2004年01月15日

今月の短歌 俳句【2004年1月号】

各地より 集えど先に 光りなし されど闇夜に 我が光いず 及川

 長野で行われた業界の全国大会に参加して、あまりのイメージの違いに愕然とした。始まったばかりのグループホームケアがいかにおばさん感覚の低いレベルで行われ、とらえられようとしているか、未来に光は見えない感じだった。しかしその闇の中に、自分自身の光を見いだした感じを詠った。孤独でも独自の我が道を行こうとの決意でもあろう。


善光寺 腰をかがめて 暗闇に 引けたる腰は 我が心かな     及川

 研修を抜け出して見てきた善光寺、闇の体験は自分自身を見つめ直させるようで面白かった。光に満ちて影をなくした我々の人生は影がなくのっぺら棒なのかも知れない。何もないはずなのに、腰をかがめる自分は何だろう。 


「話さない」 こころめちゃくちゃ 言葉でバトル 鈴木

 怒ってもう口はきかないといったものの気がおさまらずしゃべりまくり。そんあ、ある日の風景。
  

涙では 何も流れず 気も晴れず 心の涙は 強し思いも晴れて 鈴木
 実際に流れた涙はさほど気を晴らせてはくれなかったが、別に、目には見えない心の涙が流れた。それは強い効果があって、気持ちも晴れやかとなった。利用者の一人がそんな話をしてくれた。深い悲しみとはそんなものなのかもしれない。
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及川【2004年1月号】

 GH1では、年末の慌ただしさの合間をぬって、ぬか漬け作りをスタートさせました。作り方は難しくなくやり始めるのは簡単だったのですが、やり始めてみると結構手入れが大変。いたって単純な作業で時間もそんなにかかる訳ではないのだが・・・毎日やるとなると・・・“継続は力なり”って言葉が身に染みている今日この頃です。(笑)さて、このぬか漬け作りでも中心となっているのが、おやつ作りのコーナーでお馴染みのミワさん。でも、聞くところによるとミワさん自身もぬか漬け作りは初めてなそう。それでも「やってみればいいんだぁ」の一言で始まってしまった。おやつ作りにしてもそうなんだが、ミワさんの「やってみよう」とする姿勢はGH1の原動力となっているような気がする。教えるとか教わるではなくて、一緒にやるという視点で考えられるのはミワさんの人柄あってこそのような気がする。
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初詣&回転寿司ドライブ ★清水【2004年1月号】

 昨年末からあまり雪は降らず、銀河の里は比較的暖かい中で、お正月を迎えることができました。
 そんな新年を迎えた1月2日、GH1・GH2の入居者、スタッフで初詣&回転寿司ドライブに出かけました。
 初詣は毎年恒例の隣町の神社へ。皆それぞれ静かに手を合わせ、思い思いに今年一年のお願いをしてきました。
 その中で、出発前スタッフに「少しばかり米持ってぐ!」とサトリさん。それを聞いた私は思わず「米持ってってどうすんの?」と聞いてしまいました。すると、「賽銭箱に入れるんだ!」と一言。今までそんなことを聞いたことのない私は「へぇ〜」と思わず納得してしまいました。
 サトリさんに初詣の後、改めてそのことについて聞いてみると、照れくさそうに「なして入れるがはわがらねぇ。でも、昔がらそうしてきた。」と教えてくれました。どうしてなのかはわからないけれども、今までそうしてきたと普通に話すサトリさんを目の前にして、なんだか、ここへやってくる前のサトリさんの年の始めの動きを自然と想像してしまいました。そして、それを想像している間、なんだかサトリさんを少し知ることができたような気がして、とても嬉しくなりました。
 初詣の後は、回転寿司へ。15名で出かけたこともあり、皆が座れるのかと心配しましたが、なんとか座ることができました。ですが、いざ座ってみると、ずら〜っと銀河の里の面々が一列に・・・。なんだかすごい光景でした。
 いざ、お寿司を食べるとなると、その雰囲気につられてか、それぞれ皆いつもよりも食が進んでいるようでした。また、いつもはなかなか見られない表情も見られたりして、とても楽しかったです。ただ改めて振り返ってみると、入居者よりもスタッフのほうが大満足の一日になったような・・・。どうでしょう?(笑) 
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清水【2004年1月号】

 11月にGH2にやってきた菊池さん。時より見せる笑顔がとても印象的で、今ではGHでの暮らしの中で、しっかりと存在感を示してくれています。
 そんな菊池さんは、最近編み物に一生懸命です。菊池さんは、今までもたくさんのベストやセーターなどを編んでいたようで、その一つ一つをスタッフにとても嬉しそうに見せてくれます。また、それらは「作品」と言っても過言ではないほど、しっかり、丁寧に編み込まれていて、とても暖かそうです。
 今は、スタッフのためにと、ベストを編んでくれています。実際に作る前に、私もゲージをはかってもらいました。その時の菊池さんの表情は、本当に真剣で、いつも私たちに見せている柔らかな表情とは違います。菊池さんは、もしかしたら「〜のために編む」という時だけ、そういう表情を見せてくれるのかもしれません。
 一つ一つの言動や行動、そして表情などから、いろいろなことを考えることができる。それがここでは、ものすごくできると思います。考えることが少なくなった、もしくは深く考えることが少なくなった昨今、いろいろ考えることができることは私にとって、ものすごくありがたいことです。実際、自分の中でいろいろ考えていると、それがいつの間にか自分自身にも関係してきて、何か問いかけられているような気にさえなります。そういうことは今滅多にないのではないでしょうか。答えはないと思います。でも、その考えている過程は、ものすごく意味があり、しっかり、じっくりと少しずつでも前に進んでいくことが今の自分にとって、重要なことなのではないかと日々感じています。今後も、考えることを大切にし、利用者の方々との関係の中から見えてくる自分に興味を持ちつつ、ここでの暮らしを送っていきたいと思います。
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年頭のご挨拶と抱負に代えて ★宮澤健【2004年1月号】

