2004年02月15日

清水【2004年2月号】

 岩手の冬は今年もまた寒いです。そんな中、銀河の里の室内を暖めてくれているのが、薪ストーブなのですが、今年は昨年からの薪の準備を怠ったせいで、薪不足の毎日を送っています。最近では、薪がなくなりかけると、スタッフが大慌てで薪を切り出したり、知り合いの方から少しばかり譲ってもらったりと、てんやわんやといった感じです。
 「どうしてこんな状況になったのだろう?」と個人的に考えてみました。おそらくそれは、私たちに「薪ストーブで暖をとる」という考えがほとんどないからではないでしょうか。私たちは子どもの頃から今まで、違った暖房器具で暖をとってきました。石油ストーブやエアコンなど、手がかからない暖房器具で暖をとってきた私たちに「薪がなくなったら、ストーブはたけない。暖はとれない。」という危機迫った思いはほとんどありません。私もはじめは、室内の寒さを感じても「薪ストーブじゃなくても、どうせ他の暖房器具があるからいいや」なんていう甘っちょろい考えしかありませんでした。
 今、私がグループホームで一緒に暮らしている利用者の方々は、薪があるかないか、常に気にしているようです。ストーブ横の薪が少なくなったと感じるやいなや、薪が積んである軒下に勢いよく向かったり、そこで太い薪を見つければ「まさかりはないのすか?」と薪を割るジェスチャー付きで話しかけてきたり、明らかに私とは、薪や薪ストーブに対する思いが違います。こういうことが、私たちにはどこか特別なものになりつつありますが、実際は当然のことのような気がします。
 私は最近、いつの間にか吸い寄せられたかのように、薪ストーブに自らの背中を向けている時があります。それは、確かに時間や手間をかけた末、ようやく薪が出来上がり、それによって今暖がとれているのだと、ありがたく思う気持ちの他に、今の私たちが忘れかけつつある直接的な暖かさとは違った、いわば過去から働きかけられる温もりを感じたくてそうしているのかもしれません。そう思っているからなのか、私は今、薪ストーブが大好きです。建物の中で大きな存在感を放つ、薪ストーブとは里での暮らしの中で、今後もずっと付き合っていきたいと思います。
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ワークステージ「銀河の里」開所式を行いました ★宮澤健【2004年2月号】

 2月1日、完成したワークステージ(知的障害者授産施設)の建設落成を受けて開所式を行いました。
 4月からの運営開始ですが、儀式は済ませてしまって、後は準備に万全を尽くしたいと早々の開所式となりました。
 利用者はまだ決まっていないので、関係者へのお披露目といった趣旨になりますが、とりあえず完成のご挨拶というところです。
 銀河の里らしく、形式にとらわれず、参加者がいくらかでも、こころも参加できたと言えるような内容にしたいと工夫しました。これまでも、フォルクローレの演奏グループ「マヤ」のコンサートにしたりと式典には工夫をしてきたのですが、今回は、講演会とシンポジュームということになりました。
 テーマは「個の自立とコミュニティ」で、ここ8年来のつきあいとなった「竹林舎」の主宰で住友大和金融投資顧問会社の実践エコノミストでもある金岡良太郎氏に講師をお願いしました。
 イギリスやカナダの政府機関の投資顧問としても活躍されてきた経歴と、シンクタンク「竹林舎」で、民俗学、心理学など幅広く研究されている幅広い知見から、視点を広げてみたいと考えました。
 講演のあと、岩手大学人文社会学部の横井教授との対談でさらに深めながら参加者も含めて考えていこうという企画にしました。
 横井教授は社会学の立場から、地域、福祉などを岩手をフィールドとして30年に渡って調査されてきた方です。
 お二人は、対談よりも、事前の打ち合わせや、終了後の時間、二人で話が盛り上がって時間が足りない感じでした。
 特に教授は金岡さんが「エコバンク」という著作で、日本に「エコマネー」という概念をつくりだした嚆矢ととしての功績には尊敬の念を持って感心を寄せられていました。
 お二人ともイリイチの社会学や玉野井地域学を基礎概念として学んできた事などの奇遇が話題に上るなどして二人の話は会場外でも大いに盛り上がり続けたのでした。
 主催者としては、国や会社などこれまでの既存組織があまり頼りにならなくなってきた時代にあって、どう個を磨き、輝かすのか、その個が関わる身近な公としての地域コミュニティは今後どうあるべきなのか、そのあたりを、参加者共々意識し考えたかったのですが、なにぶん時間も少なく、また、参加者もまさか福祉施設の開所式でそんな話になるとは予想だにしていなかったこともあってか、あっけに取られているうちに終わってしまった感が強かったかも知れません。
 私としては、「銀河の里」が他とは違う変わったところだと感じていただければそれで十分ありがたいと思っています。
 これからも、他ではできない、考えられない、思いもよらない事を、若いスタッフ共々発想し挑戦し続けて行きたいし、また自らにもそういう生き方を課していこうと改めて決意を新たにした開所式でした。
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清水【2004年2月号】

