なにやら同業者の全国大会があるらしく、一つの分科会のシンポジストの代役を依頼されました。好奇心が強いのでヨシとばかり引き受けてしまいました。発表用レジュメがなんとA4で5枚というので「おお太っ腹」とばかり張り切って書いて送りました。当日、現場の精鋭スタッフ男性3人も良い研修になるのではないかと2泊3日で意気込んで参加しました。
ところが、会場に着くなり大会要項の大夫な冊子を受け取ってサラとめくった途端にがーんとなりました。
全く勘違い。誰もグループホーム(GH)で起こっている、人の出会いや、関係性を論じるなど考えてもいない様子です。いきなり帰りたくなりましたが、前もって謝礼も頂いてしまったし、今更帰る事もできず、出番の二日目を迎えました。
大会の趣旨は、どうやら大規模施設ではダメで小規模が良いのだという事をアピールする事にあるらしく、地元の県知事や他にも二人も県知事が参加しておられ、厚労省の偉い方もたくさん登壇されました。小規模だと安く済むぞというのが売りのようです。それはそれで大事な事ですが、その内容に関して大いなる可能性を語りあえるかと期待したのが外れました。
大規模で非人間的に扱われがちだ、だから小規模がいい(安いし)とここまではその通りですが、その先、小規模ですでにやっている人たちがすでに6000カ所くらいあって、長いところは10年以上やっていて、3年クラスが大量に経験を重ねている現状で話すことが「小規模がいい」と言った表面的な事柄では弱いはずです。
我々の分科会は急増する小規模施設つまりGHの質をどうするかだったのですが、ひどいところもあるのでそういうところは認可を取り消してもらおうという結論では話になりません。そういうマイナス思考は現場にいらない。創造的で建設的な発想が必要です。
だいたい、上から管理して何とかしようとする姿勢が気にくわない。質を確保しようと政策でやっていることは、研修と自己評価、第三者の評価ですが、それこそ大規模の感覚の人物が研修の講師が登壇し、人と出会った経験など一度もないだろうと問いつめたくなるようなレベルの人格にしかお目にかかれない現状です。
評価システムなどと言って、「理念はちゃんと書いてありますか」、「それを職員は覚えていますか」等と愚かな問いに、○×で答えてチェックする事に何の意味があるのわからない。評価表をチェックしていると、力が抜けてきて、「こんな事に答えたくもない」と怒りがこみ上げてくるのが現状です。
GHという大家族の暮らしの場では、介護という概念は消えてしまいます。「扱う」と「関わる」の違いがあると思うのですが、これは人の姿勢として世界そのものが違ってくると感じています。一対一で出会ってしまうのがGHなのです。人と人が出会ってその関係性をどう生きたのか、そういうことが現場から、物語として語られる事こそが重要なのだと思います。
なぜ現場にある者が、現場を知らない人間から現場に関する研修を受けなければならないのか。あまりに無意味な研修や講師が多すぎます。人と出会い、向き合うプロにとっては、いい音楽や演劇、芸術作品等に触れたり、一流の職人の仕事ぶりなどを学んだりする方がよほど力になるはずです。現場にある者は現場に縛られてしまってはおしまいだと言うことが強く印象に残ったのでした。
posted by あまのがわ通信 at 00:00|
Comment(0)
|
日記
|
|