2007年04月15日

Eさんに支えられての旅立ち ★グループホーム1新スタッフ 山岡睦【2007年4月号】

 季節はずれの雪が舞う3月の半ば、私は銀河の里へやってきた。社会人としての第一歩を踏み出す覚悟と、これからへの期待と不安で胸がいっぱいだった。
 そんな私の緊張を解してくれたのがEさんである。「咲いた〜、咲いた〜、チューリップの花が〜」と、手拍子と共にEさんの声が響き渡る。数えるほどしか会っていないのに、Eさんの顔を見た私はなんだかほっとしていた。
 ある日、そのEさんが「家に帰る」と、スリッパのまま外へ出た。私は慌てて追いかける。必死で止めようとするが、Eさんは私の言葉を聞き入れない。「私はあなたのこと知らないんだから。勝手に帰りなさい。」と言いながら、私の手を振り解くEさん。思いがけない言葉と行動に戸惑う。しかし、後からこれまでのEさんについて色々な話を聞き、私はEさんのことをまだ何も知らないのに、何をわかった気になっていたのだろうと思った。笑顔で語りかける姿も、帰ろうと足早に歩き続ける姿も、全部ひっくるめてそれがEさんという人間なのである。あの時のEさんの言葉は、そのことを暗示していたのかもしれない。
 後日、Eさんと手を繋いでデイサービスを訪れた。そこでいつものように歌を歌うEさん。その瞬間、「うるさい!朝っぱらから何だ!出て行け!」という、利用者さんの言葉が飛ぶ。いつもの「帰ります。」になってしまうかもしれないと思いながら、なんだか私自身もここにいてはいけないような気分になり胸が苦しくなった。が、その時のEさんは、何もなかったように私に笑いかけていた。またEさんに救われたのだと感じた。
 私の手を握るEさんの手は温かい。これからゆっくりと関わりながら、手と一緒に心も繋がれたらと思う。
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パインで繋がる心と心 ★グループホーム2 田代恵利子【2007年4月号】

 グループホームの入居者Fさんは、食べ物にこだわりがあり、かなりの美食家だ。頼まれていた生エビ、輪切りのパイン、ヨード卵を買って、Fさんの部屋へ届けた。すると気前のいいFさん「オメ、こごで一つ食べでいげ」と私にパインをくれた。二人でこっそり甘くておいしいパインをいただいていた。
 そのうち何を思ったか突然「Kさんにも一つやるがなぁ。持ってってけねが?」と言うので私は驚いた。Kさんは同じグループホームの入居者だが、今年に入ってから病気がちで、部屋で過ごすことが多く、以前のようにリビングにでてみんなと過ごす機会は減っていた。そんなKさんを気遣ってなのか、Fさんのその思いやりに、私は驚きながら胸が熱くなった。
 これは是非ともKさんに届けなければと思って部屋から出ると、他スタッフからKさんはパインが嫌いだったはずというので困った。一瞬迷ったが、どうしてもFさんの気持ちを届けたく、Kさんの部屋へ持って行った。
 私の心配をよそに、Kさんはとても喜んで、パインもほとんど平らげてくれた。確かにパインは好きではないのかも知れないが、Fさんの気持ちを受けとめてくれて、おいしそうに食べてくれるKさんがいた。
 二人は直接言葉こそ交わさないものの、気持ちの繋りを感じた出来事だった。しがらみや監視社会のプレッシャーとストレスがきつくなるばかりで、ほっとしたり、胸が熱くなるような話は世間からは急速に無くなりつつある。グループホームに昔の地域の、ご近所の関係、助け合い、いたわりあいの精神が生きづいていくとといいな。私もここでそんな関係を生きていけたらいいなと思った。
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出会いにあふれることが生きていること ★グループホーム1主任 及川貴樹【2007年4月号】

