2003年07月15日

征司さんの花壇の枠作り ★清水【2003年7月号】

 第2GHの建物の周りには、春に皆で花植えをした花壇があります。花を植えた後、今までここは手つかずの状態でしたが、最近では第2GHの働き者、征司さんが日々丁寧に枠作りに励んでいます。
 征司さんの一つ一つの作業に対する取り組み方は、これぞ征司さんといった感じで、ただただ感心するばかりです。のこぎりを使って、木を切る作業でも、それぞれが同じ長さになっていなければ気が済まない征司さん・・・。また、木を並べる作業でも、隣同士の木が真っ直ぐに並んでいなければ納得がいかない征司さん・・・。一つ一つの作業に征司さんを感じることができました。
 花壇の枠作りは、天候にも左右されるため、本当に少しずつといった感じで、なかなか形にならないでいましたが、つい先日一つの花壇の枠が完成しました。「やっぱり手間かければいいもんだな・・・。」その時の征司さんの笑顔とこの一言が忘れられません。
 この花壇の枠は、建物の南側のベランダから見えるため、他の入居者からも賞賛の声が自然に聞こえます。それを聞いて、照れながらも笑顔が隠せない征司さんなのでした・・・。
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緊急入院!そして思うこと・・・ ★戸來【2003年7月号】

 里で働きはじめて、はじめて長期休暇をもらうことに・・・。実は情けないことに、風邪をこじらせ、三泊四日近くの病院に入院してきました。一週間続いた熱と喉の痛みよりも、自分の体を管理できなかったことにたいしての痛みの方が心に深く刺さったような気がします。自分の体なのに、どうすることも出来ず、ただただ悔しくなりました。
 それでも、入院中は良い経験が出来たのかなとも思えます。医療ミスで、取り上げられる病院もある時代、ベットの上から本当の看護師さんたちは忙しそうで、そういうことが起きるのも無理はないのかなぁ・・・とまで思ってしまう。それでも、そういう事故を防ぐため、点滴をするときは一つ一つ名前を患者さんに確認し、確認の印を押す。ミスの許されない現場の緊張感が感じられました。また、入院中、毎日誰かがお見舞いに来てくれ、言葉をかけてくれました。一番顔を出してくれたのは、GHのハツエさんで、直筆の手紙を送ってくれたのはミワさん。みんなの思いのおかげか一週間の入院予定も四日ですみ、一番の特効薬だったと感謝している今日この頃です・・・。
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この出会いをいかして・・・ ★及川【2003年7月号】

 6月6日〜8日、6月20日〜22日の間、岩手大学の学生さんがボランティアで来てくれました。入居者の方々と共に過ごしてもらうだけではなく、草取りや、大豆まきなどもやってくれました。(無理矢理???)
 入居者の方も普段のスタッフより数段?若い女の子にいつもとは違った表情を見せ、「これだけは覚えておきなさい。」と、人生の教訓を語る人あり、普段スタッフには絶対切らせない爪を切ってもらったり、男性の入居者の中には、いつも以上のスキンシップをはかっている方もいました。
 いつも思うのですが、外部から研修の方が来ると、その接し方に「はっ」とさせられる事があります。普段から先入観や、偏見は持っていないつもりですが、どうしても長い間一緒にいると、知ってしまっているが故の決めつけが出てしまうことがあります。それが知らないという武器を持っている外部の人が、真っ直ぐに接しているのを見て、逆に気付かされる事が多く、スタッフにとっても研修の場となります。お互い、実りのある研修として次へ進むステップになれば・・・と願っています。
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達さんとの思い出 ★鈴木【2003年7月号】

