言ってのける。東北自動車道の長い道のりも話が弾み、あっという間に感じられた。
 二泊三日過ごしていかれたのだが、職員とも夜遅くまで話が弾んで里にすっかりなじめる珍しい外部の人の登場となった。なじめるだけでなく、里の本質的な理解もしてくれる人で、その存在の意味も追求して行く仲間と出会えた感じある。「里の存在が自分の支えになる」と言ってもらえたのは最大の賛辞とうけとめた。
「里は農業が基盤」という話は当然出るわけで、農業が大事なんだという話から、是非会わせたい人がいる、その人は島根の木次で日本で最初に低温殺菌牛乳を開発販売を始めた人で、百姓として生きている自分の師匠だという。しかもその人のことを書いた本が出て、出版記念をやるので島根に行かないかという話になった。
私は農業と言ったって、駆け出しのにわか百姓だし、そういう本物の百姓には遠く及ばないので引き気味ではあったのだが、会っておくべきだくらいの勢いなので、好奇心も騒ぎ誘いに乗ることにした。しかしなんと言っても島根というと思い浮かぶのは島根大学の岩宮恵子先生である。その話を持ち出すと川村さんも松江局時代に浅からぬ縁があって、なんだかんだ会えるようにさっさと手配してしまった。
 私にとってはあまりに大きく重要な人なので、会いたいのはもう死ぬほど会いたいがゆえに臆病になるところもあったが、すでに決まってしまっていた。
 そんなことで、田植えを終わらせて早々に島根に出かけることになった。遠いところと思いこんでいたのだが、新幹線を乗り継いで朝出れば夕方にはつく。考えてみれば郷里の広島の隣県で、地元と言えば地元なのだ。高校生の時、一度だけ浜田までバイクで走ったこともあったと思い出す。一昨年、母親の見舞いがてら息子と岩手から広島までバイクで帰ったときは三日目に松江、出雲、と走ったのだった。そして出雲から南下するとき、今回の木次を54号線で通った。2年後こんな縁でまさか訪ねてこようとは思いもよらなかった。そのときも松江の国道9号線を走りながら、岩宮先生のいるところだと強く意識はしていた。まさかまさかが重なって、5月25日、松江駅で、その日空路東京から来た川村さんと落ち合って島根大学に向かった。
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自分への挑戦 ★グループホーム1 及川貴樹【2007年6月号】

 月22日、恒例のもち米の手植えで、今年の田植えもようやく終わった。田植え自体は、1週間といつもより早いペースだったが、私にとっては、やっと終わってホッとしたのが正直な感想だ。それというのも今年初めて、育苗管理に深く関わった。苗に水を毎日やり、ハウスの温度管理に気を配った。農家の人は、毎年こんな事を、やっているのだろうかと毎日が不安だった。「水は足りているだろうか?」「ハウスの温度は上がりすぎてないだろうか?」「病気がひろがらないだろうか?」「薬はかけた方がいいのだろうか?」不安になればなるほど、周りの人の言葉に振り回され、右往左往する自分がいた。
ある日、何カ所か円形に苗が枯れていた。なんとしたものかと迷い、家に帰りかけては、途中で戻り、もう一度苗を見て、また帰りながら途中で不安になり、戻っては苗を見るようなことを4、5回繰り返した日があった。
繰り返しながら、気付いたのは、自分は、“苗を全然、見ていない。”ということだった。繰り返し何回も確認している割には、苗の枯れている所が、前日よりどの位増えていて、どの位苗が使えない状況なのか、全然把握していなかった。少し落ち着いて苗をじっくり見てみると、枯れているところは、確かにあるが前日より増えているわけではない。私を、不安にさせていたのは、苗の枯れではなく、不安ばかりで苗をよく見ようとしていなかった自分自身だった。いつの間にか、私は自分自身の不安に巻き込まれ、みなければいけないものを見られなくなっていたようだ。
これは今までの私の生き方そのものである気がした。不安に心をとらわれ、現状をしっかりと把握できない。人にどう思われているかばかりを気にして、自分も相手も見失う。そんな自分が浮き彫りにされてしまった。農に向き合うことは、確かに自分と向き合うことだ。苗を育てていた期間は1ヶ月間だが、その1ヶ月間はすごく大きかった。
今回、その農に、どっぷり浸かる事になった。今月から農業担当となる。今まで、4年間銀河の里にいて農はすごく近くにあった。あったはずだった・・・だが実際は、草刈機ひとつ使えない。自分がどんな過ごし方をしてきたかが分かる。だが、今度は逃げられない。農からも、自分からも。そんな覚悟を持って臨みたい。
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里の日々 〜今月の里の一句〜 ★グループホーム2 鈴木美貴子【2007年6月号】