 2年ぶりに以前いたグループホームに移動で戻ってきた。2年の間にスタッフが変わり、入居者も半数以上が変わっている。戻ってきたとはいえ、見た目に似合わず神経質な私は、緊張感のなかで新年度を迎えた。
 Kさんは私の苦手な男性利用者。今までも一緒に桜の木を植えたりしたことはあったが、その時よりも口数が少なく、目が合うとそらされているような気もした。すごく硬い感じがして話しづらい。ついつい移動の挨拶もしそこなってますます意識してしまっていた。
 「以前の担当が異動になって、神経質になっているのか。」「何か想いを溜め込んでいるのか。」いろいろ考えてしまう。 そんな私に、ふとした通りがかりに、Kさんが「飯食ったか」と声をかけてくれた。あまりに自然で、父親が息子に話しかけるような感じ。Kさんは私を気遣ってくれたのだと思う。硬くなっていたのは、私の方だった。どこか腫れ物に触るような感じで接していた私に、自然に接してくれと言われたような気がした。そのときは唖然とした感じでいたのだが、帰路車の中でKさんの言葉が段々重く、私の心に響いてきた。嬉しくて、ありがたかった。
 私は世代なのか、なかなか父親と自然には会話ができない。お互いギクシャクして不自然になる。kさんはkさんで、息子さんとうまくいっていない。距離を遠く取っていないと、お互い傷ついてしまう関係にある。それでもKさんが一番近づきたいのは息子さんではないのか。一番かわいくて大事な息子とうまく関われないKさんと、親父とすんなりいかない自分が、父子のようにグループホームで出会うことの不思議を思う。声をかけられた私の感動はそこに父を感じたからに他ならないのではないか。
 グループホームは毎日が出会いにあふれていると思う。その方がその方であるために、必死にぶつけてくることに対して、私も私であろうと必死にもがく。そこに出会いが生まれてくる。逆に、慣れや先入観などで自分を停滞させ、相手を対象化し、もがく事をやめると、出会いは全く生まれない。“出会いにあふれることが生きていること。”そのことに気付かせてくれたKさんに感謝しつつ、私の中の父にも迫って行ければと思う。
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7年目の節目に考える〜農、脳、能とこれから ★理事長 宮澤健【2007年4月号】

 我々は現代社会のなかで、便利と豊かさを享受している。その本質は心を使わなくてすむようになったことではないか。これは大変楽なのだが、生きる実感を無くしてしまう危険がある。そのことにはなかなか気がつかないでいる。
 近代科学は急速な発展に寄与したが同時にそれは、心を使わないことの普及でもあったのかもしれない。心を使わないから客観的とか普遍的とかいいやすい。「個人的な感情は入れてはならない」というのが近代科学の基本的な姿勢だ。小林秀雄はそんな考えは、人類何万年の歴史の中で、たかがここ300年の浅知恵だと言わんばかりに喝破している。その講演記録をCDで聞いた茂木健一郎は「ここに同志がいた」と深い共感を寄せた。 茂木は独自の概念である「クオリア」を小林が知ったなら、「君、それが僕の言いたいことだよ」と賛同するにちがいないと言っている。
我々の生活の周辺はその科学一辺倒に覆われ、これが私には息苦しい。特に認知症の周辺は脳ブームのせいもあって、前頭葉だの、脳ドリルだのいかにも科学的な証明のもとにそれが救いのように出されてくる向きがある。こうした動きに脳科学者茂木氏は「馬鹿じゃないの、そんなことで人生の問題が解決するわけねーだろ」と言い放った。我が意を得たりで大いに溜飲を下げる思いだったが、便利と豊かさのなかで大きな不安を抱えてしまった現代人はさらなるごまかしを必要としているのかもしれない。
