2003年08月15日

菊池【2003年8月号】

 先日、GH2に入居されていた菅沼幸子さんがご逝去されました。厳しい現実を目の当たりにして一ヶ月・・・。スタッフはどう受けとめ、どう心を動かされたのでしょうか?これは、そんなスタッフの一人が幸子さんにあてた手紙です。

”拝啓 菅沼幸子 様

あれから一ヶ月が経ちました。幸子さんの突然に驚かされてから・・・。
今頃どうしていますか?私の方は、毎日新しい出会いに一喜一憂しています。一ヶ月前のあの日には考えられなかったけれど。
どんなに周りに優しい言葉をかけられても、どんなに励ましの言葉をもらっても、「私の気持ちなんて分かるわけない」「こんな別れがあるのなら、新しい出会いなんていらない」って、思ったけど・・・。でも新しい出会いがあるから別れを自分の中におさめることができるんだって、幸子さんに教えてもらって気がする。新しい出会いのためには、別れも必要なんだって。まだまだ口で言うほど、自分の中では解決できていないけど、時間と毎日の生活といろんなものが、いろんな人が私を支えてくれている。しっかりと自分の中に受けとめるには、もう少しかかりそうな気がするけどね。こんな事幸子さんに言ったって、「あら、そう?」「そうね、そうかもね」なんて言葉で返されそうだけど、そんな幸子さんの「あっけらかん」とした態度が、なんか私を落ち着かせてくれる。生まれた時から波乱に満ちていて、私なんかからは考えられないような経験ばかりしてて。だけど、そんな話を聞かせてくれる時も、いつも楽しかったことのように話してくれる。不思議で不思議でならなかったけど、「大事だって自覚はないの」って思ったりもしたけど、それが幸子さんの表現の仕方だったよね。『神様はその人が耐えられるだけの試練を与える』って、聞いたことがある。だから、耐えられない試練はないって。だとすれば幸子さんは、私なんかの何倍もの試練に耐えられるだけの器を持ってたってことなんだな。それを試練だって考えればの話だけど。
私もそんな器持ってたらいいな。そして、「あっけらかん」と生きるの。何も考えない「あっけらかん」じゃなくて、いっぱい考えて悩んで出てくる「あっけらかん」だよ。そうなればいいなって思う。
そうそう、「これだけは伝えておかなきゃ!」ってことがあったよ。幸子さんはどうだったか、直接聞けなかったから何とも言えないけど、「私は幸せだったよ!!」って。幸子さんと一緒にいられる贅沢な時間をもらったからね。ホントに岩手に来てくれて、銀河の里に来てくれてありがとう。そして何より私と出会ってくれて、ありがとう。
では、またどこかで・・・。                      敬具”

 PS 幸子さんきれいに化粧していったから、みんな分からなかったんじゃない?大丈夫だった?
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及川【2003年8月号】

 七月中旬から銀河の里にも様々な願い事がちりばめられた七夕飾りが飾られました。その中で入居者のYさんはこんな句で七夕を飾ってくれました。”七夕や年に一度の逢う瀬かな”彦星と織り姫の伝説は悲劇的な話として有名ですが、ふと一年に一度決まった日に会えるというのは、すごい幸せな事なのではないかなと思ってしまう。私たちにとって出会いや別れはいつも予測不可能である。突然の再会に心踊らせる人、二度とあり得ない再会を切に願う人、突然の別れに胸を痛める人、私たちは何も決まっていない不安定な空間を生きているんだと改めて感じる。だからこそ、歓喜、失望、悲しみ、怒り、様々な感情に身を委ね、まだ見ぬ明日に心をはせていく。それを面白いと感じるか、辛いと感じるかは人それぞれだと思うが、それぞれの人生に誰にも予測できない起伏あふれたストーリーがあり、アンデルセンの”全ての人の人生が神によって創られたおとぎ話である。”という言葉もあながち嘘ではないと身に染みる。これから自分たちは、どんな出会いや別れを迎え、どんな物語を紡いでいくのだろうか。少なくとも決まっていないということを不安に感じるのではなく、期待をもって迎えられる生き方をしていきたいと思う。
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板垣【2003年8月号】

 去る7月27日、銀河の里では夕涼み会が行われました。第2GHが開所して、始めて迎える夏、GH間の交流と家族の方々との交流を図りたいと企画しました。
 前日までの曇天。これは涼むどころではないかなと心配される中、当日は天気にも恵まれ、文字通り夕涼み会となり、スタッフ一同ホッとしました。会のメインとなる流しそうめん。案は出たものの、竹をどこから手に入れるか頭をかかえていると、スタッフの知り合いの方が快く竹を分けてくださいました。利用者の方と一緒に2tトラックに乗り、竹取り、そして加工と「ここはこうした方がいいんだ!」「どれ!かしてみろ」と、3日にわたる作業もスムーズに行われました。
 当日は家族会の方々のお手伝いを頂き、会場作り、料理作りと利用者、スタッフあげての作業となりました。この場を借りて、お礼申し上げます。
 いざ本番!弘さんに乾杯の音頭をお願いすると、「こういう時はいつも男がやるが、本当は女性がしきった方がうまくいくもんだ」と一言。やってくれるかなという周囲の不安をよそに、見事乾杯の音頭をとってくれました。家族やスタッフに付き添われ、流しそうめんを楽しむ利用者の方々、流すスタッフもわくわくものでした。最後は花火で締めくくり。打ち上げる花火に沸く歓声。大成功に幕を閉じました。
 家族に囲まれ安心する方、にこやかに過ごす方、また、かわいいお孫さん、ひ孫さんに会って見せるとびっきりの笑顔。たくさんの笑顔に出会えて、スタッフも感激しました。
 お忙しい中、集まっていただいた家族のみなさん、また、今回は都合がつかなかった家族のみなさん、これからも私たちは家族との交流を大切にしていきたいと思っています。今後ともよろしくお願いします。
 最後になりましたが、会をハーモニカで盛り上げていただいたり、家族会への呼びかけなど、ご協力頂きました岩間毅さん本当にありがとうございました。
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清水【2003年8月号】