 転んでも 転んでも行く この山道の 何に向かって 歩み続ける
M子さんと歩く。山道を行こうとするM子さん。歩きにくく躓くが進んでいくM子さんは立ち止まらず、どんどん行こうとする。そこに道があるのを知っているからか?いや、知っている、 知らない、あるとかないとかでもないのか・・・。
なす苗の 植た後でも 朝夕の 涼しいときの 日々の挨拶
 初夏の日差しのなか、ナスの苗が、しおれ加減で元気がない。「植えたほういいよね」と話していると、利用者のフキ子さん(仮名)が「昼間に植えるんでねぇよ。夕方に植えるんだ、たるに水入れてつけていれておけば夕方までに 葉っこピンとなるがら」と言う。言われたとおりバケツに水を入れ日陰に・・・昼には葉がピンとして生き返っていた。夕方、ウラの畑に植えに行く。フキ子さんに教わりながら、新聞で囲いも作った。「午前中に植えたら、殺してしまうところだったんだじゃ」とフサ子さん。
次の日の朝、畑に植えたナスの苗を見に行くフキ子さん。夕方も、「ナス見てきたか」「なんぼがくたっとなってたべ、夜には夜露でピンとなるから」と気にかける。殺さずにすんだナス。朝夕ナスと挨拶を交わして、立派な?ナスを収穫したい!! (6月はじめにナスに花が咲いた。「殺さなくていいがったな」とフキ子さん。)
 植えれば良いというわけではない、時があるのだ。季節、時期、朝、夕、今、後、見極めてはずさないこと。待つときには待つ姿勢を整えて待つ。
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悠和の杜の展開:街の居酒屋のあり方を探る ★悠和の杜マネージャー 牛坂友美【2007年6月号】

 食彩空間悠和の杜」は自立支援法のあおりもあって、障害者の社会参画の場として授産施設ワークステージ銀河の里が企画し、この2月に開店した居酒屋レストランである。
 店のフロアーは、個室を作るような間仕切りは無く、広がりをもった空間である。そこにはコミュニケーションを大切にしたいという想いがあり、今時の多くの居酒屋がボックス主体で個室化の流れにある中、当店では壁をなくして、料理や地元のお酒、アコースティックな音楽を通じて、繋がりや出会い、肩の力を抜いたくつろぎの時間を期待した。
 私は開店初日からフロアーに立っているが、毎週末継続しているピアノやフルート、ギターの演奏日には、そうしたイメージから遠くない、人と人とが出会い、楽しめる空間が広がり、ぬくもりのある時が流れることを感じてきた。
 5月、店では二つの企画イベントを開催した。一つは地元ワインとプロのジャズ演奏者ライブを楽しんだ「ジャズとワインの夕べ」で、二つめが女優二木てるみさんと地元一人芝居役者の星鴉宮さんの「ジョイント朗読会」であった。
どちらのイベントも40〜50名のお客様で、会場はいっぱいになった。
 ギターにベース、飛び入りのピアノとフルートでつくられるアコースティックな音や、役者さんらが作り出す物語で、どちらも会場は盛り上がりを見せた。手元には地元大迫ワイン、板長の腕が光るお料理に、お隣同士で自然と会話がはじまり、いつの間にか、会場はお酒も進む雰囲気に包まれた。
こうした、何か心に通じるものを見たり・感じたりしたときの高揚感を他者と共有することは、今ではなかなか難しいのかもしれない。悠和の杜では、そういった地域の可能性を具体化していきたい。音の世界、芸術の世界・・というのは人間個人の、また暮らしの豊かさや奥深さ、不思議さを教えてくれる。それが、年に幾回の大ホールでのイベントではなく、街中の一軒の居酒屋で、身近な普段着の中で創り持つことが可能だとすれば楽しい。
 これからも音楽ライブに、絵本の読み聞かせ、アートギャラリーなども挑戦していきたい。今回の感想にもあった「宮澤賢治さんの童話を夢中になって聞いたら、もう場面がわぁ〜っと広がってびっくりしました!」「なんだか、楽しい!」といったシンプルでとてもパワフルな感覚に、生きるエネルギーが充電されるような、そんな場であることこそが、障害者の発信の場としての店にふさわしいはずである。
 7月にはこれからの福祉と地域について語る講演会や、音楽ライブも企画している。色んなことがやれたらいいと考えているので、何かやりたいことがあれば、ぜひ声をかけてください。
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今、ランチがおもしろい〜ランチで大活躍〜 ★ワークステージ主任 米澤里美【2007年6月号】

 自立支援法がいきなりやってきて、まさに存続の危機に立たされることになった授産施設。生き残りを賭けた捨て身のカードとして切ったのが居酒屋「食彩空間 悠和の杜」出店だった。開店と同時にランチを始めるつもりでいたが、板長以外は福祉現場の人間で飲食業はズブの素人の集団。一度には無理と、夜の居酒屋をまずスタートさせて、ランチはそのうちということで延び延びになっていた。
