地域ケア会議をこの2年間継続してきた。始まりは、奥さんと老夫婦二人暮らしの認知症のAさんだった。近所の人から「夜、出歩いている」との電話が民生委員宅に入った。民生委員は関係機関に相談をした。「夜出歩く認知症のAさんをどうすればいいか」との問いに、「うちは5時までで終わりです」「特にサービスはありません」との冷たい官僚的な答えがあちこちから帰ってきたので腹立たしくなった上に困り果てた。
そのうち「銀河さんは認知症の専門なんだからあそこに言えばいいんじゃないの」といわれ、里に相談にみえた。「サービスはないが、緊急の場合はデイサービスのホールで過ごしてもらいましょう」と、とりあえず私とデイの主任の携帯の番号を伝えた。
その後、市からも問い合わせがあったが、詳しい事情もわからず、他の施設のデイサービスを利用している方なので、何はともあれ、関係者が集まりケース会議を開くことが大事だと提案した。地域には介護サービスのワクを越えた様々な事が起こってくる。こういうときできるだけ早く、ケース会議を開催していくことで相当事情は変わってくる。
しかし届いたのは噂で、「銀河で引き受けるそうだ」というFAXが流れたという。その人に会ったこともない段階である。しかも長年デイサービスを利用してきたAさんにはケアマネージャーもついているはずだが、まだ誰とも何の打ち合わせもしていない。もっと本人の情報を知りたい。いきなりの怪文書に驚いた。
ともかくケース会議を開いてもらいたいと訴え、関係者一同10名も集まる立派なケース会議になった。このケースの場合、確かにサービス提供の視点では、介護者である旦那さんは、酒を飲んで夕方から寝てしまい、認知症のAさんが夜一人で道を歩いたり、線路を渡ったりしているのをどうするのかという話で単純には解決できないかもしれない。
それでも民生委員、ヘルパー、ケアマネージャー、デイサービス担当者などみんなで話してみると、問題が立体化して見えてくる。中核的な問題と、周辺の問題と本質的なテーマとに問題も整理整頓される。いざという時の対応も連携の中でイメージされる
結局、ヘルパーの訪問時間を昼から夜の19時にずらすことで、安全確保上はほとんど問題はないことが解っていく。騒ぐほどのことではなかったのだが、騒ぎになったおかげで、ケース会議がもたれ、ケースが新たな器に抱えられるイメージができたことが大きな変化だった。つまりその場しのぎの対応ではなく、このケースを今後に渡って支え続ける器が形成され「ワーク」が始まったところに、意味があったと思う。
サービスの前にワークが存在することが大切であって、私は対処療法的な一件落着を「イッチョ上がり的対応」と戒めているが、解決を性急に求めすぎると、何か解決したように見えても、実はごまかしにすぎず、後で困難事例に発展する場合もある。
我々の仕事は対人間の仕事であってモノを扱うのとは本質的な違いがある。我々はあまりにモノの扱いにばかりなれすぎてしまって、人間に対してもそのやり方でしか対応ができなくなっている。人間に接するとき「ワーク」という概念が必須だと考えている。
そんな事情で集まったこのケース会議を私は継続したかった。その存在自体に地域福祉に取っての大きな意義を感じたからだ。これから数回に渡ってワークの意味を考えながら2年間の地域ケア会議の報告を連載していきたい。
posted by あまのがわ通信 at 00:00|
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