 そうした現代の混迷と不安に、果敢に攻勢をかけてくるのが、認知症の人たちの存在であると感じさせられてきた。銀河の里も7年目に入る。経験もないまま、認知症の人たちとの暮らしのなかで生きることを大切にしようとやってきたのだが、認知症の人の存在の大きさに圧倒され、感激と驚愕の連続だった。その威力、迫力、人間らしさに満ちあふれた世界は、陳腐で貧相な生き方ばかりの現代人の中で燦然と輝いている。心を動かさない近代科学主義の原則のもとで、便利と豊かを享受し、およそ関係性を排除しきった現代人の我々に、強烈な関係を求めてくる、実に人間的な存在だ。
 その存在は他の障害も含めて、現代社会における数少ない、大きな可能性と希望に繋がっていると感じてきたが、今それは確信になりつつある。銀河の里は認知症の利用者の存在に支えられ、教えられてきた草創期の6年を越え、今後10年に向けて、認知症や障害のもつ価値や可能性、そこからもたらされる希望について、より深い探求の道を行くことになるのだろう。
 探求、研究は時代の突端で苦悩し知力の限りを尽くし、心のエネルギーを駆使して新たな発見に挑むということだと思う。これまで通り、農業を基盤に「暮らし」を作り、その中に生きることのリアリティアを実現しつつ、科学、芸術、哲学、宗教性をふまえたまなざしで人間と生命を見つめて行きたい。それらがそろって初めて認知症や障害は人間全体に付置され立体化されることになる。そうでなければ「扱った」に過ぎず、「生きた」にはなっていかない。その意味で今、我々の前に現れている、「脳」、「農」、「能」の三つのノウに取り組み、迫って行きたい。
 ニューフェイス7人を向かえた7年目は、これまでとは違った大きな節になるような予感がある。組織体勢も大きく変わり、居酒屋など社会参加も本格化してきている。「自分らしく生きること」に風当たりの強い地域ではあるが、誠実に真摯に歩んでいくしかない。時代の突端で、スタッフ個々の奮闘がどんな発見をし、可能性を切り開くか期待をしたい。また、出会いが関係を育み、そこに新たな物語が生まれてくることを楽しみにしている。
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光と闇 ★グループホーム1 前川紗智子【2007年4月号】

 わらび座ミュージカル、「銀河鉄道の夜」ファイナル公演があった。私も、Tさんの誕生日のお祝いも兼ねて、TさんとYさんと3人ででかけた。ぎりぎりセーフで席に着く。真っ暗になる会場、あれYさんちゃんと座れたかな・・・なんて思った瞬間、幕が上がったそのステージにはなんとも綺麗で吸い込まれてしまいそうな天の川。そしてそれとほぼ同時に会場を満たしだした音楽に、私たちはすっかりと別世界に入り込んだ。天の川の光に照らされて、さっきまで気にかけていたとなりのYさんの見入る姿も見える。
 舞台の力って、音楽ってすごい。この公演を見てあらためてそう思わされた。音に導かれて、そのうつし出している世界にすっかりと浸りながら、でもシーンごとにさまざまな自分自身の追体験が巻き起こって、感情がぐるぐると揺り動かされる。
“僕はもう、あんな大きな闇の中だってこわくない。きっとみんなの、ほんとうのさいわいを、さがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んでいこう。
 ”銀河鉄道での旅で、さまざまな人と出会って別れていく中で、「ほんとうのさいわい」が何なのかを考え始めたジョバンニとカムパネルラ。その終わりに、ジョバンニとカムパネルラは石炭袋(ブラックホール)を目にし、ジョバンニはこう語ったのだった。
 その時に、わたしの中の古い記憶がまた引き出されて、涙が止まらなくなった。それは、私がまだ小さい頃、夜に、明るい居間で父親のあぐらの中に座りながら、開けられた戸の向こう、真っ暗な座敷を指差しながら「鬼がいる」と父親に訴えているのだ。でもだからと言って父は座敷へ行って電気をつけ「いないよ」と照らして見せたりはしなかった。ただ一緒にそこに座っていた。私も、いるかいないかを知りたかったわけではないし、退治してほしいわけでもなかった。父が退治にでかけていたら、もっと不安だったろう。座敷を見つめながら、鬼はいるけど、それでもここにいれば大丈夫だ、不思議とそんな安心感があった。