 売り上げも順調に下降?していく中、なんとしても歯止めをかけて、閉店廃業は避けたいとランチを開始した。いつもの通り、組織を挙げての総力戦である。プロジェクトスタッフの寝ない、休まないは常識である。日々が戦いだ。
 ランチが始まって、大活躍をしたのはワーカー(授産利用者)である。授産施設の店なので、今までも彼らが基盤になって、米や野菜を作り、餃子やシュウマイなどその他の仕込みもやってきていたのだが、夜中の店には直接出ることは難しかった。ランチは昼間で俄然張り切った。歩きや自転車で自分で出勤してくる人もいて、なかなかの社会参加になっている。 心配されたお客さんとのコミュニケーションのぎこちなさも、店ではそのまま押し通してほとんど問題がないレベルでやっていけることが解った。実は私たちには苦い経験がある。去年の桜まつりのイベントで一週間、店舗を借り、それこそ社会参加の第一歩と頑張ったのだが、ワーカーの長所は出せず、苦手なところ、弱いところ、やりとりのぎこちなさなどが、違和感として強調されてしまって、社会的にさらしものにしてしまった感があって、スタッフも仕方なく職員と利用者の関係を演じざるを得ず幾分傷ついたのである。
 私たちのやりたいことはこういうことではない。ただやればいいってものでも、社会に出ればいいっていうものでもないと感じたのだった。販売に歩いても、「頑張ってね」と理解をしてくれる人と出会って涙を流すこともあれば、「福祉だってぇ、かわいそうだからかってあげたら」と冷やかされて泣くこともあった。傷ついたり癒されたり、なかなか一筋縄ではいかないことを経験してきた。
「社会参加」「自立」などと支援法は勝手にきれいなことをいうが、現実には、死にもの狂いで戦い生きることなのだ。スタッフの私にとっては、障害者をさらすのか、社会参加を保証するのか実に微妙な瀬戸際でのせめぎ合いの勝負になる。そして何かやると必ず「障害者を利用している」「こき使っている」と非難される。何かやろうとするとその微妙な所をあえて突き進んで行くしかない。なにもしない人は常に正しいことを言うだけで良いから始末が悪い。こういう仕事は確信犯的に悪を引き受けることができなければ、なにも成し遂げることはできないのかも知れない。
 いろいろな声も聞こえては来る「市役所の世話になって派手な商売しやがって」と言った酔っぱらい(市役所からは一円の支援も受けていないが)。例のごとく、「障害者をこき使っている」という声もやはり聞こえてきた。障害者は役所の世話になっているんだから 影に隠れておとなしくしていろといった感情もあるだろう。何割かの市民感情を代表する 声としては受けとめたい。
 去年のイベントの店と、悠和の杜の違いは枠組みにあるように思う。つまり、花見のイベントにいきなり障害者の店があっても、お客も障害者もとまどうのが当然で、守りの器としては弱すぎたのだと思う。杜は日常に根を下ろした街のなかの店であるし、「障害者の発信の場」として報道もされ、認知もある程度されているという枠がしっかりある。 普通、変だとか、おかしいと思われるようなことがあったとしても、杜の店の中や周辺では結構受け入れてもらえる。それはこちらも傷つくことなく面白い出来事として受けとめることができる。ワーカーが持つ個性、不思議な存在感、優しさ、正直さが何とも絶妙に生きてきてくる。初めて店に来て緊張していても、ワーカーのまっすぐな人間らしさにほっとしたり、気持ちがほぐれたりする。そして、なんだか、和んだりする。
 営業部長と呼ばれるマサキさんは、外での呼び込みに気合いが入り、大きな声で、旗振って宣伝している。近くの銀行に飛び込み10人様をお連れしたりする。Sさんが盛るご飯とみそ汁、ミツコさんが盛る小鉢のサラダと煮物、平さんは洗い物に、三股さんはホールに立ち、お冷やの用意や配膳に一生懸命。みんな結構緊張して真剣だ。
 今日は何が起こるのか全く予測不可能!そして何かを起こしてくれるからおもしろい!お料理の味はもちろんだが、ワーカーの虜になってまた来てくれるお客さんができたら、もっとおもしろく社会参加だ!
 障害者が普段、普通に受け入れられ、個性全開でも変な目で見られない地域社会ができたらいい。お金を稼ぐことが至上命令のようになった自立支援法ではあるが、障害者の価値までがお金に転嫁されて考えなければならない一元的な価値観の社会ではなく、失いつつある、人とふれあい、関わり支え合うことの価値を取り戻す可能性は、彼らの個性の中に秘められているように感じる。
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