通信で、俳句や短歌を紹介するコーナーを設けてきたのですが、もっと背景や込められた気持ちなどの解説もほしいと言う声もあり、数句を選んで、解説を加え、そこにある世界を楽しんでいけたらと考えています。
掲載される句や歌は、銀河の里のスタッフと利用者が暮らしを営む中で、スタッフが感じたり、気がついたりした事を題材にしています。
心に届いた信号を、自分のなかで消化し、表現した作品ということに意義があると思っています。繰り返される日常とはいっても、そこには様々な事が起こっていきます。確かにそれらは、介護日誌として記録はされるのですが、それは監査に必要であったり、形式であったりして、業務として要求される内容として記録され、スタッフと、利用者の人間関係や、細やかな心の襞を書き留めるわけには行かない記録です。こういうことがあったという表面的な記録の裏に、そうしたことより遙かに価値がありそうな、関係の物語があります。それらがこぼれ落ちてしまいそうな危惧を抱いていたところ、短歌や、俳句、川柳などの手法で、表現して行くと、意外に的確にその時々の表情や、気持ち、情景を、込めてとどめられることに気がつきました。
もちろん、絵にしたり、音楽にしたり、表現方法としては色々あって良いのですが、誰もが、なじんでいて、簡単にやれる、日本人として最も手っ取り早い表現ではないかと、こうした作品作りに取り組み始めたところです。
技術としては、まだまだお粗末で、説明を聞かなければ、何の事やら訳が分からない作品が多いのですが、それでも、そこには大いなる関係の世界が込められていて、皆でいちいちうなずきながら、味わっています。
銀河の里では、介護という一方的な関係ではなく、自分も含めた関係世界を捉えながら、「生きる物語」を作ろうとしています。それは介護日誌を遙かに超えてあふれる物語となります。中には、あまりに深すぎたり、たましいにつながった事柄で、紙面に出すわけにはいかない領域に属するものも出てきます。そうしたものは、大事に秘蔵、封印するとして、暮らしをリアルに伝えられる作品を選んで紹介、解説していければと思っています。
今回は前回掲載した句ですが一句だけ取り上げます。
笑ったり挨拶したり話したり覚えてないけど忘れていない(小地沢)
作者は、説明なしでも解る句が詠める里では唯一の作者です。あえて解説すると、確かに、痴呆の人との関係はこんな感じという一面を切り取ってうたっています。「忘れていない」というのは一般で言う忘れていないとは明確に違います。何かで、どこかでつながっているのです。それは普通の忘れていないより、もっと強い、もっと怖い、覚え方、つながり方なのだということを我々が気がつき始めているところがよくでています。
posted by あまのがわ通信 at 00:00|
Comment(0)
|
日記
|
|