”拝啓 菅沼幸子 様
あれから一ヶ月が経ちました。幸子さんの突然に驚かされてから・・・。
今頃どうしていますか?私の方は、毎日新しい出会いに一喜一憂しています。一ヶ月前のあの日には考えられなかったけれど。
どんなに周りに優しい言葉をかけられても、どんなに励ましの言葉をもらっても、「私の気持ちなんて分かるわけない」「こんな別れがあるのなら、新しい出会いなんていらない」って、思ったけど・・・。でも新しい出会いがあるから別れを自分の中におさめることができるんだって、幸子さんに教えてもらって気がする。新しい出会いのためには、別れも必要なんだって。まだまだ口で言うほど、自分の中では解決できていないけど、時間と毎日の生活といろんなものが、いろんな人が私を支えてくれている。しっかりと自分の中に受けとめるには、もう少しかかりそうな気がするけどね。こんな事幸子さんに言ったって、「あら、そう?」「そうね、そうかもね」なんて言葉で返されそうだけど、そんな幸子さんの「あっけらかん」とした態度が、なんか私を落ち着かせてくれる。生まれた時から波乱に満ちていて、私なんかからは考えられないような経験ばかりしてて。だけど、そんな話を聞かせてくれる時も、いつも楽しかったことのように話してくれる。不思議で不思議でならなかったけど、「大事だって自覚はないの」って思ったりもしたけど、それが幸子さんの表現の仕方だったよね。『神様はその人が耐えられるだけの試練を与える』って、聞いたことがある。だから、耐えられない試練はないって。だとすれば幸子さんは、私なんかの何倍もの試練に耐えられるだけの器を持ってたってことなんだな。それを試練だって考えればの話だけど。
私もそんな器持ってたらいいな。そして、「あっけらかん」と生きるの。何も考えない「あっけらかん」じゃなくて、いっぱい考えて悩んで出てくる「あっけらかん」だよ。そうなればいいなって思う。
そうそう、「これだけは伝えておかなきゃ!」ってことがあったよ。幸子さんはどうだったか、直接聞けなかったから何とも言えないけど、「私は幸せだったよ!!」って。幸子さんと一緒にいられる贅沢な時間をもらったからね。ホントに岩手に来てくれて、銀河の里に来てくれてありがとう。そして何より私と出会ってくれて、ありがとう。
では、またどこかで・・・。 敬具”
PS 幸子さんきれいに化粧していったから、みんな分からなかったんじゃない?大丈夫だった?