2006年06月15日

透明という色の濃さ ★清水【2006年6月号】

 ある利用者が目に溜めた涙。その涙の色は透明だった。しかし、その透明という色が、私にはものすごく濃い色のように映った。
 それまでああだ、こうだと言い合いに近い形でやりとりをしていたその利用者と私。グループホームに入居しながら、常に自分の家のこと、子供のこと、その他いろいろなことが気がかりで、一人の人間として、また母親として、それらを真剣な表情で私に伝えてくる。それに対し、私もまるで本当の子供にでもなったかのように、必死に自分の気持ちを伝えている。そんな時、私はふと我に返り、その方とのこの関係はどういうものなのかと考えてしまった。
 すると、私の口から思いもかけない言葉が出た。「俺は、あなたがいたからこんなに素直になれていると思う。本当にいてくれて良かった…。」と。すると、今までのどこかぎこちない雰囲気は消え、そして、その利用者の目には涙があった。
 どんな意味の涙だったかはわからない。ただ、お互いの気持ちがつながった。そんな感覚はあった。その後、その方は目に涙を溜め、何だかわからない不思議な笑顔を私に見せてくれた。その笑顔が頭に残る。これからもつながっていたい。あの透明な涙はものすごく色が濃かった。
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ワークステージ 山菜採り ★ワークステージ米澤里美【2006年6月号】

 ワークステージの惣菜班の最近の仕事は旬の山菜・ふきを採ることです。自分たちが採ったわらび、ぜんまい、フキをお弁当のおかずや惣菜にして販売しているのです。販売に出ると「僕たちが採った山菜です!」と自信満々に販売しているワーカー達。(フキとりとフキの皮むきの写真は表。)
 去年初めて山菜採りをしたワーカーも今年で2回目。S君は春の雪が降る3月からそわそわと「春になったら何から採る?まずはふきのとうでしょ?そしてこごみに、わらびにぜんまい、あっフキも採らなきゃ!忙しいねぇ!」と言っていました。四季を楽しめる、この日本の大地の恵みに大感謝。巡り巡る四季の行事の一つとなった山菜採り。「来年はもっと採れるかなぁ」もうすでに来年が楽しみなワーカー達です。
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四つ葉のクローバーがつないだもの ★板垣由紀子【2006年6月号】

 「帰ります」とソワソワのB子さんが玄関から静かに外へ出る。朝からそばにいた新スタッフが、「私行ってみます」と後を追う。B子さんと外へ出るのも初めてで、「行ってきます。」と言ったものの、黙々と歩くB子さんの気持ちを思うとなかなか近寄れず、しばらく無言で後ろを歩く。ゆっくり歩いても、やはり追いついてしまい、ついに並んだ。しかし、B子さんを気に掛けながら、さらに無言で歩く。歩きながら道端に目を向けると、そこには四つ葉のクローバーが二つ。
 「これ見つけた。二つある、半分こしよう。」嬉しくなって声をかける。
 「あなたが見つけたんだから、あなたが幸せになりなさい。」とB子さん。
 そっと目の前に差し出すと、気持ちが通じたのか、B子さんも足を止め、いっしょに探し始める。するとどうだろう、どんどん出てくる。「みんなの分あるね」と喜ぶスタッフ。「こんなにいっぱいあるとね…」とB子さん。そうは言いつつも、外出から戻ると、持って帰った四つ葉のクローバーを一人一人に大切そうに渡すB子さんの姿があった。
 これには後日談があり、新体制になる前、まだ外が寒かった頃、やはり「帰ります。」と外に出たB子さん。スタッフとやりとりするうちに草取りを始めた。その横にクローバーを見つけたスタッフが、B子さんに知らせる。「四つ葉のクローバーが見つかるまで入りません。」とB子さん。スタッフは必死になって四つ葉のクローバーを探した。その時は結局見つからず、「寒いから。」と中に戻ったのだった。
 この話を聞いたとき、初めは必死な時には見つからないけど、偶然見つかる事ってあるね。と話したが、この偶然も実は、この必死に探したことが、どこかで支えているのではないかという気持ちになった。グループホームでは時々このような不思議な偶然が起こる。この偶然の出会いが起こることを逃さず感じていきたい。それが利用者、スタッフを支えている、そう信じている。 
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新たな試み瓢箪作り ★清水【2006年6月号】

