今年も、農作業の中では、若者と高齢者の自然な形での交流が見られたような気がします。必死で作業をする若者、そして、それを見守り、時に指導する高齢者。お互いその姿はどう映ったのでしょうか。意図的に作られる交流の場ではなく、このような自然な形での交流は、「世代間交流」という単純な言葉ではおさまらない、より深い交流がそこで行われている様な気がします。
稲刈りの時、ふと考えた。今自分達はコンバインで稲刈りをしている、と。
コンバインで稲を刈るのが今は当たり前だが、コンバインというものがなかった時代、人はどれぐらいの労力を費やしていたのだろう。一株一株の稲を鎌で刈るというのは、かなり大変なことである。さらには、稲を刈り終えてからも、いろいろな作業があったはずである。それが今はコンバインのみである程度こなすことができてしまう。
私は大学時代、ある博物館で実習をしたことがある。そこで見たものは、倉庫に積まれたたくさんの農機具だった。今は、必要とされない農機具が、そこにはたくさん置かれていた。確かに、一見価値のないようにも思えた。だが、その農機具を使い、農作業を通して、人々がどのように生きていたのだろうと想像したとき、それらが何かを伝えようとしているのではないかと感じた。
そう感じたことを、思い出した自分。今の自分は、何かを通して生きていることが出来ているだろうか。田んぼに囲まれ、秋の匂いを感じつつ、ふとそう考える自分がそこにいた。