2003年11月15日

幸田に立つ柿の木を眺めながら・・・ ★戸來【2003年11月号】

 幸田に立つ樹齢幾年かの柿の樹は、今年は雨が多く、小粒といわれながらもたわわに実を付け、目に焼き付くほどのだだいだい色を発色させている。爽快に晴れた水色の空をバックに、色鮮やかに、そして雄大に視界に入ってくる。幾度となく実を付けてきただろうこの樹を眺めながら、私が子供の頃をふと思い出す。
 共働きだった両親、母はこの時期、学校から帰ると私と妹のために、テーブルにリンゴや柿を置いて出かけていく。母の優しさをふと思い出す。
 この自然や環境に、また私と一緒にこの柿を拾う利用者達から、優しさや厳しさを日々感じながら私の心は満ちていく。
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里の暮らしの中で生まれる俳句・短歌などについて ★宮澤健【2003年11月号】

 通信で、俳句や短歌を紹介するコーナーを設けてきたのですが、もっと背景や込められた気持ちなどの解説もほしいと言う声もあり、数句を選んで、解説を加え、そこにある世界を楽しんでいけたらと考えています。
 掲載される句や歌は、銀河の里のスタッフと利用者が暮らしを営む中で、スタッフが感じたり、気がついたりした事を題材にしています。
 心に届いた信号を、自分のなかで消化し、表現した作品ということに意義があると思っています。繰り返される日常とはいっても、そこには様々な事が起こっていきます。確かにそれらは、介護日誌として記録はされるのですが、それは監査に必要であったり、形式であったりして、業務として要求される内容として記録され、スタッフと、利用者の人間関係や、細やかな心の襞を書き留めるわけには行かない記録です。こういうことがあったという表面的な記録の裏に、そうしたことより遙かに価値がありそうな、関係の物語があります。それらがこぼれ落ちてしまいそうな危惧を抱いていたところ、短歌や、俳句、川柳などの手法で、表現して行くと、意外に的確にその時々の表情や、気持ち、情景を、込めてとどめられることに気がつきました。
 もちろん、絵にしたり、音楽にしたり、表現方法としては色々あって良いのですが、誰もが、なじんでいて、簡単にやれる、日本人として最も手っ取り早い表現ではないかと、こうした作品作りに取り組み始めたところです。
 技術としては、まだまだお粗末で、説明を聞かなければ、何の事やら訳が分からない作品が多いのですが、それでも、そこには大いなる関係の世界が込められていて、皆でいちいちうなずきながら、味わっています。
 銀河の里では、介護という一方的な関係ではなく、自分も含めた関係世界を捉えながら、「生きる物語」を作ろうとしています。それは介護日誌を遙かに超えてあふれる物語となります。中には、あまりに深すぎたり、たましいにつながった事柄で、紙面に出すわけにはいかない領域に属するものも出てきます。そうしたものは、大事に秘蔵、封印するとして、暮らしをリアルに伝えられる作品を選んで紹介、解説していければと思っています。
 
 今回は前回掲載した句ですが一句だけ取り上げます。

 笑ったり挨拶したり話したり覚えてないけど忘れていない(小地沢)

 作者は、説明なしでも解る句が詠める里では唯一の作者です。あえて解説すると、確かに、痴呆の人との関係はこんな感じという一面を切り取ってうたっています。「忘れていない」というのは一般で言う忘れていないとは明確に違います。何かで、どこかでつながっているのです。それは普通の忘れていないより、もっと強い、もっと怖い、覚え方、つながり方なのだということを我々が気がつき始めているところがよくでています。
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収穫祭!! ★板垣【2003年11月号】

