デイサービスの開設間もない頃から7年間通ってくれていたMさんが先日亡くなられた。入院された時点で、どこかで覚悟はしていたのだが、いざ亡くなられると辛かった。葬儀の案内をいただき参列させてもらったのだが、立派な葬儀で、仕事仲間も多く参列されており、私の知らないMさんを見るようだった。
お孫さんが弔辞の中で、「おじぃちゃんは、デイサービスを楽しみにしていて、休みの日も玄関で迎えをまっていました。おじいちゃんにはそのことがわからなかったみたい。でも毎日のように銀河の里に行くおじいちゃんを見て、自分たちもがんばらなきゃと思いました。」と言われた。Mさんとお孫さんの穏やかで暖かい関係を感じると共に、お孫さんのおじいちゃんへの素直なまなざしに心和む思いがした。
Mさんにとって、ほんの一部でしかないと思っていた里のデイサービスでの7年間は、Mさんにとっても、家族さんにとっても大切な時を過ごしておられたとのだと感じた。
私にとっては、経験も知識もないところを、デイサービスの主任を任せられ、手探りで、悪戦苦闘の7年だった。その私のかたわらにいつもMさんはいてくれた。 葬儀後私はMさんの事を思い出しながら書庫から写真の束を取り出してみた。7年前、開所間際の写真は、みんな若かったなと感じるくらいすでにもう懐かしい。デジカメになる前、フィルムで撮った写真の束。当時、デイの男性陣5人が里の畑やハウス、建物の周辺に出掛けて作業をする姿があり、誰がよんだか彼らを「男衆」と言っていた。 それぞれデイサービスと思ってはいなくて、定年後の再就職場所のつもりのSさん、近所や知人の作業を手伝う、結いのイメージのYさん、本当は温泉に来てくつろいでいたのに、黙ってみていられなくなったHさん。それぞれのイメージで里に集い、過ごしていた。
Mさんは、まっすぐな性格で、こうと決めたら修正のきかない所があった。こちらの都合もお構いなしの所があって、Mさんに合わせるしかなかったり、Mさんとぶつかる事もあった。
ニワトリのえさやりが日課だった時もあった。秋に収穫期を迎えた大豆が気になりだして急遽畑に出かけたこともあった。デイサービスの枠を越えて、畑や田んぼ、グループホームと縦横に行き来し、つないでくれた。
また、まっすぐなまじめさと裏腹に、遊び心も旺盛で、ただの仕事にしないふところがあった。作業を始めてすぐに「もうやめた!帰る。」と言って、周りを驚かせ、自分はフフフと笑っていたりした。
種まきの時は、苗箱を友人のYさんが3枚もてば、Mさんは4枚持とうとする。張り合いながら、Yさんとの掛け合いを楽しんでいた。積み重ねた苗箱がバッタリ倒れて、みんな青ざめている中で、吹き出して笑うMさんがいた。Mさんの存在が、単純な作業を脱線させ、遊び心でほっこりさせたり、厳しい状況で救ってくれたりした。そんなMさんとともに、デイサービスはかたち作られてきたんだと感じる。
新年度も迎え、私はデイサービスから少し離れ、相談事業に関わっていく予定だ。新しい道をまた行くわけだが、Mさんと一緒に過ごした感触が、次の旅立ちの勇気になる。今、Mさんを振り返りながら、別れがあったにも関わらず、Mさんがより身近に感じられるように思う。これまでMさんに育ててもらったことに感謝しつつお別れを告げ、私は新たな旅を歩んでいきたい。
posted by あまのがわ通信 at 00:00|
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