 あけましておめでとうございます。
「銀河の里」も開設から3年が過ぎ、4回目の新年を迎えることができました。グループホームに入居のかた、デイサービスをご利用のかた、その家族のかた始め多くの関係者の方々に支えられやってこれました。また銀河の里開設以前から、お米を産直でご利用頂いた皆さんには、長い方でもう10年以上も支えていただいたことになります。本当にありがたく感じております。今後とも里の成長を支えて頂きますようお願いいたします。
 ともあれ、3年というのは大きな区切りでもあると感じています。経験もなく見よう見まねといった状態でスタートした米作りも今年は12回目に挑戦となります。一度として同じ年はなく、天候というのはこれほど違うものなのかと思い知らされます。何もかも一回限りの貴重な出来事ということは、農業に通じていえる事なのだと感じ始めています。
 里の3年間は、農業よりも激しくいろいろな事が濃密に展開していきました。農業だけの時は一人か、休みの日に数人でやっていたことが、里では、各部署32人のスタッフがいて、利用者も常時18人が暮らしていて、平日には10人のデイの利用者がやってくるというにぎやかさです。いくら里が小規模施設とはいえ60名以上の人と人の出会いが起こる訳ですから、すごいことに違いありません。またいくつかの別れもありましたが、それぞれ味わい深く貴重な事として受け取って行きたいと思って来ました。
 右も左も分からない状態でのスタートから3年経って、いくらか見えてきた点もあるし、方向も定まってきつつあるのかなという感触もあります。今年はそこらあたりを、文章化したり、研究を初めて行きたいと考えているところです。
 グループホームや、小規模のデイサービスでどういうことが起こるのか、どういう可能性があるのか、里なりの独自な視点から、何が見え、何を考えなければならないのか考えて行きたいと思っています。
 里には、確かに痴呆のお年寄りが集まっているのですが、スタッフが、普段そうした障害や症状を意識することはほとんどないのではないかと思います。障害を抱えながらも、「どう生きていくのか」ということに視点があると言っていいのだと考えています。
 どう「生きていくか」というテーマは、だれにも通じるテーマです。その共通のテーマに、差し出された課題を通じて向き合っていこうということをやっているんだという説明が一番近いような気がします。しかしこれは一般にはなかなか理解されがたい内容だと思います。痴呆の高齢者は社会や家庭では無理なので、我々があずかってお世話しているという次元とは絶対的に違うのです。人は解りやすいストーリーにしがみつきやすいので、単純で安直な物語を示されるとそれにしがみつくようにして理解したつもりになりたがる傾向があります。そしてそれは、自分とは関係のないこととして、新聞の記事のようにひとごととして捨て去る為には必要な安直さのようです。
 何とか問題とか、何とか対策等というのはそうした人ごとで安直な物語を作って解決してしまおうとする次元の代表のような気がします。そうした次元を横軸と考えると、里でやろうとしているのは、「人生の縦軸」ではないかと考えています。存在としての縦軸に入っていくということです。ひとりの人がどう生きてきたのか、今、何を思っているのか、これからどうなっていくんだろう。生きるということはなんなんだろう。こうした人間存在に対する真摯かつ謙虚な姿勢が「人生の縦軸」に向かうにとき求められます。
 日本の百姓は農業に取り組みながら、天候や自然を含めて、真摯かつ謙虚な向き合いを自然とやってきたのだと思います。日本の文化の基盤にある仕事だけあるなと感じさせられます。一方、福祉の業界は、まるでそうした姿勢がないのではないかと感じるほど、暴力的に感じることがあります。高度な技術と知識に裏付けされているはずの医療にさえ、真摯かつ謙虚に向き合う状況は見あたりません。症状や問題として「私」の部分が扱われる事はあっても存在としての「私」の縦軸には一切関わろうとはしない現状があります。
 人生の縦軸とどう向き合いどう生きるのかというテーマを里は持ったのだと思います。それは今後の里の方向でもあります。地域や、社会、もしくは世界とつながりを持ちながら、一人の人と存在の次元から向き合っていく。そうした可能性がグループホームにはあるのだとの発見があったのがこの3年間だったといえるでしょう。
 今後はその内容をじっくりと生きる、そしてそれをできうる限り伝えていく努力をするということが、4年目に向かう里の課題であろうと感じています。
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