  闇と対峙しても、平気でいられるこころの強さ、それをもたらしてくれる誰か、そのあなたとわたしの関係。ほんとうのさいわいは、そこにあるんじゃないのか。闇をなくそうと、なんでも明らかにしようとして、いろんなことに光をあてながら、自分たちの中の不安と戦ってきた。でも光をあてれば陰はかならずできるのだ。そうやって、いらない陰を増やしてもきた。ほんとうに照らさなきゃいけないのはその闇ではなく、闇と対峙したときの自分や、それをとりまくものたち。絶対的な闇は消えたりしない。わたしの中の不安の種は、闇の中にではなく、私はだれかとつながれているのかな、いつもそこにある気がするのだ。 ジョバンニとカムパネルラはつながった。闇と対峙してもこわくなくなった。その安心感は、たとえカムパネルラがもう戻ってこなかったとしてもきっと消えなかったんだろう。ほんとうのさいわい。 3人でこの銀河鉄道の夜を見た。みんな戦っている。ほんとうはそこまで気負う戦いじゃないのかもしれないんだけど、みんなぶきっちょなので、ちょっとやりすぎて疲れたところで握ってた手を緩める。あ、こんくらいの力加減でもまだ手つないでんじゃんってなったり、力こめすぎて相手から手を振りほどかれたりしながら、また手を伸ばして。楽ではない。けれど、なんとも愛おしいではないか、と思う。
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新たなグループホームの舞台に立って ★グループホーム2主任 板垣由紀子【2007年4月号】

 新卒者を迎える時期になった。去る人、迎える人、春は出会いと別れの季節、感傷的になったり、不安になったり、わくわくしたり、とても心が忙しい季節だ。
 私も今年度は、住み慣れた第1グループホームを離れ、新天地、第2グループホームへ移動となった。入居から1年半担当したKさんに、移動をどう伝えようかとタイミングをみていたが、ついに最終日になった。その日は、送別会。私も送る側に座っていると、花束がKさんより私に突然手渡された。びっくりしたのと嬉しかったのと、複雑な思いで受けとる。Kさんの心境は?
 表情は、にこやかだった。バラの花とかすみ草のブーケのような花束を受け取り、二人肩を並べ写真に収まった。そして入浴時、私は伝えられずにいた移動の話を、背中を流しながら伝えた。「そうか」とひとことことあっただけで後は静かに背中を流すだけ。湯船に静かに沈んだ表情はとても穏やかで安心した。「すぐ隣だし、遊びに来てね。」と声を掛けその場を後にした。
 さて移動先の食事時間、よそ者の空気で座っている私に、唯一関わって来てくれるHさんがいた。「きれいですね〜」がHさんの切り口だ。「きれいですね」と私も返したが、次の瞬間おかずが一品消えていた。さすがに早い。私は思わず笑ってしまった。
 そうこうしていると、またまた「きれいですね〜」とHさん。「きれいですね・・・でもまだ食べてます」と返すと、「わがってら、うるせ、さる、くちやがまし」と悪口が来る。なんか楽しくなってくる。不思議だけどいやじゃない。そうしているとHさんは〈ごつん〉と私の頭や背中を叩いて去っていく。数分後にはまたやってきてくれる。今度は私がおしりをポンと叩いて返した。
 スタッフは気にして「こんな難しい人に最初から大丈夫だろうか」といった心配をしてくれているのを感じた。しかし私にすれば、まだ顔見知りでもなく、なじまないところで、誰もが遠巻きにしている寂しさのなかで、「きれいですね」と「うるさい、サル」などと悪口とおべっかでどんどん関わってくれるHさんに歓迎されているような気がしていた。今日は何回“うるさい”と言われるかな?「きれいですね」攻撃になんと言って返そうかなと色々考えたりしている。