 『里の行事は晴れ!!』というジンクスをまたも更新!!11月3日、秋晴れの中、収穫祭を無事に終えることが出来ました。
 一ヶ月あまりの準備期間、利用者さんと一緒にぬいぐるみなどの里グッズ作製のために針を持つスタッフの姿。「どれ、これくらいなら出来るべ。かしてみて」と、手伝ってくれる利用者さん。バザー用品をむし干ししていると、そこはまるで、デパートの試着室。「これ、お似合いよあんたに」と見立ててくれる方あり、次々たたんでくれる方あり、準備をしていることなんて、忘れてしまう様なにぎやかさでした。また、里レストランに並んだ米や野菜は、利用者さんと一緒に育て、収穫したもの。そこにつまっているのは、じいちゃん、ばあちゃんの笑顔とパワー。土にまみれることの楽しさを教えられ、次の日に、足腰にガタがきているのは私たちの方。「鍛え方が違う」なんて声が聞こえてきそう。当日は、ピアノの生演奏を聞きながら家族の方と食事している笑顔に、普段と違う一面も・・・。そんな笑顔に来年の実りを期待し、冬支度に入りたいと思います。
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清水【2003年11月号】

 今年、私は自分の家の稲をコンバインで刈った。田んぼ一枚など、文明の利器をもってすればあっという間に刈り終わってしまう。でも、銀河の里では今年も鎌を使い、手刈りをした。自分の家が農家といえども、今の世の中、なかなか稲を手で刈ることはない。思いのほか必要な一株の稲を刈るための力。刈り取りが進むにつれて手にのしかかる、稲の束の確かな重み。機械を通してではなく、自分の体の一部から直接伝わってくる感覚から、私は今年も自分自身疎遠となりつつある真の農業と接することができた。利用者が口々に言う。「今はコンバインあるんだもんなぁ。」そんな言葉一つから、利用者の過去が頭に浮かぶ。食べるため、食べさせるため、あるいは生きていくために、一株一株、稲を丁寧に鎌で刈り取る姿が頭に浮かぶ。この先私はどんな人生を歩むのだろう。利用者との関わりの中から、今私は自分自身について考えるきっかけをもらうことができる。そんな貴重な時間をここで「暮らす」ことができていることに、私は感動さえ覚える。
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佐藤【2003年11月号】

 10月上旬、秋晴れの中私はAさんともみを軽トラックで運搬する作業に参加しました。コンバインで刈り取ったもみを田から運び、乾燥機に入れるという作業なのですが、その際、Aさんにもみが乾燥機からこぼれないように手でもみを掻いてもらうようにお願いすると快く引き受けてくれました。しばらくすると、持ち場から離れるAさん、私は「飽きちゃったのかなぁ」と思ったのですが、その後Aさんは一本の棒を持って帰ってきました。そしてその棒を乾燥機の入り口にうまくはめ、もみがこぼれないようにセットしてました。そして私に「ほうきないか?」と、一言。そして、渡したほうきで床を掃いていました。いつの間にか、二つの事を同時に行っているAさん。「仕事とはこうやるんだ」と私に教えてくれているようでもありました。この出来事を機会に、私も行動を起こすときに「考える」という事に気を付けています。その効果か?少しずつ視野が広がってきた気がします。
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及川【2003年11月号】

 「もう一年が経ったんだなぁ。」銀河の里に入って二度目の稲刈り。一年の四季の移り変わりとそれに連動して、生まれ変わる様に姿を変えていく風景に囲まれて一年を騒々しく過ごしてきました。去年と比べると少し余裕を持って見られる稲刈りの風景を見ながら、ふと、「大豆の収穫だな」なんて考えている自分がいました。稲刈りが終わると、大豆の収穫が始まり、そして厳しい冬へと入っていく。そんな季節の流れを五感で実感している。しかも、「今年は冷夏だったから、紅葉の色付きが悪いな」なんて、自然の因果を感じながらいる自分にちょっと驚いています。去年までは、年賀状が売り出されると「冬だなぁ」なんて、入ってくる情報で季節を感じる事が多かった。情報で感じる季節と、リアルに五感で感じる季節。少なくとも、歪められる可能性のある情報の中で生かされていた感のある東京の暮らしよりも、多少寒さが身に染みたり、不便があっても歪められない現在を生きている方が自分には合っている気がする。
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