 銀河の里開所当初から一緒に暮らしていた、長原達さんが、6月18日に退所となり、送別会を行いました。
 達さんと暮らした中で、一番の思い出は、雪降る日二人でゴミ捨てに行ったときのことです。寒い日だったので、ゴミ捨てには誰も行きたがらず、私一人で行こうかなぁ・・・とあきらめていた時、達さんと目が合い、声をかけると「雪の中を歩きたいな」とにっこりしてくれました。達さんにゴミ袋を一つ持ってもらい、私がゴミ袋を二つ持ち片手に持ち、手をつないで歩いていると、その途中で立ち止まった時、達さんがつないでいた手を離し、「もづっか・・・?」と言ってくれました。思わずお願いし、ゴミ袋を二つ達さんに持ってもらいました。ゴミ捨てを終え、そのまますぐ戻るのでは何か物足りなくて、達さんに「もう少し歩くっか?」と聞いてみると、笑顔でうなずいてくれました。中にいる人に手を振ったり、雪玉を投げたりしながら、銀河の里を一周しました。達さんと手をつなぎ、一歩一歩雪の感触を感じながら、寒い日のすごくすごく暖かい思い出です。思い出すたび、寒い雪降る冬の日、一人でもあたたかな気持ちで外を歩けるような気がします。
 達さんとの思い出はたくさんあり、どれも忘れられない、忘れたくないことばかりです。達さんは優しさだけでなく、厳しさもある方で、教わること、考えさせられること、たくさんありました。また、言葉だけでなく、目で通じあえる、伝えることができるということを感じさせてくれました。
ただそこにいるだけで、私を支えてくれる存在だった達さん・・・。達さんの笑った顔・・・。怒った顔・・・。声・・・。忘れません。銀河の里で達さんに出会うことが出来て良かったです。
達さん、ありがとうございました。大好きです。
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小豆の播種 ★戸來【2003年7月号】

 私は以前小豆が嫌いでした。草餅のあんや赤飯に入っていると何とか食べないように避けていたのですが、里では草餅や赤飯が日常にある。食べずには生きていけない・・・というわけではないのですが、食べてみるうちにいつの間にかおいしく感じるようになりました。あんこを使ったおやつは好評で、去年から何とか小豆の畑を作りたいと、心の中でずっと思っていました。そして今年、何とか里の利用者の方々の力を借りて、小さな三角畑に小豆の種をを播きました。
 梅雨に入る前の天候は日照り続きで、ごろごろと固まりとなった赤土は、石のように固まっていて、小豆を播きながらも、芽が出るだろうか心配でした。それでもいつの間にか、たくましく小豆の芽が出そろいました。こうして農に関わりながら、種の生命力や土の豊かさなど自然の力に驚かされます。また、高齢者方々の鍬を持ち淡々と作業をこなす姿、冗談を話しながらもしっかり種を植えていく姿、「邪魔にならないのも立派な仕事」という言葉、利用者の日々の振る舞いや言動から作物を育む知恵や生きる事への力強さを若い私たは教わるばかりです。
 また、銀河の里近くにある三角畑は元々宮澤みつさんの畑で、毎年そこに小豆を播いていたと娘の施設長から聞きました。みつさんは、収穫した小豆をまるで宝石でも扱うように、一粒一粒選り分けて大切に扱っていたそうです。みつさんが毎年播いていた小豆を再び私たちが植えて育てながら、何十年もこの畑を耕し、小豆を穫っていたみつさん往年の姿を少しイメージできてくるような気がするのです。
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トマト作りを通じて ★渡辺【2003年7月号】