 キッチンで洗い物をしていると、私のおしりをぽんぽんと2回叩く人がいる。振り返ってみるとHさん。にやりと笑って去っていった。その顔に、やった、つながったと、こころが震えた。Hさんは先ほどおしりを叩いた私に、かたきを伐っていったのだ。まだまだつながれる。ゆっくりとこうしたやりとりの中から、ひとつひとつ物語を紡いでいきたい。物語は今始まったばかりだ。
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別れと出発の時〜Mさんを振り返る〜 ★デイサービス 戸來淳博【2007年4月号】

 デイサービスの開設間もない頃から7年間通ってくれていたMさんが先日亡くなられた。入院された時点で、どこかで覚悟はしていたのだが、いざ亡くなられると辛かった。葬儀の案内をいただき参列させてもらったのだが、立派な葬儀で、仕事仲間も多く参列されており、私の知らないMさんを見るようだった。
 お孫さんが弔辞の中で、「おじぃちゃんは、デイサービスを楽しみにしていて、休みの日も玄関で迎えをまっていました。おじいちゃんにはそのことがわからなかったみたい。でも毎日のように銀河の里に行くおじいちゃんを見て、自分たちもがんばらなきゃと思いました。」と言われた。Mさんとお孫さんの穏やかで暖かい関係を感じると共に、お孫さんのおじいちゃんへの素直なまなざしに心和む思いがした。
 Mさんにとって、ほんの一部でしかないと思っていた里のデイサービスでの7年間は、Mさんにとっても、家族さんにとっても大切な時を過ごしておられたとのだと感じた。
 私にとっては、経験も知識もないところを、デイサービスの主任を任せられ、手探りで、悪戦苦闘の7年だった。その私のかたわらにいつもMさんはいてくれた。  葬儀後私はMさんの事を思い出しながら書庫から写真の束を取り出してみた。7年前、開所間際の写真は、みんな若かったなと感じるくらいすでにもう懐かしい。デジカメになる前、フィルムで撮った写真の束。当時、デイの男性陣5人が里の畑やハウス、建物の周辺に出掛けて作業をする姿があり、誰がよんだか彼らを「男衆」と言っていた。 それぞれデイサービスと思ってはいなくて、定年後の再就職場所のつもりのSさん、近所や知人の作業を手伝う、結いのイメージのYさん、本当は温泉に来てくつろいでいたのに、黙ってみていられなくなったHさん。それぞれのイメージで里に集い、過ごしていた。
 Mさんは、まっすぐな性格で、こうと決めたら修正のきかない所があった。こちらの都合もお構いなしの所があって、Mさんに合わせるしかなかったり、Mさんとぶつかる事もあった。
 ニワトリのえさやりが日課だった時もあった。秋に収穫期を迎えた大豆が気になりだして急遽畑に出かけたこともあった。デイサービスの枠を越えて、畑や田んぼ、グループホームと縦横に行き来し、つないでくれた。
 また、まっすぐなまじめさと裏腹に、遊び心も旺盛で、ただの仕事にしないふところがあった。作業を始めてすぐに「もうやめた!帰る。」と言って、周りを驚かせ、自分はフフフと笑っていたりした。
 種まきの時は、苗箱を友人のYさんが3枚もてば、Mさんは4枚持とうとする。張り合いながら、Yさんとの掛け合いを楽しんでいた。積み重ねた苗箱がバッタリ倒れて、みんな青ざめている中で、吹き出して笑うMさんがいた。Mさんの存在が、単純な作業を脱線させ、遊び心でほっこりさせたり、厳しい状況で救ってくれたりした。そんなMさんとともに、デイサービスはかたち作られてきたんだと感じる。
 新年度も迎え、私はデイサービスから少し離れ、相談事業に関わっていく予定だ。新しい道をまた行くわけだが、Mさんと一緒に過ごした感触が、次の旅立ちの勇気になる。今、Mさんを振り返りながら、別れがあったにも関わらず、Mさんがより身近に感じられるように思う。これまでMさんに育ててもらったことに感謝しつつお別れを告げ、私は新たな旅を歩んでいきたい。
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