 さて皆さん、まずは「瓢箪」という字を読むことが出来ましたか?答えは「ひょうたん」です。今年はなかなかなじみのないこの瓢箪を、グループホームの玄関横に植え付け、育ててみたいと思います。
 グループホームの玄関横。ここは以前鶏小屋があった所で、ものすごく土壌が良い(はず…)所です。今までは別な畑で夕顔などがたわわに実り、その成長の過程で私たちを楽しませてくれましたが、果たして今年はこの瓢箪がしっかり大きくなるでしょうか。
 通信を通して、その成長過程を皆様にお伝えできればと思います。
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農の営み 田植え ★清水【2006年6月号】

 今年は餅米の手植えをデイサービス、グループホーム、ワークステージ総参加で行った。あいにくの天気ではあったが、その天気が気にならないくらい、田んぼの周りは賑やかだった。
 今はなかなか田植えを自らの手で行うことは少ないだろう。私も幼少の頃、田んぼに裸足の足を突っ込み、足を取られ、尻餅をつきながら、田植えをした覚えがある。ただそれも今は遠い記憶である。
 今は田植え機械がものすごい早さで、あっという間に田植えを終えてしまう。だが、かつてはこの手で植える一つ一つの苗に豊作への思いを込め、丁寧に植えていたのだろう。そして、田植えの後には届けられたこびるを皆で食べ、その労をねぎらい、そこにしっかり人と人とのつながりもあったのだろう。
 今年の田植えは賑やかだった。その賑やかさが、かつての田植えの風景と少しでも似ていたのなら、個人的に嬉しく思う。  
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ワークを考えるD ★宮澤健【2006年6月号】

 ケースを分断化してモノとして扱わないようにと頭で解っていても、便利な社会で、細分化、分断化が十分に進み、個人もその手法に浸りきって生きている中で、自分が人間や命をモノ化しているとはほとんど気がつかないまま、思いっきりそれをやっていることが多々ある。
 現代人にとっては、ケースを分断化してモノ化しないとか、解りやすい因果論に囚われないといった事は、よほど意識していないと、陥っていることさえ、気がつくことが難しい。
 私のような兼業農家の新規参入者とは違って、長年現場でたたき上げてきた、行政や施設のベテランのケースワーカーが集まった会議が、悪者探しの世間話のレベルになってしまうのはなんとももったいないと感じていた。
 前述のAさんのケースでは、東京にいる息子さんにまず会うことが大事だと感じた。担当スタッフが電話をするとすんなりとつながった。面識がないままの連絡だが、電話をした事情を大まかに説明し、今後の事も含めて相談をしたいと伝えた。
 印象は会議のなかで得がちだった非常識でいいかげんな感じはなく、むしろ両親が気になりつつ、距離や諸事情でどうしようもない不安や焦りを抱えながら、無理に平静を装おおうとしている様子が感じられた。
担当者は電話のあと東京に会いに行きたいと言い出した。それは明らかにやりすぎなのだが、教科書的に否定すればいい訳でもない。行き詰まったりした、困難なケースの場合、担当者の中から出てくる逸脱が、固まった状況を動かす場合がある。何よりも「行きたい」と感じている事そのものを大切に考えたかった。この時は「よし行ってこい」と即座に日程まで決めてしまった。
 施設長にそれを報告すると当然ながら、「やりすぎではないか」とクレームが来た。それは解った上でやろうと思う。そうしたいという気持ちにしたがってみたいと説明すると、施設長は「それはおかしい」という前提は覆さずに、半ばあきれて折れたかたちになった。
 現場のケースが教科者通りで全て事が進むわけではない。逸脱も逸脱として重要な展開をもたらすことある。それが逸脱であると理解してやる必要はあるとして、「よしやってみろ」というまなざしと、「逸脱は逸脱と許さない」視点の両方が存在していることも大切なように思う。そうして担当者ばかりではなく、私まで行くぞと逸脱に張り切っていると、出かける直前になって、Aさんの息子さんの方から電話が入った。向こうからこちらに来ると言うのである。こちらの葛藤を誰かが見据えていたのではないかと感じるようなことが起こることがある。行くか行かないかという「部分」を考えると、行かなくて済んだ、ただの話し合いに過ぎないが、Aさんを軸にした息子さんと我々の出会いのプロセスという全体性からみれば、意味ある展開が起こり始めた瞬間であったはずである。
 そして、息子さんが我々の事務所にたずねてくれた。ケアマネージャーと担当者と私と4者で、ほぼ2時間の話し合いになった。会議で話題に上ったその人が目の前にいること、打ち解けた話し合いができたこと、今後、連携を密に取りながら、良い方向を探って行こうと確認できた事など、新たな展開軸が見えてきた。担当者も私も少なからず感動があった。
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