 6月に入り、トマトハウスで芽かきの作業が始まりしました。「芽かき」とは何ぞや?と農業を知らない私は、サトリ先生に早速、伝授してもらいました。「そんなんじゃダメだぁ!芽をかくときは親指の爪を使うんだ!!」、指で折るとスジがのびてしまい主軸を痛めてしまうんだそうで...。教わる私は、ただ納得するばかりでした。
 ところが、気合いを入れた矢先に、トマトハウスでハプニング。ハウスを閉めきっていてトマトが焼けてしまったのです。「もう終わりだ!死んでしまった」と言っているのが、何だかさっぱり分かりませんでした。焼いた植物は新芽を出せずに死んでしまうのだそうです。「全滅かも知れない」と落ち込んでいるとサトリ先生は私に「皆生きてるって事なんだぁ!」「若いんだから、次失敗しなければ良いんだ」「何でも勉強と研究が必要なんだぁ」「生きるって大変なんだけど、大切なことなんだぁ」「知らねぇ〜ってこぇ〜事なんだぁ」「生きるために大切なんだ」「オレは80年も生きてるんだ。知ってて当たり前」「これから頑張れぇ」と励ましてくれました。これらの言葉は、強く胸に突き刺さりました。
 今はスーパーへ行けば年中食べられるトマトですが、昔は収穫の時期に一度しか食べられなかった。育たなければ、その年はトマトを食べるのはあきらめるしかなかった...。そのことを考えると、家族のため、生きるために農業がいかに大切で、いかに大変だったかと感じました。そして、その農業を続けている自分の祖父母の苦労や、「適当」な感覚の重みをも実感出来ました。
 農業に携わりながら今回の体験は、自分の中で、生きることについてすこし考えることができたと思います。
 その後トマトは、幸い主軸は焼けておらず、新しい芽を伸ばし、実を付け始めています。真っ赤なトマトの収穫を今から楽しみにしているところです。
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「銀河の里」と「農」 ★理事長 宮澤健【2003年7月号】  

 「銀河の里」は農が基盤だと勝手に思ってきた。それになんの根拠もなければ理論もちあわせている訳ではない。もともと「理念」などという堅いことは嫌いなので、気軽な直感なのだが、その直感はさほど外れてはいなかったようだと最近特に感じ始めている。
できれば職員スタッフも全員が農に関わってもらいたいとも思っている。
「福祉や介護の世界で、何で農業」と感じる人もいるかも知れないし、「大変でもうからない農業はもうやめても良いのではないか」という人もいる。
しかし、「銀河の里」がはじまるまで10年、農業をやりながら準備を進め、産直などで多くの人に支えられ「銀河の里」が生まれたという歴史は無視できない。
さらに大事なのは介護など、人と人が関係するところに成り立つ仕事には、関係性の深さや奥行き、厚みといったものが必須だということだ。限定的な知識や技術を寄せ集め、短絡的で一方的な介護が行われるだけなら、薄っぺらで魅力や価値の低い関係に成り下がってしまう。そうした例を我々は福祉の現場のみならず、現代の社会のあらゆるところで見せつけられている。それと同様のことを「銀河の里」でやってしまってはなにも意味がない。「銀河の里」で暮らしを重視しているのはそのためである。
人間は元々全体的な存在であるということを忘れてはならない。専門性を鍛えながら、いかに全体性を生きるかということに現場の課題があるはずだ。言い換えれば専門性を発揮する基盤として、いかに生きるのかという自らの課題と向き合い、そこで自らがしっかりと生きている必要がある。
一般的に、便利と快適を高度に手に入れた現代社会は、人間とあらゆる事柄との関係性が分断し、結果として個々の生き抜く力そのものはますます弱って行きつつあるのが現状であろう。自他の生命とのリアリティが欠乏していく現象が様々な形を取りながら社会に噴出してくる。
農はそういう意味では、繊細でリアルな生命との接触と関係を迫られる。バーチャルが入り込む余地がない。つまり、播種から収穫まで、さらに食として人間の命に還元されるまで、すべて具体であって、抽象化されることがない。
我々は痴呆症という抽象を扱うのではない。一人の人間と出会うのだというところは農の基本にある具体に向かう姿勢であり、そうした姿勢を学べる場は現代ではほとんど無いに等しいとしたら、農は実に貴重な体験を我々に与えてくれるはずである。
「銀河の里」に取っても、一人一人のスタッフに取っても農は基盤となるのではなかろうか。
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