 7月13日、銀河の里のすぐ近くにある八雲神社で宵宮が開催されました。昨年も何人かと出かけましたが、今年は第1・第2GHの入居者さんたち数名と一緒にでかけ、一足先に祭りの雰囲気を味わってきました。
 八雲神社(通称お天王さん)は実はとても由緒ある神社・・・。以前DS利用者から、「お天王さんに拝みに来ると、必ず一つ願いごとが叶う」と聞いていました。そこで、まずは皆で参拝をした後、厳かな踊りを見たり、出店で買った食べ物を皆で食べたりして、21時ごろまで楽しんできました。
 八雲神社までは街灯の明かりはありません。また、騒々しい都会のようなざわめきもなく、ただ目の前にあるのは満天の星空と、どこか懐かしい匂いのする風・・・。そして、自然に耳に入ってくる虫の鳴き声などの音・・・。そこを無心で歩いていると、銀河の里を取り巻く環境は私たち「若者」にとって、とても恵まれた環境なのかもしれないと改めて実感しました。
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及川【2003年8月号】

 先日、みつさん宅の梅の木から梅を収穫しみんなで梅干し作りを行いました。といっても今年は梅雨による雨天が何日も続いたということもあり、予想に反して収穫量が少なく、結局採れた梅の10倍ほどの梅を買わなければいけない羽目になったのですが・・・聞く所によると去年は、梅の収穫量が多く、しその収穫量が少なかったため、しそが手に入りにくかったそうな。今年は、そんな事がないようにとしそはかなり前に準備。そこまでは良かったのですが、肝心の梅が・・・つくづく、「農業って、自然に左右されることが多いんだなぁ」感じました。
 このときばかりは、男衆も女衆も関係なく、全員での共同作業。普段農作業の指揮を執っている男衆も、この日「こうしろ」「わがねんだぁ」と、年季の入った婆ちゃん達の迫力に押されがち・・・。こういうときって、当然のことかも知れないけど、女の人たちの方が、すごい迫力あるんだよなぁ。昔は、こういう保存食を考えていくことが生きていくための手段だったんだろうなぁ。なんか、そう考えるとすごく生活に密接していて、楽しみ半分でやっている僕らが申し訳なくなってしまう。こういう、昔の人の知恵がいっぱい詰まった物は絶やさないでいきたいなぁ・・・よしっ、決めた。結婚するときは梅干しのうまく作れる人にしよう!!
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「農」のある暮らしから見つけた青春 〜本当のトマトの味〜 ★佐藤翼【2003年8月号】

 ある日、私は自分の弱さを知った。その日は自分の弱さに絶望し、食べ物は喉を通らず夕飯を食べられない。夜も眠れず夜通し自分について考えてみた。私は今まで環境に恵まれてきた。大きな病気もせず、怪我もせず家族に囲まれていたから生活面に困ることもなく普通に暮らせてきた。これが私の弱さだった。家にいれば家族が周りの事をやってくれる。私は何もしなくてよい。私は今までやってきたことが生活だと思っていた。私は気付いた。違う。今までは世話を受けてただ生きてきただけ、生活とは生きるために手段を選んで行動していく事であると思う。私は生きていくために手段を選ぶという行動をとった事がない。とらなくても普通に生きてこられた。でも私は生活がしたくなった。自分で行動をとりたくなった。時計を見ると午前5時。気付けば娘が起きている。娘のオムツを取り替え、娘の顔を見る。「何かしたい。」「よし、草刈りをしよう!」娘を寝かせつけ作業着に着替えて銀河の里へ。脇山さんを誘い田んぼへ向かう。その途中ハウスに寄った。ハウスには赤いトマトが実っていたので水分代わりにと1つ頂戴していく。草刈りを始めると不思議だ。いつもは眠くてだるかったり、小一時間で疲れてしまうのにそれがない。昨夜は全く眠れなく夕飯も食べられなかったのに・・・これが何かをしよう。という気持ちか。すごいと思った。気持ちで全然違うじゃないか!夢中でやっているとあっという間に8時本当にあっという間。軽トラに草刈り機を積んで乗り込むとどっと疲れが。するとダッシュボードの上にトマトがある。何の気なしにトマトをかじる。「美味い。」今まで美味しい物をたくさん食べてきたが美味さが違う「美味しいね。」なんて表現じゃない。「美味い!」言葉を出さずに1つペロッと食べて思うこと。「もっと、食べたい」私はこれが本当のトマトの味、何より食べるという行動の意味であると感じた。そしてこのトマトの味でもっと生活がしたいと感じた。この感動をなんと呼べばいいかというと私は青春と呼びたい。昭和57年3月19日生まれ21才。妻子持ち。遅すぎる思春期到来の予感がする。
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