 今月も、利用者、スタッフの何人かが誕生日を迎えました。 周囲からの「誕生日おめでとう!」の声に対し、スタッフの反応は「ありがとう!」という反応がたいていで、ちょっと面白くありませんが、利用者の方々の反応は本当に様々で、面白いです。
 ある方は「はぁ?おらなんぼになったかなんて、いっつに忘れてさんたじゃ!別に何もしてくれなくていいからな。」と一言。ここで私は「ん!?」と考えてしまいました。「何もしてくれなくていいからなって、もしかして何かしてほしいのかな?」そう考えたら、私は突然笑ってしまいました。また、ある人は不気味に(!?)「フフフ・・・。」と笑っています。「えっ?何?どうしたの?」とその笑いの真意を、私は思わず聞いてみたくなりました。
 本当に楽しい。今回は誕生日ということで、こういうやりとりができましたが、こういうやりとりを実は私はいつもしているはずだと感じました。でも、もしかしたら私はいつの間にか、利用者の方々の一つ一つの声や表情を流してしまっていたのではないかとも感じ、少し反省しました。
 さて、「利用者とスタッフ」という、この関係はいつまでも変わらないかもしれません。でも、誕生日というその日を一緒に過ごし、笑っていられるというのはものすごく貴重なことなのではないでしょうか?温泉に行って、のんびりしてきたり、スタッフだけではなく、スタッフの家族までもが一緒になって、食事などを楽しんできたり、いろいろな楽しみ方があると思います。でも、本当に楽しむためには、関係がやっぱり成り立っていた方が、その楽しさの度合いは、全く違うと思います。これからも、その時その時を大切にしながら、利用者との関係を築きつつ、こういったことも楽しんでいきたいと思います。
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及川【2004年2月号】

 まだまだ正月気分も抜けきらないうちに暦はあっという間に過ぎていき、「銀河の里」でもみずき団子、どんと焼き、と次々に小正月の儀式を慌ただしく行ってきました。そして、先日、2月3日は節分ということで、利用者の方と一緒に豆まきを行いました。「鬼は外、福は内」という定番のフレーズはもちろん。「鬼の目玉をぶっ飛ばせ」なんて威勢のいいかけ声も飛び出して、まだまだ皆さん「鬼」に負ける気などさらさらないようです。さて、普段私たちが使うこの「鬼」とは何なんでしょうか。何となく、桃太郎に出てくる鬼のイメージが強いですが、はっきりとした「鬼」という言葉の起源は分かっていなく、「穏(おぬ)」が訛った言葉というのが一番有力な説のようです。ちなみにこの「穏(おぬ)」とは「みえないもの」という意味。それが、「普通の人には見えないもの」という意味だったのか、「実体のない物」という意味だったのかは分かりませんが、陰陽五行説的にいうと、「陰(マイナス)」の気が極端に集まったものの様です。そのイメージを具象化した物が桃太郎とかに出てくる鬼の姿なのかも知れません。と、なると「鬼」の使われ方にも長い歴史があり、昔は地蔵や、道祖神のまわりには結界があり、その結界の外にあるものが鬼であったり、その名残からか、通常暮らしている共同体の範囲外に済む人を鬼と捉えていたりもしたようです。昔の人が、外国人のことを赤鬼と呼んでいたのもその流れかも知れません。尤も、今でも「鬼」という表現はしなくても、いわゆる「外」に住んでいる人をなかなか受け入れられないという伝統は根強く残っている気がしますが・・・と、こんな事を調べてみると、豆まきもより一層意味が出てくるような気がします。「自分にとって鬼とは何だろうか」自然と豆まきをする手にも力が入ります。最近、節分はもちろんのこと、みずき団子などの伝統行事を小学校や地域で見直そうと復活させている所も目立ちます。どうせやるなら、昔はそれはどういう意図で行われていたのか、起源は何なのかも、きちんと伝えてければいいなぁと思います。今と昔、環境は大きく変わっていて、昔の人のリアルな気持ちを汲み取るのは難しいのかも知れませんが、昔の人の想いを少しでも感じながらやれれば、その人にとっても大きな意味を持つ行事となるのではないでしょうか。行為だけが残っていき、ただ単に「行う」事が目的とならないように、私自身もたくさんのことを見聞きし、伝えていければなぁと思います。
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今月の短歌・俳句【2004年2月号】

転ぶよと 腕を取ったが 我転び  渡辺

 じいちゃん達は元気だ。心臓に悪いから雪かきなんかやらなくていいというのに、外に出る。慌てて追いかけて転ばないようにと腕を取った途端に自分が滑ってしまった。


虫だって 食わねば生きて 行けねぇだ  渡辺

 いつも違う視点を教えてくれるMさん。冬場の農作業としてやっている、大豆の豆選り。「なんで虫のやろうくっちまうんだ」なんて言ってると、虫の立場から見た言葉が来る。ナルホドとまた思わされる。


帰り道 二人の空に 一番星 この夕暮れを あなたと歩く  渡辺

 一日何回出かけるんだろう。帰ると言ったり、買い物に行くと言ったり。今日も一日ほとんどお出かけで過ごしたHさん。へとへとになりながらの夕方の帰り道、一番星を二人で見つけた。「今日も終わったねお疲れさま。明日も歩くからよろしく」星を介してHさんがそんなねぎらいをくれたように感じる。明日も頑張ってねと言いそうになる。


鳴かぬなら、鳴かぬで良いよ ホトトギス  及川
 歩いていた方が歩けなくなる。話すこともできなくなる方もある。でも鳴かそうとも、待とうともしないでいこう。そのままを受けとめていこう。厳しい現実もある現場、それでもその人と行けるだけ行きたい。あるがままを受けとめてという気持ちと決意を込めた。
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